第四十三話 慈愛の名を持つ者
今回で、アザトースの問題が解決します。
盲目白痴、無知全能の大邪神アザトース。目は見えない。しかし、感じることはできる。見えているかのように感じ取ることができるのだ。だから、例え起伏のない本の文字であろうと、見るのではなく、感じることによって読める。
何が言いたいかというと、アザトースは現在読書の真っ最中だ。猛烈な速度で、ナイアルラトホテップが買ってきた山のような量の本を読み漁っている。
彼女がなぜ死にもの狂いになって読書をしているか。それは、先日の戦いに原因がある。彼女はもう少しでアデルという新しい人形を手に入れられるというところで、ゲイルの精神の中から弾き出されてしまった。怒りに身を焦がしたアザトースは、あの光を破ってアデルを己のものにする方法を編み出そうとしている。
「どうすればいい!?私の精神すら凌駕するあの光を、どうすれば破れる!?」
アザトースが直接出向けばそれで済む話なのだが、この宮殿は旧神達がアザトースを封印するために作り上げたもの。だから、彼女は誰かが連れ出しでもしない限り出られない。精神を出すというのならまた話は変わってくるのだが、精神だけだと本体よりも幾分か力が弱まってしまう。その弱まった精神を全力で解放しても、あの光には勝てなかった。何とか精神だけでゲイルとアンジェに勝てないものかと、必死で考えている。と、アザトースの頭の中に名案が浮かぶ。
「…そうだ。わざわざこっちから出向かなくても、向こうから来てもらえばいいんだ。」
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。アデルをこの宮殿に呼び寄せて、直接自分の人形にしてしまえばいい。例えアデルが無理だったとしても、アンジェを連れ去れば必ず追ってくる。早速その方法を考えようと、他の本を探すアザトース。と、
「…?」
アザトースは一冊の本を見つけた。目が見えないのに見つけたというのはおかしな話だが、とにかく見つけた。表紙には、クトゥルフ神話の全て、と書かれている。
「…」
なぜだかその本が妙に気になったアザトースは、パラパラとページをめくって速読していく。そしてそのページめくりは、ある項目を見た時に止まった。
項目には、アザトースと書いてある。
「私の…名前…」
アザトースはその項目を隅々まで熟読した。人間が解き明かしたアザトースの実態など、微々たるものだ。この本にもアザトースについて、詳しいことは書いてない。
だが、『アザトースは理知を持たず、最初から持っていなかったのか、何者かに奪われたのかは不明』という一文が読めれば、十分だった。
「私には…理知が…ない…」
とたんに、アザトースの頭の中にとある記憶が呼び覚まされる。
『あなたを、もう少し面白い方にしてあげましょう。』
それは遠い昔、ある男性と接触した時の記憶。
「…思い出した。私は…!!」
*
彗星ヤディス=ゴーにおける神官達との戦い。あれから数日経った。熾烈な戦いをクリアしたゲイル達は、理事長命令でしばしの休養をもらっている。その間、戦いの中で互いの愛を知ったゲイルとアンジェは交際を始めた。
「遅いなぁ…」
アンジェは今、ヘブンズエデンの校庭でゲイルを待っている。今日は元々二人がデートをする日だったのだが、急に予定が入ってしまった。何でもエルピスシステムの起動とこれまでの戦いからアデルの不完全さに気付いたエドガーが、ゲイルを再改造するのだという。この再改造が終われば、ゲイルはより純度の高いアザトースエナジーを使えるようになり、ミレイヌの次元操作にも対抗できるようになるのだという。
再改造自体は二時間程度で終わるらしいので、アンジェは時間を見計らって学園に来た。で、時間を確認してみたのだが、どうも難航しているようで二時間以上経っている。
「はあ…仕方ないのはわかってるけど、女の子を待たせるなんてデリカシーないなぁ…」
アンジェはため息を吐いた。そう、仕方ないのはわかっているのだ。地球の当面の安全は確保されたが、まだ最大の脅威であるヴァルハラとデザイアが滅んだわけではない。アインソフオウルモードという力を手に入れたとはいえ、ヴァルハラの盟主ミレイヌの全力は未知数だし、デザイアの首領ルーラーとは戦ったこともない。このままでは苦戦を強いられること間違いなしだ。少しでも、勝てる可能性を上げておかなければならない。
「まだかなぁ…」
だが、今はこの時間が待ち遠しかった。と、
「アンジェ!」
ゲイルの声だ。やっと再改造が終わったと思い、振り向くアンジェ。
だがその時だった。自分の真上に謎の気配が出現したのを感じたアンジェは、せっかくゲイルを見つけたのにそちらを向く。見ると、空に時空の穴が空き、そこから馬に似た頭と鱗を生やした巨大な鳥が、こちらに向かって飛んできていた。
鳥はゲイルとアンジェの間に割って入ると、アンジェの目を見つめる。アンジェはその鳥と、目を合わせてしまった。
(えっ…頭が…ぼーっとして…)
アンジェの頭を凄まじい眠気が襲い、アンジェはそれに耐えられなくなって倒れてしまった。鳥は倒れたアンジェをくわえると、自分の背中に乗せて、また飛んでいく。
「アンジェ!!」
ゲイルが変身する暇もなく、鳥はアンジェを背中に乗せたまま時空の穴をくぐり、穴は消えてしまった。
「何だこれは!?一体どうなっている!?」
とりあえず仲間達に連絡したゲイルは、自分が見たことをエドガーに報告しに行った。
*
「休暇の最中に悪いな。」
「いいってことよ!」
「それより、何が起きたのか詳しく教えて!」
ゲイルは狩谷達に謝り、空子は詳しい情報を求める。光輝、さだめ、皇魔、レスティーも来てくれたが、エリックは断ったので来ていない。
「もうちょっと待ってくれ。」
防犯ビデオを回収したエドガーは、例の時間帯の映像を全員に見せる。防犯ビデオは、うまくアンジェが鳥に連れ去られる場面を録画していた。
「な、何だこいつ!?」
「モンスター、なの?」
「でも、こんなモンスターなんて見たことないわ。」
