額縁に飾らないで!
優秀な組織を維持するために必要なもの。
潤沢な資金と精緻な物流だけでなく、心地よい余暇。
――などと、帳簿を睨み過ぎて偏頭痛に襲われた昨晩ふと思った。
とりわけ私の部下たちは昼夜を問わず、血生臭い現場を行き来する。
たまには音楽でも浴びせて精神を洗濯しなければならない。
王都一の劇場から、高級演奏会の招待券が届いていた。
最前列中央――つまり一枚で庶民の年収でも足りない席を四枚。
そこで私は直属の精鋭四人を呼び寄せる。
報告書フェチのジャック
楽天家のアッシュ
皮算用のザイオン
大酒飲みのゼッド
そして、チケットを手渡す。
「今週末は仕事を忘れて、上質な弦の波動とホルンの重低音に包まれてきなさい。耳が肥えれば、報告書の言葉遣いも良くなるはずよ」
我ながら完璧だ。
──いや、完璧以上かもしれない。
労働意欲の維持と文化教養の向上を同時に叶える福利厚生。
ここまでエレガントに実装できる上司が他にいる?
最前列中央という、貴族でも抽選の座席を軽やかに確保。
彼らは贅沢を享受しつつ、私への忠誠心をさらに増幅させる。
経費としては微々たる金額、得られるリターンは人材価値の倍増。
──投資効率の鬼、と自分でも惚れ惚れする。
「畏れ多くも、頂戴いたします!」
彼らは顔を輝かせ、平伏しかけた。
「ドレスコードは守ってね。――寝落ちした瞬間、チケット代は給与天引きよ?」
そう、最小限の釘を刺すあたりも絶妙だ。
甘やかしすぎず威厳は損なわず、まさに鞭と飴の黄金比率。
これで彼らの報告書が弦の調べのように優美になるだろう。
私の日々の帳簿読解疲れも軽減されるに違いない。
これで心置きなく私も自分の仕事に集中できる。
しかし私が知らぬところで、その『鬼投資』がまさかの珍事を招くとは――
◇◇◇◇
執務室を辞した四人は階段を降りる途中で顔を見合わせた。
「……なあ、これはきっと『音楽分野へ進出せよ』というリリス様の高度な示唆だろう」
無駄に前向きな解釈である。
「演奏会で高値の音楽を仕入れ、事業に落とし込め、というわけだ」
「だが俺たち、音符とやらは読めんぞ」
「じゃあ現地でスカウトだ。楽器を操る貴族楽団を買収すればいい」
「買収資金? 聞かされてない」
「……自腹だ」
議論は堂々巡りを始める。
結局「腹を満たしつつ策を練ろう」と、馴染みの下町酒場へなだれ込む。
奴隷制度廃止と魔導エンジンの好景気で、王都の夜は働き手より遊び手のほうが元気だ。
樽ワインの残りかすと安麦酒が交錯する。
すると、三流吟遊詩人が傾いたピアノで陽気な伴奏を奏で、酔客が声を張り上げた。
♪ ヒックとホイとで 酒がまわったら 借金取りまで 親戚さ―― ♪
リズムは粗い。
酒樽を叩く即席パーカッション。
さらに奥で客が鳴らす洗濯板パチカが妙に噛み合う。
「……おい、聞いたか? あの変拍子」
「素人なのに心臓が跳ねるぞ」
「この『ノリ』こそ商売の苗じゃないか?」
酔いの勢いで彼らは即席歌い手たちに次々コインを握らせ、裏路地へスカウト。
「酒と寝床と稼ぎを保証する。ついでに歯も治療してやる」
条件は破格だった。
飲んだくれたちは二つ返事で頷く。
翌日には倉庫跡を改装した練習場に集合。
だが、譜面など一枚もない。
部下たちはリズムを採譜する代わりに頭を捻る。
「リリス様みたいに指で数字でも描くか…?」
「頭を叩くとはじめに戻る」
「指を指すと次はソロ」
「指で円を描くと全員イン」
などなど……
謎の合図体系を編み出し、半月で即興演奏集団を完成させる。
そして、店先に掲げた看板――
【即興喝采楽団 J・A・Z・Z】
名は創設者の頭文字を並べただけ。
だが、口当たりの良い四文字は瞬く間に広がる。
