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敵の殲滅がほぼ完了し、屋敷の安全が確保された頃合い。
私は、顔面蒼白のフィリップへとそっと視線を向ける。
先ほどの彼は勇敢に庇ってくれた。
けれど、その瞳には明らかな恐怖が色濃く残っていた。
(確かに、普通の貴族の暮らしなら、こんな銃撃戦に巻き込まれることなんてないでしょうね)
けれど、こちらとしては慣れっこだ。
――と言ったら、ますますドン引きされるだけだろう。
問題は――ここからどう声をかけるか、だ。
この調子で取り乱していては、敵対組織に『ナメられる』。
伯爵家が何度も襲撃されてしまう。
しかし、不用意な一言で彼の自尊心を砕けば、二度と立ち直れないかもしれない。
どうにかこの場を穏便に収め。
かつ、彼の勇気を称え。
でも取り乱した態度は改めてもらわなければならない。
私は考えに考えて、努めてにこやかな笑みを浮かべた。
「フィリップ、さっきは身を挺して守ろうとしてくれてありがとう。
勇ましく庇ってくれて嬉しいわ!
……でも、動揺したら相手にナメられるし、震えが伝わると敵の餌になるわ。
次は呼吸も凍らせて、威風堂々と演じ切ってみましょう!」
軽い冗談めかして言ってみれば、少しは気がほぐれるかと思った。
ところが、フィリップは完全に真っ青なまま硬直している。
彼だけでなく、伯爵夫妻や周囲の人たちも戦慄したように私を見ている。
――ああ、失敗した。
周囲の空気が凍ったことが、ありありと伝わってくるのだった。
◇◇◇◇
翌朝。
アーサーデール伯爵から、私の屋敷へ使者が訪れた。
案内された応接室に入ってきたのは、何と本人。
伯爵は人目もはばからず深々と土下座する。
「どうか、婚約を解消させていただきたい……」
深刻な面持ちで申し出てきた。
「昨日の出来事で、私どもは自分たちがいかに無力か痛感したのです。とてもリリス様をお守りできるとは……。お恥ずかしい話ですが、二度とこのような恐ろしい目に遭いたくないというのが本音です。どうか、ご無礼をお許しください……」
伯爵は声を震わせながら頭を下げる。
私としても、ここで強引に婚約を続ける意義はない。
フィリップ本人がどう考えているかはわからない。
だが、別れ際のあの表情を思い出す。
おそらく、今すぐにでも私から逃げ出したいだろう。
「……わかりました、婚約は解消しましょう。余計な責任追及をするつもりもありませんから」
「ありがとうございます……。ご寛大な処置に感謝いたします……」
伯爵はそう言うと、安堵の表情を浮かべつつ頭を下げた。
私は伯爵が帰るのを見守り、窓の外を眺めながら一人ため息をつく。
――結局、こうなってしまったか。
フィリップは決して悪い人ではなかった。
むしろあの場で私を庇おうとしてくれたことには感謝している。
ああ、また振り出しか……
その後、私の『事業』に関して。
襲撃者からの情報を上手く引き出し、敵対組織を一網打尽にした。
「敵対組織も壊滅。これでさらに組織が盤石になりますね!」
部下は大喜びだ。
皮肉なことに、ビジネスは好調の一途をたどっている。
◇◇◇◇
数日が過ぎた頃、アーサーデール家から私宛に手紙が届いた。
筆跡を見るに、差出人はフィリップ本人。
さらりとした紙に、真っ直ぐな文体で書かれたその手紙には、こう記されていた。
『リリス、こんな手紙を送る資格はないかもしれないけれど、どうしても謝りたくてペンを執りました。
あの夜、僕は君から逃げた。守ると宣言したのに、結局は怖くなって目を背けてしまった。
伯爵家としても二度とあんな事件に巻き込まれたくないというのが本音で、僕は何も言えなかった。
僕が『勇敢な青年』と呼ばれていることに、いつの間にか誇りを感じていた。あの強盗のエピソードを自慢げに語られるたび、「僕の心臓には毛が生えてるぞ」なんて思っていたんだ。
だけど、君の生きる世界は……『心臓の毛もむしり取る』ような恐ろしい場所だった。僕は正直、ついていけなかった。
僕の不甲斐なさを許してほしい。こんな結末になって、本当に申し訳ない。どうか幸せになってくれ。
フィリップ・アーサーデール 』
私は一度読み返して、小さく息をつく。
『心臓の毛もむしり取る』だなんて……
あんまりな言い草ではないか……?
「はあ……やっぱり私には、まともな恋愛は難しいのかしら」
結局、婚約者も恋人も、またこうして「怖い」「重い」「命が惜しい」と逃げていくのだ。
デスク脇のサイドテーブルには。
気休めに据えた三段ケーキスタンド。
最上段はレモンタルト、二段目はクロテッドクリームたっぷりのスコーン。
最下段には……心臓の毛の主が好物だったチョコレートムース。
「チョコムース、あなたは裏切らないわよね……」
スプーンでひと口。
――甘い。やけに沁みる。
部屋の隅では護衛隊長が書類束を小脇に硬直している。
「リリス様、補給物資の搬入スケジュールですが」
「後にして。今は糖分補給中よ」
私がムースと一緒に睨みを利かせる。
すると、彼は「はっ」と姿勢を正し、冷や汗をかきながら退室した。
魔王よりチョコを抱えた女のほうが怖いらしい。
とはいえ、いつまでも腐っているわけにはいかない。
私は持ってこられた書類束を確認する。
紙面に並ぶ数字は今日も黒字。
ビジネスは絶好調――そこが腹立たしい。
なぜ事業運だけ常にピョンピョン跳ねるのか。
「それにしても、『心臓の毛もむしり取る』は、ないわよね……」
こんな言われ方をされるのは、さすがにちょっと傷つく。
くすぶるような思いを抱えつつ、私はそっと手紙を引き出しにしまい込んだ。
これでまた一つ、私の恋は終わった。
いつか、心臓の毛を抜かれようが、揺るがない相手に巡り合える日は来るのだろうか。
――悪役令嬢、リリス・ヴォルテクス。
大切な人を得るには、まだまだ険しい道のりが続きそうだ。
心臓の毛さえむしり取るだなんて言わないで…… 完
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