コートデナールの巨人たち(11)
そのユーゴはものの十数秒で前線に着いていた。
そこで足を止めてしまった。
彼は戦場を知っている。
仲間の屍を踏み越えた経験もある。
だが、真っ赤な肉塊とそれを守るはずだったであろうつぶれた鎧が散在する光景はまだ見たことが無かったのだ。
それでも、その惨状に絶望するほど彼の心は弱くは無かった。
大きな一歩を踏み出して、剣と斧を振り回す巨人・アルゴルへ近づいた。
「……ビビれば死ぬぞ。止まるなよ。足を止めるなよ!」
ユーゴは自分へ言い聞かせるためにそう叫んだ。
雄叫びと共に引き抜かれた剣に熱が灯る。
その時、彼はどこかの誰かの言葉を思い出していた。
逃げてもいい、生き残れ。
父の言葉を忘れ去るように吐き捨て、代わりとなる言葉を身に刻むように口にした。
「生きて、勝って、帰るんだよ!」
ユーゴは走り続ける。
入り乱れる騎馬隊と加勢する第2陣の歩兵の隙間を縫い、体力の消耗を感じさせる様子のないアルゴルの足元を抜けて、彼はアルゴルの正面に立とうとした。
剣の熱はさらに高まり刀身が赤くなる。
いまだ発展途上なユーゴのスキル<炎剣>。
彼独自の力だった。
一般的に知られる、魔力と学術を用いるのではなく、彼の感覚と才能に頼った炎を維持する技である。
だがそれが魔術として名前の無い力と言う訳ではない。
ただ、カル王国において魔術と剣術の両立が出来る才能が極めて稀である故に、その知識がないだけであった。
その研鑽はこれから積み重ねられることだろう。
ユーゴ・デルヴァンクールという深淵のごとき深い潜在能力を秘める若き英雄の躍進が、今日終わりを迎えなければの話だが。
ユーゴはアルゴルのすぐ脇を抜けると、素早く振り返った。
アルゴルの手や顔は血で汚れていた。
当然、彼の血ではない。それどころか、アルゴルはまだ血を流すほどの負傷さえ負っていなかったのだ。
「怪物め!」
ユーゴはそう言うとさらに多くの魔力を剣に送った。
「<炎剣>……」
熱を持っていただけの剣が瞬時に赤い炎を身に纏う。
刀身を2倍の大きさに見せるような火が剣の形を保っていたのは一瞬であった。
さらに熱を上げ、大きくなろうとする火が今にも爆発しそうだった。
そして、ユーゴはそれを開放した。
「……<炎上>!」
剣の振り上げによって燃え上がる炎の柱は、騎馬兵の相手を優先していたアルゴルをすっぽりと包み込んだ。
轟々と燃える巨人を囲む者達から小さな歓声と怒号が上がる。
初めてカル王国側からの攻撃があのアルゴルへ直撃したのだ。
喜ぶ者達よりも、その隙に攻勢へ転じようと動き出す精鋭たちの号令が大きかったのはその覚悟と経験故なのだろう。
すぐに援護がある。
そうした気配を感じるユーゴは安心して2撃目を放つ。
同じ<炎剣・炎上>だ。
舞い上がる炎は一瞬の火の壁となって敵の視界を妨げ、その進行を食い止める。
そのためには絶え間ない攻撃が必須だ。
ユーゴは魔力の底など気にしなかった。
その時、身が震える程の悪寒がユーゴを襲った。
自分を見下ろすアルゴルの視線である。彼は斧を顔の前に持っていき、顔面への炎の直撃を防いでいた。
だが顔以外は確かに火に包まれている。
効いていない訳では無い。
ユーゴはそう勘違いをしていた。
今彼の持ち得る最高の攻撃手段である<炎剣・炎上>は、アルゴルの体毛の毛先をほんの少し焦がした程度に過ぎなかった。
単純な皮膚の厚さという、熱耐性である。
もはやそれほどに差があったのだ。
才能を持って生まれた英雄の子と、本物の強者では、戦いにはならなかったのだ。
虫けらを見るような冷徹な瞳から隠れるために、急いで2撃目を放つユーゴ。
「<炎じょ」
だが、炎が上がることは無かった。
ユーゴの後に動いたはずなのに、アルゴルによって振り下ろされる剣は、ユーゴのどんな動作よりも速く頭上に現れたのだ。
ユーゴにとって、この一瞬は忘れられぬものになるのだろう。
覚悟を決めて戦場に立ち、敵に立ち向かった。
それも、逆立ちをしても太刀打ちできないほどの強者を相手にだ。
だがその強者であるアルゴルにとってみれば、ユーゴは足元を這う有象無象に過ぎず、彼の剣が地面に着く頃には人の形さえ失う獣であった。
ユーゴはそのことを死の間際に感じ取った。
自分はこの世界で何かに成る存在だと思っていた。
だから走った。だから剣を振るった。
だが行動に意味は無かった。
だが何者にも成れなかった。
おそらく、成したことや名前はこの世界に残らない。
ただ想うのは、父と母への申し訳なさだった。
「……ごめん」
ユーゴは死を覚悟した。
そして、カツンという小石が落ちてきたような軽く乾いた衝撃がユーゴのヘルムを叩いた。
死の衝撃は想定よりもはるかに軽いものであった。と言うより、衝撃など無かった。