驚く光輝とさだめ、そしてレスティー。エドガーはこの生物について、自分の予想を言う。
「これはシャンタク鳥じゃないかね?」
「シャンタク鳥だと?」
皇魔は眉を潜める。シャンタク鳥とはクトゥルフ神話に登場する神話生物で、ドリームランドに生息する怪鳥だ。言われてみれば、確かに外見がシャンタク鳥のものと一致している。
「ですが、なぜシャンタク鳥がここに?」
アーサーはエドガーに質問する。
「シャンタク鳥は時々、優れた才能を持つ芸術家をアザトースの宮殿に連れ去ることがある。彼女の場合芸術家ではないが、連れ去られる理由はあるんじゃないかね?」
「…アザトースか…!!」
「野郎…とうとう直接ゲイルに干渉してくるようになりやがった!!」
思い当たる節はある。先日のアインソフオウルモードの影響だ。精神を使っての介入が不可能と見たアザトースは、シャンタク鳥を使って直接介入する方法を選んだのだろう。アンジェを拐った理由は、ゲイルを自分の宮殿に誘い込むため。
「アンジェちゃんを助けなくちゃ!」
「だがどうする?どうやってアザトースの宮殿へ行くのだ?」
レスティーは焦るが、皇魔の言う通りこちらからアザトースの宮殿へ行く方法はない。だが、ゲイルだけがその方法を思い付いた。
「簡単だ。アザトースについて、一番精通しているやつを頼ればいい。」
*
「お待たせしました。」
ゲイルが考えた方法は、ナイアルラトホテップの力を借りるというものだった。ナイアルラトホテップはアザトースの従者だ。従って、アザトースの宮殿にも頻繁に出入りすることになる。彼女なら、アザトースの宮殿への道を開いてくれるはずだ。もっとも、応じてくれるかは不明だが。ゲイルは事情を全て説明し、エリックを呼び出した。
「すまない。お前しか頼れる相手がいないんだ」
「構いません。すぐナイアルラトホテップを呼び出しましょう」
「…なんかずいぶんあっさりオーケーしてくれたな…」
「シッ!」
不気味なまでにあっさり協力してくれたエリックに違和感を覚えながらも、空子はそれを不用意に口にした狩谷の口を塞いだ。
「…珍しいじゃないか。君達からボクを頼ってくるなんてさ」
間もなくしてエリックにナイアルラトホテップが憑依し、ゲイルは事情を説明した。
「あんたにアザトースの宮殿への道を開いて欲しい。もっとも、あんたにとって俺は危険人物だ。そう簡単に協力してくれるとは思っていないがな」
「いいよ。協力してあげる」
なんと、こちらも即答で協力してくれた。
「…いやに素直だな。何を考えている?」
「別に。こっちとしても、余計な異物にアザトースの宮殿を穢してもらいたくないからさ。用があるのは君だけだし」
ずいぶんな言い草である。ゲイルは少し怒りを感じながらも、ナイアルラトホテップの協力に感謝した。
「ただし、宮殿に入れるのは君だけだ。他の連中に勝手なことをしてもらっても困るし、第一ボクもアザトースも用があるのは君だけだから。あと、万が一を考えてボクも同行するよ。」
案の定、制約があった。確かに至極真っ当な理由なのだが、状況が状況なだけに非常に厳しい。しかし、ナイアルラトホテップ以外に頼れる相手がいないのも、また事実だ。
「…わかった。どこで合流する?」
「適当に宇宙に上がってくれよ。あとはこっちで見つけるから」
合流する時間と場所を簡単に決めて、ナイアルラトホテップは憑依を解除した。
「…何とか戦わずに済んだね。」
「こんな風に会話できる相手だと思ってなかったから、ちょっと意外だったよ。」
さだめと光輝は胸を撫で下ろし、話し合いが無事に終わったことを安堵する。
「しかし、ゲイル一人か…」
「ご丁寧に、ゲイルしか行けない合流地点まで指定してくるなんて…」
「狡猾だな…」
「一応あたしは宇宙に行けるけど、正直役に立てそうにないし…」
皇魔、レスティー、アーサー、空子は話し合う。
「みんな、ありがとう。だが、俺なら大丈夫だ。理事長に再改造してもらった俺の力を、早速使う時が来たようだ。」
ゲイルは自分のために案を出そうとしてくれている仲間達に感謝した。だが、これはゲイルだけという取り引き。アンジェはゲイルが救わなければならない。
「…つーか理事長、せっかくナイアルラトホテップが目の前に出てきたのに喜ばなかったな。」
「たまには空気を読まないとねぇ。」
狩谷とエドガーは別の話をしていた。
*
「…時間だ。アデル、起動!」
時間を確認したゲイルはアデルに変身する。
「必ずアンジェを連れて戻ってくる。安心して待っていてくれ」
アデルはそれだけ言うと、イタカウイングを展開して、真上に向かって飛んでいった。
「本当に大丈夫かしら?」
「今はゲイルと、アンジェちゃんを信じるしかねぇ。アインソフオウルモードになれさえすれば、大丈夫だ。」
心配する空子に、狩谷は大丈夫だと言った。
「…」
一応見送りに来たエリックだが、その目にはいつものような力強さはなく、狡猾な光もなく、ただ呆然とアデルが消えた空を見上げている。
(まだ気にしておるのか…)
皇魔はなぜエリックがこうなってしまったのか、大体の理由がわかっていた。彼がこうなったのは、アインソフオウルモード発現以降。つまり、アインソフオウルモードの圧倒的な強さを見てショックを受けたのだ。皇魔から見ても、あれにエリックが敵うとはどう考えても思えない。
(これでもうエリックがゲイルの命を狙うことは、なくなると思うけど…)
レスティーも皇魔と同じことを考えている。どう足掻いても勝てない実力の差を見せつけられてしまえば、諦めるしかないのだ。エリックとて、その辺りはわきまえている。あの姿は、諦めの証だ。これでもうゲイルが殺されるようなことはなくなったと言えるのだが、
(…ちょっと…)
(可哀想…かも…)
皇魔やレスティーと同じことを考えていた光輝とさだめは、少しエリックを哀れに思ったのだった。
数秒で大気圏を突破して宇宙に飛び出たアデル。待つこと数秒後、
「お待たせ。」
背後から声がかかった。
「…女…?」
