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世界を裏で牛耳る 『悪役令嬢』──恋愛だけは迷走中【連載版】  作者: ぜんだ ゆり
魔導エンジンは恋の代償で回り出す……
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 応接間の扉が開いた。

 差し込んだ夕陽に、琥珀色の髪がゆるく揺れる。


「遅くなってしまって申し訳ない。道中で少しばかり面白い景色に見とれてね」


 胸を張って笑う青年――トーマス・ニット。

 軽い口調のわりに歩みは堂々としている。

 深緑のジャケットの襟には、ニット伯爵家を示す銀のピン。

 陽光の粒が肩で跳ねて、彼の自信をそのまま視覚化しているようだった。


 私は紅茶を一口飲み、空席を示す。


「あら、ロマンチストね。座ってちょうだい」


 トーマスは素直に腰を下ろし、まっすぐこちらを見た。

 視線に怯えや取り繕いはない。

 むしろ探るでもなく、対等に品定めしている印象――悪くない。


「噂通りの美貌だと伝えたら月並みかな。けれど実物を前にすると褒めずにはいられない」


「お世辞は慣れているけれど、悪くはないわ。もっとも、褒め言葉で買収できるほど私は安くないの。知っているでしょう?」


「もちろん。だからこそ、買収ではなく提携を望んでいる。恋愛も領地開発も、対等な協力のほうが楽しいからね」


 唇が自然に緩んだ。

 言葉選びが軽やかで、自信に溢れている。


 紅茶の香りよりも、彼の野心の匂いが濃い。


「提携と言ったわね。具体的には?」


「国境沿いの荒地を開拓して経済圏を拡げたい。そのための資金と流通。君の組織が持つ物流網は、隣国をも跨ぐ。僕の領地と組めば、海を介さず中央へ物資が流れる最短ルートが完成する」


「聞こえはいいけれど、あなたの兄上――ジェームズ様は反対しているんじゃなくて?」


 トーマスの唇が愉快そうに弧を描いた。


「よく御存じで。兄は真面目すぎる。『国家より巨大な事業を握る魔女と呼ばれる令嬢だぞ』って必死に警告されたさ」


「魔女、ね」


 魔女とか、悪役令嬢とか、人のことを好き放題言い過ぎではないだろうか?


「僕は笑い飛ばした。魔女だろうと女神だろうと、力を貸してくれるなら歓迎する、と」


「もし魔女が気まぐれに火を吐いたら?」


「そのときは自分を笑うよ。そして灰になっても、灰として領地の土地を肥やしてみせよう」


 言い切ったあとの沈黙。

 彼は笑顔のままだが、眉の奥にほんの僅かな緊張が走ったのを私は見逃さない。

 ――恐怖を感じつつも、引かない。

 ここで目を逸らさない男は珍しい。


「面白いわね」


「気に入ってもらえた?」


「半分だけ。残り半分は、まだ試してみないと」


 私は指でティースプーンを弾いた。

 澄んだ音が二人の間に跳ね返る。

 トーマスは椅子の背にもたれず、前屈みの姿勢で続きを待った。


(おそらく彼は『こちら側』に踏み込むと決めている。兄の忠告を笑い飛ばしたと言うより、野心に上書きしたのだろう)


