第三章 喰らい、育ち、花になる約束
無法地帯の深部に位置する盗賊団のアジトは、かつて鉱山か砦として使われていた頑丈な石造りの廃墟だった。無骨な岩肌がそのまま壁となり、天井からはかすかな湿気が滴り落ちる。その地下深くにある広大な食堂には、昼時になると野獣のような男たちが集まり、酒と肉の匂いが充満していた。 だが、その日、荒くれ者たちの視線は一点に注がれ、食堂全体が奇妙な静寂と圧倒に包まれていた。
「……おいおい、マジかよ。あのガキ、正気か……?」
「おい、これで何皿目だ? 豚一匹分は軽くいってんぞ……!」
部下たちが引きつった顔でヒソヒソと囁き合う中心で、シルカは木製の長椅子に小さく腰掛け、目の前に積み上げられた大皿の山と格闘していた。 大皿に盛られているのは、豪快に炙られた巨大な獣肉の塊、固く焼かれた厚切りのパン、そして濃い味付けの根菜の煮込みである。カシラをはじめとする巨漢の男たちが食すのと同じ、常人の三〜四倍にあたる凶暴な量の食事だった。 シルカはその肉塊を、細く白い指で掴み、躊躇なく口へと運ぶ。 ガブッ、と小さな顎で肉を噛みちぎる。溢れ出す脂と血の味が口いっぱいに広がり、咽びそうになるほどの塩気が喉を突く。だが、シルカの赤い瞳には一切の怯みも迷いもなかった。咀嚼し、飲み込み、また次の肉へと喰らいつく。
「むぐ……っ、ん……っ」
食道を通るたびに、痛むほどの圧迫感が胸を襲う。極度の栄養失調で長く縮こまっていた胃袋が、押し寄せる栄養の濁流に悲鳴を上げていた。吐き気が込み上げる。全身の細胞が、急激なカロリーの摂取に拒絶反応を起こしかける。 だが、シルカは冷め切った頭で自らの胃袋を命じた。
(喰え。残さず胃の中に落とし込め。血にしろ。肉にしろ。骨に刻め)
栄養が足りなければ、身体は育たない。身体が育たなければ、あのアジトの中央に座る男の太い首を刈る力は手に入らない。シルカにとって、食べるという行為は空腹を満たす愉しみなどではなく、己の肉体を「武器」へと改造するための過酷な作業であり、戦いそのものだった。 油で汚れた銀髪を振り乱し、必死に喰らい続ける小さな少女の姿に、最初は「いつ破裂して死ぬか」と面白半分の目で見物していた部下たちも、次第に笑いを失っていった。 そこにあるのは、ただの食欲ではない。生き延び、強くなることへの、恐ろしいまでの執着と執念だった。
「ふん……」
長卓の最上席で、ジョッキを片手にその光景を見下ろしていたカシラが、鼻で短く笑った。 その巨体は相変わらず圧倒的な存在感を放っており、一口でパンの塊を平らげながら、少女の異常な食いっぷりを観察している。 やがて、シルカは最後の一片の肉を飲み込み、器に残ったスープをパンくずですくい取って口に放り込むと、ふぅと小さく息を吐いた。大皿の山は、文字通り綺麗に平らげられていた。 シルカは袖口で乱暴に口元を拭うと、真っ直ぐにカシラを見つめた。栄養失調で小さく痩せこけていた彼女の頬には、ほんのわずかだが血色が戻り始めている。その赤い瞳には、底知れぬ生命力の焔が宿っていた。
「……私は、すぐに強くなる」
掠れた、しかし力強い声が食堂に響く。
「こんなところで野垂れ死んだりしない。喰って、肉をつけて、骨を太くして……いつかあんたの隣に立つ。そして、あんたの首を刈る」
男しかいないアジトで、最底辺の浮浪児が言い放ったあまりにも不遜な宣言。 だが、周囲の部下たちは誰もそれを笑うことができなかった。彼女の引きずってきた二十三個の生首の残像が、今も彼らの脳裏に焼き付いていたからだ。 カシラは木製ジョッキをドスンとテーブルに叩きつけ、ニィと口端を吊り上げた。
