モブは主役になれますか? ⑲
まだ火照りの残る肌を重ね、何度も唇をあわせる。驚くほど満たされた気持ちで彼からのキスを受け止め、椎からもキスをする。
――本日から配属になりました、森部です。よろしくお願いします。
――一星です。これからよろしくお願いします。
突然、彼と出会ったときのことが脳裏に蘇った。なんの変哲もないただの挨拶のときから、もしかしたら椎は主役への道を歩きはじめていたのかもしれない。
自分で自分をモブにしていたのかな、とも思う。呪いのように、自分自身で繰り返し考えた言葉がしみついていたということもありそうだ。
「なに考えてる?」
隣に横になった潤理が椎の頬を撫でるので、正直に話す。
「潤理さんとはじめて会ったときのことが、急に頭に浮かんだんです」
「緊張してる椎に俺がひと目で惹かれた、あのときか」
潤理が足を絡めてきて、椎もつま先で彼のすねを軽くつつく。楽しそうに口もとを緩めた潤理は、仕返し、と椎の足をつま先でつついた。
「そんなに前から俺を気にしてくれていたんですか?」
頷いた潤理がもう一度椎の頬を撫でた。
「そう。仕事ぶりを見てもっと惹かれて、あっという間に好きになったな。馬鹿みたいに真面目で、飾らないのに輝いて見える椎が眩しかった」
おかしくなって噴き出してしまった。潤理が片眉をあげるけれど、やはりおかしい。
「俺はモブ顔モブ思考ですよ」
大多数に埋もれてしまうような、秀でたものがなにひとつない存在だ。そんな平凡な男を「眩しい」なんて、言いすぎだ。
「資料を作ってもらうとその人の性格が少しわかるんだけど、椎の作るものはぱっとしなくても優しい。目に留めやすくて、見る側を気遣っているのがわかる」
「ぱっとしないって言ったじゃないですか」
「言い方を変えてみた」
「なんですか、それ」
そんなに深く考えて資料を作ったことはない。偶然の産物だ。
褒められることが申し訳なくてそう告げると、潤理は首を横に振って微笑んだ。
「そういうのをなんて言うか知ってるか?」
「なんですか?」
「才能だ」
「……才能……」
椎にそんなものがあったとは。
やはり潤理はすごい。椎のそんな部分さえ見抜き、きちんと評価してくれていた。自分でも気がつかないようなところを、見ていてくれた。
才能――どこか落ちつかない響きだ。そんな華々しい言葉は椎にはもったいない。
潤理はその考えを読んだようで、椎の頬を軽くつねった。頬をつまんだままふにふにと動かされる。
「やめてください」
「可愛いよ」
「嘘です」
意地悪は変わらないようだ。
「椎は自然に俺に力をくれるんだ。ちょっと喉の調子が悪いとのど飴をくれたり、毎日必ず挨拶してくれたり。そういう真面目さは椎を輝かせてるよ」
「のど飴……」
たしかに彼の声がかすれているときにのど飴を渡したことがある。毎日挨拶するのは当然だと思うが、違うのだろうか。
「毎日椎が声をかけてくれると、今日も頑張ろうって気持ちになれる」
「声をかけるだけで?」
「小さなことだよな。でもそれってすごく大事なことだ。適当な挨拶しかしない人もいる中で、椎はいつも丁寧に『おはようございます』と言ってくれる。気持ちが引き締まるよ」
挨拶までそんなふうに評価されているとは思わなかったので驚きが隠せない。
潤理は気がついているだろうか。そういう小さなことをきちんと見ていることこそ、もっとすごいのだと。
「椎の優しさは派手じゃないけど、たしかにそこにある」
「派手じゃないあたり、さすがモブですね」
自分のことながら感心する。
「椎は今もモブ?」
潤理が椎の顔を覗き込んで悪戯っぽく微笑む。なにかを含むような問いかけが、椎になにを言わせたいのかはわかる。恥ずかしいけれど、彼が与えてくれたものをしっかり受け取って口を開いた。
「今は、潤理さんだけの主役です」
「違うな」
「え?」
首を横に振った潤理は、親指の腹で椎の唇を押してつまんだ。
「誰でも自分の人生の主役なんだ。椎はずっとモブなんかじゃなかったんだよ」
「潤理さ……、んっ」
甘いキスに瞼をおろし、吐息まで呑み込むような動きに翻弄される。
ずっとモブなんかじゃなかった――その言葉がすとんと心にはまった。椎が一番ほしい言葉をくれる潤理は、やはり最高の主役だ。たくさんの主役の中でひと際輝く、ひとつだけの星。




