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御岳信仰伝 ー分かつ御柱の行方ー  作者: ちとせ鶫
第3章 中立の部室

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第19話 中央組の写真

 翌日の放課後、写真はまだ作業台の上にあった。


 誰も片づけなかった。片づける気がしなかったというより、片づけてはいけない気がした。三人とも、そう思ったのかもしれない。


 直継と柚羽が来ると、静馬はすでに部室にいた。昨日と同じ椅子に座って、何かを読んでいた。二人が入ると本を閉じた。作業台の上の写真には、目を向けなかった。


「ふたりとも、来ましたね」と静馬は言った。


「はい」と直継は言った。「昨日の続きを聞きに来ました」


 静馬は少し間を置いた。直継の言い方が予想より直接的だったかもしれない。でも静馬はそれを否定しなかった。


「座ってください」と言った。


 三人が作業台を囲んだ。写真は中央に置かれたままだった。


     * * *


「昨日、祖父から聞いた話と言いました」と静馬は言った。「祖父は、私が中学に上がる前に亡くなっています。だから直接聞けたのはほんの少しの期間だった。記憶している言葉は断片的で、全体の文脈がわからないものが多い」


「それでも、伺いたいです。話してもらえますか」と柚羽は言った。


 静馬は肯いた。


「祖父が最後に言ったのは」と静馬は続けた。「『戻す方法は残してある。ただ、戻したあとのことまでは、考えられなかった』という言葉でした」


 直継は静馬を見た。柚羽も静馬を見た。


「戻す方法」と直継は繰り返した。


「神を元に戻す方法です」と静馬は言った。「裂いたなら、合わせる方法がある。祖父はそう言っていた。残してある、と」


「どこに?」と柚羽が聞いた。


 静馬は少し目を細めた。窓の外を見るような顔だったが、視線はどこにも向いていなかった。


「それが、私もまだ見つけていない」と静馬は言った。「棚の中にあるかもしれない。あるいは別の場所か。祖父が言ったのはそれだけで、その後すぐ——体調が悪くなって、話せなくなった」


「どんな方法なんですか」と直継は聞いた。「神を元に戻すというのは」


「わかりません」と静馬は言った。迷いのない言い方だった。「わからないから、ここに戻ってきた。祖父が残したものを探しに来た。それが、私がここにいる理由の、一番正直な部分です」


 部室が静かになった。


 中庭の落ち葉が風に動く音がした。川の音ではなかった。


「祖父は」と静馬はやがて続けた。「儀式のことを『統合の儀』と呼んでいました。裂断の儀式に対して、そう呼んでいた。どういう手順か、どういう条件が必要か——それが残してある、と言っていた。残してあるということは、誰かが書いた、ということです」


「それを探している」と柚羽は静かに言った。


「そうです」


     * * *


 しばらく三人は黙った。沈黙が部屋を支配する。


 直継は作業台の中央に目を落とした。写真が視界に入った。昨日から変わらず、折り目の残った紙の上に、五十年以上前の生徒たちが並んでいる。


「写真のことを聞いてもいいですか」と直継は言った。


 静馬は写真を見た。昨日、指先を触れた端のほうを、今日はじっと見た。


「切り取られた部分に、誰がいたのか」と直継は続けた。「昨日、静馬さんが触れたとき——何かわかっていることがあるんじゃないかと思って」


 静馬は少し間を置いた。


「わかっているわけではないんです」と静馬は言った。「ただ」


 言葉が途切れた。


 直継は待った。柚羽も待った。


「この写真を最初に折り畳んだのが誰か、ということを考えていた」と静馬はやがて言った。「段ボール箱の底に、丁寧に何度も折られて入っていた。他の書き付けや地図の切れ端と一緒に入っていたのに、この写真だけ折り方が違った。誰かが意図して折り畳んで、保管した。あるいは、見つからないように隠した」


「見つからないように」と柚羽が繰り返した。


「切り取った人と、隠した人が、同じかどうかもわからない」と静馬は言った。「でも、両方とも意図的だった。偶然ではない」


 柚羽が写真に手を伸ばした。端の切り口ではなく、写真そのものを手に取った。


「中組、というクラスは今はありません」と柚羽は言った。「東と西で学校は別々だから。でも昔は一緒だったということですか」


「同じ建物に通っていた時代があったんでしょうね」と静馬は言った。「いつ分かれたかは、私も正確には知らない」


 柚羽は写真を傾けた。光の角度を変えて見ようとしている。


「制服の縁取りが混じっている」と柚羽は言った。「金と青緑。東と西の色が、同じクラスの中に並んでいる」


「そうですね」


「これが普通だった時代があった」と柚羽は続けた。静かな声だった。断言ではなく、確かめるような言い方だった。「一緒に勉強して、一緒に写真を撮った。それが当たり前だった時代が、あった」