アデルの背後にいたのは、眼鏡をかけた女性だった。だが、普通に考えてこんな所に女性が生身で浮いているはずはない。
「そういえば、生身で君と会うのは初めてだったね。改めまして、ナイアルラトホテップです。」
女性は自分がナイアルラトホテップであることを肯定した。
「…それがお前の正体か。」
「いや、この姿は都合がいいから使ってるだけだよ。人間をおちょくるには、人間の女の姿が一番いいんだ。」
「…そうか。」
「あれ?反応薄いね。この姿を見た人間は男女問わずみんな釘付けになったんだけど、君はこういうの好きじゃないのかな?」
ナイアルラトホテップはアデルに自分をアピールする。彼女の容姿についてだが、出る所は出てて引っ込んでる所は引っ込んでて、おまけに胸がかなり豊満だ。誰もが振り向くナイスバディー。
「能書きはいい。早くアザトースの宮殿に連れていってくれ」
だが、今のアデルにはアンジェのことしか頭にない。他の女性など、目に入らないのだ。それに、相手は普通の女性ではない。這い寄る混沌ナイアルラトホテップ。人間を破滅させることを至上の喜びとする邪神だ。その方法は多種多様で、ただ会話しているだけでも相手が狂うことがある。そんな彼女から身を守る一番の方法は、まともに取り合わないこと。相手にしないこと。本当は関わり合いにならないのが一番なのだが、この場合はそうも言っていられない。
「…わかったよ。」
ナイアルラトホテップも諦めたらしく、呪文を唱え始める。間もなくして、二人の目の前には巨大な門が現れた。石造りで、表面に様々な文字が刻まれている、正真正銘の門だ。
「この宇宙とアザトースの宮殿を繋ぐ門だ。呪文さえ知っていればどこだろうと自由に呼び出せるし、壊されたところで再生するような安易なものなんだけど、逆に言うとこの門を使う以外の方法では、絶対にアザトースの宮殿には出入りできない。」
「つまり、アンジェの能力でも脱出できないということか。」
「あとは宮殿を壊せば出られるけど、それは無理だね。宮殿は元々アザトースを封印するために作られたものだから、アザトースにも壊せない。アザトースより力の劣る君達には、絶対に無理だよ。」
ナイアルラトホテップは説明しながら、また呪文を唱える。それに反応するかのように、門が開いた。奥には宇宙よりもさらに黒く、深い闇が広がっている。
「アザトースの宮殿の中は正常な物理法則が働かない。だからボクにしっかりついてこないと、目的の場所にはたどり着けないよ。」
「わかった。」
二人は門をくぐり、アザトースの宮殿の中へと入る。同時に門は閉じて消滅し、宇宙と宮殿を繋ぐ道はなくなってしまった。
*
「…んっ…」
アンジェは、フルートの音色を聴いて目を覚ました。美しいが、どこかおぞましさを感じさせる不気味な音色。自分が台座のようなものの上で寝かされていると把握したアンジェは、目をこすりながら何が起きたのかを思い出す。
「そうだ。私は、あのモンスターの目を見て…」
それから、フルートの音色がどこから聴こえてくるかもわかった。アンジェの周りだ。彼女の周囲に、多数の怪物がいて、身体を蠢かせている。怪物達はフルートなど持っていない。その怪物達の身体そのものから、フルートの音色が聴こえてくるのだ。さらによく見てみると、その怪物達に混じって、何人もの人間が見える。その人間達は誰も彼も死人のような青ざめた顔をし、虚ろな目で空中を見ながら、様々な楽器を手に取って演奏している。フルートの音色が強調されていたのは、怪物達の方が力強く、上手い演奏をしていたからだ。
「これって…」
怪物達を見たことはないが、アンジェはエドガーから聞いて知っている。この怪物達は外なる神の従者、トゥールスチャだ。アザトースは白痴の神であるため、ちょっとしたことですぐ暴走する。また力も恐ろしく強いので、暴走すれば宇宙など容易く消し飛ばせる。そうならないように音楽を聴かせてなだめているのが、トゥールスチャだ。アザトースを落ち着かせるため。ただそれだけのために存在している神。それと、あとは人間だけしかいないように見えるが、実はもう一種類、外なる神の従者がいる。トルネンブラ。実体を持たない音だけの神で、音だけだから姿は見えない。このトルネンブラは、人間に憑依するタイプの神だ。トルネンブラに憑依された人間は、例え音楽の心得を持たない者でも、一流の音楽家のように楽器が弾けるようになる。だがその代償として発狂し、死亡した後はアザトースの宮殿に連れていかれてしまう。その後はアザトースの宮殿に幽閉され、二度と解放されることなく、トゥールスチャと一緒に永遠にアザトースを楽しませ続けるのだ。また、トルネンブラは優れた才能や技術を持つ者に憑依する習性があり、今アンジェが見ている人間達は皆、その被害に遭った犠牲者達なのである。トゥールスチャと一緒に演奏しているのが、何よりの証拠だ。そして、その人間と神の混合楽団は、アザトースの楽団と呼ばれている。
「じゃあここは…」
アザトースの楽団がいるのだから、間違いはない。ここは、アザトースの宮殿。アンジェはアザトースに捕まったのだ。
(逃げなきゃ!!)
そう思って立ち上がったが、立ちくらみがしてまた倒れてしまう。
「まだ立たない方がいいよ。あなたは強力な催眠魔術で寝てたんだから」
アンジェの声から聞こえた声。恐る恐る振り返ってみる。
そこにいたのは、闇の塊。闇はやがて小さくなり、アデルの姿となった。だが、これはアデルではない。アデルの姿をした、アザトースだ。
「この姿なら落ち着くでしょう?」
淡々と問いかけるアザトース。
「いや…嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
落ち着くわけがない。アンジェはたちまち大パニックになり、覚醒すると、動かない身体を無理矢理動かし、一目散に逃げ出した。初めて肉体で向き合ったアザトースは、ゲイルの精神空間で会った時とは比べものにならないほどの力を持っていた。リアルと精神内ではこんなにも違うのか、勝てるわけがないと思ったのだ。
(ゲイル!!助けて!!ゲイル!!)
