107 戦火の足音
その日。
俺は討伐や探索に出るでもなく、領主様の館へ剣術指南に赴くでもなく、はたまた街歩きするでもなく、一日中宿に籠っていた。冒険者は命がけの職業ゆえ、たまには休まないと体、なにより精神がもたないためだ。
予定の合う人が誰もいなかったから完全ぼっち、だもんで窓の下にカ○ダ川が流れていそうな部屋で母さんへの手紙をしたためたり、装備をまとめて点検したり、巷で流行りの本を読んだり。たまにはこんな休日もいいよね。
で、気がつけば陽が暮れていた。鎧を磨くのを中断して読書していたら、つい夢中になってしまったらしい。お掃除あるあるである。
「あらら、もうこんな時間かよ。メシ作るのめんどいし一階のバルで済ませるか」
と、テキトーにパンと野菜スープ、チーズとゆで卵の簡素な食事を腹に入れていたら。
表通りから、けたたましい馬蹄の響きが聞こえてくる。こんな時刻というのに、かなりの速さで駆けさせているようだ。
(非常識なやつだな。馬を走らせたいなら昼間に遠乗りに行けよ)
呑気にもそう思っていたら、すぐ外で音が止まった。そして勢いよく扉が開いて……
「ヒデトくん! ヒデトくんはいるかい!?」
なんと、駆け込んできたのはキュルマさんではないか!
「キュルマさん!?」
お気楽ムードが一瞬でふっ飛ぶ。彼女は本来こんなことをする人じゃない。つまり、何かしら非常事態が起きたということだ。
「そのままでいいから、すぐ来てくれ!」
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やってきたのは領主様の館。大広間に通され、集まっていた顔ぶれを見て、緊張感がさらに増してゆく。
領主であるフェルスター辺境伯をはじめ、先代領主つまり領主様のお父上。さらにアニス王女、ジョゼットさんとそのご主人である先代メリロー子爵。冒険者ギルドからはマスター、それにシルフォード辺境伯の三男セイン。面識はないが地位の高そうな人も多数。まず、この町の主要人物が勢揃いしていると思ってよかろう。
その主要人物たちはというと、普段は天真爛漫な姫様は沈んだ、他の多くは緊迫した雰囲気を漂わせている。いったい何が……?
「ああ、ヒデトさま!」
アニス王女が駆け寄って抱きついてきた。周囲は咎める様子もない。
エメラルド色の瞳が潤んでいる。華奢な身体が震えている。
すがるように抱擁を求めてくる少女は、まるで爪を立ててしがみついて離れない、怯えた子猫のようだった。強く抱きしめたら、そのまま壊れてしまいそうなほど儚げだ。
「私、どうなってしまうんでしょう……。怖い。ヒデトさま、どこにも行かないで。私のそばにいて……」
「姫様、いったい何が」
その言葉を領主様が遮る。
「詳しくは全員集まってから話そう。今はそのままにさせてあげてくれ。少しは不安が紛れるだろうから……。きみも気を確かにな。何を聞いても動揺せぬように」
さすがの俺も、厭な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。こいつはただ事じゃない。
待つことしばし。やがて院長先生ほか数名が到着すると、領主様が重い口を開いた。
「皆さん、まずは夜分に不躾な召集をかけたことをお詫びいたします。しかしながら、そうせざるを得ない事態が起きてしまったのです」
そして告げられたのは……
国王陛下が身罷られた(死亡した)という、衝撃的な報せであった。
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事のあらましはこうだ。
還暦での生前退位を控え、王は各地の有力貴族の領地を訪れることが増えていた。もともと国内の巡察は統治に必要なことであったが、智勇兼備のフィリップ王子、野心家のジェローム王子、一部の大貴族からの支持が厚いルイ王子、その誰を後継者に指名しても異を唱えず新政権を支えよ、と釘を刺す意図もあったろう。
