382話 アルビレオの衛星
シシーは医者に告げられた通り、一週間の療養を取ることにした。使っていない有給休暇がたっぷり残っていた。
テオドールは、すぐさま行動を開始した。急がねばならない理由があった。テオドールは、いままでとは違うなにかが起こることを予感していたのだ。
シシーの話が本当なら、いとこや、叔母以外の人間がシシーの口座から金を下ろすのは年に数回だと言っていた。そんな月が二ヶ月つづいたときは、不思議なことに、金はもどってきた。
叔母がシシーの口座に返したのだ。その日のうちに。
だから、シシーも、二ヶ月続くことはないと分かっている。
叔母であるステファニーは、賢い人間だ。シシーを金づるにするためには、シシーが地球行き宇宙船の役員でいなければならないことを知っている。
遺産と同額の金を――いいや、たとえずっとシシーから金をゆすりつづけるためとしても、シシーにクビになってもらっては困るのだ。
だから、二ヶ月つづけて残金がゼロになり、シシーが必要経費を払えなくなってクビになるのを避けるために、金を返したのだろう。
だが、息子たちは、母の想像を超えて愚かだった。
(あと百万足りないと言っていた)
シシーが携帯の電話番号を見て怯えるほど――ついに神経性胃炎で入院するほど、いとこはシシーを脅していた――シシーは、こんなにもしつこく、電話で脅されたのははじめてだと言っていた。
おまけに、二ヶ月続いて予定外の引き出しがつづいたというのに、叔母がシシーの口座に金を返していない。
いつもと違うなにかが、あちらで起こっているのだ。
(シシーが厄介ごとに巻き込まれる前に)
テオドールは大急ぎで自宅にもどって、パソコンの前にかじりついた。
その日、夕食もとっくに終わった時刻、屋敷にテオドールの訪問があった。
「よう。このあいだのことは解決したのか」
キッチンにいたアズラエルの問いに、テオドールは苦笑した。
「調査中といったところですかね――クラウドさんはいますか」
「広間にいるよ。クラウド!」
アズラエルの声はよく届く。広間から、クラウドが顔を出した。
「やあ、テオ」
「どうも。実は、お願いしたいことがあるんです」
「俺に?」
書斎で、クラウドがパソコン前に座る。テオドールがUSBメモリーを差し込むのを、クラウドは黙って見た。
やがて、画面に現れたのは、ひとの名前の一覧だった。
「アルビレオ大学、卒業生一覧――」
クラウドは思わず、「なんてタイミングだ!」と唸った。先日、ルナの「12の預言詩」に、アルビレオの衛星の語句が出たばかりだ。
テオドールは首を傾げたが、質問はしなかった。急いでいるのだ。
「ここ二百年の、卒業生のデータです」
テオドールは焦りを押さえて、冷静に言った。
「この中から、ステファニーという名か、ボローネという姓か、L54で事業をしている女性のデータが読みだせませんか?」
二百年間のデータは、膨大である。クラウドは唇を笑みに形作った。
「俺のところに持ってきたってことは、急いでるんだな」
「至急なんです」
テオドールが探した範囲内の卒業生のデータに、彼女の名はなかった。
ステファニー・B・ボローネ。53歳。L54の実業家――「株式会社 ボローネ」を経営している。表向きは、不動産業。
53歳なら、だいたい卒業の年月日は分かる。しかし、その範囲内に名はない。
高校を卒業してすぐに入ったのでないとすれば――留年、あるいは、高齢になってから受験した。逆に、あまりにも若くして大学に合格したのであれば、別の意味で有名だろうが、そちらにも当てはまらない。
まれに、長寿の原住民が紛れ込んでいることがある。たとえばニックのような――まさかステファニーは、原住民ではあるまいが、可能性をたしかめる必要はあった。
シシーに確認したところによると、父の旧姓はボローネで、L54生まれ。ステファニーは父の妹で、改名してもいない。それはたしかだった。
ステファニーがシシーにウソをついたことも考えられるが、シシーは、テオドールが見せた卒業勲章を見て、「これこれ! 叔母さんの屋敷のリビングに飾ってあった」と叫んだ。
シシーが毎日掃除していたのだから、見誤るはずがない。
留学生ならば、卒業勲章を持っていない。あれがあったということは、まぎれもなくステファニーは卒業生なのだ。
「テオ、君もしかして、“アルビレオの衛星”とか言わないよね」
「冗談はやめてください」
クラウドの問いに、テオドールは苦笑した。不自然ではなかったように思う。テオドールはこのデータから、自分の名は事前に消しておいた。
クラウドは、ものすごい速さで流れるデータを読みはじめた。そのスピードを初めて目の当たりにしたテオドールは、さすがに感嘆した。
「話には聞いていましたが――ものすごいですね」
「特技はこれしかないからね」
クラウドは瞬く間にデータを読んだ。そして、気になる名前だけをピックアップした。
ステファニーは大勢いたが、ほとんどL3系で、L54出身者はいない。ボローネという姓もL3系と、L52にひとり、L8系が3件といった具合。
L54で企業を起こしている人間は、いなかった。
「ステファニー・B・ボローネって名は、ないな」
ぴったり合致する名前は、名簿にはない。クラウドが探してもなかった。この二百年ほどのデータの中にも。
ステファニーは、「アルビレオの衛星」ではないのか?