心で必死に呼び掛けながら、アンジェはゲイルを求めて飛ぶ。捜している相手は、すぐ近くにいることを知らないまま。
*
アデルとナイアルラトホテップは、アンジェを捜してアザトースの宮殿を歩き回っていた。さすが宮殿というだけあって、そこかしこに宮殿っぽい柱や壁があるのだが、気が付けば壁を歩いていたり、上下逆さまになって歩いていたり、本当に物理法則がおかしい場所なようだ。
「お前達はよくこんな所で生活ができるな。」
「慣れたからねぇ。えーっと、住めば何とか…」
「…住めば都、か?」
「そうそう。地球人って面白い言葉作ったよねぇ」
アデルは皮肉混じりに言ってみたが、ナイアルラトホテップは特に何も感じていないようだ。
「さてと…」
と、ナイアルラトホテップは突然歩みを止めた。
「どうした?アンジェの姿はどこにも見えないが…」
「ボクはここに来た時からあの子の存在を感じている。どこかにはいるかもね」
「俺はアンジェを連れ戻しに来たんだ。どこかじゃ困る。会わせてくれ」
「…まだ気付かないのかい?ボクが君をここに連れてきた本当の理由。」
いきなり意味がわからないことを言うナイアルラトホテップ。次の瞬間、
「ぐあっ!!」
アデルはナイアルラトホテップに殴り飛ばされ、近くの柱に叩きつけられた。柱はその衝撃で折れてしまう。
「な、何をする!?」
「ボクは君を確実に始末するために、ここに連れてきたんだ。既に門は閉ざされた。もう君はここから出られないんだよ!」
再び殴りかかってくるナイアルラトホテップ。アデルはそれを間一髪でかわす。
「騙したのか!?」
「そうだよ。このナイアルラトホテップが、君の願いをまともに聞くとでも思っていたのかい?言っておくけど門を呼び出す呪文を唱えようとしても無駄だよ!人間には発音できない呪文だからさ!」
やはり罠だった。ナイアルラトホテップの言う通り、ここから逃げるのは無理だ。しかし、アデルは元々逃げるためにここに来たのではない。
(アンジェを見つけさえすれば…!!)
そう。アンジェを連れ戻しに来たのだ。アインソフオウルモードにさえなれれば、勝てるかもしれない。
「くっ!!」
逃げも兵法の一手。というより、ナイアルラトホテップとまともに戦っても勝ち目などない。戦うのは、アインソフオウルモードになってから。アデルはナイアルラトホテップに背を向け、イタカウイングを展開して逃げ出した。これは、勝つための逃げだ。アインソフオウルモードになったら、すぐにでもナイアルラトホテップと戦う。いや、アザトースも倒す。いずれは決着をつけなければならなかった問題。それにようやく決着をつける時が来たのだ。
「んふふ。」
しかし、逃げた先にナイアルラトホテップが瞬間移動し、アデルを殴り飛ばした。
「ごぁっ!!」
「君が何を考えているかわかっているよ。あの子と合流して、あの光を使うつもりなんだろう?」
見破られていた。イマシュ=モとの決戦で使われた、アインソフオウルモード。ナイアルラトホテップも、当然近くであれを見ていたのだ。
「ボクがあれの危険性に気付かないとでも思っていたのかい?あの光は使わせない。君はあの子に、もう二度と会えない。次に会う時は死後。ボクが君達二人の肉体を滅ぼして、残った魂はアザトースの慰みものにしてあげるよ!」
「ふざけるな!俺達はお前達の遊び道具なんかじゃない!!」
言いながらダゴンとヒュドラを呼び出したアデルは、ルルイエセメタリーを発射する。ナイアルラトホテップは防御など行わずまともに喰らった。しかし、この程度で倒せるような相手では断じてない。あくまでも、時間稼ぎのための攻撃だ。立ち込める煙が、ナイアルラトホテップの視界を塞いでいる。今だとばかりに、アデルは再び逃げ出した。
「おかしい。何で君は普通に飛べるんだい?」
やはり無傷だったナイアルラトホテップ。だが、彼女の関心は別にあった。普通このアザトースの宮殿の中で飛ぼうとすれば、まっすぐ飛んでいるはずなのに急に曲がったり壁にぶつかったり、墜落したりしてとてもまともには飛べない。まともな移動ができるのは、アザトースやナイアルラトホテップのような、世界の法則に縛られない神のみ。先ほどはアデルに合わせて、わざわざ面倒な移動法をしていただけなのだ。しかし、どういうわけかアデルはそんな空間の中でも普通に、いやかなり高速で飛んでいる。
理由は、直前にアデルが受けた再改造にあった。
今までの戦闘やアインソフオウルモードの発動などから新たなデータを得たエドガーは、アデルの不完全な部分を埋める方法を思い付いた。その不完全な部分とは、アザトースの思念エネルギーを使ってパワーアップしているにも関わらず、物理法則の制限を受けてしまうことだ。アデルはアザトースの精神を入れる器。すなわち、アザトースに限りなく近い存在。アザトースは物理法則に縛られないのに、アデルが縛られるのはおかしい。その点はアインソフオウルモードになれれば改善できるのだが、アインソフオウルモード最大の弱点はゲイルが心に決めた相手、すなわちアンジェがいなければなれないこと。何らかの理由でゲイルがアンジェと引き離されてしまった場合、アンジェと合流するまでの間はアデル単体で戦わなければならない。もしミレイヌのような相手と戦った場合、今のアデルなら即死だ。エドガーはこれを改善する方法を、アインソフオウルモードを実際に見ることによって考案した。アインソフオウルモードは、いわば神という存在にさらに近付いた状態。つまり、アデルをもっと神に近付ければいい。そのための方法として、エドガーはアザトースエナジーの純度と濃度を高めるというものを選んだ。アデルは三十倍以上に純度と濃度を高めたアザトースエナジーを使用することによって、能力や装甲の堅牢さが六倍以上に向上。空間支配や時間操作なども受け付けなくなった。だから、今のアデルはアザトースの宮殿の中でも普通に飛べるのだ。無論能力の調節は今まで通り自由自在で、日常生活に支障をきたしたりすることはない。