ユーゴを容易く両断できる大剣は、彼の頭上で止まっていた。
完全に止まっていた訳ではない。微かに震えていた。
それはまるで、拮抗する力のぶつかり合いによるものようだった。
誰かが、その剣を止めているかのようだった。
ユーゴの後ろで。
「よくやった」
ユーゴの知っている声だ。
「だが、お前には少し早いな」
ユーゴが軍への入隊を決めた時に、同じ言葉を聞いた。
そして、初めて知った。
カル王国最強の父の力を。
ユーゴに振り下ろされた剣をすんでのところで受け止めるニコラ・デルヴァンクール。
息子の背後で彼を覆うように剣を空へ掲げていた。
「とうさ」
振り返ろうとするユーゴ。
ニコラをそれを制止するように言葉をかぶせた。
「押し返すぞ!」
ユーゴはすぐ後ろで発せられる声に驚きながらもやるべきを理解した。
燃える剣を頭上の剣へと振り上げた。
ニコラもそれに合わせるよう剣をはじき返した。
アルゴルの剣は勢いよく跳ね返された。それは彼の腕ごと持ち上げるほどだった。
普通ならば姿勢を崩す。
ユーゴはそれを予見して放てなかった2撃目を繰り出そうとした。
だが、アルゴルは姿勢など少しも崩していなかった。
体勢を維持させるためにビキビキと固まる筋肉、そして一瞬で切り替えられる躍動する筋肉。
アルゴルの左手の巨大な斧がすでに振られていたのだ。
今度はユーゴの腰と腹を離れさそうとする横振りである。
それが彼の頬を掠めようする瞬間、ユーゴは強力な力で後方へ引っ張られた。
瞬間、持ち上がるユーゴの体。
彼の足が地面に再び着くまでの間に、ニコラは彼の前に出た。
衝撃がユーゴを叩く。
ニコラがまたしても片手でアルゴルの斧を防いだのだ。
この時、ニコラとアルゴルは偶然にも同じことを思っていた。
「こいつだ……」
その瞬間、ユーゴの視界に映る2人の体は、霞のごとくぼやけた。
到底目で追えぬ十度の剣戟がそうさせたのだ。
だが、当然それは一瞬のことである。
ユーゴが再び彼らの体を正確に捉えた時、アルゴルは地鳴りを起こすほどの踏み込みと共にニコラへ剣を突こうとしていた。
対して、ニコラは構えを解いている。
空いた左手を前に出し、こう口にした。
「<千勝覇気>」
人域を超越した戦士による気の発散。
それが起こす爆発的な重圧は、明らかな形となってアルゴルへぶつけられた。
震えるアルゴルの剣。
余波によって、後ろへ転ばされるユーゴや精鋭兵たち。
ニコラの<千勝覇気>を正面から受けたアルゴルは、彼が進んだ距離を戻されるように吹き飛ばされていた。
「ほぉ、一瞬でも耐えたか。やはりこいつは残しておけない」
ニコラがアルゴルを追うように駆け出す。
それと同時に、アルゴルは背中を盾に強打していた。
それは自分が出てきた囲いの盾だった。
「クソ!」
数百メートルを戻されたのだ。
つい悪態が漏れる。
だが文句を言っている暇はなかった。
ニコラが飛び込んでくる。
アルゴルは奥歯がつぶれるほど悔しさに顔を歪ませながら、盾を背にしたままで飛び上がり囲いの中へ戻った。
「<万国……!」
ニコラはアルゴルが盾の後ろへ入るを確認して、振り上げた剣を下ろし足を止めた。
「チッ、盾を崩すか?いや……」
周囲を見渡すニコラ。
アルゴルが作った、草原に敷かれた血と泥の絨毯。
<千勝覇気>から未だ立ち上がれない精鋭兵たち。
「巨人たちを無策に開放しても被害を大きくするだけか。作戦など無視してもっと速く来れば……」
ニコラは壁のような無骨な大楯を数秒眺めて、声を上げた。
「陣形を崩すな!隊列を戻せ!」
そう言い終わると、静寂に沈んでいた精鋭兵たちが動き出す。
ニコラはその人の波にのまれていく。
ユーゴはそうしてニコラの姿を見失った。
その時、「ユーゴ!」と彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると離れた場所にケネスがいた。
彼を追ってきていたようだ。
ユーゴはケネスの下へ戻る前に、ニコラに引っ張られ転ばされた時にズレたヘルムを直そうと腕を持ち上げた。
だが、ヘルムを彼の手を待たずに正しい位置へと戻った。
それも乱暴にだ。
「後方へ戻れ。お前は……、よくやった」
また背後からする父の声にユーゴはすぐに振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「ユーゴ!大丈夫か?いまのはニコラさんか?すげえ速さで向こうに走っていったけど」
ケネスがもう近くまで来ていた。
彼にはニコラが見えていたようだ。ニコラが走っていったのだろう方向を見ているが、ユーゴはそちらを見る気はしなかった。
「大丈夫だ。もう戻るぞ、ん?……あ!」
ユーゴはヘルムがずれていたせいでケネスの隣にいた男に気付かなかった。




