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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
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383話 掃除機とルナの試験と事件の結末 2


 試験の真っ最中だったはずのルナと、試験の指導をしていたはずのアンジェリカは、テオドールの新しいカード名を決めるより先に、自らの相棒の機嫌を取ることを余儀なくされた。


 そういえば、ミシェルは、この新しい屋敷に引っ越してすぐ、「偉大なる青いネコ」の城を買い直していた――ネコにつつかれたのか、ミシェルが気を回したのか。


 ルナはピエロで手いっぱいだったし、アンジェリカも仕事で忙しくて、すっかり忘れていたのである。


 だがまさか、あのおもちゃの家がないことが、こんなにも機嫌を損ねているなんて、思いもしなかったのだった。


 急いでK12区のショッピングセンターに向かい――急ぎすぎて、K27区にもショッピングセンターがあることを忘れたふたりは――前と同じ庭付き一戸建ての家と家具を買いそろえ、ついでにクッションやら黒板やらもそろえて部屋にセットして――ようやくうさこは、ZOOカードボックスから姿を現した。


『わたしのおうち!』


 月を眺める子ウサギは、喜び勇んで、新しくなった家を眺め渡した。

 ルナの部屋で組み立てられた「白ネズミの女王の別荘」にも、白ネズミの女王が現れ、嬉しげに、庭の椅子に座ってお茶をはじめた。


『まあ――しょうがないわね。今度の家はステキなお花模様の壁紙付きで、芝生にお花もあるから、100点で合格にしてあげる』


「ほ!?」


 ルナは絶叫した。月を眺める子ウサギは、ルナの動揺も知らず、楽しげだ。


「できれば、このおうちはあの戸棚の上に置いて、庭のお花を隣に飾ってくれると嬉しいの」

「試験は!?」


 ルナだって、いろいろまずかったと思うことがいっぱいあった試験である。それが、うさこのおうちを用意したから、100点?


『あなたがわたしを一番に頼りにしてくれたら、それで合格です』

「――!」


『言ったでしょ、ルナ』


 月を眺める子ウサギは、微笑んだ。


『わたしを信じて』


 月を眺める子ウサギは、芝生(しばふ)の上に立ち、月のステッキを振り回した。すると、格好が変化した――ルナと似たようなワンピース姿だった彼女の格好は、Tシャツとジーンズ、ルームメンバーにだけ許された例の作業用エプロン、長靴になった。ウサ耳にはバンダナが結ばれている。


『ルナ、ハクニーとシマリスのカードを呼び出してちょうだい』

「う、うん!」


 ルナが二枚のカードを呼び出すと、「礼儀正しいハクニー」と、「怖がりなシマリス」のままだった。


『縁の糸を』


 月を眺める子ウサギの言葉とともに、ふたりを取り巻く、無数の糸が現れる。ルナが先日見たとき同様、シシーのシマリスカードには、グロテスクな色の糸がいっぱいくっついていた。


「これは、相当だな……」


 アンジェリカも気難しい顔で、シシーにつながる悪意の糸を見つめていた。

 

『さあ! 大掃除を始めるわ!』


 月を眺める子ウサギが指を鳴らすと、たくさんの糸は消えて、不気味な糸だけが残った。彼女は、そうしてから糸の中に飛び込んだ――やがて、糸のすきまから、ぴょこんと頭を出したうさこは、大きなはさみを手にしていた。うさこほどの大きさもある、銀色のはさみを――。