「まあいいや。何をしようと…」
当然こんなことは知らないナイアルラトホテップだが、彼女にとってはさほど問題ではない。
「無駄なものは無駄さ!!」
「ぐあっ!!」
瞬間移動を駆使して、逃がさないようになぶり殺す。
「情けないねぇ。女の子一人からも逃げられないなんてさ」
「何が女だ!大体、お前は直接相手と戦うようなタイプじゃないだろう!正面からねじ伏せられる相手でも、間接的に殺すタイプだと聞いているぞ!」
「確かにそうだけど、いくら好きなこととはいえ何千兆回もやったら飽きるよ。だからイメチェンすることにしたんだ。積極的なナイアルラトホテップは嫌いですか?」
「大嫌いだ!!」
再度ダゴンとヒュドラの引き金を引くアデル。今度はルルイエセメタリーではなく、四発の実弾が発射された。
「エネルギー弾だろうと実弾だろうと、ボクの命には届かないよ。」
だが、最後の悪あがきというものは嫌いではない。それが通じないとわかれば、相手は深く絶望する。その絶望こそ、ナイアルラトホテップが何よりも好むものなのだ。だから、よけない。正面から受けて、自分には何も効かないということを見せつける。
そうタカをくくっていたから、気付けなかった。
弾丸の表面に刻まれた、無数の小さな文に。
ダゴンとヒュドラから放たれた四発の実弾は、ナイアルラトホテップの両肩と両膝の関節を撃ち抜いた。
「なっ!?」
ダゴンとヒュドラはただの拳銃ではない。一体撃破するのにマシンガン以上の武器が必要になるヘルポーンを一発で破壊し、ボーグソルジャーにもダメージを与える。実弾だろうとエネルギー弾だろうと、凄まじい破壊力を持つ強力な兵器だ。しかし、本来ならこれほどの武器を使っても、ナイアルラトホテップには傷一つ付けられない。必殺技のルルイエセメタリーを使ってもダメージを与えられなかったのが、それを証明している。必殺技でさえ通じなかったのに、ただの実弾がなぜナイアルラトホテップに効いたのか。それは、ただの実弾ではなかったからだ。ナイアルラトホテップは自分の右横腹から新たな腕を一本生やし、右膝の銃創に手を突っ込んで弾を引き抜いた。
「これは…対神弾!!」
弾には魔術式が刻み込まれている。それはまさしく、対神弾のものだった。わかった瞬間に、力が抜けてくる。
「シュリュズベリィ教授に感謝しないとな。」
ガタノトーアとの戦いが終わった後、シュリュズベリィが南樹に託していた気休め程度のプレゼント。それは神にダメージを与え、力を奪う特殊弾頭、対神弾の製作方法が記載された紙だった。ダゴンとヒュドラはアデルがイメージした弾をアザトースエナジーから0,0000001秒で自動精製して発射する。だが、対神弾のような特殊すぎる弾頭を精製するには、あらかじめアデル自身が作り方を記憶しておく必要がある。アデルは南樹から渡された対神弾の設計内容を頭の中に叩き込み、精製できるようになったのだ。しかし、ナイアルラトホテップほどの上級神が相手となると、対神弾は弱体化させる程度のものにしかならない。弱らせている間にもっと強力な攻撃で倒せればベストなのだが、今のアデルにそこまでの攻撃はできない。だから、
「弱っている間に逃げさせてもらう!!」
アデルはナイアルラトホテップが新たに生やした腕、それから他ダメージを与えた手足にももう数発撃ち込んでから、また逃げ出した。
「…何の策も用意せずアザトースの宮殿に飛び込むほど、頭の悪いやつじゃないってことか…」
対神弾で受けたダメージは少しだけ治りが遅い。そして、ナイアルラトホテップは対神弾で四肢の関節を破壊された。回復するまで動けない。もう回復は始まっているが、完全回復まではあと二~三分かかるだろう。普通なら。
「そう、普通なら、ね。」
次の瞬間、ナイアルラトホテップの手足が、根元から勝手にちぎれた。否、彼女が自分の意思で、対神弾に撃たれた箇所を切り離したのだ。こうすることで、対神弾が自分に対して向けている弱体化の効果は消える。一瞬で元の姿へと戻ったナイアルラトホテップは、再び瞬間移動でアデルの正面に移動し、顔面を蹴り飛ばした。
「がっ!!」
「目のつけどころは悪くなかったよ。頭を狙わず手足を狙うって選択肢も、効果的だった。そんなことしてもボクは死なないし、もし頭を撃ち抜いていたらボクは完全にブチキレていたところさ。」
弱点を突いても殺せない、ゾンビや吸血鬼が可愛く見えるほどの不死性。これが、神。
「遊びは終わりだ。これ以上うろちょろされる前に、殺すとするよ。」
右手に魔力を込めるナイアルラトホテップ。アデルは心の中で叫んだ。
(アンジェ!!!)
*
アンジェは何度もこの空間から逃げようと試みていた。だが、いくら次元移動をしようとしても、出られない。ここから逃げられない。
「どうしたらいいの…?」
万策尽きて、途方に暮れていたアンジェ。その時、
(アンジェ!!!)
