第21話 由緒書の矛盾
柚羽は翌日、紙を持ってきた。
帖ではなかった。便箋に手書きで写したものだった。「帖そのものを持ち出すのが難しかった」と柚羽は言った。「母に気づかれずに持ち出せる状態じゃなかったので、気になる部分だけ書き写してきました」
「充分です」と静馬は言った。
直継は柚羽の持ってきた便箋を見た。丁寧な字で、原文の文体を崩さずに書き写してある。霞沢家の古文書からの引用だとわかる書き方だった。
作業台に三人が並んだ。
* * *
柚羽が書き写してきた文言は三か所あった。
最初の一か所:「二柱の御魂は、古よりその在り方をめぐりて相争ひたり」
「これを見て」と柚羽は言った。「うちの古文書には、東と西の神が争っていたと書かれている」
直継は便箋を見た。「相争いたり」という古い語法が、柚羽の丁寧な字で書かれていた。
「東の由緒書には」と直継は言った。「二柱の神は兄弟だったと書かれています」
柚羽が直継を見た。「兄弟と争いは、違いますね」
「そうですね」
「どちらかが間違っているんでしょうか」
静馬は黙って二人の話を聞いていた。直継は静馬を見た。
「静馬さんはどう思いますか」と直継は聞いた。
静馬は少し間を置いた。
「どちらも正しいのかもしれません」と静馬は言った。
直継と柚羽が静馬を見た。
「どちらも正しい」と直継は繰り返した。
「二柱の神は元々一つでした」と静馬は言った。「一つのものが分かれるとき、どう分かれるか——兄弟のように分かれることと、争うように分かれることは、矛盾しない場合があります」
「元々一つだった」と柚羽は言った。静かに繰り返した。確認している声だった。
「神が一つだったということは、直継さんはお父さんから聞いていますね」と静馬は言った。
直継は少し驚いた。「父のことを知っているんですか」
「水無瀬家のことを父親に聞きに行ったと、一話のとき言っていましたね。朝比奈家なら、そのくらいは口伝として残っているはずだと思いました」
直継は肯いた。「父は、御岳神は元々一つだったと言っていました。水無瀬家が分けたと。分けたことで川が生まれて東と西が生まれたと」
柚羽が直継を見た。「それをお父さんから聞いていたんですか」
「影送り祭の前に」
「うちの古文書には、なぜ分かれたかは書かれていない」と柚羽は言った。「争いがあったとはあるけれど、争いの理由が書かれていない」
「東の由緒書にも、理由に当たる部分は欠落している」と直継は言った。「父は、理由が書かれていたはずの部分が消されていると言っていました」
三人が黙った。
窓の外の光が変わった。雲が流れたらしかった。中庭の木が少し揺れた。
* * *
柚羽が便箋の二か所目を指した。
「こちらを見てください」と柚羽は言った。「『かつて境界が乱れた時期があった。三の木が倒れ、川の流れが変わった』という記述です」
「三の木が倒れた」と直継は読んだ。
「静馬さんはかつて、根から切られたと言いました」と柚羽は静馬を見た。「うちの古文書には倒れたとある。この矛盾は何ですか」
静馬は柚羽を見た。柚羽の目が、静かに待っていた。昨日今日で少し変わった目だった。問いを溜め込まなくなっていた。
「写本には倒れたと書いてある」と静馬は言った。
「写本」と柚羽は繰り返した。「うちの古文書は写本なんですか」
「そうです」と静馬は言った。「曾祖母の代に誰かが書き写したものだと思います。書き写したとき、意図的に変えた部分があった。あるいは書き写さなかった部分があった」
「書き写さなかった部分」と直継は言った。
「写本の末尾に、空白があるはずです」と静馬は柚羽に言った。「あるいは途中に『以下不記』という記述か。確認しましたか」
柚羽は少し間を置いた。「末尾を確認していませんでした。次に来るとき、そこを見てきます」
「はい」と静馬は言った。
「では本当の記述は何なんですか」と直継は聞いた。「倒れたのではなく、切られた。それが本当のことだとして、そう書かれた記録がどこかにあるんですか」
静馬は直継を見た。少し間があった。
「あります」と静馬は言った。
直継は静馬を見た。柚羽も見た。
「この部室に」と静馬は言った。
* * *
静馬が鍵を取り出した。
棚の鍵だった。直継は以前から棚の鍵を見ていた。静馬がいつもポケットに入れているか、棚の上に置いている鍵。開けたことは一度もなかった。
でも今日は、静馬は鍵を取り出してから、棚の前には立たなかった。
手の中に鍵を持ったまま、作業台の前に立っていた。