『えい』


 月を眺める子ウサギは、不気味な糸を、ジョキン! と盛大な音をさせて切った。


「うさこ――!?」


 ルナは叫んだ。たしかに、この糸を見たときは、切ってしまいたいなと思ったのだが。


『えい。えい。えい』


 まさか、ほんとうに切ってしまえるとは。


『えい。えい。えい』


 月を眺める子ウサギは、次から次へと、気味の悪い色の糸を切っていく。一気に三本も切ることもあった。ジョキジョキジョキと遠慮なく切っていく。


 焦げ茶の糸、赤茶けた糸、黒緑の糸、真っ黒な糸――次々に切れていく。


 うさこのはさみによって。糸は、切られたところから、どろりと溶けてコールタールの沼をつくる。


「うっわ」


 おかしな臭いまで漂ってきた。アンジェリカは鼻をつまみ、ルナは窓を開けた。月を眺める子ウサギは、汚い糸を、せっせと切り続けた。


 ――あらかた、糸が切れたころだった。


『掃除機が来るわよ!』


 白ネズミの女王が、シマリスのカードの前に飛び出していた。すると、部屋の向こうから、真っ黒な口を開けた空間が、(うず)を巻いてこちらに押し寄せてくる。


「わあ!!」


 ルナはアンジェリカに飛びついた。アンジェリカは「初めて見た!」と興奮して身を乗り出した。


 真っ黒な渦に、沼のようになったコールタールも、月を眺める子ウサギが切った糸も、カードの先につながっていたコヨーテやどす黒い動物たちも、みるみる吸い込まれていく。


 悪党たちの断末魔の悲鳴が聞こえるようだった。


 カードたちも吸い込まれそうなほどの強烈な吸引力だ。白ネズミの女王が、二枚のカードと、綺麗な糸たちを守っていた。


 やがて、沼もすっかり吸い尽くして、暗黒の渦巻きは消えた。

 コールタールまみれになっていたうさこの汚れも、すっきりさっぱり、吸い込んでいった。


 残されたのは、ふたりのカードだけ。

 ルナは思わず聞いた。


「コヨーテたちは、どこへ行ったの」

『聞きたい?』


 白ネズミの女王は笑み、ルナはぶんぶんと首を振った。なんだか、怖い話になりそうだったからだ。


 シマリスのカードは、背景が真っ白になっていた。頭を抱えて震えていたシマリスは、なにもなくなった背後を、不思議そうに振り返った。


『えい』


 月を眺める子ウサギが、月のステッキをひと振りした。すると、銀白色の光が輝いて、シマリスのカードを覆い尽くした――シマリスから、糸がみるみる伸びていく。今度は、きらびやかな虹色の糸が、たくさん。


 シマリスのカードは、光の中で変化した。

 光がおさまり、(まぶ)しくなくなったカードを見て、ルナの目が飛び出た。


「シマリスさんが増えてる!?」


 ルナの叫び通り、カードの中のシマリスは、三匹に増えていた――真ん中のシマリスはエプロンを着て、モップを持っている。右のシマリスは、洗濯かごを、左のシマリスは、お玉を持って。


 しかもエプロンは、ルナたちが身に着けている、この屋敷のルームメンバーを証明するエプロン――ルナと同じ紺色。カードの背景は、まさしく、この屋敷の大広間だった。


 ――カードの名称は、「三匹のシマリス」。


『三人分の仕事ができるっていう、すごいカードよ』

 月を眺める子ウサギは、自慢げに言った。


 不気味な糸はもうない。シシーから出ている縁の糸も、ルナがいつも見る、綺麗な色の糸に変わっていた。赤やピンク、緑に青に黄色、オレンジ色――。


「あっ!」


 ルナは気づいた。今までは見当たらなかった、屋敷のメンバーとの糸も現れた。ルナとの間に、アルベリッヒと同じような、濃い群青色の糸がある。

 テオドールとの糸も、情熱的な赤とオレンジ、群青が交じり合った糸に変化した。


『これらは、あの醜い糸たちの向こうに隠れていたの。彼女がもとから持っていた、すばらしい縁の数々よ』


 ルナは、今度こそ、「よかった」という意味の涙を浮かべて、カードと糸たちを見つめた。


『予定は変わったけど、シマリスが抱えている問題は解決するわ。一件落着よ』

「ありがとう! うさ――月を眺める子ウサギさん!」

『いつもは、うさこでもいいのよ』


 月を眺める子ウサギは、作業着から、ワンピースに着替えながら言った。


『ルナ、あなたが最初に月を眺める子ウサギを呼んでいたら、どうなっていたと思う?』


 白ネズミの女王に聞かれて、ルナは反射的に「え?」と尋ね返してしまった。


『もし、あなたがすぐ彼女に相談していたら、まずは真砂名神社の川原でバーベキューをすることを提案していたでしょうね』


 白ネズミの女王は言った。真砂名神社ふもとの川原でバーベキューをする。そのときに、シシーとテオドールは、真砂名神社の階段を上がることになっただろう。屋敷の皆の助力を得て。