頭の中に、ゲイルの声が聞こえた。
「ゲイル?ここに…いるの…?」
パニックになっていて気付かなかった。アンジェは意識を研ぎ澄まし、ゲイルの存在を感じ取ろうとする。
「…いた!結構遠いけど、ゲイルはここにいる!」
だが、その近くに強い力を持つ者の気配も感じる。どうやらゲイルは戦っているようだ。
「…次元移動ができなくても、瞬間移動ならできるはず!」
アンジェは力を解放し、瞬間移動を使った。
移動した先でアンジェが見つけたのは、アデルに向かって光線を放とうとしている女性。
「ゲイル!!」
アンジェは再度瞬間移動してアデルを抱き締めると、もう一度瞬間移動して光線をかわした。
「アンジェ!!」
「ゲイル!!」
互いに抱き合う二人。
「ちっ…会わせたか…」
女性は舌打ちする。
「ゲイル。あの人は?」
「ナイアルラトホテップだ。俺達を殺すつもりでいる」
「あれが…!!」
アンジェは女性がナイアルラトホテップであると認識した。
「揃った以上は仕方ない。二人まとめて叩き潰してあげるよ」
軽く髪を撫でるナイアルラトホテップ。
「やるぞ、アンジェ!」
「うん!」
時は来た。二人は互いの手を握り、唱える。
「「エルピスシステム起動!!コード・アインソフオウル!!!」」
唱えた瞬間、二人は強い光に包まれて見えなくなり、光が収まった時、アンジェの姿は消えて、アデルだけになっていた。アデル アインソフオウルモードに。
「生で感じるとやっぱり違うね。その力がボク達にとって危険だってことが、改めてよくわかったよ。だから、ボクも全力を出す。」
ナイアルラトホテップは、常に三百層もの能力抑制術式を自分にかけている。通常それを全解放して戦うことなど滅多にないのだが、ナイアルラトホテップはアインソフオウルモードの力を明確に危険だと判断した。だから、全力を出す。
「能力抑制術式、全層解除。」
ナイアルラトホテップの全身から力が、威圧感が吹き出す。彼女が本気だということを、アデルとアンジェも感じていた。だが、不思議と恐怖は感じない。
「確かに凄まじい。だが、どうしようもないとまでは思えないな。」
『絶対勝てる!私達なら勝てるよ!』
二人の心に満ちる愛が恐怖を凌駕し、必ず勝てるという確信をもたらしていたのだ。一方ナイアルラトホテップは、その光景が不快でならない。自分の全力を感じて怯みもしない。こんな人間は、二百年前に戦ったあの剣士以来だ。
「…その減らず口を今すぐ叩けなくしてやる!!」
ナイアルラトホテップはアデルに殴りかかった。アデルもアクセラレーションパンチを繰り出す。互いの拳の激突は、恒星が百は消し飛ぶほどのエネルギーを発生させた。
「まだまだ!!」
『やれる!!』
愛によって高まるアデルの力。ナイアルラトホテップは自分の周囲に無数の魔力弾を発生させ、放つ。
「『シャイニングフェザーストーム!!!』」
迎え討つアデル。魔力弾は全て撃ち落とされ、アデルにはダメージはない。
「こういうのはどうかな?」
ナイアルラトホテップの手の中に、アデルそっくりの人形が出現する。
『まずい!!』
アンジェが言った瞬間、ナイアルラトホテップは人形を握り潰した。人気はひしゃげ、同時に、ナイアルラトホテップの身体もひしゃげる。まるで握り潰されたかのように。
「ほう、因果改変もできるのか。」
ひしゃげて変形した顔でナイアルラトホテップが言う。本当なら、ひしゃげるのはアデルのはずだった。相手そっくりの人形を作り、人形に危害を加えることによって相手にもダメージを与える人形呪術。防ぎようのない攻撃だが、呪いの対象をそらすことで回避することはできる。アンジェがやったのは、呪いの対象をナイアルラトホテップに変更するという、因果改変。しかし、エンゼリオンでもそんなことはできない。これができたのは、アデルと一つになり、アインソフオウルモードを発動したからだ。アインソフオウルモード発動に強化されるのは、アデルの力だけではない。一緒に融合している者の力もまた、数百倍~無限に強化されるのだ。加えて、アデルは再改造を受けている。ベースとなるアデルが強化されたことにより、アンジェの能力も拡張され、一定領域における空間支配や、因果改変が新たに使えるようになったのだ。
「余計な力を付けなければ一思いに死ねたのに…今のでボクの怒りを本格的に買ってしまったぞ…!!」
ナイアルラトホテップは握り潰された状態から、巨大な棘付き鉄球に変身。超高速で回転しながら向かってきた。
「ふん…」
アデルはあるものを出して、自分が串刺しにされる前にそれでナイアルラトホテップを斬りつける。
「ぐあああああああああああ!!!」
燃えるそれに斬られたナイアルラトホテップは変身を解除じ、そこら中を転げ回った。
「バルザイの偃月刀だ。こいつは効くだろう?」
アデルが出したのはバルザイの偃月刀。クトゥグアの炎を宿したバルザイの偃月刀で、ナイアルラトホテップを斬ったのだ。
「よくも…よくもボクにクトゥグアの炎を!!」
「まだ終わらないぞ。イグニスドライブ!!」
アデルはイグニスドライブを発動した。アインソフオウルモードとイグニスドライブは独立した強化システムなので、イグニスドライブは使えるのだ。弱点であるバルザイの偃月刀を使って、加速しながら連続攻撃を仕掛ける。
「き、貴様ら…!!」
まだ死なないナイアルラトホテップだが、ダメージは大きいらしく再生が追い付いていない。
「お前は全力で戦うと宣言していながら、全力で戦えていない。」
『それは、この戦いが周囲に影響を与えないよう、あなたが因果律を操作しているから!周りを気にしすぎて、戦いに集中できていないから!』
「ぐっ…!!」
本当は、まだナイアルラトホテップの方がアデルより強い。しかし、アデルの方がナイアルラトホテップを圧倒している。その理由は、ナイアルラトホテップが周囲の空間の維持に力の大半を割いているからだ。確かに、アデルの力でも宮殿の破壊は不可能だ。しかし、この宮殿にはアザトースがいる。自分の主人に影響を与えられることを恐れたナイアルラトホテップは、絶対にアザトースに危害が加わらないよう因果律を操作しているのだ。
「遠慮なく利用させてもらうぞ!」
アデルはバルザイの偃月刀をナイアルラトホテップに向けると、エルダーサインブーストを発動した。だが、現れた旧き印は一つだけではない。二十だ。二十もの旧き印が展開されている。
「旧き印がこんなに!?」
『私一人の力じゃ一つ作るのが限界だったけど、今ならたくさん作れるよ!!』
「決着をつけるぞ。ナイアルラトホテップ!!」
アデルはバルザイの偃月刀をしまい、代わりにプライドソウルとアークスを出す。アークスはプライドソウルに装着され、アデルがエネルギーを込める。今回は人間サイズの敵を倒すので、刃は伸ばさない。エネルギーを圧縮して、その分破壊力を上げる。
「『エンドオブソウル!!!』」
旧き印を通り抜けながらナイアルラトホテップに向かって進むアデル。一つ通り抜ける度に旧き印がプライドソウルに力を与え、その力を三倍ずつ強化していく。それを二十。全てを通り抜けて強化されたエンドオブソウルを喰らえば、さすがのナイアルラトホテップも致命傷を負う。
「うっ!!」
かつてないほど強化されたエンドオブソウルが当たる寸前、ナイアルラトホテップは瞬間移動を使って逃げた。アデルは追いかけるが、通常速度もナイアルラトホテップが上回っており追いつけない。
「ははは!!そうだ!!何もまともに喰らってやる必要なんてない!!よけてやればいいんだ!!」
「くっ!!なんてスピードだ!!」
『全然追いつけない!!っていうか、逆に離されてる!!』
当てさえすれば勝てるのだが、そこはかの這い寄る混沌である。簡単に当てさせてくれるはずはない。
(このまま翻弄して、隙を突いてエルトリオ・アポレティス…でっ!?)
