2
執務室にリリスの心の叫びが虚しく響き渡る。
部下たちは、主君のただならぬ様子に息を呑んだ。
彼らが知るリリスは、あらゆる事象をその掌の上で転がす絶対的な支配者。
そのリリスが重厚な執務机に突っ伏し、絶望に打ちひしがれている。
「リリス様っ!?」
部下の一人が我に返る。
「いかがなさいましたか! まさかウィリアム侯爵との交渉で何か心労が……!」
次々と、部下たちが心配の声を上げる。
そんな場面にひょっこりと顔を出したのは、ハロルド・エイムズだった。
「どうしましたリリス様! ついに俺との結婚を決意されて身悶えていらっしゃるのですね!ご安心を! 俺が生涯をかけてあなた様を家事の重圧から解放してみせます!」
その噛み合わない能天気な発言に、リリスはむくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや何の光も宿っていない。
「……ええ、そうね。もう、どうでもいいわ……」
力なく呟くと、リリスはそのまま自室へと消えていった。
その絶望しきった背中に、部下たちの心は千々に乱れる。
「……やはり、リリス様は深くお傷つきになっている」
部下の一人が、断定するように言った。
「ウィリアム侯爵との婚約も結局は破談。リリス様がこれほどまでに心を痛められるとは!」
「我らがリリス様をこれ以上孤独のままにしておくわけにはいかない!」
部下たちの間で行き過ぎた忠誠心が急速に醸成されていく。
彼らは執務室の片隅に集まり、深刻な顔で円陣を組んだ。
「こうなれば、我々が動くしかないだろう」
「うむ。リリス様にふさわしい最高の伴侶を我々が見つけ出すのだ」
そのように重々しく口火を切ると、また一人が深く頷いた。
「ならば、我々の中からリリス様の伴侶に立候補するという手もあるのではないか? 」
「何を言うか! 我らがリリス様とパートナーになろうなどおこがましいとは思わんか!」
「む……。しかし、他に誰が……」
彼らの議論は、すぐに袋小路に陥る。
「あのー」
その時、議論の輪に、遠慮がちに手が挙がった。
「それなら俺が立候補します。主夫として、完璧にリリス様を支えてみせますが」
ハロルドのその言葉は、しかし、誰の耳にも届かなかった。
彼らは熱のこもった議論を続ける。
「ならばこうしよう。リリス様の伴侶にふさわしいと自負する者を国内外から募る。そして我々が厳正な審査を行い、唯一人の『最高の花婿』を選び出す!」
その提案に、全員が「おおっ!」と目を見開いた。
これ以上の妙案はない。
彼らは、自分たちの主君が微塵も望んでいない計画を勝手に推し進める。
こうしてリリスのあずかり知らぬところで、『リリス様花婿争奪コンテスト』の開催が決定されたのだった。
◇◇◇◇
告知は裏社会のあらゆるルートを通じて密かに行われた。
『至高の存在、リリス・ヴォルテクス公爵令嬢の伴侶の座、ただ一人に与えん。富、名誉、権力、その全てを手にしたいと願う、気骨ある男は来たれ』
その甘美な誘い文句は、王都の暗部に潜む者たちの欲望を激しく刺激した。
告知からわずか数日で、コンテストの事務局には応募の書状が殺到した。
しかし、その応募者たちの顔ぶれには難があった。
「……なんだ、この連中は」
そこに並んでいたのは、およそ『最高の花婿』とは程遠い、胡散臭い男たちばかり。
「この結婚を機に、ヴォルテクス家からの借金を帳消しに……! グフフ」
そう言って、下卑た笑みを浮かべる多重債務者。
「逆玉の輿に乗って、没落した我が家を再興させるのだ!」
瞳にギラギラとした野心を宿す、貧乏貴族の三男坊。
「この発明品『全自動鼻毛カッター』をリリス様に献上し、その寵愛と莫大な開発資金を得るのだ!」
そんな、意味の分からないことを叫ぶ、怪しげな発明家。
ろくな人間がいない。
(……まあいい。我々が課す地獄の試練を乗り越えれば、この者たちも少しは骨のある男に生まれ変わるだろう)
部下たちはそう信じ、コンテストの開催を強行した。
◇◇◇◇
数日後、ヴォルテクス家の広大な訓練場に三十名ほどの男たちが集められた。
彼らの前に、部下たちが審査員として物々しい雰囲気で姿を現す。
「諸君、よくぞ集まってくれた」
そして、アナウンスが始まる。
「貴様らの下心を、我々は全て把握している。だが、そんなことはどうでもいい。リリス様の伴侶たる者、『覚悟』が問われるのだ」
ゆっくりと間を置き、続けた。
「よって、第一次審査は『生存能力試験』とする!」
その言葉に、応募者たちがざわめく。
「リリス様の伴侶たるもの、脅威からその身を挺してリリス様をお守りできねばならない。よって我が組織の護衛隊長と模擬戦を行ってもらう」
訓練場の奥から、身の丈2メートルはあろうかという、全身が傷だらけの巨漢が姿を現した。
その両手には巨大な戦斧が握られている。
彼の姿を認め応募者たちの顔から血の気が引いた。
「試験時間は十分間。この護衛隊長を相手にただ生き延びること。それだけが合格条件だ。隊長は一切手加減せん。覚悟して臨め」
「そ、そんな馬鹿な!」
「死んでしまう!」
悲鳴を上げる応募者たちは冷たく一喝された。
「黙れ!この程度もできない腑抜けがリリス様の隣に立つ資格などないと知れ!」
さらに、追い打ちをかけるように告げる。
「なお、この過酷な第一次審査を突破した者にのみ第二次審査への挑戦権が与えられる。その内容は『忠誠心の証明』だ。現在、リリス様と敵対関係にある組織の幹部首級を各自で調達して手土産として持参すること」
その瞬間、会場は完全な沈黙に包まれた。
もはや、悲鳴さえも上がらない。
ただ、絶望だけが、その場を支配していた。
「リリス様の伴侶となる栄誉に比べればこの程度の試練何でもない! 覚悟のない者は、今すぐこの場から去るがいい!」
その言葉を合図に、応募者たちの半数が、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
残された者たちの顔にも、後悔の色が濃く浮かんでいた。
こうして、史上最も殺伐とし、そして主催者の意図から最もかけ離れた花婿コンテストの幕が、静かに、そして残酷に切って落とされた。




