383話 掃除機とルナの試験と事件の結末 1
あの日、ルナはすっかりしょげかえり、ナキジンにせっかくあんみつをおごってもらったのに、食べられないほど落ち込んで、腰を抜かしたまま紅葉庵で座り込んでいたのだが、夕方になってアズラエルが来て、回収していった。
一日置いて、神々が「明後日」と言った日の朝――ルナが朝食を終えて部屋にもどると、神々でみっしりと埋まっていた。
「わあ!」
ルナは叫んでドアを閉め、おそるおそる、開けた。
ウサギの入る隙間もないほど、神で埋め尽くされていたのだが、ルナの顔を見るなり、神の数は減った。
太陽の神と昼の神、夜の神と、イシュメル、ノワだけが残って、ほかの神は消えた。
月の女神は、最初からいなかった。
満員電車のようだった部屋は、ルナという名のウサギ一羽と、ZOOカードを広げる空間くらいはできた。
そこへ、ルナのあとを追うように、アンジェリカが入ってきた。
「皆さま、おそろいですね」
ルナは、アンジェリカに言われるがまま、神々に囲まれた真ん中に腰を下ろした。
太陽の神が口火を切った。
『ルナよ、“特別なハクニー”のカードを出しなさい』
「はい……?」
ルナは言われるまま、「礼儀正しいハクニー」のカードを呼び出し、「原初!」と唱えた。するとカードは、すぐに「特別なハクニー」に変わった。
ルナが次の指示を待って神様たちを見ていると、太陽の神は言った。
『さて? どうするか。彼の今後を?』
その問いは、ルナに向けられているようであった。ルナは首を傾げた。アンジェリカを見たが、彼女はだまって、太陽の神を見上げた。
太陽の神は、厳かに告げた。
『このハクニーは、“特別”なのだよ』
太陽の神の言葉の後ろで、ノワが勝手にクローゼットを開け、ワインを持ち出して呷っていた。
『真名は、“特別なハクニー”。彼は“特別”だ。特別な一族の中に生まれ出でた、特別な者。彼が“礼儀正しいハクニー”となったのも、礼儀正しくなるよう育てられたからにすぎない。彼の本質は、“特別な者”だ』
『特別な者の悲劇は、“特別”ゆえに、なかなか居場所を見つけられぬところにある』
イシュメルは言った。
『かの者は、自身の本質と相反するカード名を持った。“礼儀正しい”という性質は――ことに、“正しい”がつく名称は、“特別”という性質を制御する名だ』
『そろそろ変えなければ、彼の使命が果たせなくなるのよ』
真昼の神も、うなずいた。
「“特別”のカードはむずかしいんだ、ルナ」
ルナが理解していないようなので、アンジェリカが解説してくれた。
「“特別”にも、さまざまな意味や象意があるんだけど――今、このハクニーに関してだけ言うと、彼は、特別ゆえに、傲慢になりやすい傾向がある。ようするに、幸運をたくさん持っているのだけど、幸運の塊だから、うまくいかないってことがない。彼が望んだことは、たいてい、すぐに叶うんだ。ようするに、まぁ、ほとんど、彼の思い通りにならないことはない」
「……!」
「ええと――だから、どちらかというと、若いうちは苦労し続けで、劣等感を持つほどその性質を押さえられている方がいいんだけど。だってさ、幼いころから、なにもかもうまくいきすぎたら、どうなると思う? 世界はすべて自分の思い通りになる、自分は世界で一番“特別”で、優秀な人間だって、思い込んだら――」
ルナがぷるぷると首を振っているのを見ながら、アンジェリカはつづけた。
「けっこう怖いことだよね? だから、“特別”がつくカードは、幼少期から青年期にかけて、厳しい人生が続く。“特別”が生かされるのは、青年期後半から、老後にかけて。若いころの苦労を経て、自分にしかできない“特別”に気づいて、それを生かす人生を歩もうとする――それが一番多い形かな」
神々の顔色を伺いながら、アンジェリカはさらに続けた。今のところ、ストップは出ていない。
「今のハクニーさんは、すごく劣等感にさいなまれてる状態だと思う。それが悪いわけではないんだけど――その状態が一生続くと、居場所もない、自信もない、自分の本質にすら気づかない、真名が持つ使命を果たせない、不幸な一生を送ることになる」
ルナのウサ耳がぴょこん、と立った。