どれほどの効果があったか疑問ではある。王の椅子がひとつで、それに座りたい者が複数いたら、どうしたって争いは避けられない。
むろん陛下とて、そんなことは百も承知だったろうが……やれるだけのことはやっておくということか。
で、ほんの十日ほど前。
ルイ派の有力貴族である、なんとか侯爵の館での晩餐会――自陣営の結束強化のためか、ルイ王子もその場にいた――において、陛下は突然体調を崩し、ほとんど治療する間もないまま、狼狽えるルイ王子と侯爵に看取られて息を閉じたという。享年五十九。
死因は不明。ただ情報によると、倒れたとき頭痛を訴えて激しく嘔吐し、また体が痺れて動かず、言葉も呂律が回らなくなったとのこと。
「話を聞く限り、典型的な脳内出血の症状に思えますが……」
誰かがつぶやく。しかし領主様の表情は険しい。
「ええ。ただ、世間がどう思うかは別です」
後継者候補三人のうち、ルイ王子はもっとも劣勢の状況にあった。もともと能力と人格の両方でいい噂が聞こえないうえ、先のランテルナ行脚で俺がギルスタンの悪事を暴いたことで、有力な後ろ楯だったベルガモ子爵の力を大きく削がれたためである。
指名される可能性はきわめて低い。
そして他の二人のどちらが王になろうと、これまで兄弟として同格(少なくとも本人はそう思っているだろう)だった相手を、陛下と呼んで跪かねばならなくなる。それは人一倍プライドの高いルイ王子にとって、決して容認できぬことであった。
ならいっそ王を亡き者とし、自分を指名したと遺言を捏造してしまえばよいではないか。いや違う、耄碌して選択を誤るであろう王に代わって正義を執行するのだ。悪いのは自分を後継者に選ばない王なのだから……
「まさか、いくらなんでもそんな。親殺しを」
「いや、そのまさかやもしれませんぞ」
何人かが憶測を述べるが真相は分からない。自然死かもしれない。ていうかたぶんそうだろう。
ただ、非常に我儘で全てが思いどおりにならないと気が済まないルイ王子、そしてそれにすり寄る侯爵には、白をグレーに、グレーを黒に思わせるものがあったことも事実だ。
少なくとも、対立勢力が不審の目を向けることは間違いなかった。というより、真偽のほどがどうあれ「クロ」にさせられるのは避けられない。
ボンクラでもそのくらいは分かる。
なので彼は暴挙に出た。
どうせ犯人扱いされるなら、と開き直った。侯爵の甘言も囁かれたかもしれない。
「国王陛下は、余を後継者に指名して目を閉じられた。よって今より、余が新国王ルイ・ド・シーニュ1世としてエスパルダ王国を統治する。これは先王のご遺志であり、従わぬ者は逆賊である」
と、一方的に宣言したのだ。さらに、正統性をアピールするため陛下の葬儀も……正式なものは後日として簡易的なものだが、それも単独で行うとのこと。これは伝令が出た時点の情報なので、もう終えているだろう。
むろん、あとの二人が黙っているわけがない。たちまち、「親殺しの大罪人ルイ討つべし」の檄が飛ぶ。
それぞれの領地で、戦士たちが鎧櫃(鎧の収納ケース)の結び紐をほどき始めた。彼らの手はふさがっていた。片方は武器で、もう一方の手は砥石で……
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「しかし、ルイ王子の勢力はもっとも小規模だった。この件を受けて各陣営で人の出入りはあるでしょうが、おそらくルイ派は参入より離反のほうが多いはず。無謀に過ぎませぬか?」
誰かの言葉に皆が頷く。
しかし領主様の口から飛び出したのは、さらに驚くべきことだった。なんとルイ王子は劣勢を補うため、なりふり構わず他国と手を組むつもりだという!
