激動の一日
もしや警察が既に来ているのでは?
と、千尋はヒヤヒヤしながら事務室に戻ったが、それは杞憂だった。
内心安堵しつつ、首尾を園長に報告する。
園長は報告を受けて、千尋と秋元を労った。
その後、一息つく間もなく、皆で集まって事情聴取と記者会見で出てきそうな質疑を想定し、その質疑に対する回答を検討していった。
しばらくして、パトカーのサイレンが聞こえてきた。
場は一瞬にして凍り付き、緊張の糸がピンピンに張り巡らされる。
皆一様に口を一文字に結び、強張った表情をしていた。
サイレンが鳴り止み、警察が到着したのだろうと思ったのも束の間、今度は事務室の電話が鳴り出し、園長が受話器を取った。
発信者はもちろん警察で、「到着したのでゲートを全開放してほしい」と言ってきた。
千尋と秋元は園長の指示を受けて、事務室を出てゲートを開放しに行った。
ゲートの前には、パトカーと見るからに頑丈そうな迷彩柄の装甲車が縦一列に並んで待機していた。
ゲートを開けると、車が続々と園内に進入してきて、ゲート前のスペースはあっという間に車で一杯になった。全ては園内に入りきらず、数台は外に取り残されていた。
各車の配置が決まったところで、一台のパトカーから四人の男が出てきた。
運転席と助手席の男は黒色のスーツ姿。
後部座席の男は迷彩柄の服にヘルメットと銃を装備していた。
千尋は初めて本物の銃を見た。アサルトライフルのような形をしているなと思った。
ただそう思っただけで、現実感がなく感動も衝撃も感じなかった。
運転席の男が千尋の元へ歩み寄って来て、「どちらへ行けばよろしいですか?」と尋ねるので、千尋は事務室の方に手を向け「ご案内します」と言って、四人を連れて事務室へ向かった。
それからは、何かを考える暇もないほど対応に追われた。
最初は警察からの事情聴取。
作り上げた虚構が嘘だとバレないよう、必死に毅然な態度を装って、淡々と説明した。
その裏では嫌な汗がドバドバ出て止まらず、これでバレてしまうのではないかと気が気ではなかった。
一通り説明を終え警察が席を外したときには、少し安堵したせいか疲労感がドッと押し寄せてきて、まるで魂が抜けてしまったかのように全身が脱力してだるんだるんになっていた。
次は警察からの質疑応答。
幸いにも、こちらの肝を冷やすような質問はなく、無難に応答することができた。
その後は記者会見――と言っても記者は呼んでいないので、警察が予め用意した展開で説明や謝罪をしているところを、カメラで撮るというものだった。
会見には、園長、副園長、千尋の三人で臨んだ。
基本は園長が話し、途中何度か千尋に話を振って詳細をフォローするという形だった。
撮影が終わった後、園長はしばらくの間、座ったままどこを見るでもなく天井を眺めていて、KO寸前といった感じだった。
あんな姿の園長は、後にも先にも見ることはないだろう。
会見の後片付けをしていた千尋は、窓にかかるブラインドカーテンから、微かに明かりが漏れていることにふと気づく。
左手の腕時計に目をやると、時刻は七時前を指していた。
もうすっかり朝になってしまっている。
千尋は片付けを終わらせて事務室に戻った。
室内を見回すと、数人が出勤してきていた。
次の日がやって来たんだなーとなんとはなしに考えていると、千尋は園長に声を掛けられた。
「菊池君、お疲れ様。大変だったねー。久々に夜通し働いたけど、私のような老躯には堪えるね。菊池君はどう? 体調大丈夫かな?」
「私も徹夜久しぶりでしたから、さすがに疲れました。園長を前にして言うのは失礼だと思いますが、私もそんなに若くないですからね。この疲れが長く残りそうです」
「そうだよね。私の方もいつまで残るのやら。不安で仕方ないよ」
お互いに苦笑して、園長は続けた。
「とまぁ、こんな感じで激動の一日だったわけだけれども、時は残酷かな、我々を待ってはくれないんだよ。今日は昼から民放局相手の記者会見があるから、そちらに参加をお願いしたい。いいかな?」
「はい、大丈夫です」
「これはさっきと違ってリアルなやつだからね。粗相のないようにしないと」
「そうですね。私も気をつけます。」
「うん、よろしく頼むよ。というわけで、会見まで少し時間が空くから、我々は少し休もう。自由に仮眠室使っていいからね。眠れるようならできるだけ寝ておいて」
「ですが園長、リヒトたちの世話が――」
無意識だった。
丸一日働きづめで頭が回っていないのもあるとは思うが、何のフィルターにもかからず、言葉はするりと出てしまった。
千尋はすぐに訂正した。
「す、すみません。なんでもないです」
園長は笑っていた。
静かに、辛そうに。
こんな顔はさせたくなかった。見たくもなかった。
千尋は己の愚行を心底後悔した。
「気にすることはないよ。疲れている証拠だよ。ゆっくり休むといい」
「はい、ありがとうございます。では、少し横になってきます」
千尋はそう告げて、仮眠室へと向かった。
ベッドに膝をついたあと、そのまま倒れる。
千尋の体が小さく弾んだ。ベッドからギギィーと抗議の音が漏れる。
部屋で一人横になっていると、気持ちが落ちついたからなのか、色々な考えが湯水のように湧いてくる。
実はもっといい筋書きがあったんじゃないか。
南京錠の件は別の方法で対処した方が良かったんじゃないか。
犯人は一体誰なのか。
リヒトたちはなぜ脱走してしまったのか――。
出口のない迷路をぐるぐる徘徊するかのように、同じようなことを何度も考えていると、気づかぬうちに睡魔が忍び寄っていたようで、千尋は思考の渦に飲み込まれるようにして眠りに落ちた。




