物語は人知れずに(2)
「もっと速く飛んでよ!置いてくわよ!?」
「や、やめてよ。ねえ、本当にもう大丈夫なの?」
「……今は、戦闘の魔力反応じゃ、ない」
アゾク大森林の上を飛ぶ3人の魔女。
暗い色のローブと三角帽子。そして、長杖にまたがって飛ぶ姿。
これが月明かりを頼りにするような夜であれば、彼女らは典型的にして少し不気味な光景の一部になっただろう。
だが今はちょうど陽が真上にある時間である。
冷えた体を温める太陽が光が気持ちの良い青空の下のはずだが、エルドラドのNPCであるアサメイ、エナン、ソルトたちの顔は険しいものだった。
「エナン!いい加減にスピード出して、ベカ様のところに急ぐわよ!」
「無理だよぉ。アサメイもついさっきまですごい魔力を感じてたでしょ?怖いよぉ」
「ソルトは、怖くない。すごい魔法、大興奮」
先を急ごうとするアサメイとソルトだが、2人の少し後方でエナンが足を引っ張っていた。
3人は背の高いの樹々の上を飛んでいく。
並んだ樹々から突出したひと際の背の高い木を避けた時、彼女たちの視界にあったのは深い緑色をした森では無かった。
「……なんだよこれ」
アサメイのこぼした言葉に、他の2人は反応することが出来なかった。
大森林の空いた黒い穴。
それは炭化した倒木や地面に堆積していた枝葉だった。
その中ではまだ数えられるだけの火が揺れている。
爆心地と言っていい場所を前にして、3人の魔女はその場に留まっていた。
エナンは鼻を覆って、風に混ざる灰を避けようとしている。
「これって、ベカ様が?」
「……そうじゃなきゃ誰がこんなこと出来るのよ」
漂うのは悪臭ではない。濃い煙が彼女たちの足を止めているのだ。
その時、ソルトが何も言わずにある方向を指さした。
ここに来た目的を知っていれば、ソルトの指さした方向に何があるのかは聞く必要が無かった。
「行くわよ!」
煙を避けようとせずに一直線に飛ぶアサメイとソルト。
「ちょ、待ってよぉ」
エナンは2人の風圧によって煙が晴れた場所を追っていく。
炭化した森という戦闘の痕跡の上を飛びながら、3人の魔女は彼女たちの師の下へ急いだ。
ステージ管理者。120レベル。
エルドラドのNPCでこの称号とステータスを持つ者は間違いなく最上位の強者である。
その最上位の中においても、彼女は戦闘に特化していた。
それがこのベカ・イムフォレストであった。
「ベカ様ぁ!ご無事ですか?」
彼女を呼ぶ声が近づいてくる。
だがベカはその方向を振り返ることなく、ただ遠くを見つめていた。
アサメイたちに気付いていないのではない。
当然、ベカは3人の接近を魔力感知によってすでに把握している。
ただ無反応なだけだ。
3人が彼女のすぐ近くに降り立つと、炭化した枝が踏まれて折れることでパキパキというどこか心地よい音を鳴らした。
だが3人がそんな地面を踏み続ければ、さすがにそれは耳障りと言っていい騒音であった。
そんな足音を鳴らしながら近づく部下たち。
ベカは横目にその様子を一瞥して、短く息を吐いた。
この時、ようやく警戒を緩めたのだ。その証拠に、纏っていた雰囲気も少し和らいでいる。
アサメイたちもその変化を感じ取ったようで、すぐに声をかけた。
「申し訳ありません。もう少し早く来ていれば…………、ヒッ」
「ああ本当だ。来るのが遅いんだよ」
ベカは口では怒っている風だったが、表情は何も変わっていなかった。
それでも、アサメイに恐怖の色が浮かんだのはベカの顔ではなく、彼女の別の部位が原因であった。
「う、うでが……ベカ様?左腕にひどいお怪我を……」
アサメイのその言葉でようやくエナンとソルトも気づいた。
ベカの左腕が、怪我などと言うレベルではないほどに変形していたのだ。
「んん。エナン直せ」
ベカも今気づいたかのような反応だが、そんなははずがない。