「だから、かならず“特別”の真名をもつカードは、途中で性質が変わる。神々が守護する特別なカードにね」
アンジェリカの説明が終わったのを見て、神々はようやく口を開いた。
『わたしが守護すれば、“情熱のハクニー”に』
太陽の神がひげを撫ぜながら言った。
『わたくしが守護すれば、“救済するうるわしきハクニー”に』
真昼の神が、優雅に微笑んだ。
『わたしが守護すれば、“盾となるハクニー”に』
夜の神が言った。
『わたしが守護すれば、“英知あるハクニー”に』
イシュメルが笑んだ。
『俺が守護すれば、“無邪気なハクニー”になる』
ノワが、あっさりワイン瓶を干してしまいながら、つぶやいた。
ノワ以外の神々が、笑顔でルナを見ているので、やっと気づいた。
「あたしが選ぶの!?」
神々は、そろってうなずいた。
「え――え!? で、でも――」
ルナが選ぶとなったら、責任重大だ。名前次第で、テオドールの人生が変わってしまうのだ。
『どの名を持っても、幸せな生涯が送れるだろう』
『すくなくとも、“礼儀正しい”という文字が消えれば、祖から得る縁の苦しみも転換する』
『彼の人生を、歩むことになるだろう』
神々は、ルナの言葉を待つように、そろってルナを見つめた。ルナは慌てた。
「あ、あの――あの――いますぐ、決めなきゃならないんですか?」
ルナが聞くと、太陽の神は告げた。
『考える余地はある。だが、のんびりしてもおられまい。彼の“転機”は近づいている』
「――!?」
ルナは、ふたたび泣きそうになった。それを見て、夜の神は言った。
『“縁”のことも考え、よく選びなさい。まだ、月の女神の守護名を聞いてはいないはずだ』
ルナは、ここに月の女神がいないことを、ようやく思い出した。
『では、決めたら呼びなさい』
神々は消えた。――みんなそろって。
ルナは途方に暮れて、アンジェリカを見た。アンジェリカは苦笑していた。
「正解だったと思うよ? ルナは間違ったことはしていない。返答を先延ばしにしたのは、いいことだった」
アンジェリカは、ZOOカードに向かって呼びかけた。
「月を眺める子ウサギよ、ルナは、“名の大切さ”を知っていますよ。すくなくとも、すぐに結論は出さなかった。この件に関しては、合格をあげて」
だが、カードボックスから返事はない。
「あたし、やっぱり、0点だったから、うさこが怒ってるんだ……」
ルナはすっかり涙目になった。
冷静さを欠いて、思わずシシーのカードを天秤に乗せてしまい、そのために自分がシシーの罪を背負って階段を上がったこと。
自分で上がることが叶わなかったシシーは、どこかで代償を払わねばならず――それがおそろしいことでないにしても、テオドールと本格的に結ばれるのは、三年先になってしまったこと――それらすべて含めて、「0点」だと言われたこと。
アニタとニックの件からすべて、「メリーゴーランドの試験」は、総合で「30点」くらいだと言われたこと。
それらは、きのうのうちに、すっかりアンジェリカに話していた。
「あたしじゃ、サルディオーネになんか、なれっこないよ……」
すっかり落ち込んでしまったルナを、アンジェリカは励ました。
「最初は、みんな失敗するものだよ。失敗しなきゃ、傲慢になっていくだけさ。あたしだって、ZOOの支配者になってからも、何度だって試練に遭ったし。ペリドット様にも、初対面では手厳しくやられたし」
そう言って、苦い笑いを浮かべ、
「あたしだって、未熟者だ。でも、今回にかぎり、ルナが0点だっていう理由、分かるよ」
アンジェリカが笑いながら言った。
「えっ!?」
ルナは思わずアンジェリカにつかみかかった。
「ほんとに? 教えて!!」
「ルナ、どうどう」
アンジェリカはルナの肩をさすって、落ち着かせた。そして、言った。
「ルナはさ、まず、一番たいせつなことを忘れてる。基本中の基本。だから、0点なんだよ」
ルナはますます眉をへの字にした。
「逆に言えば、この基本にさえ気づけば、100点なのさ」
リサたちにZOOカードの占いを見せてしまったのが減点理由だろうか。
一番悪いのは、あれほど注意されたのに、黄金の天秤に触ってしまったこと?
