098 海底に眠っていたもの
蝋燭岩は、その名のとおり縦にそびえ立つ円柱状の巨岩であった。
長い年月をかけて波に削られたものという。なるほど、よく見ると海面から離れている上の方が少し太い。
いずれはすり減った下部が、重さに耐えきれなくなって折れてしまうのだろう。まあ、それは何百年も先の話と思うが。
しかしこの奇景も、今の俺の心に響くものではなかった。とても細かく観察する気にはなれん。
情報によれば、ここから西へ20キロ。そこにロッタの父ロベルトさんの交易船、彼の……いや家族の夢の結晶だった「四羽のカモメ号」が沈んでいるはずだ。
チャーターした漁船の周りには複数のブロンズドラゴンがおり、襲撃などあるわけがない。到着まではあっという間だ、今のうちに準備をしておこう。
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「話ガ嘘デナケレバ、大体コノ辺リカ。シバシ待テ、我ラガ手分ケシテ海底ヲ見テコヨウ」
リーダー格の古老に促され、竜たちがざんぶと海へ飛び込んでゆく。
水中でも呼吸できる魔法の薬を用意してはきたが、それでも潜れる時間には限度がある。したがって正確な位置特定までの探索は竜たち(エラ呼吸はできないが、この辺の深さなら息継ぎしなくても大丈夫らしい)が行い、首尾よく船が見つかったら、中に入れるサイズの俺が内部を調査する手はずとなっていた。
「済みませんね、ドラゴンともあろう者にこんなことをさせて」
「気ニスルナ。貰ウモノハ貰ッテイル」
それはそうなんだが。ただ、労力の割に相当良心的な対価ではあった。
なんでも、件のシードラが自分たちの縄張りを荒らすのを防いだ謝礼の分を引いたとのこと。ホントにビジネスライクな竜である。
それはさておき、重苦しい時間が過ぎてゆく。
ロッタもピエトロさんも一言も発さない。単調な波のさざめきの中、穏やかな潮風が吹き抜けるのみ。
太陽の位置はそこまで変わっていないのに、半日も待たされているような気がする。つらい時間ほど長く感じるものだ。
時折、遠くからざばんという音が聞こえる。
そして少しの間を置いて、誰とも知れぬ嘆息が漏れる。その繰り返し。
ドラゴンが浮上しては、また潜ってゆく水しぶきの音、それだけだ。船を発見したら、合図として上空へ稲妻の息を吐く手はずとなっていたが、それはいっこう響く気配がない。
そんなこんなで一刻ほどもしたろうか……
口にこそ出さないものの、皆が心の中で、あの巨大シードラゴンの言葉は嘘だったのか、最後の嫌がらせにデタラメを言ったのか? と思い始めていたであろうその時。
不意に、少し先の海上で轟音が鳴り渡った。合図の稲妻だ!
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現着した俺たちは、まず花束を海に投げてロベルトさんと船員たちの冥福を祈る。追悼の儀は、僧侶として同乗しているゴーティエがやってくれた。滞りなく儀式は終わり、いよいよ調査開始。
「それじゃ、皆はここで待っててくれ」
「うん……お願い」
「気をつけてな、ヒデト」
当たり前だが武具は重い。したがって海に潜るには装備を解除する必要があり、これは本職の戦闘員でないロッタとピエトロさん、重い体と短い手足ゆえ泳ぎが不得手なドワーフのゴーティエには少々荷が勝ちすぎた。沈没船は水棲生物の住処となる、船内に魔物がいる可能性は捨てきれない。
とくに当事者の二人は、いざ船を、そして父の亡骸を目にしたとき、どれだけ平静を保てるか。それらを考慮してまず俺と、あと周辺警戒をするドラゴン一匹が潜って内部を確認するのだ。
弔いの花束を持ち、短刀ひとつを腰に携えて海底へ。水練は戦士の必修科目ゆえ、母さんに幼少の頃からみっちり叩き込まれていた。
(こんな形で来なければ、素直に綺麗だと思えたんだろうがな)
ランテルナの海は透明度が高い。幾筋もの陽光がかなりの深さまで差しこんで、まるで魔物のような巨岩や、その周囲を泳ぐ色とりどりの魚を照らしている。随伴するドラゴンを見て逃げる魚たちの鱗が光を反射し、水の色とあいまってキラキラと蒼い輝きを放ってはどこかへ消えてゆく。
