第18話 資料の整理
旧校舎の部室は、いつ来ても同じ匂いがする。
古紙と埃と、少し湿った木材の匂い。夏は蒸して、秋になると乾いてくる。今日は秋の終わりの乾いた匂いだった。中庭の木が葉を落とし始めていて、薄暗さの質が少し変わっていた。葉が少なくなった分だけ、光が増えている。
三人が揃って部室に来るのが、当たり前になっていた。
いつからそうなったのか、正確には言えない。影送り祭が終わってから、少しずつそうなった。二人が来れば静馬がいる。静馬がいれば、もう一人が来る。お互いに示し合わせているわけではないのに、気づくと三人が揃っている。
「棚の整理を手伝ってもらえますか」と静馬は言った。
今日の目的は資料の整理だった。部室の棚の奥に、手がつけられていない段ボール箱が数個ある。ずっとそのままだったらしく、静馬も中身を把握していないという。
直継と柚羽がそれぞれ段ボール箱を一つずつ持ち出して、作業台に置いた。箱を開けると、埃が舞い上がった。
「すごい埃だな......」と直継が眉をひそめ、舞い上がる塵を避けるように少し身を引いた。光の筋の中で、塵が薄鈍の霧のように漂っている。
「それだけ、長い時間を感じます」と感想を漏らす。
「そうですね」と静馬が応えた。
直継の箱には、年代の古い地図の切れ端と、手書きの書き付けが混在していた。紙の端は、経年変化で生成色から朽葉色へと変わり始めている。柚羽はその紙の一枚に触れ、指先に残る乾いた感触から、かつてこの記録を綴った誰かの息遣いを幻視した。
地図の切れ端は一枚一枚が小さく、何枚かを並べると一つの地図になるらしかったが、どう並べるかわからない。書き付けのほうは、筆圧の強い崩し字で、一枚に数行ずつ、何のことを書いているのかが読み取れない。
柚羽の箱は、もう少し整理されていた。和紙の帖が数冊と、紙筒が二本入っていた。帖を開くと、神事の日程を記録したものらしかった。何年の何月に何をした、という記録が、細い字で並んでいる。
「これ、いつ頃のものですか」と柚羽が聞いた。
「箱の外側に書いてあった年号から見ると、七十年から八十年前かと思います」
「随分と古いですね」
「部室が開設されたのがそれより前らしいので、初期の収集品だと思います」
三人は黙って作業した。直継が書き付けを一枚一枚確認して種類ごとに分ける。柚羽が帖の内容を確認して日付順に並べる。静馬は二人の作業を把握しながら、自分でも別の棚の整理をしていた。
しばらくして、直継が口を開いた。
「父に、水無瀬家のことを聞きました」と直継は言った。
手は止めなかった。書き付けを確認しながら言った。静馬は棚の前で少し動きを止めた。柚羽は帖から目を上げた。
「断片的な話でしたが」と直継は続けた。「神を分けたのが水無瀬家だということ。なぜ分けたかは父も知らないということ。あとは——水無瀬家の者がこの周期に御岳にいるのは偶然ではないだろうと」
「そのように言われましたか」と静馬は静かに言った。
「はい。それと、近づきすぎるなと言われました」
「そうですね」と静馬は言った。「お父さんの言い方は、正しいと思います」
直継は書き付けから顔を上げた。「近づきすぎるなというのがですか?」
「いいえ」と静馬は言った。「水無瀬家がこの周期に御岳にいるのは偶然ではない、という部分が、です」
柚羽が静馬を見た。直継も静馬を見た。
「私がここに戻ってきたのは、周期が来たからです」と静馬は言った。「祖父から聞いた話があって、その通りになった、と思ったから」
「聞いた話というのは、なんだったんですか?」と直継は聞いた。
静馬は棚の整理の手を止めた。作業台のほうに向き直った。
「いつか話します」と言いかけて、止めた。
柚羽が少し眉を上げた。直継も静まった。
「今日話します」と静馬は言い直した。「ただ、今日中に全部は話せない。でも、少しずつ、ゆっくり始めましょう」
それはこれまでとは違う言い方だった。「今は」でも「今日は」でもなく、「始めます」だった。
直継は書き付けを作業台に置いた。柚羽も帖を閉じた。
静馬は少しの間、窓の外を見た。中間川が見える方向。今日の川は穏やかだった。流れているのか止まっているのか、この距離からはわからない。
「水無瀬家は、修験者の家系です」と静馬は言った。「山の神と川の神の両方に仕える家。東でも西でもない、間に立つ者。それが本来の役割でした」
