第二の脱走事件
いよ動物園の虎が脱走してから、一週間が経過した。
この間に、内部犯の可能性がないか検められたが、特に目ぼしいものはないという結果となり、内部の犯行ではないと結論づけられた。
平行して外部犯の調査はしていたものの、こちらも大した情報は得られておらず、犯人の影すら掴めていない状況だ。
リヒトたちについても同様で、どこに行方を晦ませているのか、どこに潜んでいるのか、全く分からない。
そのため、警察と自衛隊は脱走直後から厳戒態勢で捜査を続けているし、近隣住民は避難生活を余儀なくされている。
一方で、千尋たちは園内に客と虎がいないことを除けば、脱走前の状態と変わらない。
強いて言えば、虎担当である千尋と秋元は、それぞれ他の獣舎の応援に入っている。
それでも、仕事内容が変わるわけではない。
淡々と動物たちの世話をするだけだった。
午後七時すぎ、千尋は仕事から帰った後、帰りにスーパーで買った三割引きの惣菜を広げて夕食を取っていた。
ラジオ代わりに点けていたテレビのニュースで、アナウンサーが『たった今入ってきたニュースをお伝えします』と告げた。
千尋は思わずテレビに目を向ける。
『高知県香南市にある香南動物園の虎三頭が脱走したとのことです。近隣にお住まいの方は、絶対に屋外に出ないようにしてください。もし現在外出中の方は、建物の中など安全な場所にすぐに避難してください。当時の状況や原因については調査中とのことですが、先週、愛媛県松山市のいよ動物園でも虎の脱走事件が起きており、関連性についても調査しているとのことです』
千尋は衝撃のあまり、掴んでいたおかずを箸から落とした。
そんなバカな――。
動物園での動物の管理はかなり厳重で、脱走なんてそうそう起きるものじゃない。
それが、立て続けに起こるなんて。
それも、同じ四国、同じ虎だなんて。
どう考えたって同一犯の仕業だ。
千尋は衝撃と憤怒を抱えきれず、とにかく誰かに話したくなった。
頭に浮かんできたのが園長だったので、園長に電話を掛けようとスマホを取ろうとすると、逆に自分のスマホが鳴った。
画面には『秋元』と表示されている。
もしかして秋元も、ニュースを見て電話を掛けてきたのだろうかと思いながら、画面の受話ボタンを押した。
「千尋さん、大事件です!」
興奮していることがよく分かる第一声で、千尋は慌てて耳からスマホを離した。
同時に、自分の予想が当たっていたことも分かった。
千尋は、スマホを耳から少し離したまま、話し始める。
「香南動物園のこと?」
「そうですそうです! 千尋さんもニュース見たんですね!」
「今、見てるよ。十中八九、同一犯だろうね」
「確かに。でも、何が目的なんでしょうね」
「さぁ、何だろうね。ただの愉快犯としか思えないけど」
これが千尋の本心だった。
目的がまるで分からない。
人を殺したければ、刺すなり突き落とすなりすればいい。
だが、それをしないということは、特定の殺したい相手はいないと読める。
であれば、他人を恐怖に陥れたり、他人が右往左往しているのを、安全圏から眺めて楽しんでいるとしか思えないのだ。
「――それじゃ、千尋さん、また明日。おやすみなさい」
「おやすみ」
犯人に関する中身のない会話を何度か交わした後、電話を切った。
秋元と話したことで溜飲が下がった千尋は、園長に電話するのを止めた。
翌朝の園内は、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、昨日起きた虎の脱走の件で持ち切りだった。
昨日の報道以来、情報の更新がないので大した話はできないが、会話の帰結としては概ね、「犯人の気が知れない」とか「意味が分からない」といった、犯行そのものの理解に苦しむといったものだった。
千尋は昨日電話を掛けようとしていた園長と会話したが、情報の更新がないので特に議論するようなこともなく、「早く犯人が見つかってくれるといいのに」という当たり障りのない感じで終わった。
日を追うごとに、徐々に香南動物園の情報が更新されていった。
結果として、事件当時の状況は、いよ動物園と酷似していた。
正確には、虚構のストーリーと酷似していたのだ。
同一犯の可能性が極めて高いことが誰の目にも明らかとなり、また、四国で立て続けに発生したことを受け、愛媛県・香川県・高知県・徳島県の四国四県それぞれで、緊急事態宣言が発出された。
住民に対しては、不要不急の外出を避けること、小・中学校および高校の登下校は保護者が同伴すること、などが努力義務として課された。
動物園には、二十四時間の警備・監視が義務として課され、虎を飼育している場合は加えて、体制強化として警察官が派遣されることになった。
また、政府からも、正式な宣言ではないものの、「大変憂慮している」というコメントともに、全国の動物園に対して注意喚起がなされた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
男は、高知県の南西端にある柏島の、岩礁の上に立っていた。
視線の遥か先には、真一文字に結ばれた地平線に、蒲葵島と沖の島が映っている。
男の背後には、高知県で加わった新たな同胞たちも控えている。
――仲間も増えたことだ。次は二手に別れることにしよう。後で合流すれば良いだけであるし、この方が効率がいい。
男は足を上げ、ゆっくりと海中へ足を踏み入れた。
――日本を今一度、せんたくいたし申候。