そして静かだ。時おり空気を吐く以外は、音らしい音も聞こえ……いや、自分の心音くらいか。
静寂が支配するブルーの空間は、しかし深さとともに、光届かぬ暗黒の世界へとその容貌を変化させていった。
自然とは、美しく数多の恩恵をもたらす恵みであると同時に、人の力が及ばぬ圧倒的脅威でもある。徐々に真っ暗になってゆく海底は、まるでランテルナの海そのものが、穏やかな表の顔を脱ぎ捨てて牙を剥くようにも思える……。
やがて、あらかじめ付与しておいた明かりの魔法が照らす先に、ぼんやりと細長いものが見えてきた。
明らかに人工物だ。近寄ってみれば、それは沈没船であった。
(間違いない。中型で船首に銀の女神像、ロッタから聞いたとおりだ)
ほの暗い海底に、ロベルトさんの船「四羽のカモメ号」が横たわっていた。
まるで、時の流れから取り残されたかのように。見つけてくれる人を、ずっと待ちわびていたかのように。
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(確かに、これはシードラの仕業じゃないぞ)
それが船体を見た第一印象だった。
あまりにも損壊が少なすぎる。
20メートル超えのあいつでなくても、竜に沈められたならバラバラかそれに近いはず。なのにどうだ、ほぼ無傷じゃないか。ていうかこの位置からじゃ、マジでどこも壊れてるように見えん。帆柱すら健在なのだ。
ひととおり外部を調べてみて分かった。船底に小さな穴が開いている。傷らしい傷はそれのみ。
どういうことだ?
いや、考えていても始まらん。疑念は尽きないが、ひとまずそれは置いといて内部の調査に移ろう。ドラゴンにビビって逃げたか、魔物の気配もないし。
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(これは……?)
船内を見れば見るほど違和感が募る。これまたほとんど壊れていないのだ。
多数の白骨化した遺体があった。乗組員のものだろう。この中に船主のロベルトさんもいるはずで、それは後でロッタたちに確認してもらうことになる……。
そして奇妙なことに、亡骸はいずれも破れた衣類や空っぽの鞘といった遺品が残っており、骨格もまったく原型を留めていた。大型のモンスターに襲われたなら、食いちぎられて欠損しているはずなのに。
厭な予感が増してゆく。遺体の損壊が少ないのと身元の確認が容易なのはいいが、それと不自然さは別だ。
ともかく、お骨が散らばらぬよう亡骸を袋に納めつつ探索を続行。そして貨物室を見るに至って、疑惑が確信に変わる。
(船を沈めたのは竜じゃない。魔物でもない。考えたくはないが……)
人間だ。
根拠はふたつ。まず一つは積み荷の木箱や樽、素焼きの壺などがほとんど残っておらず、代わりに多数の岩、沈めるための重りがあったこと。こんな隠蔽工作をする魔物は聞いたことがない。
そしてもう一つは、外からも見えた船底の穴だった。船内に、割れた板の破片が見当たらないのである。
大型の魔物に襲われて開いた穴なら、外から攻撃されているから中に木片が散乱しているはずだ。扉は閉まっていたし、まさか岩の隙間をくぐり抜けてこの小さな穴から全部流れ出た訳でもないだろう。
つまり、この穴は突入してきた敵に中から開けられたものと思ってよい。よくよく調べてみれば案の定、破損部分に凹みがあった。おそらくはハンマーによる打撃痕……
沈没の真相は人間、海賊による襲撃だったのだ。それがどういう経緯か知らんが、シードラゴンによるものと誤って伝わっていた、ということになる。
(ん?)
ふと視界の端に、キラリと光るものが見えた。
なんだ? 略奪を終えて、証拠隠滅に船を沈めるために底に穴を開け岩をばらまいて、大急ぎで撤収するとき落としていった金貨か何かだろうか。
もし装飾品の類なら、形見としてご遺族に返還できるかもしれない。回収しておこう。
そしてそれを手にして。
(これは……!!)
