表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/57


 廊下に敷かれた赤絨毯の先、重厚な扉が開き、華麗な足音が聞こえた。


 ――リリスが到着したのだ。


 前回よりも一段と映える深紅のドレスが揺れる。

 肩からは透きとおった金糸のショールが垂れ、胸元には宝石が控えめにあしらわれている。

 意外にも、指輪以外の装飾は少なく、むしろ指先に視線を集中させるかのよう。


「リリス様のご到着です!」


 使用人が高らかに告げると、貴族たちが一斉に拍手と歓声で迎える。

 ホールの照明が一段階落ち、ダウンライトが中央を照らし出す。

 リリスは主役としてゆっくりと歩み出た。

 ――クロヴィスの存在が霞んでしまうほどの存在感。


 クロヴィスは引きつった笑みを貼りつけながら、一歩前へ。


「リ、リリス様……本日はお越しいただき、誠にありがとうございます」


 その声の奥に揺れる緊張を、リリスは見逃さない。


「ええ、クロヴィス侯爵。……先日はとても感激しましたわ。こんな素敵な指輪を頂いて」


 こう言いながら、リリスは右手を掲げる。

 確かにそこには赤い宝石がはめ込まれた指輪が輝いている。


(よかった……! 外していない!)


 クロヴィスは思わず心中で安堵の息を吐く。

 その一瞬、彼の顔から笑みが自然にあふれ出て、会釈の角度すら深くなった。


 まわりの貴族たちは

「なんだかクロヴィス様、随分と嬉しそうね」

「リリス様もまんざらではなさそうだわ」

 などと囁き合っている。


 クロヴィスは壇上へリリスを誘い、軽快な口調で宣言する。


「本日は、リリス様との幸福な未来を祝うための婚約式でございます! 多くの投資家諸侯や貴婦人の皆さまにご参集いただき、私は感無量で……」


 声が高まるたびに、豪奢な照明が舞台を照らし、周囲の反響も高まる。


 ところが、リリスは壇上に上がっても拍手に応えず、むしろ別の方向へ視線を送る。

 続いて、護衛が小さな銀盆を差し出した。

 その上には、もうひとつ赤い宝石の指輪が載っている。


「……これは?」


 クロヴィスは嫌な予感を覚えた。

 リリスが微笑みを湛えたまま、銀盆から指輪を取り上げ、クロヴィスの左手を取ったのだ。


 「せっかくだから、おそろいの指輪をつけましょう? 私だけがこんなに素敵な宝石を頂いているのは不公平だもの。クロヴィス侯爵にも、ぜひ……」


 そう言いながら、その指輪をクロヴィスの薬指にはめていく。


 会場中がいっそう沸き立つ。


「おお、なんとロマンチックな……!」

「素晴らしいわ。歯車が噛み合うように、指輪の輝きも対になるのね」


 見守る人々の目には、求婚への返礼としてリリスがおそろいの指輪を返す最高のシーン。

 クロヴィスもまた、外見だけを見ればこの上ない幸せそうな男に見える。


 だが、クロヴィスの心は凍りつきそうだった。


(まさか……短時間でこんな指輪を事前に用意していただと……?)


 その指輪の表面は、昨夜の自分が用意したものよりはるかに洗練されていた。

 宝石の奥にも複雑な歯車飾りが透けて見える。


 そしてなにより──見覚えのある魔術の痕跡を、うっすらと感じるのだ。

 すぐに外そうと思った瞬間、リリスが微妙に力を込めてクロヴィスの手を握り留める。


「あら、外さないで?『あなたとおそろいの指輪』を返したのよ?」


 ほんの一瞬、リリスの笑みの向こうで閃いた氷の刃。

 その言葉を聞いた瞬間、クロヴィスは息が止まりかけた。


「そ、そんな……」


 周囲はまだロマンチックなムードの拍手に包まれている。

 リリスはクロヴィスの手を離し、壇の中央で向き直る。


 そして、右手に着けた指輪を……指ごと軽く振りかざした。

 一瞬、赤い宝石がきらめく。

 次の瞬間、硬質な音とともに指輪が砕け散った。

 宝石片が壇上に散乱し、一瞬遅れて参加者たちのざわめく。


「え? 壊した……?」

「ど、どういうことなの……?」


 クロヴィスは言葉を失った。


(まさか……外すどころか、自ら砕いた!? 爆発は? 起爆装置は?)