「昨夜ジャズを聴いたか?」
「ジャズってやつは腹の底が熱くなるぞ!」
酒場から上流サロンにまで飛び火。
一度始まれば夜明けまで止まらないアドリブ合戦。
舞踏会の格式を崩し、王都は寝不足ぎみの浮かれムードに包まれた。
音楽ギルドは眉を吊り上げて抗議した。
しかし、聴衆は踊り狂い、貴族子女はこっそり庶民服に着替えて酒場へ潜り込む。
結果、楽団は投げ銭と出張公演だけで小金庫を満タンにした。
――四人は確信した。
『これがきっとリリス様の緻密な計画だったのだ。上々の成果をご報告せねば』
◇◇◇◇
週明け、私は執務室で扉の向こうに立つ四人を見てまばたきを忘れた。
髪は寝癖で跳ね、目の下にはくっきり隈。
彼らの様子は、私がチケットを渡した時よりもひどくなっている。
それでいて頬は笑いで引き締まり、体温計でも量れそうなほどの高揚。
――睡眠不足でヘロヘロなのに、どうしてこんなに活き活きしているのかしら。
というより、なぜ寝不足……?
私は彼らに「音楽と余暇を満喫してこい」と言ったはずなのに。
「ご報告いたします!」
代表格が帳簿を掲げ、声を裏返しながら前へ。
「わたくしども、リリス様のお言葉を背に『新ジャンルの音楽』を開発いたしました!」
「……新ジャンル?」
「はい! 酒場で拾った即興歌い手を鍛え上げ、夜通しセッションを繰り返し、気付けば三晩徹夜――ですが、この『ジャズ』が王都で跳ねております!」
彼らは息を継ぐ間もなく報告してくる。
酒場での突発スカウト、指示を出す暗号式アドリブまで。
眠気にむち打って作り上げた新商売の全行程をまくし立てる。
私は椅子の背にもたれ、額に指を当てた。
「なるほど、音楽と休暇がジャズ開発合宿に化けた結果がこれ……」
――なんでこんなことになったの?
返事は朗々としていた。
「すべてリリス様のご神託ゆえ!」
いやいや、私は神様ではないし、そんな指示も出してない。
彼らの楽団は酒場と即興舞台を転々、二週間で王都最大の流行を捻出。
既存楽団からの引き抜き依頼が殺到しているという。
「……で、肝心の演奏会はどうだったの?」
「いえ、あの聖なるチケットは額装して『事務所の守護札』として掲げました!」
満面の笑み。
たぶん悪気は一滴もない。
――いやいやいやいや。
せめて聴きに行きなさいよ!
内心でツッコミを入れながら、喉まで上がってきた叫びを何とか飲み込む。
こいつら、私の神託だのと大層な言葉を並べるわりに、私の言うことをまったく聞かないな……
黒字だから良しとするしかないけれど。
仕事漬けの彼らに「音楽で羽を伸ばせ」と渡した招待券。
それがいつの間にか新規事業の狼煙になるとは……
彼ら自身は寝る間も惜しんで興行に奔走しているのだから始末が悪い。
音楽を楽しむのは結構、稼げるのも上出来。
――でも、どうすればこいつらはちゃんと休むのかしら……?
経営者として本気で考え込むはめになる。
結局、私は深呼吸ののち朱印を捺す。
彼らの【即興喝采楽団 J・A・Z・Z】を正式に法人格へ格上げした。
「次の報告までに最低一日の完全オフを確保しなさい」と『神託』を上書きすることも忘れずに。
しかし、そう言うと部下はさらに佇まいを直して言う。
「はい、心得ております!」
……本当に休む気はあるのかしら?
休暇申請書を白紙で出してきたら、さすがに私も泣くわよ?
──後世の歴史書は、この日をもって即興音楽「ジャズ」誕生と記す。
即興で織り成した自由奔放なリズムは、やがて宮廷舞踏会から街角の酒場まで、人々の心拍を揺らす不可欠の一ジャンルとなり、数百年後もなお愛され続けるのである。
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