俺は全身の血が逆流するような衝撃を覚えた。
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灯台が水面の彼方を照らし、揺れる波間に漁火が揺れ始める頃。ランテルナの港の片隅に……
「うわぁぁぁ~っ! お父さぁぁ~ん!!」
「父さん! 父さんっ!」
「あなたぁぁ~!」
ロッタたちの慟哭が響いた。
ブロンズドラゴンによって引き揚げられ、ここまで曳航(ロープなどで引っ張って移動させること)されてきた四羽のカモメ号。その中で、ロベルトさんと妻子らが悲しみの対面を果たしたのである。
これは他人の立ち入る、いや立ち入れることではないし、かける言葉も見つからない。俺とゴーティエ、出迎えにきたリュカとメイベル、さらにドラゴンたちは船外に待機し、ただ静かに瞑目して犠牲者を悼む。
やがて袋詰めのご遺体とともに、ロッタたちが船から出てきた。クラウディアさんが気丈にも涙をぬぐい、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。やっと、やっと主人が帰ってまいりました……。ヒデト様、ゴーティエ様、そしてブロンズドラゴンの皆様方には、なんとお礼を申し上げればよいやら」
「礼など……。この度は、お悔やみを申し上げます」
そして竜たちとも別れの時がやってきた。宵闇の迫るなか、碧緑の巨体が次々に飛び立ってゆく。
「人間ノ勇者ヨ。ソナタトハ、イズレマタ会エルヤモ知レヌ」
「と言うと?」
「我ラハ長イ歴史ノ中デ、幾人モノ英雄ヲ背ニ乗セテ戦場ヲ翔テキタ。カクイウ我モナ。ソシテソナタニハ、ソノ英雄タチト同ジモノヲ感ジル。人間風ニ言ウナラ『オーラ』ヲダ」
「そんな。買いかぶりですよ」
「ドウカナ。マアイイ、ソレハイズレ分カロウ。ヒトマズサラバダ、勇者ヨ」
古老の竜が去ってゆく空を、俺はしばらくぼんやりと見つめていた。その言葉の意味を噛みしめながら。
確かに英雄叙事詩には、ドラゴンに騎乗した戦士の伝説がいくつもある。世界に危機が訪れたとき、人と竜とが力を合わせて邪悪に立ち向かうというものだ。
ふと、ガドラム山脈の戦いが思い起こされた。
魔王ザラターは、魔界の勢力争いに敗れてこの世界へ落ち延びてきた。つまり、そのザラターを追いつめた別の魔王がいる……
「まさかな」
俺は雑念を払うように独りごちた。
単なる伝説さ。だいたい世界規模の大軍が魔界から来られるわけねーだろ。俺は邪悪な召喚魔法には詳しくないが、異界との境目を越えるのは使い魔すら一苦労らしいし。
危機うんぬんは異民族との戦とか、そういう歴史的事実が脚色されただけのこと。訪れない事態を心配するのはナンセンスだ。
豆粒ほどになっていた影は、もう見えない。
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ロッタたち、そして無言の帰宅をするロベルトさんの四人を家まで送り、俺はひとまずお暇する。
今はそっとしておくべきだろう。それに、こっちはこっちで殺ることができた。
「願わくば一手の御指南に与りたい。ああそうだ、確かにそう言ったさ」
ポーチから取り出した小さな布切れ包み。こいつはロッタたちが落ち着きを取り戻すまで見せない方がいい。
血のたぎりが治まらない。興奮と怒りで手が震える。
「だが貴様とは、どうやら稽古じゃなく命のやりとりをすることになりそうだな、処刑刀のギルスタン」
ぼろ布をゆっくり広げれば、路傍の灯火を反射して小さな金属片が輝く。
貴重なオリハルコンと魔法銀を組み合わせた金銀の刃文。ドワーフ秘伝の技術で造られた最上級の業物……
オルフラム(黄金の炎)の剣の切っ先だ!!
そしてその刀身には、はっきりと「ベル」の文字が刻まれていた。