「その棚に、切られたと明記された記録があるんですか」と直継は聞いた。
「あります」と静馬は言った。「ただ——今日開けるかどうかは、もう少し考えたい」
「なぜですか」と直継は聞いた。急いたわけではなかった。聞かないと前に進まない気がした。
静馬は鍵を見た。
「棚の中にあるのは、記録だけではない」と静馬は言った。「見てしまうと、知らなかったとは言えなくなるものがある。それがどういうことかを、今日は説明したい」
「どういうことですか」と柚羽が言った。
「記録を読むと」と静馬は言った。「その記録に書かれた責任が、読んだ人間に移ります。統合の儀を知れば、統合の儀に関わる立場になる。それは今の生活と引き換えになる可能性がある」
部室が静かになった。
直継は静馬の言葉を聞いて、父の顔を思い出した。「近づきすぎるな」という言葉。父が何を恐れていたかが、少しわかった気がした。父は知っていた。近づくということの意味を。
「静馬さんは」と柚羽は言った。「今の生活と引き換えになることを知って、戻ってきたんですか」
「はい」と静馬は言った。
「引き換えになっても構わないと思って」
「そうです」と静馬は言った。少しの間を置いてから、続けた。「ただ、私が決めたことを、二人に押しつけることはできない」
直継は静馬を見た。静馬の顔が、これまでとは少し違った。情報を管理している顔ではなく、何かを手渡そうとしている顔だった。
「持ち帰って考えてもいいです」と静馬は言った。「次に来たとき答えてください」
「今答えていいですか」と直継は言った。
「今でも」と静馬は言った。
「開けてください」と直継は言った。急いているわけでも、軽く言っているわけでもなかった。ただそう思った。
柚羽は少し間を置いた。
「私も」と柚羽は言った。「同じです」
静馬は直継を見た。柚羽を見た。また直継を見た。
「わかりました」と静馬は言った。「ただ、今日は時間が足りない。明日改めて来てもらえますか。開けるなら、ちゃんと時間をとって開けたい」
「明日、また来ます」と直継は言った。
「私も、来ます」と柚羽も言った。
静馬は鍵をポケットに戻した。棚はまだ閉まったままだった。でも何かが変わった。鍵がどこにあるかではなく、いつ開くかが問題になった。
* * *
三人は作業台を片づけた。便箋を揃える。帖を棚に戻す。地図の切れ端を昨日の場所に置く。
「さっきの話ですが」と直継は言った。片づけながら言った。「今の生活と引き換えになるかもしれないというのは、具体的にはどういうことですか」
「今はうまく説明できません」と静馬は言った。「棚の中を見てから、そちらの話をします。順序がある」
「順序」と直継は繰り返した。
「はい」と静馬は言った。それ以上は言わなかった。
柚羽が部室の窓を見た。外が暗くなり始めていた。秋の日暮れは早い。
「三か所目の書き写しを、まだ見せていませんでした」と柚羽は言った。便箋を開いた。
三か所目には、こう書かれていた。
「三の木の喪失により境界の均衡は失われた。以後、霞沢の舞は半ばの力にしか達せぬ。東の剣もまた同様なるべし」
直継は読んだ。
「東の剣も半ばの力」と直継は言った。
「剣先が川に向くのも、そのせいかもしれない」と柚羽は言った。「半分しか機能していないから、残りの半分が川へ向かおうとする」
直継はその解釈を聞いて、黙った。自分が感じていたことの理由を、別の人間が言葉にした。
「うちの舞も同じです」と柚羽は続けた。「境界を開いている実感がずっとなかった。半分しか力が出ていないなら——それは私のせいではなかった、ということになる」
「そうですね」と静馬は静かに言った。
「そうですね、じゃなくて」と直継は言った。静馬を見た。「知っていたんですか」
静馬は少し間を置いた。
「はい」と言った。
「いつからですか?」
「部室に来た最初から」と静馬は言った。「古文書を見たとき、確認しました。二人の力が半分しか発揮できていない理由は、三の木の喪失です。そのことは最初から知っていた」
直継は静馬を見た。何か言おうとして、止めた。
「明日来ます」と直継は言った。
「また、明日来てください」と静馬は言った。
柚羽が便箋を折り畳んだ。作業台に残った写真を一度見た。切り取られた端を見た。それから目を上げた。
三人は中庭で別れた。
直継は校門を出て、少し歩いてから立ち止まった。
川の音が聞こえた。今日の川は静かだった。
静かすぎるくらい、静かだった。




