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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
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381話 怖がりなシマリス 2


 シシーの病室へ向かい、テオドールはそばに腰を下ろした。コンコンと眠り続けている――シシーの顔色は、少し良くなっていた。点滴が効いているのか。


(派遣役員だからじゃない)

 胃をやられるほどの悩みがあったということだ。

(いったい、なにが?)


 あきらめた口調で言いながらも、給料の半分を送金することの負担と、勝手に金を引き出すいとこの存在は、重荷だったにちがいない。

 それに、シシーの、さっきの携帯電話への反応は異常だった。


(さっき話したことが、ぜんぶじゃない)


 シシーが、おごってもらうことにあれほどの拒絶を示す理由も、まだ分かっていない。

 テオドールが腕を組んでシシーのカバンを睨みつけていると、ふたたび振動音がした。


(悪いな、シシー)


 勝手とは思いながら、テオドールはシシーのバッグから携帯を出し、電話に出た。


 ――ちょうどそのとき、ルナが「オリヘン」の呪文を唱え、テオドールのカードを『特別なハクニー』に変えていたことなど、テオドールは知る由もない。

 だが、「礼儀正しいハクニー」のままでは、女性のバッグに手を突っ込むことなど、テオドールはしなかっただろう。


 テオドールが通話に出たとたん、粗暴(そぼう)な絶叫が、電話の向こうから聞こえた。


『てめえなにしてんだ、電話に出ろよ!!』

「……」


 テオドールは廊下に出た。

 この男は、シシーの話に出てきた、ろくでもないいとこかもしれない。


『金がねえじゃねえか! はやく通帳に入れろ!! なにしてんだバカ野郎! あと百万足りねえっていっただろ!!』


(百万……シシーの話とちがう。シシーの通帳から引き出しただけじゃ足りなかったんだ)


「君はだれだ」


 テオドールは低い声で聞いた。相手が寸時つまって、『おまえこそだれだ』と聞いてきた。


「俺は、シシーの恋人だ」


 昨日のテオドールとは、ちがうテオドールがそこにいた。テオドール自身も、自分の口から飛び出した言葉が信じられなかった。相手は鼻を鳴らして笑いはじめた。


『シシーの通帳に金を入れろ』

 相手の背景は雑音と騒音――大勢の声がする。繁華街かもしれない。

「なぜだ」

『シシーに聞けよ。金が足りねえ、はやくしろ!』

「シシーの口座から金を下ろしたのは、おまえか」


 震えるような怒りが、テオドールの全身を満たした。こんな怒りはひさしぶりだった。


『俺じゃねえ!! ババアが先に引きだしやがったんだ』


 男はわめき散らした。ろれつのまわらない口調――昼間から泥酔しているようだ。

 ババアとは、墓を管理している叔母か。シシーが毎月、給料の半分を送金しているというのに、まだ足りずに引き出したらしい。


(これは、いとこだけが原因じゃない)


 テオドールは男が喚き散らす内容から、男は遊ぶ金欲しさに金を借りすぎたことがわかった。そして、シシーの通帳にある金を狙っているのは、彼だけではない。彼がババアと呼ぶ女性や、ほかにも幾人かいる。

 

『おばあちゃんもおじいちゃんも大好きだった。でも、ほかの人は嫌い』

 シシーの言葉を思い出した。


「――君はなんだ? シシーの兄か? 弟か?」

『いとこだよ』

「なるほど」


 テオドールは、病室からシシーが出てきて、蒼白な顔でテオドールを見ていることに気づいた。


「“ババア”はだれだ?」

『あ? 俺のおふくろだ』


 親子そろって外道か。テオドールは順に聞いて行った。存外素直な男は、テオドールの質問に、ずいぶん律義に答えた。テオドールは、シシーの通帳から金を下ろしている人間をつぎつぎに把握(はあく)していった。


