2
応接間の扉が開き、差し込んだ夕陽に琥珀色の髪がゆるく揺れた。
「遅くなってしまって申し訳ない。道中で少しばかり面白い景色に見とれてね」
胸を張って笑う青い瞳の青年――トーマス・ニット。
軽い口調のわりに歩みは堂々としている。
――悪くないわね。
私は紅茶を一口飲み、空席を示す。
「あらロマンチストね。座ってちょうだい」
トーマスは素直に腰を下ろし、まっすぐこちらを見た。
――こちらを怖がっていない。品定めしているのはお互い様、という目をしているわね。
「噂通りの美人だな。……なんて言ったら、さすがに月並みかな?」
「お世辞は聞き飽きているわ。それで、本題は何かしら?」
「せっかちだね。……分かった、単刀直入にいこう。僕は君の力が欲しい。領地開発に君の物流網が必要だ」
隠す気のない野心と、話の早さ。
私は思わず口元が緩んだ。
「物流網が必要、と。具体的にはどういう絵を描いているの?」
「国境沿いの荒地を開拓して経済圏を拡げたい。君の組織が持つ物流網は隣国をも跨ぐ。僕の領地と組めば海を介さず物資を流す最短ルートが完成する」
「聞こえはいいけれど、あなたの兄上――ジェームズ様は反対しているんじゃなくて?」
トーマスの唇が愉快そうに弧を描いた。
「兄は真面目すぎるんだ。『国家より巨大な事業を握る魔女と呼ばれる令嬢だぞ』って必死に警告されたさ」
「魔女、ね」
魔女とか悪役令嬢とか、人のことを好き放題言い過ぎではないかしら?
「僕は笑い飛ばした。魔女だろうと女神だろうと、力を貸してくれるなら歓迎する、と」
「もし魔女が気まぐれに火を吐いたら?」
「そのときは自分を笑うよ。そして灰になっても、灰として領地の土地を肥やしてみせよう」
言い切ったあとの沈黙。
彼は笑顔のままだが、目の奥にほんの僅かな緊張が走ったのを私は見逃さない。
――恐怖を感じつつも、引かない。
ここで目を逸らさない男は珍しい。
「面白いわね」
「気に入ってもらえた?」
「半分だけ。残りはこれから試すわ」
私は指でティースプーンを弾いた。
トーマスは椅子の背にもたれず、前屈みの姿勢で続きを待っている。
――彼は知った上で『こちら側』に踏み込むと決めているようね。
兄の忠告を笑い飛ばしたと言うけれど、怖くないわけではない。ただ野心の方が勝っただけ。
悪くない。
今度こそ逃げない男かもしれない。
そう思った自分に少しだけ笑ってしまう。期待しているじゃない、私ってば。
「後日、試しに軽い『お仕事体験』をしてみましょう。いい案件を見繕って連絡するわ」
「楽しみにしているよ」
そう返事をして席を立ったトーマスが、扉に手をかけたまま振り返った。
「リリス。噂では『悪役令嬢』と呼ばれているそうだね」
「あらひどいわね。……否定はしないけれど。それで、あなたはどうするつもりなの?」
「逃げるつもりはないよ。噂以上のものが見られるかもしれないと期待しているだけだ」
廊下に差し込む夕陽がトーマスの横顔を赤く染めていた。
私はその顔を、思ったより長く目で追っていた。
――今度こそ、途中で折れない相手でありますように。
◇◇◇◇
そんなある日、部下が一つの報告を持ってきた。
王都の外れ、貧民街の路地裏で『闇奴隷市』が開かれているという噂。
正式な奴隷市場は一応の法規制や役所の管理があるが、闇ギルドが行う人身売買に規制は存在しない。
攫ってきた人間を拷問して調教し、商品として流すという不気味な話も囁かれていた。
「リリス様、近頃の闇ギルドの動きは目に余ります。正規市場にすら手を伸ばし、法外な利益を得ているようです」
そう言って部下は地下経路を示す簡易地図を見せてきた。
貧民街の奥。
さらに一段低い下水路の区画に通じるルートがある。その先には倉庫らしき建物があり、そこに奴隷を押し込めているらしい。
正規の奴隷市場はその倉庫に隣接していた。
「放置すれば王都の裏の秩序が崩れます」
「そうね。好き勝手に暴れられると、こちらが築いてきた『王都の治安』まで悪くなるわ」
部下の言葉に私はゆっくりと頷いた。
「それに、奴隷に酷い扱いをして使いつぶしているのなら有益な『人的リソース』を無駄にしているのと同じ。……奴隷商を名乗るなら、それなりの管理体制を敷いてもらわないと」
奴隷制度はこの国にまだ残っている。
正規の奴隷市場もいずれ手を打つべき問題だけれど、今はまず目の前の無法を片付ける。
使い潰すだけの闇市はビジネスですらない。
私は地図をひと撫でし、立ち上がった。
「潰すわ。直接見に行く」
◇◇◇◇
数日後、私は執務室にトーマスを呼び出した。
扉が開いた瞬間、彼の顔色が先日の快活さとまるで違うと気づく。
頬の血の気が薄く、瞳の奥には焦りの影。
「……ずいぶん浮かない表情ね。道中で『面白い景色』でも見損なった?」
軽く揶揄してみせる。
トーマスは苦笑を貼りつけたままぎこちなく頭を下げた。
「あいにく景色どころじゃなくてね。ちょっとした揉め事を抱えている。――もっとも、君を煩わせる話じゃないさ」
口調は平静だが、拳が無意識に握られている。
何の揉め事かと問い詰めれば答えるだろうが、私はわざと視線を逸らした。
「私と並び立つつもりなら自分の問題は自分で解決できないと困るわ。弱みを抱えて足がすくむ相手はビジネスでも恋愛でも信用できないもの」
トーマスの肩がわずかに揺れた。
だが次の瞬間、彼はいつもの笑みを貼り直す。
「――もちろんだ。心配は要らない。必ず自力で片を付けるさ」
言葉だけ聞けば自信家の声色だが、目の奥に残る翳りは消えない。
何を抱えているのかは知らないが、最終的に私の力を頼るようでは困る。
「なら今夜、私に同行してもらうわ。場所は――貧民街の地下のさらに奥。闇奴隷市よ」
トーマスの表情がさらに蒼白になる。
「まさか、本当に潜るのか?」
「ええ。実態をこの目で確かめておきたいの。それとも、怖気づいた?」
トーマスはゆっくり呼吸を整え、震えを押し殺すように頷いた。
「逃げはしない。君が望むなら付き合おう」
内心の狼狽を隠し切れていない様子だった。
――どうやら彼の揉め事は闇市と無関係ではなさそうね。
けれど、ここで尻尾を巻くようであれば婚約者として危ういわね……。
私は彼の目を見ながら言った。
「案内は私の配下が務めるわ。あなたは私の隣で目を開いていればいい。そこで私がどのような手段を取るのか――しっかり学んでちょうだい」