「大きく出たな、虫ケラが。だが、ただ肥えただけの豚の首を刈ったところで面白くもなんともない。……強くなりたくば、まずは『花』を咲かせてみろ」
「花……?」
「そうだ。泥の中で芽を吹き、踏みつけられても折れず、美しく狂い咲く花だ。……花を咲かせられねぇような雑草なら、咲く前に俺が根こそぎ踏み潰す」
カシラはそう告げると、興味を失ったように残りの酒をあおった。 シルカはその言葉の意味を噛みしめるように、静かに拳を握りしめた。夜が訪れ、アジトを深い静寂が包み込んだ。 カシラの部屋は、アジトの最深部にある頑丈な石造りの部屋だった。部屋の中央には、巨体に合わせた特注の巨大な木製ベッドが置かれている。 扉が軋んだ音を立てて開き、カシラが静かな足取りで部屋に入ってくる。酒の匂いを微かに漂わせながらベッドへ向かった男は、ふと脚を止めた。ベッドの脇、冷たい石造りの床の上に、一筋の銀髪が丸まっていた。 シルカだった。彼女はボロ布を体に巻きつけ、まるで野良犬のようにカシラのベッドのすぐ横の床に身を小さく丸めて横たわっていた。
「……何の真似だ」
地鳴りのようなカシラの声が降ってくる。
「自分の部屋も与えられていない訳ではないはずだ。わざわざ俺の足元で寝転がるとは……首を取られるのが怖くて命乞いでもしに来たか?」
カシラの見下ろす視線を受けながら、シルカはゆっくりと赤い瞳を開けた。身を起こすこともなく、床に頬をつけたまま、冷徹な声で答える。「……あんたの側が、一番安全だから」 「安全だぁ?」 「そう。ここは無法者のアジト。夜中に私の首を狙って忍び込んでくる雑魚がいるかもしれない。でも、あんたのすぐ側にいれば、雑魚は怖がって近づけない」シルカはそこまで言うと、むくりと起き上がり、カシラの太い足首のすぐ横に座り直した。「それに……ここが一番、あんたの首を狙いやすい位置だから」無防備な睡眠時、あるいは油断した瞬間。いつでもその太い頸椎に刃を突き立てられる距離。それが、この男のベッドの脇だった。生存のための安全の確保と、最も危険な目標へのアプローチ。そのふたつを同時に満たす最適解として、彼女はこの場所を選んでいた。カシラは一瞬、唖然としたように目を細め、やがて呆れたような溜め息をひとつ吐き出した。
「ハッ……どこまでも計算高いガキだ。俺を起こさずにその首をかっ切れる自信があるなら、寝ている間に試してみるがいい」
カシラは大きな身体を豪快にベッドへと横たえた。ギシッ、と重厚な木枠が悲鳴を上げる。男は背を向け、気にも留めない様子で目を閉じた。
「好きにしろ。……だが、忘れるなよ」
闇の中で、低い声が落とされる。
「花を咲かせろ。そしたら――その花を、俺が喰ってやる」
殺意と、奇怪なまでの契約。 自分を殺そうとする少女を側に置き、自らの首を狙わせる男。 男の圧倒的な庇護のもとに身を置きながら、その命を絶つ瞬間を冷徹に狙い続ける少女。二人の間に流れるのは、甘い温もりなどではない。いつ途切れるとも知れない緊張感と、互いの存在を唯一無二として強く意識し合う、歪んだ信頼の芽生えだった。 静まり返った暗闇の中、シルカは冷たい床に再び身を横たえた。カシラの規則正しい力強い寝息を耳に感じながら、彼女は静かに目を閉じる。
(喰って、育つ。そして……私が咲いたら、あんたを殺す)
殺意と生への執着を抱いたまま、二人の密やかな夜が深く更けていった。