いろいろ、調査不足だったのか――ルナの判断が間違っていたのか――反省点は山のようにあった。
だが、アンジェリカは、そのどれもがちがう、と言った。
「そんなんじゃない。ルナの判断の未熟さや、考えが及ばないのは、神々だって承知してる。そんなに難しい試験を、ルナに与えたりなんかしない」
「でも、あたし、さっぱりわからないよ」
「試験ってのはさ、ルナ。ポイントを押さえればいいわけでしょ。今回ルナは、そのポイントがことごとく外れていたから、月の女神は30点だと言ったわけ。ホントはぜんぶ合わせても、0点だった」
「ええっ!?」
「でも、30点はくれた。それはつまり、ルナやみんなの努力は認めてくれたの。でも、サルディオーネになるには、決定的に間違っているところがある」
「……」
ルナは悩んだ。決定的に間違っているところ?
「今日は、真砂名の神からじきじきに“手紙”が来たから、教えるよ。ルナもいっしょうけんめい考えたし、悩んだからね」
アンジェリカは、今日はあたしの言いすぎじゃないからね、と念を押した。そして、一呼吸置いて、ルナに問うた。
「ルナはどうして最初から、月を眺める子ウサギを呼ばなかったの」
「――え?」
アンジェリカの話はこうだった。
メリーゴーランドの夢を見たその日、ひとりでウダウダ考えず、リサやミシェルたちにも話さず、相談相手は、アンジェリカやペリドットでもない、クラウドでもない。
一番先に「月を眺める子ウサギ」を呼んでいたなら、一発合格だったのだと。
「ええっ!?」
ルナのウサ耳が、これでもかと立った。アンジェリカは苦笑した。
「あたしならそうする――あたしは、なんでも一番先に、“白ネズミの女王”に相談するよ? 姉さんには、そのあとに話す」
「……!」
「だって、彼女はあたし自身だし、あたしの魂で、あたしの神様だから、あたしが望んでいることも、欲しいものも、どういうやりかたが一番納得いくか、自分自身が一番よく知っているから」
ルナは絶句した。まるで、思ってもみなかったことだった。
「それに、ものすごく頼りになるしね」
ルナは、へちょりとウサ耳を垂らして、もごもごと言った。
「だって、うさこは、呼んでも来てくれないし……」
「そりゃ、当然だよ」
アンジェリカは笑った。
「ルナは、“うさこ”としか呼ばないもの」
「!!」
「うさこと呼んだら、ジャータカの黒ウサギだって、真っ白な子ウサギだって、うさこだよ」
ルナは思い出した。かつて「うさこよ出て来い!」と言ったら、ジャータカの黒ウサギが出てきて、「私もうさこだけど?」と言った。
「ZOOカードの中で、言霊はとても大切。教えたよね?」
ルナは返事もできなかった。
「うさこじゃなくて、月を眺める子ウサギ、を呼ばなくちゃ――ルナだって、そうでしょ? メルーヴァとかルーシーと呼ばれて、気分がいい?」
「……」
ルナは、目にいっぱい涙をためはじめた。
ララにはルーシーと呼ばれ、ペリドットと初めて会ったときにメルーヴァと呼ばれたときは、つい興奮して怒鳴ってしまった。
「あたしは、ルナです!」と――。
あんまりたくさんの名前で呼ばれて、自分が自分でないような、そんな気がしたからだった。みんな、自分ではなく、自分の過去の姿を追っている。そんな気がしたからだった。