内訳はこう。まず、土地が痩せ慢性的な資源の不足から、エスパルダ王国の豊かさに羨望と嫉妬を抱くホラミオ王国。
次に、かつてベルガモ子爵が治める町、港湾都市ランテルナが属していたヴァスコ王国。
そして、かつて大魔法使い「魔人王マティアス1世」が簒奪で建国し、彼の死後は四百年も混乱が続いているドラグーン王国。
とくにこの国はエスパルダとは対立の歴史が長い。現在のエスパルダ領には、元ドラグーンの土地も多いのだ。豊かなランテルナを取られたヴァスコもそうだが、向こうにしてみれば恨み骨髄というところだろう。
むろんタダで協力してもらえるはずもなく、もしルイ王子が競争者を排除したら、王国の領土が割譲されるのは避けられまい。それどころか、最悪その三国から侵攻されて国が滅ぶ可能性すらある。そのとき、力なき無辜(何の罪もないこと)の民、ことに若い女性が、そして王女である姫様がどんな扱いを受けるか……。
「なんてことを! まるで売国じゃないですか!」
マスターが憤って叫んだ。いつも穏和なこの人が、これほど声を荒げたのは見たことがない。だがそれも当然だろう。
利害で敵味方が変わるのは世の常とはいうものの、ホラミオはともかく遺恨あるヴァスコやドラグーンに助けを求めるなど愚の骨頂だ。いつ後ろから襲われるか、仮にそうならず血まみれの王冠を戴いたとしても、どれだけ足元を見られるか分かったものではない。
追いつめられた者は判断力を失う。もともと短慮ならなおさらだ。最悪の時と場所で訪れた王の死は、ルイ王子の支離滅裂な暴走という最悪のシナリオで歴史の歯車を動かしたのである。もっとも本人だけは、都合のいい願望丸出しの皮算用でもしているのだろうが。
領主様が立ち上がり、拳をふりかざす。
「もはや是非もなし。わがフェルスター家は、総力をもってアニス殿下を支えフィリップ王子を扶け、ルイ王子および外敵の排除にかかります。これは反逆ではありません、愛する祖国を、大切な家族を守るための聖戦なのです。ついては皆様も、一致協力してこの歴史的難事に立ち向かう覚悟を決めていただきたい!」
反論する者は、誰もいなかった。
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軍備を整える期間はあっという間に過ぎて……
「領主さま、万歳」
「フィリップ殿下、アニス王女に栄光あれ」
「桜樹の剣士に武神の加護を」
沿道に詰めかけた人々が、花を投げて出陣する将兵らを祝福する。その中には姫様をはじめ、マスターやエマおばさん、ロッタやリーズの姿もあった。これからの過酷な戦いを予告するように城門が重い音を立てて開くと、衛兵のラッパが高らかに鳴り響く。
冒険者も領主の軍に組み込まれ、ついに王位をめぐる内乱が始まった。避けられぬことと覚悟していたとはいえ、盗賊でも魔物でもない同胞との戦い……
俺は「有事には領主の指揮下に入る」という高ランク冒険者の義務により、客将として従軍することになった。
むろん町をがら空きにもできないので、冒険者は大半が防衛戦力となる。今回出陣しているのは三十人ほどだが、俺と面識があるのはセインとゾイスタン、ラウル、リュカ、そして各種儀式を行う従軍僧侶も兼ねるゴーティエだけだ。
アルゴは守りの切り札としてギルドに残ったが、これはドワーフ王国という異国出身であることも無関係ではない。結局この戦の発端は、エスパルダ王国の内輪揉めなのだから。
また、女性陣も全員居残り。戦場のこととて、女性には見せられない光景が展開される可能性がある……
ともあれ軍勢は進む。まずは地固めに周辺の対立勢力を懐柔、それが無理なら制圧せねばならない。
目指すは、近隣のとある伯爵領。ガドラム山脈へ行くとき、橋で出会ったあの男爵が傘下に入っていた貴族の領地である。
その男爵はジョゼットさんの説得でフィリップ陣営につき、ルイ派の伯からすると裏切り者になる。攻められたら長くは持たないだろう。
逆にこちらから見ると新たな味方なわけで、これを見捨てては面子が立たぬ。よって男爵を助け、可能なら伯爵を自陣営に引き込む必要があった。
(森で働けなくなった領民のために、自ら体を張っていた人だ。死なせはしない)
ドワーフ王国への旅の途中、男爵との様々なやりとりが思い出される。橋の上の通せんぼ、館での暖かいもてなし。
いつの間にか、兵士らが軍歌を口ずさんでいた。戦いに赴く決意、そして帰りを待つ恋人を歌ったものだ。
俺の帰りを待っててくれるのは誰だろう?
ふとそんな思いが脳裏をかすめ、すぐに消えていった。目的地はまだ遠い。
客将
総大将とは正式な主従関係のない助っ人的な武将。「かくしょう」とも。
従軍僧侶
陣僧とも。わが国では外交官も兼ねた。
通せんぼ男爵&とある伯爵
詳細は63話参照。なんとか侯爵もそうだけど覚えるのめんどいから重要人物でない限り名前は出さないでいるが、テキトーに名付けた方がいいかな?