しかし、ナイアルラトホテップのスピードは少しずつ落ち始めていた。疲れたわけではない。
『なに!?ナイアルラトホテップが段々遅くなってきてる!?』
アンジェからも目に見えてわかるほど遅くなった時、ナイアルラトホテップは気付いた。
「エ、エリック…!!」
「『!?』」
突然エリックの名を呟くナイアルラトホテップ。直後、
「いつもあなたに憑依されてますからね。その逆もできるのではないかと思っていたんですよ」
ナイアルラトホテップはエリックの口調で喋り始めた。今、ナイアルラトホテップにはエリックが憑依している。エリックの精神が徐々にナイアルラトホテップの肉体を掌握し始め、その結果動きが鈍くなっているのだ。
「こ、こんなことが…どこまで人間のレベルを超越すれば気が済むんだい!?」
「黙りなさい。」
エリックの精神はナイアルラトホテップの肉体を抑え込み、完全に停止させた。
「今です!!やりなさい!!」
「感謝するぞエリック!!」
これなら確実に当てられる。今度こそアデルは、ナイアルラトホテップに向けてエンドオブソウルを放った。
「…舐めるなぁぁぁぁぁぁ!!!」
だが、当たる瞬間にナイアルラトホテップがエリックの精神を追い出し、身体をひねった。タイミングが遅かったのでかわしきれなかったが、被害は腕を片方斬り落とされる程度で終わる。
「エルトリオ…!!」
その間にナイアルラトホテップは残ったもう片方の腕を剣に変化させ、
「アポレティス!!!」
必殺の斬撃を繰り出した。一方ナイアルラトホテップを倒し損ねたアデルだが、まだプライドソウルにエネルギーは残ったままだ。
「『おおおおおおおおおおおおおおおお!!!』」
アデルはナイアルラトホテップのエルトリオ・アポレティスに合わせて、再度エンドオブソウルを放つ。
力と力がせめぎ合う大爆発。だがナイアルラトホテップが僅かに勝り、アデルを吹き飛ばす。
「誤算だったよ。たかだか人間を二人始末するのに、ここまでてこずるなんてね。」
斬り落とされた片腕を再生させるナイアルラトホテップ。再生させた腕も、剣に変化させた。エルトリオ・アポレティスの二刀流で、今度こそアデルを仕留めるつもりだ。
「俺達は絶対に負けない!!」
『必ず勝って、ここから出るんだから!!』
ゲイルとアンジェはそれに対抗できるよう、さらに力を強める。
「まだ力が高まるのか…だが、無駄なこと!!」
ナイアルラトホテップも両腕の剣に力を込める。能力はまだ彼女の方が上だ。さらにパワーアップされる前に、今度こそ消滅させる。
「はああああああああああああ!!!!」
「『おおおおおおおおおおおお!!!!』」
互いに突撃する、ナイアルラトホテップとアデル。
その時、
「やめて!」
声が聞こえて、両者は進行を止めた。
「もう十分だよ。これ以上、争わないで。」
現れたのは、もう一人のアデル。いや、アデルの姿をしたアザトースだ。ゲイルとアンジェはもう見慣れた姿なので、直感した。ナイアルラトホテップは自分の主の気配を間違えるはずもなく、戦闘中にも関わらず腕を元に戻してアザトースの前に膝をつく。
「アザトース…待っていたぞ!!」
『あなたを倒して、私達は外に出る!!』
臨戦体勢を解かないアデル。今までの経験が経験なので、何が起きるかわからない。
「馬鹿が!!アザトースが来た以上、お前達は終わりだ!!」
ナイアルラトホテップはアザトースを背に、自身の勝利を確信する。アザトースはナイアルラトホテップより遥かに強い。いくらアインソフオウルモードのアデルでも、戦えば勝てるはずはないのだ。
と、ナイアルラトホテップは気付いた。確かに、戦えばアザトースの勝利は揺るぎない。そう、戦えば間違いなく勝てる。だが、なぜ戦う必要がある?アザトースの姿を見た者は自身の存在を根底から否定され、破滅するのだ。神であるならいざ知らず、人間ならもう破滅している。だが、ゲイルとアンジェは破滅していない。そしてナイアルラトホテップは、その理由を知った。アザトースは今、アデルの姿に変身している。つまり、認識しても破滅しない姿に自身を合わせているのだ。
「ア、アザトース!!なぜそのような姿を!?あなたが真の姿を見せれば、戦う必要もなくあなたの勝利です!!」
「私は、彼らと戦いたいわけではありません。彼らにお願いがあるのです」
意外や意外。アザトースはゲイルとアンジェに頼みたいことがあるのだという。
「私は途方もない昔、ある出来事から理知の大半を失ってしまいました。今はかろうじてあなた方と話せていますが、これは本を使って読み取った情報から構築したいびつな理知。だから、これを完全なものにしたいのです。」
いきなりアザトースの口から、突拍子もない話が飛び出した。アザトースが理知を奪われたのは知っているが、それを取り戻すのを手伝って欲しいなどと頼まれるとは思っていなかった。
「それこそ私に命じて下されば良いではありませんか!!なぜこのような矮小な人間どもなどに!?」
「ナイア。あなたが今まで私に尽くしてくれたのには、もちろん感謝しています。しかし、私はお礼が言いたいのです。彼らが私に干渉しなければ、きっと私は永遠にこの事実を思い出すことはなかったでしょう。それと同時に、謝らなければ…」
アザトースは頭を下げる。
「今まで苦しめてごめんなさい。理知を失った私の相手などさせてしまって、本当にごめんなさい。」
「あ、いや、う…」
『その、あの、なんて言うか…』
アザトースの豹変ぶりに、ゲイルもアンジェも返答に困っている。
「そ、それで俺達は何をすればいいんだ?」
ゲイルは尋ねた。アザトースと戦わずに済むなら、それに越したことはない。
「…私を、あなた方の娘として育てて下さい。」