『とにかく早く、金を入れさせろ! じゃねえと、じいさんとばあさんの墓をぶっこわすぞと言え!!』

 男は駄々をこねるように叫んだ。


 テオドールはようやく、事態を把握した。叔母とその息子だけではない。その夫、夫の兄弟、つらなる親戚縁者が、そろってシシーの金を当てにしている。

 ――シシーは脅されていたのだ。 

 テオドールには理解できない事態だったが、シシーの育ての親である祖父母の墓を人質にされて。


『一時間以内に通帳に金を入れなかったら、俺たち全員で地球行き宇宙船に押しかけて、てめえをクビにしてやるぞと言っとけ!』


 全員。みながグルなのか。みんなそろって、シシーの金に食らいついているのか。


「――おまえたちが押しかけたところで、俺もシシーもクビにはならん」


 テオドールの迫力ある声に、相手はいきなり目が覚めたようだった。


『てめえだれだ――警察か?』


 相手は、シシーがこのことを、警察に相談するということが、信じられないような声だった。


「警察より、もっとおそろしいものだ」


 俺を敵に回すなんて、おまえはバカなことをした。


「おまえは、“首だけ”にしてやる。――覚悟しろ」


 テオドールは宣告して、電話を切った。シシーが、蒼白な顔で、テオドールを見つめていた。


「テオ、あの、あたし、あの……」


 シシーは震えていた。テオドールは、彼女に携帯電話を返し、その手で彼女の手を取った。シシーの手はひどくかさついている。


「……怖かった?」

「え?」

「ずっと、あんなのに脅されていたんだな……怖かっただろうな」


 シシーの身体が一度大きく震え――肩が跳ねた。シシーが、泣きだしたのだ。


「――ふ。うえっ――ええっ――」

「もう、だいじょうぶだ」


 テオドールは、自分のしていることが信じられなかった。シシーの頭を抱き寄せて、自分の肩に押し付けた。


「君は俺が、守ってやる」



 


 シシーは病室で、ぽつぽつと話しだした。だいぶ、時間がかかった。シシーはつらいことを思い出したくないように、口をつぐむことが多かったからだ。


 そのたびにテオドールは、「つらいなら話さなくていい」と言ったが、テオドールが聞く姿勢を見せると、シシーは話しだすのだ。つっかえつっかえ――すべて吐き出すように。

 

 シシーはL72で生まれた。2歳のとき、となりの星に仕事で出かけた父母は、宇宙船事故で亡くなり、シシーは母方の祖父母に育てられた。


 シシーの父は、シシーの母の実家に、逃げ込むように身を寄せていた。その理由をシシーが分かったのは、祖父母が亡くなってからだ。


 今、シシーを脅しつづけているのは、父方の叔母とその家族、そしてその親類たち。


 シシーの父は、自分の身内を「悪魔」だといってはばからなかったと、祖父は死の間際、シシーに話した。だから、決して、身寄りがなくなっても頼ってはならないと。


 シシーが中学生のころ、祖父母は身体を病んで、床に伏した。シシーは高校へ行くのをあきらめたが、祖父母はシシーに学校へ行けと言った。自分たちを施設に預けて、学校へ行けと――小学校教師だった祖父は、学業の大切さをシシーに解いたが、シシーはふたりを施設に預けるのはイヤだった。


