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モブは主役になれますか? ⑱

 穏やかに季節がすぎ、暑さで参りそうな夏になる頃、潤理から「お盆休みはうちに泊まりにこないか」と誘われてすぐにオーケーした。潤理と一緒にいられるなんて、最高の休みになる。

 もしかしなくてもそういうことが起こるのだろうか、と期待に胸を弾ませ、緊張しながら下着を買いにいったのは秘密だ。つきあいはじめて二か月、そろそろそうなってもおかしくない。

「最近の椎は社内恋愛に慣れてきたな」

「そうですか?」

「ああ、前は全部顔に出たのが嘘みたいに平然としてる」

 夕食後、隣りあってソファに座った潤理が柔らかく目を細めて椎を見つめる。恥ずかしくて頬が熱くなり、椎は軽く目を伏せた。褒められているのかわからないが、成長はできているようだ。

「潤理さんは最初からなんでもない顔をしてましたね」

「慣れだよ、慣れ」

「慣れ……」

 もしかして、あの元恋人とは社内恋愛だったのだろうかと頭に浮かび、もやもやが心に広がる。なんとなく距離を置こうとして座る位置を少しずらすと、肩を抱かれた。

「どうした?」

「元彼さんとは社内恋愛だったんですか?」

 潤理は新卒で入社してそのまま勤続していると聞いたから、学生時代にアルバイト先が同じだったとかはあるかもしれない。

 つい気持ちが低空飛行をはじめると、潤理はそれを見抜いたように椎の頬を両手で包んだ。

「嫉妬してるか?」

「……してます」

 嫉妬をするなんて以前の椎には考えられなかったけれど、たしかに自分は嫉妬している。それはきっと、潤理が与えてくれた彼の恋人としての自覚がそうさせているのだろう。椎自身も嬉しくてくすぐったい感情だ。

「椎」

 潤理の顔が近づいてきて、慌ててよけたら彼はくつくつと喉の奥で笑う。

「機嫌直せ」

「ちゃんと話してくれたら直します」

 頬や額にキスを降らせながら潤理の指が椎の背中を撫で、さわりと肌が甘く騒ぐ感覚に顔が熱くなった。

 話してくれるまで唇へキスをさせない、とよけ続けていると潤理はついに耐えられないと言うようにふっと噴き出した。

「笑わないでください」

 むう、とむくれて見せたら、潤理の端整な顔が満面の笑みに変わった。

「可愛すぎるだろ」

「可愛くないです」

 肩を揺らす潤理を恨めしい思いで見つめるが、そんな視線など受け流した彼は椎の頬を包んだまま額をあわせた。

「モブって言わなくなったな」

「え?」

「前だったらこういうとき、『自分はモブだから可愛くない』みたいな言い方しただろ?」

「あ……」

 そのとおりだと自分で驚く。最近の椎は潤理の恋人としての自覚が膨らんだ分だけ、モブらしさがなくなってきている。見た目は変わらないけれど、気持ちが違う。

「それでいい。俺の主役は椎だけだ」

 唇を重ねようとするので両手でその口を覆ってまたよけたら、さすがに不満そうな顔をされた。

「元彼さんとのことを話してくれるまでお預けです」

「……」

「教えてください」

 絶対に引かない姿勢でいると、潤理はため息をついて椎の頭を撫でた。

「大学時代に同じカフェでバイトしてた」

「それで?」

「それだけ」

「職場で隠れていちゃいちゃしましたか?」

 椎の問いかけに、驚いたように目を見開いた潤理は逡巡してひとつ頷いた。今度は椎が不満になる番だった。

「俺も頑張ります」

「職場で隠れていちゃいちゃしてくれるのか?」

「します」

 また驚きの表情を見せた潤理だったが、今度は嬉しそうに破顔して椎を腕の中に閉じ込めた。あまりにぎゅうぎゅうときつく力を込めるので、降参、と相手のしっかりした腕を叩いた。

