第24話 後戻りできない
翌日、三人は部室に来た。
昨日と同じように部室に集まった。授業が終わって、廊下を歩いて、扉を開けた。ただ昨日と違うのは、誰も最初に何も言わなかったことだった。作業台を囲んで、しばらく座っていた。
作業台の上には、昨日のままの資料が残っていた。原本断片の帖。地図の切れ端。古い写真。
「確認したいことがあります」と静馬はやがて言った。
直継と柚羽が静馬を見た。
「昨日、川沿いで続けると言いました」と静馬は言った。「あのとき私も続けると言った。ただ、昨日は老婆の家の前で、その場の流れで答えた。今日改めてふたりに聞きたい」
「どういう意味ですか」と直継は言った。
「やめるなら今だ、ということです」と静馬は言った。「昨日より落ち着いた状態で、もう一度確認したい」
部室が静かになった。
中庭から風の音がした。葉が残り少なくなった木が揺れる音。冬が近かった。
* * *
直継は作業台を見た。
父の顔が浮かんだ。「静馬に近づきすぎるな」「川には近づくな」。父が言ったことの意味が、老婆の家の前に立ったとき、少しわかった気がした。知ることには代償がある。父はそれを知っていたから止めようとした。
でも父も、全部は知らない。「なぜ分けたか」を父は知らない。「統合の儀」のことを父は知らない。知ることを恐れて止まった人間が守ってきたものと、知ろうとして動いた人間が残してきたものが、この部室にある。
直継は静馬を見た。
「続けます」と直継は言った。「昨日と同じ答えです」
* * *
柚羽は窓の外を見た。
母の声が頭にあった。「開きすぎると影が溢れる」。影送り祭の夜、稽古場で母が言った言葉。禁忌として教えてくれた言葉。母が教えてくれたのは、危険を知っていたからだ。知っていたのに、柚羽には理由を教えなかった。
その理由が、今少しずつわかりつつある。
母が止まった場所から先を、柚羽は進もうとしている。それが母を裏切ることになるかどうか、まだわからない。でも知らないまま舞い続けることが、本当に舞を守ることなのかどうかも、わからない。
「続けます」と柚羽は言った。「昨日と同じです。ただ」
静馬が柚羽を見た。
「怖いという気持ちは、あります」と柚羽は言った。「それも昨日と同じです」
「そうですね」と静馬は言った。「私も同じです」
直継は静馬を見た。静馬が怖いと言ったのは、これが初めてだった。言い方は静かで、感情的ではなかった。でも初めて聞く言葉だった。
「静馬さんも怖いんですか」と直継は言った。
「はい」と静馬は言った。「続けると決めているから怖い。止まっていれば怖くない。でも止まることは選ばない」
* * *
三人の間に、短い沈黙があった。
部室の匂いがした。古紙と埃と、乾いた木材。秋の終わりの匂い。直継はこの部室の匂いをいつの間にか覚えていた。最初に来たときとは、自分の中でのこの匂いの意味が変わっていた。
「わかりました」と静馬は言った。
立ち上がった。棚のほうへ歩いた。
ポケットから鍵を出した。
棚の錠に差し込んだ。先日と同じ動作だった。でも今回は、直継にも柚羽にも、先日とは違う感触があった。先日は初めて開ける棚だった。今日は、読む覚悟を持って開ける棚だった。
錠が外れた。
「じゃあ、鍵を開けますよ」と静馬は言った。
扉を引いた。巻物が三本、並んでいた。静馬は一番右の巻物——先日確認しなかった、一番古そうな巻物——を手に取った。作業台に持ってきた。
「今日はこれを読みます」と静馬は言った。「読めない部分が多いかもしれない。時間がかかるかもしれない。でも、始めます」
直継は「始めます」という言葉を聞いた。
初めてこの場で会ったとき、静馬が言った言葉と同じだった。「今日中に全部は話せない。でも、始めます」。あのとき静馬が宣言した始まりが、ここまで続いてきた。
巻物が広げられた。
古い紙の匂いがした。崩し字が、縦に並んでいた。虫食いで消えた部分がある。にじんで読めない部分がある。それでも、確かに何かが書かれていた。
「読めますか」と柚羽は静馬に聞いた。
静馬は巻物を見た。「少し読めます」と言った。「全部ではない。でも——」
指で、一行を指した。
巻物の終わり近く。他の部分より文字が大きく、墨が濃い。その一行だけが、崩されていなかった。誰かが、ここだけは読まれることを意図して書いたように見えた。
直継と柚羽も覗き込んだ。
「三人、揃ふとき——」
静馬が読み上げた。
その後の文字は、折り目の向こうに続いていた。巻物がまだ全部広げられていない。続きがある。
誰も急がなかった。
三人で、作業台を囲んだ。
川の音がした。
今日の川は、昨日よりも静かだった。




