第20話 静馬の沈黙
三本目の巻物は、大きかった。
床に広げると、畳一枚分ほどの面積になった。三人で周囲に座って覗き込む形になった。一本目や二本目とは字体が違う。一本目の崩し字とも、二本目の丁寧な崩し字とも違う、より古い形の文字だった。
「一番古い」と静馬は言った。「年代からすると、裂断の儀式よりも前に書かれた可能性がある」
「儀式の前に書かれたものが、なぜあるんですか」と直継は聞いた。
「儀式の記録ではなく、儀式の方法書かもしれない」と静馬は言った。「こういう手順でやれ、という指示書。それが事前に存在して、儀式が行われた」
「統合の儀の手順書もここに」と柚羽は言った。
「あればここだと思います」と静馬は言った。
三人で読み始めた。静馬が読める部分を拾い上げ、直継と柚羽が聞いた。
* * *
最初に出てきたのは、準備の記述だった。
「『儀式に臨む三者は、それぞれの場所にて七日の潔斎を行ふべし』」
「潔斎」と直継は繰り返した。「七日間」
「食事と睡眠の制限だと思います」と静馬は言った。「神事の前に身体を清める方法として、当時の記録によく出てくる」
続けて読んだ。川の水位、季節、時刻の条件が書かれていた。「水無瀬の者は——(虫食い)——触れたる後——」という断片。大きな虫食いがあって、その先に別の条件が続いていた。
しばらく進んで、静馬の手が止まった。
「どうしましたか」と柚羽は言った。
静馬は巻物の一か所を見ていた。他よりも墨の濃い部分だった。
「ここが読めます」と静馬は言った。「読み上げます」
「『水無瀬の者、神の痛みを通す器となりたるとき、その身より——記憶の一部は神とともに流れ去る。これは避けられぬこと。代わりに、神の記憶の一部が水無瀬の血に刻まれる。失ふものと得るものは等しからず。失ふほうが、多い』」
部室が静かになった。
「記憶の一部が」と直継は言った。
「流れ去る」と柚羽が続けた。
静馬は巻物を見たままだった。
「静馬さん」と直継は言った。
「はい」
「これを知っていたんですか」
静馬は少し間を置いた。
「はい」と静馬は言った。
「いつからですか?」
「この巻物を最初に読んだとき」と静馬は言った。「二人と棚を開ける前に、一人で確認していた。確認してから、二人を呼んだんです」
直継は静馬を見た。柚羽も静馬を見た。
* * *
「俺の家が何をしたか、知りたいか」と静馬は言った。
声は静かだった。問いの形だったが、問いというより確認だった。
「知りたいです」と直継は言った。
静馬は巻物から目を上げた。床に座ったまま、少し背を伸ばした。
「祖父は」と静馬は言った。「最晩年に、こう言っていました。『自分が何かを失ったことはわかる。何を失ったかは、わからない』と」
直継は聞いた。
「私は最初、老齢のせいだと思っていました。九十に近い年齢だったから、記憶が薄れるのは自然なことだと。でも祖父の言い方が違った。『薄れた』ではなく『失った』。失ったことは知っているが、何が失われたかを思い出せないのではなく、最初からその記憶がない、という言い方をしていた」
柚羽が静馬を見た。
「私自身にも」と静馬は続けた。「幼い頃の記憶に、欠けている部分があります。多くの人は幼い頃のことをそれほど覚えていないから、おかしなことではないかもしれない。ただ——特定の時期だけ、まるごと抜けている。その時期に何があったかを、今でも思い出せない」
「その時期はいつですか」と直継は聞いた。
「御岳を離れる前」と静馬は言った。「この街にいた最後の年」
柚羽が息を止めた。
「この街を離れた理由も」と静馬は言った。「その時期に何があったかも、今も正確には知らない。祖父が病院に入って、私は親戚の家に預けられた。その間のことが——記憶の中にほとんどない」
「それが」と直継は言いかけた。言葉を選んだ。「水無瀬家の代償と関係していると思いますか」
「わかりません」と静馬は言った。「でも、巻物にこう書かれていて、祖父がこう言っていて、私の記憶がこうなっていれば——関係を疑うのは自然なことです」
直継は巻物の「記憶の一部は神とともに流れ去る」という文字を見た。失うほうが多い。
「知っていたのに、棚を開けましたね」と直継は言った。非難ではなかった。確認したかった。
「知っていたから」と静馬は言った。「一人では決められなかった。二人に決めてもらいたかった。知った上で、それでも来るかどうか」
「私たちが来ると思っていましたか」と柚羽が聞いた。
「どちらか、と言われれば——来ると思っていました」と静馬は言った。「間違っていたらそこで終わりにするつもりだった」
柚羽は少し間を置いた。「言えないことが、まだありますか」と柚羽は聞いた。
静馬は柚羽を見た。
「あります」と静馬は言った。
「今日は言えますか?」
「今日は——まだ」と静馬は言った。「もう少し読んでから。全部読んでから話すほうが、正確に話せる気がします」
柚羽は肯いた。
* * *
直継は巻物に目を戻した。
「記憶の一部が神とともに流れ去る」という一行の前後に、何が書かれているかをもう少し読みたかった。「避けられぬこと」とある。避けられない、とはっきり書いてある。
「失ふほうが多い」
その文章がまだ目に残っていた。
「続きを読みましょうか」と直継は言った。
「はい」と静馬は言った。
三人は巻物の続きに向かった。床の上で、三本目の巻物がまだ半分ほど広げられていなかった。その先に何が書かれているかは、まだ誰も知らなかった。
窓の外で、川の音がした。今日の川は静かだった。流れているのか止まっているのか、部室の中からはわからない。