「…は?」
『えっ?』
だが、提案は耳を疑うものだった。
「一度子供になって、全てを学び直そうと思います。しかし、今のままではまたいつ狂うかわかりません。ですから、私は自分の中にある必要最低限以外の記憶と、全ての感情を消去します。そして、そこから学び直すためにはあなた方の協力が不可欠なのです。」
アザトースは本気なようだ。
「なぜ…なぜ私ではないのですか!!私では不服なのですか!?」
自分を差し置いて進められる話に、物申すナイアルラトホテップ。アザトースは諭すように言った。
「…今私達の目の前にいるのは、あなたが矮小だと言った人間です。しかし、彼らは人間でありながら、こんな領域まで自らを高めました。人間には、神をも超越する可能性がある。この私にすら不可能だった理知の完全再生…ですが、その可能性に賭ければ取り戻せるかもしれません。私はあなたを無下にしているわけではありません。あなただけでなく、あなた以外の者の力を借りる必要もあると言っているだけです」
「うっ…」
反論できない。アザトースの決意は固かった。
「…ゲイルさん、アンジェさん。どうか私に、力を貸して下さい。ナイア以外に頼れるのは、あなた方以外にいないのです。」
「…元々は俺とお前、どちらかが滅びなければ解決しなかった問題だ。どちらも滅びずに済むのなら、俺は構わない。」
「ゲイルが決めたなら私は賛同するよ。でも、今までみたいにゲイルを苦しめたりはしないって約束して。」
二人は了承する。
「…ありがとうございます。アンジェさん、あなたとの約束は必ず果たします。何から何までご迷惑をお掛けしますが、どうかこれからよろしくお願いします。」
再び頭を下げるアザトース。それから、唖然としているナイアルラトホテップにも声を掛けた。
「あなたにも、今まで苦労を掛けてしまいましたね。本当に、ありがとう。」
「…あ、あなた様がお決めになられたなら…」
震える声を出すナイアルラトホテップ。それから、アザトースは光の塊となった。そして光が消えた時、アデル達の前には黒いドレスを着た、長い銀髪の小さな女の子が、うずくまって眠っていた。
「…聞いての通りだ、ナイアルラトホテップ。」
『私達をここから出して。』
アデルは少女、アザトースを抱き上げると、ナイアルラトホテップに言った。
「…ああ…」
ナイアルラトホテップは力なく頷き、門を出現させる。
*
ヘブンズエデンにナイアルラトホテップとアザトースを連れて戻ったゲイルとアンジェは、待っていた仲間達に今まであった全てを説明した。
「ま、まさかこのような形で問題が解決するとは…」
「信じられないけど、信じるしかないみたいね…」
皇魔とレスティーは驚いている。当然だ。にわかに信じられる話ではない。
「しかし、どうすんだ?」
狩谷はゲイルに尋ねた。
「当然育てる。約束は約束だからな」
「いや、律儀すぎでしょ…」
空子はゲイルの正気を疑ったが、ここで育てないと答えたらアザトースの従者に殺されそうだ。
「あっ!」
「起きたみたいだよ!」
光輝とさだめが、アザトースの覚醒を告げる。
「…んん~…」
アザトースはまだ眠いのか、目を片方こすっている。幼子そのものの行動だ。記憶を消去したというのは本当らしい。段々意識がはっきりしてきたアザトースは、ゲイルとアンジェを見る。
「…あなた達が、私のパパとママなの?」
「…ああ、そうだ。」
「うん。」
頷く二人。それらを尻目に、エリックは一人帰ろうとする。
「エリック!」
ゲイルはエリックを呼び止めた。
「今回は助かった。お前が助けてくれなかったら、ヤバかったところだ。」
「…敗者は勝者に従うのみ。それに私は、少しあの邪神を驚かせたかった。」
エリックはそれだけ言って帰る。
「…あいつのことはいいや。それより、この子の名前はどうするんだ?アザトースじゃちょっと物騒だろ?」
狩谷の言う通り、アザトースという名前は少し危ない。
「それなら、テネリータって名前はどう?」
アンジェが考えたのは、テネリータという名前。ラテン語で慈愛を意味する言葉だ。感情を失ってしまったアザトースが、優しく慈愛溢れる女の子に育って欲しいと思って、アンジェはこの名前にした。
「…いい名前だな。よし、今日からお前の名前はテネリータ。テネリータ・プライドだ。わかるか?」
「…わかる。私の名前はテネリータ。テネリータ・プライド」
アザトース改めテネリータは、無表情で頷いた。
「さて、それじゃこれからのことについて、いろいろ考えなきゃな。」
「テネリータちゃんがどこに住むとか、いろいろ山積みよ?」
「それにしても娘かぁ…一気に追い抜かれちゃったなぁ。」
「ホントだね。」
口々に言う狩谷、空子、光輝、さだめ。
そんな光景を、ナイアルラトホテップは何も言わずに黙って見ていた。
*
謎の空間。
「まさか、アザトースがこのような…!!」
「クタニド様、いかがなさいますか!?」
ノーデンスとヴォルヴァドスは、クタニドに意見を求める。
「…近々会いに行かねばなるまい。」
はぁ…今回ナイアとのバトルとかいっぱい詰め込んでたら滅茶苦茶長くなった…。
というわけで、これでアザトースとの問題は解決です。ゲイルとアンジェの娘、テネリータ。カップルからいきなりできちゃった婚に!?次回はゲイルとアンジェの子育てと、ビャクオウのパワーアップです。遂にエリックの過去が明らかに!?お楽しみに!
PS.今回登場したシャンタク鳥は、アザトースに力を与えられた特別種で、時空を移動する能力があります。今回の時空の穴の向こうには宮殿に繋がる門があって、ちゃんとそこを経由してるので、ナイアが言っていたことは間違いではありません。