「早く言ってくれよ。それならもっと前に自分から白状してた」

「俺は負けません」

「可愛すぎるだろ」

 潤理の腕が緩み、顔を覗き込まれる。ゆっくりと潤理の顔が近づいてきて、そっと瞼をおろすと今度こそ唇が重なった。

「椎」

 唇が少し離れて、骨まで蕩けそうな低くかすれた声で呼ばれる。ぞくりと肌が甘く粟立った。

「いいか?」

「だめです」

「どうして?」

 優しく包み込むような瞳で問われ、椎は左下に視線を落とす。

「……シャワー浴びたいです」

 昼間にふたりで買いものに行ったときに汗をかいたので、そのままでは嫌だ。潤理の胸を手で押して距離を取る。

「わかった。お預けされとく」

「そうしてください」

「お先にどうぞ?」

 浴室までエスコートされそうになり、慌てて着替えを取ってきた。寝間着は潤理がTシャツとスウェットを貸してくれた。脱衣室で見たら下着に価格タグがついたままで、どれだけ自分の心が弾んで落ちついていなかったかがわかる。買ったときのどきどきをそのままバッグに詰め込んだのだ。震える指で、そっとタグをはずした。

 念入りに身体を洗い、ついに、と心臓が鼓動を速める。先ほどの甘い雰囲気を思い返しただけでも恥ずかしさにじたばたと暴れたくなるのに、これ以上だとどうなるのか。怖いような楽しみなような、不思議な心持ちだった。

「シャワーありがとうございます」

「ああ。じゃあ俺も入ってくる」

「はい」

 潤理が浴室に入るのを見送り、窓辺に行ってみた。緊張しすぎておかしくなりそうだが、空を見あげたら少し落ちついた。ベランダに出て濃紺の空にしばらく視線をやり、流れ星を見つけた。すうっと尾を引いて流れて消えた星に、願いごとをすればよかった、と残念に思っていたらまた星が流れる。夜空の星がいつも以上に多く明るく感じる。探すとまた空に尾を引いて星が滑った。次々現れる流れ星に夢中になる。こんな特別な夜に、これほどたくさんの流れ星を見られるなんてすごい。ベランダの手すりに手を置いて見える範囲の空にくまなく視線を走らせる。

 突然、背後から抱きしめられた。ボディソープの香りが鼻腔をくすぐり、どきりとした。

「椎?」

「潤理さん、流れ星がいっぱいです!」

 また緊張してきたが、それに負けない興奮で彼の手を揺らす。潤理は穏やかに表情を緩めて一緒に空を見あげてくれた。

「今日はたしか流星群が見られるらしいな。こんなとこでも見れるのか」

「あ。ほら、また!」

「ああ」

 願いごとをするのも忘れて、暗い空に輝く宝石が流れ落ちていくのを見つめる。

「椎」

「え……?」

 顎を持たれ、背後から覗き込むように潤理が唇を重ねてきた。椎は瞼をおろすのも忘れてそのキスを受け止める。彼に向き直り、そのうなじに手を添えて引き寄せると、口づけが深まった。

「そろそろいいか? 『待て』がきつい」

「えっと」

 どきどきと心臓が跳びはねる。流れ星に夢中になっていて、心の準備ができなかった。

「あの……」

「拒否するなら今のうちにしてくれ」

「え?」

 真剣な瞳が向けられる。

「椎が嫌がることはしたくないけど、途中で止まれる自信がない」

 だから、と椎の目尻にキスを落とす。

 そんなふうに言われたら嬉しさで胸がいっぱいになる。大事にされていることはわかっているつもりだったけれど、自分が思う以上に潤理は椎を好きなのかもしれない。

「大丈夫です」

 潤理の手を握り、その手のひらに頬ずりをする。

「潤理さんのものにしてください」

 椎もまっすぐ彼を見つめる。しばし無言で見つめあい、どちらからともなく唇を重ねた。

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