第3話 郷土史編纂部
この物語は、御岳町という小さな土地に沈んだ、
“見えない境界”と“語られない歴史”をめぐる話です。
東と西、そのあいだにある中間区。
何気ない日常の中に、ふとした瞬間だけ浮かび上がる歪みを、
主人公・朝比奈直継の視点から静かに辿っていきます。
派手な展開はありませんが、
この町の空気をゆっくり味わっていただければ嬉しいです。
郷土史編纂部の部室は、旧校舎の二階にある。
「単位が一つ足りなくなりそうで」と直継が顧問の老教師に相談したとき、
「編纂部に入ればよろしい」と言われた。
活動実績さえあれば正課外単位になる、らしい。
郷土史などろくに興味はなかったが、他に選択肢もなかった。
旧校舎の廊下は古い木造で、歩くたびにきしむ。
窓から見える中庭の木が大きくなりすぎて、室内が薄暗い。
濾過しきれなかった微かな光が、
重い空気の隙間で、行き場をなくしたように迷子になっていた。
部室の扉を開けると、埃と古紙の匂いがした。
静止していた空気が、かすかに動いた。
その隙間を縫うように、冷ややかな声が鼓膜を叩く。
「入部希望ですか」
振り返ると、男が一人、棚に向かって立っていた。
背が高い。制服は着ているが、ネクタイが少し緩い。
窓から差し込む光が逆光になっていて、顔がよく見えない。
声は落ち着いていた。
年は同じくらいに見えるが、どこか古びた雰囲気がある。
「あ、はい。単位の都合で」
「正直ですね」
男は棚から視線を外さずに言った。
揶揄しているわけではないようだった。
ただ確認しているだけのように聞こえた。
「水無瀬静馬です。部長をしています」
水無瀬。
中間区の家名だ。
直継はそう知っていたが、どういう家なのかはよく知らなかった。
中間区の人間はたいていそうだった。
東でもなく西でもなく、どちらにも接点が薄い。
「朝比奈直継です。よろしくお願いします」
「朝比奈」と静馬は言った。その言い方が少し変だった。
名前を確認するというより、何かを確かめるような間があった。
「ああ、東御岳の、朝比奈家」
「はい」
「わかりました。活動は週に三回、放課後一時間からです。
資料の整理と調査が主な仕事です。特別な能力は要りません」
直継は部室を見渡した。
壁面一面の棚に、段ボール箱や紙筒や巻物状のものが押し込まれている。
地図が広げられたまま作業台に置かれている。
写真や書き込みだらけの紙が何枚も重なって束になっている。
奥の棚だけ、他と違って金属製の鍵がかかっていた。
「あの棚は?」
静馬がやっと振り返った。
目が涼しい。
感情が読みにくいというより、何かを奥に入れてしまっているような印象だった。
「鍵のかかった棚です」
「それはわかりますが、中は?」
「今は関係ありません」
今は、と言った。
それは少し気になった。
直継はそれ以上聞かなかった。
その日の活動は、大正期の写真の整理だった。
東御岳の朝光祭の写真が多かったが、一枚だけ川の写真があった。
橋の上に三人の人物が写っていた。
時代の古い服装で、顔はよく見えない。
三人は川の中央に向かって並んでいた。
「この三人は何ですか」
直継が聞くと、静馬は少しだけ写真を見て、「わかりません」と言った。
今度は「今は関係ない」とは言わなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
郷土史編纂部での出来事は、
直継にとって“単位のための部活”以上の意味を持ち始めています。
鍵の棚、川の写真、三人の影。
まだ断片ばかりですが、どれもいずれ線になります。
ゆっくり進む物語ですが、
次の話も覗いていただけたら嬉しいです。