 シシーは、周囲の協力もあって、高校は卒業した。

 そのまま、介護用pi=poといっしょにふたりを介護しつづけ、21歳のときに、祖父、祖母と立て続けに他界した。

 祖父は、シシーが大学に行けるように、資金を用意していた。

 しかし、祖父の忠告も努力も、無駄になってしまった――なぜなら、ふたりの葬儀のとき、遺産目当てに、父方の叔母たちが姿を現したからだ。


「……たぶん、おじいちゃんたちの財産は、叔母さんがみんな持っていった」


 シシーは遠い目でつぶやいた。

 母方の親戚をよそに、例の叔母が、シシーの面倒を見る旨を告げ、屋敷の処分、葬儀の手配、墓の建立、あらゆる始末を自分でしていった――。


「おばさんはね、すごく頭のいい人なの」

 シシーは思い出したように顔を上げた。

「そう――あれ? テオも言ってなかった? なんか、世界一の、特別な学校があるって――」


 テオドールはどきりとした。シシーの言葉が、思い切り心臓を打った。


「アルなんとかっていう大学? そこの卒業生って、とくべつなの?」

「ああ――特別だ」


 テオドールの心臓はどくどくと脈打ち、血流が激しく流れ、一気に体温が上がった。


「おばさん、いつも自慢してた。そこの卒業生だって」

「……」

「卒業証書と、勲章っていうのを見たことがあるよ」


 テオドールは言葉を失った。怒りなのか、困惑なのかわからない緊張がテオドールを襲い、汗がシャツを濡らした。


(シシーの叔母が、「アルビレオの衛星」だって?)


 シシーはテオドールの動揺に気づかず、つづけた。シシーの話が詰まり始めたのは、ここからだ。


「おばさんが、勝手におじいちゃんたちの財産を持っていって、おうちを壊して、あたしをおばさんちに連れて行ったの。叔母さんは会社をやってて、お金をいっぱい持ってて、なんか法律の専門家をやとって、自分の好き勝手にやったんだって。あたしよくわからないけど、宇宙船に乗ってから、おじいちゃんの弟さんがそういってた。――お墓のことは、おじいちゃんの弟さんっていうか、そのひとたちがウチの墓に入れるってがんばったけど、あのおばさん、勝手にL72におじいちゃんたちのお墓、建てたの」


「骨壺は、その墓に?」


「たぶん――でも、L54にお墓を移したとき、そっちに持っていったかな? お葬式は、みんながやってくれて――あたしは、泣いてただけだった」


 シシーの話はつづいた。

 L54に行ってから、シシーの奴隷のような生活が始まった。


 屋敷の掃除に、食事をつくること、洗濯、金と、重要なところには触れない叔母が命じる仕事の雑用――まるで、(てい)のいいメイドだった。


 まだメイドのほうがよかっただろう。シシーは報酬などもらえなかったのだから。文字通り、奴隷あつかいだった。


 シシーはあまり多くを語りたがらなかったが、つらい生活であることはちがいなかった。


「おばさん、L54に行く前は大学に行かせてくれるっていったのに、約束、やぶったの」


 シシーは大学どころか、屋敷に閉じ込められた。こづかいももらえず、外で働かせてももらえず、ただ屋敷の掃除や家事をやらされ続けた。


 24歳の日、地球行き宇宙船のチケットが当たるまで。


 葬儀のとき、シシーを(かば)ってくれた母方の親戚には、連絡もできなかった。


「あたし、おごられるのが怖いのって、そのときひどい目にあったからなの」


 叔母の屋敷に出入りしていた男に――それも親戚なのか知らないが――いきなり食事に連れ出された。 


 叔母がいない間のできごとだった。


 服やバッグを買ってもらい、食事をおごってもらい――シシーは、ひさしぶりに親切な人間にあったと喜んだ。だが、その男の親切には裏があった。最後に、ホテルに連れ込まれたのだ。


 シシーが大騒ぎしたので、ホテルの従業員があわてて部屋にきて、事なきを得た。


 しかし、シシーは未成年ではなかったし、「シシーに誘われた」と男は警察でわめき、シシーには、「おごってやったんだから身体でかえせ」との返事が返ってきた。


 叔母が、男と自分を迎えに来て――男が叔母に思い切り引っぱたかれたのを、シシーは震えながら見た。


 男の怒りようから、ひどい目に遭わされると怯えていたシシーだったが、その男は二度と屋敷には来なかった。叔母が出入り禁止にしたのだ。叔母は、そういうところは、ひどく潔癖だった。