「本来の?」と柚羽が繰り返した。
「神を分ける儀式には、三者が必要でした」と静馬は続けた。「東の宮司家と、西の宮司家と、水無瀬家。三者が揃って初めて成立する儀式だった。東と西が神の代理人として立ち、水無瀬家が実行者として動く」
「実行者というのは具体的にどういう?」
「二本の大木の根を切ったのは、水無瀬家の先祖です」と静馬は言った。「そのことは、柚羽さんにはすでに話しました。ただ、なぜ切ることになったかは、まだ話していない」
「三者が揃って決めたということですか」と直継は聞いた。
「はい。水無瀬家だけが勝手にやったわけではない。ただ、実際に手を動かしたのが水無瀬家だったというだけです」
「なぜ三者は神を分けようとしたんですか」と柚羽は聞いた。
静馬は少し間を置いた。
「それが、私にも今は正確にはわかっていない」と静馬は言った。「祖父の話では——理由があったはずだが、その理由を書いた記録が消されているということでした。消したのは東の家か西の家か、あるいは両方か。水無瀬家の口伝には、理由については何も残っていない」
「なぜ水無瀬家の口伝に残っていないんですか」と直継は聞いた。「実行者なら、一番よく知っているはずなのに」
静馬はまた少し黙った。この沈黙は「今は言えない」の沈黙ではなく、言葉を選んでいる沈黙だった。
「祖父は、覚えていなかったのかもしれない、と言っていました」と静馬はやがて言った。「神を裂く衝撃を身体で受け止めるのが水無瀬家の役割でした。その衝撃の中で、何かを失ったのかもしれない、と」
「衝撃を身体で受け止める......」と柚羽が静かに繰り返した。
「神が分かれるときの痛みです」と静馬は言った。「それを受ける者がいないと、痛みが川となって溢れる。水無瀬家はその痛みを引き受ける代わりに、血の中に記憶として刻まれた。頭痛と悪夢として」
直継の頭の中で、父の言葉が重なった。「神が分かれたときの、痛みの残りだ」。父が知っていたことと、静馬が今話していることが、同じものを指していた。
「その話の続きを聞きたいです」と直継は言った。
「今日はここまでにします」と静馬は言った。「ただ、明日また来てもらえますか。続きは明日話します」
これまでとは違う言い方だった。「また今度」ではなく「明日」。
三人は黙って作業を再開した。直継が書き付けを分類する。柚羽が帖を日付順に並べる。静馬が棚の整理をする。
しばらくして、直継の手が止まった。
段ボール箱の底から、折り畳まれた紙が出てきた。他の書き付けとは違う折り方だった。丁寧に、何度も折り畳まれている。直継が指先でそっと広げると、それは写真だった。
「写真がありました」
直継の声に、柚羽と静馬が顔を寄せる。
古びた白黒写真。横長の集合写真だった。制服を着た生徒たちが、今はもうない校舎の前に整列している。光の加減で随分とコントラストが強まっており、生徒たちの顔立ちは煤竹色の影の中にぼんやりと浮かび上がっていた。
写真の下部、白い余白の部分に、万年筆で書かれたのであろう文字があった。インクは長い年月を経て、深い焦茶に変色している。
柚羽は息を詰めて、その文字を追った。
そこには、達筆とはいえない、しかし迷いのない筆致でこう記されていた。
「一年・中組」
「中組」と柚羽が言った。「今はそんなクラスないですよね」
「ありません」と静馬は言った。
三人は写真を見た。生徒たちの顔は小さく、表情がはっきりしない。でも制服の縁取りが、白に金と白に青緑が混ざっているのがわかった。東と西が混じっている。
写真の右端が、切り取られていた。
ハサミで切ったらしく、切り口が直線だった。誰かが意図的に切り取った。切り取られた部分に何人かの生徒がいたはずで、その顔が消えている。
「いつの写真ですか」と直継は聞いた。
静馬は写真の裏を確認した。「五十年以上前のものだと思います。箱の年号と合っている」
「東西が混じったクラスが、昔はあったんですか」
「あったんでしょうね。いつなくなったかはわからない」
柚羽が写真の切り取られた端に指を近づけた。切り口のところで、少し止まった。
静馬の手が、同じ場所に向かっていた。
気づいて、二人の手が止まった。
切り取られた輪郭に、静馬の指先が触れた。
「誰がいたんでしょうね」と柚羽は言った。
静馬は答えなかった。でも、指先を離さなかった。