 直継は柚羽を見た。柚羽の目が、写真の上で止まっていた。


「東と西が分かれたのは、神が分かれたあとのことですか」と柚羽は静馬に聞いた。


「おそらく」と静馬は言った。「神が分かれてから、少しずつ変わっていったんだと思います。すぐではなかったかもしれない。でもこの写真が、五十年以上前のものなら——神が分かれたのはもっと前のことだから、神が分かれたあとも、しばらくは一緒だった、ということになる」


「しばらくは、一緒だった」と直継は繰り返した。


「そして何かがあって、分かれた」と静馬は言った。「何があったかは、わからない。でも、写真の端が切り取られたのは、その『何か』に関係しているかもしれない」


     * * *


 直継の視線が、写真の切り口に向いた。


 切り口は直線だった。迷いのない切り方だった。焦って切ったのではなく、決断して切った、という感じがした。


「何人いたんでしょう」と直継は言った。「切り取られた部分に」


「端から見ると、二人か三人分くらい」と静馬は言った。「端の方だから、ちょうど顔が並んでいたはずです」


「名前を調べることはできますか」と柚羽が聞いた。「クラス名がわかっているなら、学校の記録が残っているかもしれない」


「一年・中組、で年代がわかれば、名簿が残っている可能性はあります」と静馬は言った。「ただ、五十年以上前の資料をどこが持っているか——図書館か、学校の事務室か」


「行けますか」と直継は言った。


「行けます」と静馬は答えた。「ただ、切り取られた人物が特定できるかどうかはわからない。写真の切り口から推測できるのは人数と位置だけです」


 柚羽が写真を作業台に戻した。


「東西が混じっていた時代の写真」と柚羽はもう一度言った。考えながら言っているような、独り言に近い声だった。「その写真が部室にあった。部室は、中立の場所だから」


「最初からそうだったかは、わからない」と静馬は言った。「でも、中立の場所として機能してきたということは、そういう歴史があったからかもしれない」


 直継は部室の壁を見た。古い木材の染みと、棚の並びと、ずっとそこにある鍵のかかった棚。この部屋に最初に来たとき感じた、何かが残っているような感覚を思い出した。


「写真を持ってきたのも」と直継は言った。「誰かの意図でしたか」


 静馬は少し間を置いた。


「段ボール箱は、この部室が開設されたときからある資料の一部です」と静馬は言った。「誰が最初に入れたかは、わからない。でも、捨てなかった人がいた。何十年も、捨てなかった」


 捨てなかった、という言葉が、静かに残った。


 切り取って、折り畳んで、箱の底に入れた。捨てなかった。


 誰かが消そうとして、でも消せなかったのか。あるいは、消しながら、残そうとしたのか。


     * * *


 三人は少しの間、それぞれ黙っていた。


 柚羽が帖を手に取った。昨日、日付順に並べた神事の日程記録だった。開いて、ある頁で止まった。


「静馬さん」と柚羽は言った。「昨日整理したこの帖、年号で見ると——ちょうど写真の年代と重なる時期があります。中組の写真が撮られたころの神事の記録が、ここにある」


 静馬が席を立った。柚羽の隣に来て、帖を覗き込んだ。


 直継も覗き込んだ。


 細い字で神事の日程が並んでいる。日付と、行事の名前と、担当の名前。担当の名前は、ほとんどが東か西の家の名前だった。ただ——何か所かに、別の名前があった。


 東でも西でもない名前が、担当者として書かれていた。


 静馬の指が、その名前の一つを指した。


「水無瀬」と書かれていた。


 直継は静馬を見た。静馬は帖を見たまま、しばらく動かなかった。


「一緒にいた時代の記録だ」と直継は言った。


「そうですね」と静馬は静かに言った。


 柚羽が頁をゆっくりめくった。水無瀬の名前が、何度も出てきた。担当者として、記録者として、立会人として。写真の年代を越えて少し先まで続いて——ある年号を境に、名前が消えた。


 三人で同じ場所を見ていた。


 名前が消えた年号の頁には、普通の神事の記録が続いていた。何も特別なことが書かれていなかった。ただ、水無瀬という名前だけが、それ以降一度も出てこなかった。


「この年に何があったんですか」と柚羽は聞いた。


 静馬は帖から目を上げた。


「まだわかりません」と静馬は言った。「でも——調べられると思います」


 今日の「まだわかりません」は、昨日の「わかりません」と少し違った。昨日は知らないということだった。今日は、知ろうとしている、という意味が入っていた。


 直継にはそれが聞こえた気がした。


 柚羽も聞こえたかもしれない。


「明日も来てもいいですか」と柚羽は言った。


「ぜひいらしてください」と静馬は言った。「帖の続きと、地図の切れ端も、もう少し確認したいと思っています」


 柚羽が帖を閉じた。写真は作業台に残った。


 帰り際、直継は写真を見た。切り取られた端。折り目の跡。何十年も箱の底にあった紙。


 誰かが消して、誰かが残した。


 その両方が同じ人間だったとしても、おかしくない。直継はそう思った。でも静馬には言わなかった。


 まだ聞く言葉を持っていなかった。

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