 シシーが叔母の夫にも、いとこだという男にもいたずらをされなかったのは、叔母のおかげであったことを、シシーは宇宙船に乗ってから知った。いとこからの電話によってだ。


「だから、叔母さんには、少し感謝してる――でも、もうあんな生活はイヤだった」


 いとこも、ほかの男も、妙に親切なそぶりを見せるときは危ういときだった。彼らは親切の裏に、対価を求めていた。シシーはだんだん人間を信じられなくなっていった。


 テオドールは、「おごられるの、嫌いなの!」と叫んだシシーを思い出し、胸がかすかに痛んだ。

 口は「そうか」としか言えなかったけれども。


 シシーは、うつむいた。


「テオがあんな奴らと一緒だとは思わない。思ってない。――でも、ごめんね、あたし……」

「謝らないでくれ。そんな理由なら、無理もない」


 24歳の年、宇宙船のチケットが当たった。


 シシーに来る手紙――おもに母方の親戚の手紙は叔母がすべて処分していたが、叔母はたいてい、昼日中はいない。シシーは、たったひとりのときに、その通知を受け取ることができた。必死で隠し通し、――シシーは逃げるように、地球行き宇宙船に乗った。


「きっと、おじいちゃんとおばあちゃんが助けてくれたの」


 シシーは涙をこぼしながら笑った。


「あたしは、この宇宙船に乗って、介護士さんの資格も取ったの」


 大学へは行けなかったけど、介護士さんだって立派な仕事だから、おじいちゃんたちは喜んでくれると思う――シシーは言った。


「俺も、そう思うよ」


 テオドールの同意に、シシーが安心したように微笑んだ。


 しかし、シシーは、地球へ行けなかった。


 宇宙船に乗って、三年目のある日、叔母がついに失踪したシシーの居場所をつきとめ、「もどってこい」と言いだしたのだった。


「あとからわかったんだけど、やっぱり、おじいちゃんの遺産は、あたしがいないと叔母さんのものにはならないっていうことになってて、それは頭のいい叔母さんでも、どうにもできなかったんだわ」


「……」


「叔母さんは、急にしおらしくなって――いつも、きついひとなの。殴りとかはしないけど、冷たい言葉しかいわないひと。なのに、いきなり、あたしに申し訳ないことをしたから謝りたい、いままでのことをお詫びしたい、代わりと言ってはなんだけどって言って、おじいちゃんたちのお墓をL54に建てて、ずっと面倒を見てくれるって」


「君はそれを、信じたのか」


 テオドールの問いに、シシーはちいさくうなずいた。


「あたしが、男の人たちにいたずらされなかったのは、叔母さんのおかげだった。叔母さんは、あたしを朝から夜までこき使ったけど、ちゃんとご飯は食べさせてくれたし、綺麗な部屋もくれた。……だから、叔母さんは、ほんとは悪い人じゃないって思った」


 テオドールはやはり、口を挟まなかった。


「でも、やっぱり、いい人ではなかったのね。そのときのあたしの担当役員さんはテオみたいなひとで、すごく頭がよくて親切で、ひとりでもどるのは危険だからって、一緒に着いてきてくれたの」

 

 叔母は、帰ってきたシシーを見るなり、他人の手前、見かけは詫びた。だがシシーをこのまま屋敷へ置こうとしているのは、シシーにも分かった。事情を知っている担当役員は、シシーのそばを離れず、シシーを守ってくれた。


 おかげで、シシーはふたたび叔母の屋敷に「拘束」されずにすんだ。そして、一度目の航海で地球には行けなかったけれど、L55の学校で講習を受けることができ、地球行き宇宙船の役員になれたと言った。


 けれども、叔母たちの干渉は、それで終わらなかった。


「墓の話は、そこから始まったわけだな」

「うん」


 シシーはうなずいた。


「ほんとにおばさんは、L54にお墓をたてたの。あたしが『もどってこい』って言われてから、L54に行くまで、三年目だったし、距離があるでしょ? その数ヶ月の間に建てたの。あたしも見せてもらった。お墓は、じつはもうあるの。――でも」


 シシーの顔が急に(くも)った。


「ものすごくお金がかかったから、あたしにも協力してほしいって」

「それで、送金がはじまったのか」


 テオドールには分かった。シシーが手元にいなくて遺産が入らないかわりに、遺産分の金を、シシーからせしめようとしたのだ。あっさりとシシーを手放したのには、そういった背景もあるのかもしれない。