 確かに昨夜、彼女がはめていたはずの『爆薬指輪』

 砕かれたそれが偽物だったと、この時になってようやくクロヴィスは悟る。


 周囲の貴族や投資家らは唖然としている。

 あんなに高級そうな硬い宝石が跡形もなく粉砕されるなんて……理由がわからない。


 しかし、リリスはまるで何事もなかったかのように、涼やかな声を落とす。


「まあ……侯爵様の自信作、ずいぶん華奢だったのね。触れただけで崩れ落ちるなんて、錆びた歯車が散るみたいだったわ!」


 その言葉に籠った棘を、クロヴィスははっきりと感じていた。

 同時に、左手の薬指にある『新たな指輪』が重く感じられる。

 そしてようやく観客たちにも不穏な気配が伝わり始めた。


 壇上の二人を見比べ、誰かが息を呑む。

 「もしかして……クロヴィス様がリリス様に渡した指輪は、何か裏があったのでは?」

 あちこちで小声の囁きが連鎖反応を起こす。


 クロヴィスは必死に体裁を取り繕おうとするが、何を言えばいいのか分からない。

 リリスはクロヴィスの横へそっと歩み寄り、頬が触れそうな距離で囁く。


「さて、クロヴィス侯爵。――残念だけれど、この婚約は解消させてもらうわ。先ほどの指輪、あまりにも粗悪だったもの」


 砂糖菓子のように甘い声が、耳奥に氷柱を差し込む。

 そしてリリスはにっこり笑って続ける。


「……外したら爆発するのは知ってるでしょう? でもね、あなたが手と膝を床につけていないと、起爆機構は止まらないようにしておいたの」


 クロヴィスの思考が一気に混乱する。


(な、何だそれは……? 土下座している時だけ回路が停止する仕組みだと?)


「今、あなたが立っているせいで、指輪は常に起動中。起爆するのは時間の問題ってことかしら?」


 クロヴィスは「ぐ……」と声にならない叫びを漏らす。

 それを見てリリスは、さらに畳みかけるように微笑む。


「床に手と膝をついて私に婚約解消と許しを請うべきでは?……そうすれば、声紋で解除してあげるかもしれないわよ?」


 ささやきは低く、凍てついた響きがクロヴィスの耳を打つ。

 彼はためらいを飲み込み、震える脚を折った。


 ――ドサリ。


 深紅の絨毯に額が触れる土下座。

 ホール中がざわめき、ワイングラスの揺れる音さえ止まる。


「リリス様……! ど、どうか……婚約を……婚約解消を……お願い申し上げます!」


 床に手を突き、声をふり絞る。

 婚約式のはずが、一転して解消の嘆願だ。


 気づけば、会場中が異様な空気に包まれている。


「ひどい! 先程まであんなに情熱的に求婚していたくせに、婚約解消を望むだなんて……!」


 リリスはわざと泣きそうな声色を作り、周囲に向けて悲嘆を訴える。

 クロヴィスは抵抗しようにも、下手に立ち上がれば起爆する恐怖がある。


「い、いや……それは……!」


 声は上ずり、額に汗がにじむ。


「いいんですよ、クロヴィス様。私がそんなに嫌なら……この婚約、解消して差し上げますわ……」


 リリスは声を震わせてみせる。

 だが、その瞳には冷静な光が宿り、クロヴィスのすべてを見透かしている。


「どうか、解消を……してください……!」


 クロヴィスは追い詰められた獲物のように叫ぶしかない。



 その光景が、招待客たちにはどう映るか――

 十人いれば十通りの解釈がある。


 「あら、リリス様がかわいそう……」と同情する者もいれば、

 「クロヴィスが仕掛けた罠を返り討ちにされた」と真相を察する者も多い。


 そもそも、リリスは裏社会の大物。

 貴族ならば薄々感づいている場合も少なくないのだ。


 わいわいとざわつく投資家たち。

 特に慧眼の者たちはクロヴィスの怯え切った表情から「完全に敗北したな」と確信する。


「こりゃ、出資金は回収したほうがいい」

「今からでも間に合うぞ」


 そんな囁きが飛び交い、ひそやかに引き上げの動きが始まっていく。

 観客席の最前列から、あるいは奥のほうから、契約書を仕舞い込み始める者たち。

 クロヴィスにとっての数少ない支援者は、ここで雪崩のように離れていく。


 やがて、王都で名高い銀行家までもがこの会場を後にする。

 祝宴のシャンデリアが暗澹とした影を作り出す。


 グラスを持った給仕たちだけが取り残され、ホールには葬式のような静寂が落ちる。

 中央ではリリスがすらりと立ち、クロヴィスが土下座のように伏している。

 そのまわりの床には、砕かれた赤い宝石の破片が散乱。


 ――華々しい婚約式のはずが、一転して凄惨な図となっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
皆様もうすうすそんな気がしてた!そりゃそうか!有名な悪役令嬢でフィクサーですからね!馬鹿な男w
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