 そうすれば、ふたりそろって罪は浄化され、今回の顛末(てんまつ)がもうすこし早く訪れていた。そしてシシーとテオドールはパーティーをきっかけに急接近し、結婚まであっという間だっただろうと言うのだ。


 ルナは、眉をへの字にした。泣きそうな顔だ。


『あなたが見た夢の結末でも、たしかにシシーとテオドールは結ばれ、幸せになれる。けれども、テオドールが自ら、手を汚さねばならなかったでしょう。なぜなら、このまま行ったら、三年後に、シシーの命の危機が訪れていた。会社の業績が傾き、追いつめられた叔母が、シシーに高額な保険をかけて、命を奪うことになっていた。叔母だけではない。いくつも悪意の糸が交錯(こうさく)し、シシーは叔母に叔父、いとこ、だれに命を狙われてもおかしくない位置にいた』


 ルナは、やはり目にいっぱい涙をためだした。


『テオドールがシシーを救うでしょう。テオドールは始末を傭兵グループに依頼し、自らも動くでしょう。けれども、そうなったら、テオドールには、一生消えない罪悪感が残る。シシーは救われるけれど、テオドールは『闇』の中に身を投じる。彼の未来は闇となる――生涯、人殺しをしたという思いを背負って、生きることになる』


 シシーを背に乗せ、闇の中に駆けて行ったテオドールの姿が、ルナのまぶたの裏にはっきりと焼き付いていた。

 

「ルナ、これは、“最善を尽くせ”というメッセージだったんだよ」


 白ネズミの女王の言葉を引き継ぐように、アンジェリカは告げた。


「シシーだけじゃない。テオドールも救わねばならなかった。それを、夢とZOOカードの世界から、どれだけ読み解けるか――」


『いいえ』


 白ネズミの女王は首を振った。


『ルナがテオドールの危機まで読み解くのは無理です。それは神々も承知していた。彼らが見ていたのは、どれだけ彼女が、月の女神とシンクロしているかということ。信頼関係があるかということ』


 情報や素材、手段、計画――すべては、ほんとうに必要としなければ現れない。

 けれども、必要とするものすら分からない状態から読み解かねばならない場合、八方ふさがりの状態である場合、ルナひとりがじたばたしても、なんの解決も導かれないことを、彼女は言いたかったのだった。


『複雑な縁の世界を読み解くのは月を眺める子ウサギ。それに現実的な対処をするのが、現実に生きているあなたよ、ルナ』


「……!」


『あなたが必要とするものは、すべて月を眺める子ウサギが用意する。それをあなたが媒体(ばいたい)となって、活かすの。あなたと彼女は、そうでなくては』


 アンジェリカは、納得したようにうなずき、だまった。


『あなたと月を眺める子ウサギ、どちらが欠けても、成し遂げられないの。だから、彼女はいつも言う――“わたしを信じて”と』


 ルナは涙をぬぐった。月を眺める子ウサギが、じっとルナを見つめていた。表情のないぬいぐるみの顔なのだが、ルナは最近ようやく、彼女の表情を、見つけることができるようになっていた。


「うん」

 ルナはちいさくうなずいた。

「うん。……あたし、うさこを信じる」

『……』


 月を眺める子ウサギはルナをじっと見つめ、やっと膝の上に、ポンと乗った。

 

『あの天秤は、あなたと月を眺める子ウサギの信頼関係がなければ、使えないものなのよ』


 白ネズミの女王はさらに言った。


『あの天秤は、地獄を天国にする――その意味を、』

『言いすぎね』

『たしかに言いすぎたわ』


 月を眺める子ウサギは言い、白ネズミの女王も、両手で口を押えた。アンジェリカは、額を押さえる始末だった。

 ルナは、ふと思い出して、聞いた。


「テオさんのカードの名前は、どうしたらいいかな?」


 ルナが聞くと、月を眺める子ウサギは言った。


『そうね』




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