今、ここにいるのは自分なのに。
「月を眺める子ウサギだって、そう思ってるよ」
アンジェリカは苦笑した。
「うさこと呼ぶのもかまわないよ、きっと。彼女はうさこってあだ名が、可愛くて気に入ってる。でも、彼女は“月を眺める子ウサギ”。名前は大切にしてあげなくちゃ」
ルナは、月を眺める子ウサギの名前を、大切にしていなかった。それに、うさこだったら、なんでもいいような気がしていた。それも、ひどいことだったのだ。
ルナは気づかずに、ひどいことをしていた。最初からルナを見守り、ルナのために一番尽力してくれていたのは、月を眺める子ウサギだったのに。
ルナは、目をこすった。あとからあとから、涙があふれた。ぬぐうだけでは足りなくて、ティッシュを持ち出して、鼻をかんだ。
「ごめんなしゃい……」
ルナは、月を眺める子ウサギにひどいことをしたと思った。
「月を眺める子ウサギさん、ごめんなしゃい……」
月を眺める子ウサギは、「よく考えてね、わたしとともにあることを」と言った。
アストロスでの決戦のときも、ずっと彼女と一緒にがんばったのに、ルナはそのことをすっかり忘れていた。
ルナの声を聞いたかのように、ぴょこ、とZOOカードボックスから、ピンクの頭が飛び出した。まだウサ耳と、おめめが半分――月を眺める子ウサギは、機嫌を損ねているようだった。
『……反省した?』
うさこは、半分だけ頭を出したまま、座った目で言った。
「うん」
ルナは心から真剣に、うなずいた。
『あなたったら、夢の話はアズラエルが先、相談するのはミシェルかクラウドが一等先! ZOOカードを動かしてるのはだれ? あなたの役割を一番知っているのはだれ? それなのに、いつもあたしが最後なんだわ』
「ひぎっ、ひぎっ……ごめんなしゃい」
『あなたの相棒は、あたししかいないのに、あなたはあたしをないがしろにした』
ルナがへこまなかったのは、月を眺める子ウサギの耳が、悲しそうに垂れたからだった。ルナが泣いているのと同様に、月を眺める子ウサギも落ち込んでいるのだった。
『うさこって呼んでもいいけど、なんでもいいうさこにはしないで』
「うん……わかった」
『反省した?』
「うん」
ルナは、月を眺める子ウサギをZOOカードから引っこ抜いて抱きしめようとしたが、うさこは月のステッキでルナの手の甲を叩いた。
「いだい!」
彼女はまだ怒っているのか――ルナがまた涙目になったとき。
『そんな感じはしないわ。だって、おうちがないんだもの』
「は?」
「え?」
ルナもだが、アンジェリカも口を開けた。
『前のお屋敷が燃えちゃったから、あたし、もっとステキなお屋敷が建つように手配してあげたのに――この家を見て、はしゃいでいたのはどなたかしら? それなのにあたしのお屋敷がないんだもの。いつまでたっても、見当たらないんだもの』
うさこはふて腐れてぼやいた。もう、箱から耳のさきっぽしか出ていなかった。
「「……」」
ルナとアンジェリカは、ようやく気付いた。実はこのところ、「白ネズミの女王」もふて腐れ気味で、アンジェリカも、まったくその理由が分からなかったのだ。
だが、今氷解した。
「「いますぐご用意いたします!!」」
ルナとアンジェリカは、声をそろえて叫んだ。