では、あの勲章は、どこから?
名簿に名がないのであれば、べつの方向から探ってみようと、テオドールが頭を切り替えたときだった。
「でも、おもしろい名前を見つけた」
クラウドが、ひとつの名をピックアップした。
――テレジオ・K・パディントン。
「見て――一瞬、テオかと思ったんだ。だけど違った」
クラウドは笑った。
「シシーの名字がパディントンだろ? なんだか、君が養子入りしたみたいだね」
クラウドの笑顔とは反対に、テオドールの顔は凍り付いた。
クラウドは、シシーとテオドールが恋仲になるであろうことをルナのZOOカードで知っているので、ちょっと手助けをしてみるつもりで言ったのだが。
テオドールの顔色がてきめんに変わったので、すこし慌てた。
だが、彼の顔色の理由は、ほかにあった。
「すみません、休養中に――ありがとうございました」
テオドールは、急いでUSBメモリーを抜き取り、退室した。
「お礼は後日します。ほんとうに、ありがとうございます」
廊下から、「パスタゆでてるぞ! 食っていかねえのか」というアズラエルの声と、「申し訳ない! 急ぎなんです」というテオドールの大声が聞こえた。
クラウドは、「よけいなことを言った……」と小さく舌打ちした。
(テレジオ・K・パディントン)
テオドールは何度もその名前を繰り返した。
(間違いない)
卒業した年齢をみても、間違いない。卒業後の移住先はL72、教師になっている。
テオドールは思わず、手で口を覆った。
(シシーの祖父だ……!)
テオドールは、息せき切って自宅に駆け込み、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して一気飲みした。
(――ウソだろ)
冷蔵庫にもたれかかり、天井を仰いだ。もたらされた結論に、まともに頭が回らなかった。
たったいま、テオドールが見たのは、シシーを育てた母方の祖父であるテレジオのデータだった。シシーが「おじいちゃん」と慕っていた――。
(ステファニーは、アルビレオの衛星じゃない)
シシーが、叔母の家で見たものは。
おそらく、祖父の勲章だったのだ。しかも、祖父の名から、ステファニーの名に書き替えられたものを。
シシーの実家である祖父宅を解体したのは叔母。そこから、「アルビレオの衛星」の勲章などを見つけて、持ち出した。そして、名前だけを掘り直して、飾った。
「アルビレオの衛星」が、名誉の象徴だということは、テオドールも嫌というほど分かっている。その証明書――卒業証書と勲章があれば、さまざまなことが有利に進む。実に利用しやすい称号だということも。
(シシーは、知らなかったんだ)
自分の祖父が、「アルビレオの衛星」なのだということは。
シシーは、優しいおじいちゃんだった、と言っていた。「アルビレオの衛星」という称号を得ながら――着任した先は、平和な星の小学校教師。
平凡な生活を過ごしていた。子は早くに亡くしたが、妻とともに、シシーを育てて。
どう考えても、「アルビレオの衛星」はステファニーではなく、シシーの祖父テレジオだった。
自分たちの死後、シシーが困らないように、高校、大学と行けるだけの資産を残し、狡猾な叔母でもどうにもできない遺言書だけはつくりあげた――シシーのために。
だが、訪れた死は早かった。
閉じたテオドールの目頭に、自分の祖父の顔が浮かんだ。
なんという縁だ。
テオドールの祖父が「アルビレオの衛星」だというなら、自分の祖父と同じ歳の卒業生だ。
もしかしたら、祖父たちは、大学で出会っていたかもしれない。