 ――この男、使えるかもしれない。

 胸の奥で静かな熱が灯るのを自覚する。

 「失恋明け」という陰りは、思いのほか早く霧散しそうだ。


「後日、試しに軽い『お仕事体験』をしてみましょう。いい案件を見繕って連絡するわ」


「ああ、今後ともよろしく」


 その後、軽い雑談をしてトーマスが退出する。

 廊下に出る直前、トーマスが低く囁いた。


「リリス。噂では『悪役令嬢』と呼ばれているそうだね」


「あら、ひどいわね。事実と噂は違うかもしれないわよ?」


「なら、噂より鮮烈な事実をこれから見せてくれ」


 夕陽が最後の輝きを廊下に流し込む。

 その赤に照らされるトーマスの横顔。

 私は微かに頷く。


 かくして、私たちは正式に婚約関係へと踏み込もうとしていた。


 ――今度こそ、途中で折れない相手でありますように。



◇◇◇◇


 そんなある日、部下が一つの報告を持ってきた。



 王都の外れ、貧民街の路地裏で『闇奴隷市』が開かれている――という噂。



 正式な奴隷市場は一応の法規制や役所の管理がある。

 ところが、その裏で完全非合法の闇ギルドが人身売買を行っているらしい。

 攫ってきた人間を拷問して調教し、商品として流す。

 そんな不気味な話も囁かれていた。


「リリス様、我々としては黙っていられないかと……。近頃の闇ギルドは、正規市場にすら手を伸ばし、法外な利益を得ているようです」


 そう言って、部下は地下経路を示す簡易地図を見せてくれた。


 貧民街の奥。

 さらに一段低い下水路の区画に通じるルートがある。

 その先には倉庫らしき建物があり、そこに奴隷を押し込めている。

 正規の奴隷市場は、その倉庫に隣接していた。


「もしも見逃せば、いずれ我々の事業に割り込んでくるかもしれません」


「我々がまとめている王都の治安にも関わるわね」


「はい。敵対組織の介入を許せば、後々面倒になりましょう」


 そう分析する部下の言葉に、私はゆっくりと頷いた。


「ええ、それに、奴隷に酷い扱いをして使いつぶしているのなら、有益な『人的リソース』を無駄に潰しているのと同じ。 ……奴隷商を名乗るなら、それなりの管理体制を敷いてもらわないと」


 奴隷を肯定するわけではない。

 しかし、奴隷を扱う制度は残っている。

 ただし、私としては最低限の保護と管理がなければ、奴隷ビジネスの基盤が崩れる。

 この闇市が無法なまま肥大化するのは好ましくない。

 ――その結論に達し、私は出撃を決めた。


 数日後、私は執務室にトーマスを呼び出した。

 扉が開いた瞬間、彼の顔色が先日の快活さとまるで違うと気づく。

 頬の血の気が薄く、瞳の奥には焦りの影。


「……ずいぶん浮かない表情ね。道中で『面白い景色』でも見損なった?」


 軽く揶揄してみせる。

 トーマスは苦笑を貼りつけたまま辿々しく頭を下げた。


「あいにく景色どころじゃなくてね。ちょっとした揉め事を抱えている。――もっとも、君を煩わせる話じゃないさ」


 口調は平静だが、拳が無意識に握られている。

 何の揉め事かと問い詰めれば答えが出るだろう。

 だが、ここで甘えを許せば後々同じ手間が増える。


 私は椅子の背にもたれ、わざと視線を逸らした。


「私と並び立つつもりなら自分の問題は自分で解決できないと困るわ。弱みを抱えて足がすくむ相手はビジネスでも恋愛でも信用できないもの」


 トーマスの肩がわずかに揺れた。

 だが次の瞬間、彼はいつもの笑みを貼り直す。


「――もちろんだ。心配は要らない。必ず自力で片を付けるさ」


 言葉だけ聞けば自信家の声色だが、目の奥に残る翳りは消えない。

 何を抱えているのかは知らないが、最終的に私の力を頼るようでは困る。


「なら今夜、私に同行してもらうわ。場所は――貧民街の地下のさらに奥。闇奴隷市よ」


 トーマスの表情がさらに蒼白になる。


「まさか、本当に潜るのか?」


「ええ。実態をこの目で確かめておきたいの。それとも、怖気づいた?」


 トーマスはゆっくり呼吸を整え、震えを押し殺すように頷いた。


「逃げはしない。君が望むなら付き合おう」


 内心の狼狽を隠し切れていない様子。


(どうやら彼の揉め事は闇市と無関係ではなさそうね。けれど、ここで尻尾を巻くようであれば、婚約者として危ういわね……)


 私は立ち上がり、赤い外套を肩に掛ける。


「案内は私の配下が務めるわ。あなたは私の隣で目を開いていればいい。そこで私がどのような手段を取るのか――しっかり学んでちょうだい」

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