 なにせ、地球行き宇宙船の役員は高給取りだ。


「でも、どこから見つけたのか知らないけど、あいつらもあたしの通帳の番号を知っちゃって、勝手にお金を持っていくの」


 あいつらとは、いとこたちのことだろう。


「なぜ、訴えない」


 つい、テオドールは言ってしまったが、シシーは悲しげな顔をした。


「……あのね、これは、勘違いならいいんだけど」

 シシーは声を潜めた。

「あたしの担当役員さんが、あたしが役員になった年に、宇宙船からいなくなっちゃったの」


「なんだって?」


 さすがにテオドールは聞き返した。シシーは深刻な顔で言った。


「もしかしたら、叔母さんが手を回してクビにしたのかもしれない」

「……まさか」


「だって、あの担当さんはあたしの味方をして、なんとかあたしが叔母さんの家に帰らないでいいようにしてくれたの。ほんとにほんとに、あの人のおかげで、あたしは解放されたの。だから、邪魔だと思って、消したのかもしれない。叔母さんに逆らった人は、みんないなくなるの。あたしにいたずらしようとした奴らも、みんないなくなった。叔母さんは、ほんとうに頭のいい人なのよ。本人が自慢もしてるけど、みんなもそう言ってる。みんなが叔母さんに頭が上がらないのは、おばさんがすごいからなの」


「でも、君は、叔母さんが、何の仕事をしているのかは知らない」

「……うん」


 テオドールはようやく悟った。シシーはかなり、社会と隔絶された生活を送ってきた。


 高校は卒業できたが、祖父母の介護で手いっぱいの日々。そして、叔母の家では、朝から晩までこきつかわれて、くたびれて寝るだけだの日々。テレビを見る余裕も、本を読む時間もなかった。外部の人間との交流もほとんどなかった。


 そのころ、シシーは年頃だった。迂闊(うかつ)に恋人でもつくられ、結婚ともなったら、祖父の財産はすべてシシーと恋人のものだ。だから閉塞(へいそく)した環境にいさせられたのだろうが、そのせいで、おかしなところが世間知らずなのだ。


 通帳が、ひとつしかつくれないと思い込んでいるところとか、「アルビレオの衛星」という称号を見せつけられただけで、なにかとてもおそろしい化け物のような、絶対者に見えてしまうところ――。


「事情は分かった」

 テオドールは言った。

「俺がなんとかしよう」


 シシーは泣きそうな顔になった。


「で、で、でも、テオがあの人たちに逆らって、クビになったら、あたし、」

「俺も、“アルビレオの衛星”だ」

「――え?」

「言ったろ? 俺もアルビレオの衛星。君の叔母さんと同じ、アルビレオ大学の卒業生だ」


 シシーの目は、これでもかというくらい見開かれた。


「テオが――!?」


 信じていないようだった。テオドールは苦笑した。

 なかなか信じてもらえないのも無理はないという気持ちと、まさか自分の人生で、「アルビレオの衛星」という言葉を、ひとを励ますためにつかうことになるとは思わなかった、という意味を込めて。


「見せようか? 卒業証書と、勲章を」

 シシーは、何度もうなずいた。

「見せるよ、写真を送ってもらう」

「……」

「だから分かっただろ? 俺も頭の良さでは負けない」


 テオドールは自分で言っていることが信じられなかった。劣等感の塊だった自分が、アルビレオの衛星として、同じ衛星を前にして、負けない、などと言えることが――。


「テオ――テオはなんでそんなに――」


 シシーは言いかけ、戸惑ったように視線を膝に落とし、やがて、袖で目をぬぐった。


「――ありがとう」

「ありがとうと言いたいのは、こっちかも」

「え?」


 劣等感抜きで、「アルビレオの衛星」という語句を、口から出したのははじめてだった。


「ところで、教えてほしいことがある」

「なに?」

「おばさんのフルネームを」


「あ、う、うん」

 シシーは、今度はよどみなく言った。

「ステファニー・B・ボローネ」




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