表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
御岳信仰伝 ー分かつ御柱の行方ー  作者: ちとせ鶫
第1章 朝光の家

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/33

第10話 同じ夢

夢というのは、ときどき現実よりも輪郭がはっきりしている。

霧の中の木、水の止まった川、呼ばれる名前。

それが何を示すのかはまだわからないけれど、

朝光祭の前には、こうした“揺らぎ”が静かに寄ってくる。

今日は、その揺らぎが三人のあいだに落ちる話。

> ——東御岳 朝光祭 神楽歌 抄(原本焼失、写本のみ現存。一部判読不能)

>

> 朝日さす尾根に剣を捧げよ、

> 光を呼べよ、記憶を照らせよ。

> ……(判読不能)……

> 二本の木の影、ひとつになる朝、

> 神は目覚め、川は——

> ……(以下欠落)


     * * *


 直継が夢を見たのは、朝光祭の四日前の夜だった。


 霧の中にいた。


 場所はわからない。

 足元に水の感触がある。

 川の中、かもしれない。浅い。

 膝下あたりまで水がある。

 水は流れていない。

 完全に静止している。

 霧が厚くて、五歩先が見えない。


 正面に木があった。


 大きい木だった。

 幹の太さは、両手を広げた直継が三人並んでもまだ余るくらいある。

 樹皮は古く、縦に深い裂け目が走っている。

 枝は霧の中に消えていて、どこまで広がっているのかわからない。

 根が水の中から出て、四方八方にうねっている。


 誰かが名前を呼んでいた。


 声の方向がわからない。

 霧の中から来ているのか、木の中から来ているのか。

 直継の名前を呼んでいる。

 「なおつぐ」と。

 声はひとつではなかった。

 何重にも重なっているような、

 一つが分かれているような、

 奇妙な響きだった。


 近づこうとした。


 足が動かなかった。

 水の中で根に捕まれているのではなく、ただ動かない。

 体に力が入らない。

 声だけが続く。


 そこで目が覚めた。


 部屋が暗かった。

 窓から入ってくる光が、まだ夜明け前の色をしていた。

 川の音が聞こえた。

 いつもの川の音だった。

 窓を開けると、夜の空気が入ってきた。


 夢の中の木が、まだ目の裏にあった。


 祭りの本番が四日後に迫っているからかもしれない。

 あるいは由緒書の欠落のことが、

 稽古中の剣先のことが、

 頭の中で混ざって夢になったのかもしれない。


 翌朝、稽古を終えて学校に向かった。

 橋を渡るとき、夢の中の水の感触を思い出した。

 足元の橋板が、夢の川底と少し重なった。


 部室に行くと、珍しく柚羽が先にいた。


 直継が入ると、柚羽が顔を上げた。

 何か言おうとして、止まった。


「......どうしましたか」と直継は聞いた。

「いえ」と柚羽は言った。「なんでもないです」


 静馬がいつもの位置にいた。

 二人の様子を見ていた。

 何も言わない。


 直継は棚から昨日の巻物を取り出して作業台に置いた。

 柚羽も資料を広げていた。

 しばらく、三人がそれぞれに作業する時間が続いた。


「夢を、見ましたか」


 柚羽の声だった。

 直継は顔を上げた。

 柚羽は資料を見たまま言った。

 直継に向けているのか、独り言なのか、わからない言い方だった。


「霧の中に、木があって」と柚羽は続けた。

「川の中に立っていた。水が止まっていた」


 直継は答えなかった。

 一秒、二秒。


「川の真ん中に、誰かが立っていました」と柚羽は言った。


 声が少し、静かになっていた。


「影だったか、人だったか......でも、こちらを見ていたと思います」

「同じ夢です」と直継は言った。


 柚羽がやっと顔を上げた。直継を見た。


「どこまで同じか、確かめないとわかりませんが」と直継は続けた。

「霧の中に大木があって、水が止まっていて、声がした」


 柚羽の表情が変わった。「声が」


「はい」

「誰の声でしたか?」

「わかりません。名前を呼んでいましたが」


 柚羽は少し考えて、「私もです」と言った。

「声が聞こえました。でも、名前だったかどうかは……目が覚めてしまって」


 二人は黙った。


 静馬が、作業台から顔を上げずに言った。

「川の中に立っていた人影は、三人でしたか」


 直継は思い出した。

 霧の中に立っていた影のことを。「一人だったと思います」


「私も」と柚羽が言った。「一人でした」


「それは同じ人だったかもしれない」と静馬は言った。

「あるいは、別々の一人だったかもしれない」


「どういう意味ですか」と直継は聞いた。


 静馬は答えなかった。

 代わりに作業台の地図を指さした。

 三本の大木が描いてある地図。

 川の真ん中にある「禁足地」の印。


「川底に沈んでいる木の跡地と、夢の中の木が同じかどうかは、今はわかりません」 と静馬は言った。「ただ、二人が同じ夢を見たことは事実です」


 直継と柚羽はもう一度顔を見合わせた。

 何を話すべきかわからなかった。

 ぎこちない沈黙がある。


 東と西の子が同じ夢を見た、という事実がそこにある。


「朝光祭は四日後です」と直継は言った。

「影送り祭はその翌週です」と柚羽が答えた。


 二人の祭りの間の時間。

 その間に、何かが起きるかもしれない。

 あるいは何も起きないかもしれない。


 でも今朝から、直継の中で何かが動き出した感じがある。

 川が止まった橋の朝と、

 由緒書の欠落と、

 剣先が川に向かう感覚と、

 夢の中の木が、

 ひとつの場所に引き寄せられていくような感じ。


 静馬は何も言わなかった。

 でも直継には、静馬が何かを待っていることがわかった気がした。

 この展開を待っていた、というか、

 この展開を知っていた、というか。


 確かめたかったが、聞かなかった。

 今はまだ早い、という気がした。

同じ夢を見るというのは、

理由よりも先に“事実”が心に残る。

霧の中の木も、止まった水も、呼ばれた声も、

まだ説明にはならないけれど、

説明にならないものほど、

静かに物語の底でつながり始めることがある。

直継と柚羽と静馬のあいだに落ちたその気配が、

どこへ向かうのかを見ていきたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