シシーを助けてやってくれと、テレジオがテオドールに訴えている気がした。
祖父のことを思い出して涙腺がゆるむまえに、激しい怒りがテオドールを突いた。
(――なんてヤツラだ)
テオドールは、怒りを抑えきれなかった。
ステファニーと、その一族――ここまで礼儀に反することを。
「アルビレオの衛星」の名を汚された気がした。
祖父たちの名も――自分の祖父も、シシーの祖父も、愚弄された気がした。
そして、世界最高の名誉のもとで、下級に這いつくばり、劣等感と戦いながら努力してきたあの大学生活をも、汚された気がした。
だが、悔やむのも、悼むのも自分だけでいい。他人に凌辱されるいわれはない。
(許さん)
テオドールは、携帯電話を手にした。そして、ずいぶんまえから入っていたが、一度も電話をかけたことがない番号を出した。
『――もしもし?』
眠たげな声がした。まだ午後十時を少し過ぎた頃合いだ。あちらは昼間だろう。
「テオだ――テオドール・A・サントス。おぼえているか?」
相手が身を乗り出したのが分かった。
『おうおう! 覚えてる! ひさしぶりだな!』
パソコンいじりしかできねえお坊ちゃまが、俺らと一緒に泥水クッキー食ったんだからよ! ――と笑う相手の顔が、テオドールには見える気がした。
相手は、「ソルテ」という名の傭兵グループのボス、ソルテだ。本人の名もグループ名もソルテだということしか聞いていない。
テオドールがサイバー部隊にいたとき、一時期行動を共にしたグループで、ソルテはテオドールと同い年。最初は遠巻きにされていたが、例の泥水クラッカーの件で仲良くなったのだ。ふたりいっしょに寄生虫にやられて、ベッドに並んだ仲だ。
退院後、電話番号を教えてもらい、「なにか困ったことがあったらかけてこい」と言われていた。
「なあ。企業の調査って、おまえらの傭兵グループはできるか?」
『するよ』
短い答えが返ってきた。彼はあまり無駄口がなくて、テオドールは好きだった。
「ステファニー・B・ボローネ。53歳、L54の首都郊外で、株式会社ボローネっていう、半分胡散臭い不動産の会社をやっている。調査できる?」
メモでもしているのか、ソルテの声が、復唱してきた。
『できるよ――質問』
「なんだ?」
『これって、地球行き宇宙船からの依頼か?』
「いや。俺の依頼だ。金は俺が払う」
『ン。前金十万デルと旅費――十万デルかな。これ、一週間分の調査費な。任務が成功したらあとで二十万。そっち、何時?』
「午後十時」
『なら、振り込みは明日か――』
「いや、今でも振り込める」
『なら、すぐ振り込んでくれ。金が確認できたらすぐ動く』
テオドールは破格だと思ったが、言わないでおいた。
「助かるよ。急ぎなんだ。できればこまめに報告が欲しい」
『わかった――それで』
テオドールは早増し料金でも取られるのかと思ったら、ちがった。
『妙に声が焦ってるけど、これって、個人的な調査――っていったよな? ハニーのためとか?』
なぜ見破られたのか分からないが、たしかに、似たようなものだ。
「……まあ、そんなとこだ」
テオドールが咳払いしながら言うと、相手は急に黙った。
『そんじゃ、割引してやるよ。前金五万デルでいいよ』
「なんだそれは!?」
思わず、テオドールの声は裏返った。
『恋人割り。彼女は大事にしろよ? 割り引いた五万で、彼女にドレスでも買ってやりな』
なぜ、傭兵という者は、恋愛関係だと甘くなるのか。テオドールはじつに不思議だった。
『それじゃ、毎度ごひいきに。連絡はあっちについたら一度するよ』
ソルテは、電話を切った。