だが、ここでそんなことに何かを言える訳が無い。
エナンはなぜか蟹歩きでベカの左腕側に移動すると、ベカの腕の上に自分の手を掲げた。
そこで腕の状態を間近にしてエナンは固まった。
肩から下にどんな力が働いたのか分からないが、粉々になっただろう骨がいくつも肌から突き出ており、肘は反対に、皮膚は捩じりに耐え切れずに裂かれ、まともな指は1本も残っていない。
「あの私、治癒魔法は持ってなくて、回復しか出来ないんですけど」
あとは魔法を発動するだけと言う段階で、そう言い始めるエナン。
ベカは少し苛立ったのか、左腕を持ちあげながらこう言った。
「んな事分かってる。やれ!」
エナンはベカが腕を動かした時にボトボトと血が滴ったことに怯えながら魔法を唱えた。
「はい!やります!……<プライマリーヒール>!」
淡い黄色の光がベカの腕を包む。
突き出た骨が小刻みに揺れ始め、ゆっくりとだが皮膚の下に戻っていった。
何かに操られているかのような動きで流れ出た血液が傷跡から体内に入っていき、ありえない捩じりや関節の角度が正しい位置に戻る。
そうして、ベカの左腕がかろうじて腕の形を取り戻した段階で突然に再生速度が加速した。
ゴキンという音と共に骨が瞬く間に本来の位置に戻り、まるで空気中に舞った血液や魔力を吸い込んでいるかのように傷跡が塞がっていったのだ。
それは一定の状態に戻ったことで機能し始めた、エナンの初級回復魔法効果を遥かに上回るベカ自身の自己回復能力であった。
「良し、いいぞ」
ベカは完全に元通りになった左腕を少し動かして、満足そうにそう言った。
それを持ってからアサメイが声をかけた。
「もうお怪我はありませんか?」
「ああ大丈夫だ。無い!」
ベカはチラチラと自分の体を見渡してそう言うと、治ったばかりの左腕で頭を搔いた。
すると、一瞬で顔を覆う程の出血が頭から流れ出した。
「あるじゃないですか!?なんで嘘つくんですか?」
「傷が開いたんだよ」
「ああ、もう。触らないでください。エナン、また回復魔法を」
エナンは「うん」と言って、先ほどよりも落ち着いた様子で<プライマリーヒール>を発動させる。
アサメイはベカの顔を自分の服の袖を使って拭いはじめた。
ベカはそうして世話を焼かれることを鬱陶しそうにしながら喋り始めた。
「もういい、お前らは別れて砦と……」
だが、ソルトがベカに気付かず喋ったことでベカは口を閉じた。
「敵は、灰の下、…………強敵?」
黙るべきは当然ソルトだが、ベカは彼女の言葉を無視出来なかった。
「いや、敵は逃げたぞ」
大した事のない風にそう言うベカ。
だが、アサメイとエナンの顔からは血の気が引いていた。
彼女たちがここであったことを一番に聞かなかったのは、ベカが敵に勝ったと思っていたからである。
すでに敵は葬り去られた。
大きな怪我を負ったし、敵を捕らえることをしなかったのは、その敵の強大さ故なのだろうと理解できる。
そんな存在がいることを恐れるべきなのだろうが、今日そう言った脅威が1つ無くなったことは喜ばしいことだ。
だが、そうでは無いなら、ベカと同等以上の敵が存在するとしたら、ステージ管理者という絶対の強者に致命傷と成り得る怪我を負わせ逃げ果せることが出来る者がいるとしたら、それは恐怖だ。
2人が顔を上げられずにいる中、ソルトは呟いた。
「ふ~ん。ちょっと、ショック」
ソルトの図太い態度に2人がさらなる恐怖を抱いている時、ベカは遠くを見つめながらこう返した。
「…………俺もだよ」
ベカの見つめる先。
黒く焦げた森と草原のその向こうにある小高い丘の向こう。
そこに消えていった男の姿を思い出していたのだ。
アサメイたちがベカに合流するほんの少し前。
おそらくは数分にも満たない間で行われた戦闘の始まり。
ベカは迷っていた。
――それで……、こいつはぶっ殺していいのか?




