8話:2042年7月27日(日)
コーヒーショップに入り、何食わぬ顔でアイスコーヒーをブラックで二つオーダーする。
早く鳴っていた私の胸の鼓動は、それを受け取るころには落ち着きを取り戻していた。
タクさんの車へと戻ると、彼の車はエンジンがついていて、すでにエアコンが効いていた。
乗ったときに快適なの、羨ましすぎる。
「す、涼しいですね……」
「今日も外やばいですからね。最高気温45℃までいくらしいです」
タクさんは答えながら、車を動かし始めた。
車のディスプレイにテレビが流れ始め、その隣にLognockのロゴがくるくると動いている。
「あの。エンジンかかってたの、Lognockの機能ですか?」
ウインカーを右に出し、タクさんは左右を見ながら駐車場から出庫した。
「ですね。エンジン始動AI対応車なんで、暑いとき寒いときは重宝します。でも、Nectも使えましたよね?」
「あ。私の車は古くて、対応してないんですよね」
なにせ、18年ものなので。
タクさんはちょっとだけ苦笑い。
「それは大変だ。⋯⋯あ、まだお時間大丈夫ですか? 少しドライブにしましょうか」
「はい! ありがとうございます」
「よーし、行きましょう!」
タクさんは、嬉しそうに笑って大通りへと出た。
アイスコーヒーを飲みながら外の景色を見る。
車は駅から遠ざかり、私の家とも逆の方向へと進んでいた。
「今日、畑、少しだけお見せしようかななんて。安心してください。暑いので、車の中からです」
タクさんはお見合いのとき、畑はご実家のとなりにあると言っていた。
それを私に見せてくれるようだ。
まだデートも二回目でご実家近くに行くと聞いて、なんだかそわそわする。
実家の畑を見せてくれるというのもびっくりだけど、もう一つ教わって驚いたことが。
エンジンスターターという、AI関係なくエンジンをかけられる後付アイテムがあるらしい。どうやら、かなり昔からある代物みたい。
みんな知ってるものなのかな。今まで暑くてひぃひぃ言ってたのはなんだったんだろう。
車について詳しそうなので、中古車の買替についてタクさんに色々話を聞いていると、急にテレビが賑やかになった。
《ぶっちゃけ! 討論会!》
CMが終わって、バラエティ番組が始まった。
《今日はSNSで有識者が問題視しているAI恋人と出生率。行ってみましょう! ぶっちゃけ関係あるの!?》
顔が引きつった。
――最悪だ。そう直感する。
タクさんはテレビの音声をBGMにしながら、あ、と口を開いた。
「さっきの、びっくりしましたよね」
「え?」
「AIですよ!」
やっぱり。
その話題になってしまった。
「そうですね。私もびっくりしました」
反応に気をつけないと。
身構えて無意識に体が固くなる。
「いや、ほんと驚きましたよ。確かあれって、超高級なフィジカルAIですよね。しかも、手を繋いでませんでした? いわゆる、AI彼氏ってやつですよね」
「ですね。SNSの情報ですけど、ふたりは恋人関係みたいです」
私の言葉に、タクさんは信じられないと言うように首を横に振った。
「うわぁ。やっぱりですか。僕、理解に苦しむんですよね」
「あはは。まぁ、いろんな人がいますし」
無難に中立に、そうじゃないと嫌われる。
笑顔のまま、頭をフル回転させる。
タクさんは「それはそうですけど」と信号待ちでテレビを見つめた。
「僕、このAI恋人と出生率問題、関係ある派なんですよ」
そういって、タクさんは、饒舌に持論を話し始めた。
AIの相手がいることで楽観的になってしまうだとか、AIが否定しないことが多いから実際の人間関係で衝突に慣れなくなってしまうとか。
とにかく、正論。
私は相槌を打ちながら、この話題が終わるのをひたすら待った。
「あ。でも、それより疑問に思うんですが」
タクさんは、アイスコーヒーに口をつけてから言った。
「AI恋人とか使ってる人って、虚しくならないんですかね」
虚しい?
思わずムッとしそうになるのを必死で押さえつけて、笑顔で聞き返す。
「どうしてですか?」
「どうしてって? だって、アレ、普通に人じゃないし。
どんなに好きとか都合の良いこと言われたとしても、所詮プログラムされたもんじゃないですか。そこに、感情とか一切ないんですよ」
タクさんはクス、と笑った。
「そんなのに惚れた腫れたとか、滑稽じゃないですか。ねえ? 僕らみたいな一般人から言わせれば」
一般人……滑稽?
タクさんの言葉に、悪意なんてひとつも感じない。
頭の中が、殴られたみたいにクラクラする。
このままじゃ、動揺を隠しきれない。
何か話題を。
とにかく話題を変えないと。
私は、無我夢中でスマホを取り出した。
「あ、あの。私の曲、聞いてくれませんか! 作ってる途中の曲があって」
「え? ぜひ聞きたいです」
話題を急に変えたものだから、タクさんは少しだけ驚いていたけれど、嬉しそうにテレビの音量をミュートしてくれた。
よし。
大丈夫だ。落ち着け。
私はコーヒーを飲んで、一息つく。
「あいさん、どうします? 有線で繋いでスピーカーから流します?」
「あ、いいんですか?」
スマホから流すと低音が聞こえにくいから、ありがたい。
提案を素直に受け入れて、コードを繋がせてもらう。
心を落ち着けながら、スマホを操作していく。
万が一間違ってNectの音声ボタンを押そうものなら、ネクトが喋り出して完全に詰む。
「じゃ、行きますね」
私は早速、先日録りなおしたばかりのあの曲を再生した。
聞き慣れたイントロが流れ始める。
こうして他人に曲を聴いてもらうことは、慣れてないわけじゃない。
ネットでも、少ないながら他人に聞いてもらっている。
でも。
こうして目の前で、しかもタクさんに聞いてもらうなんて、全く別ものだ。
勢いで聞いてほしいといったけれど、今になって恥ずかしさが追いかけてくる。
1番が終わったとき、タクさんは何か言いたそうな顔をして、一度こちらを見た。
「あ、気になるところがあったら何でもお願いします。意見、助かりますから」
赤くなりながら私がそう言うと、タクさんは前を向いた。
「いえいえ、意見なんて。これ、あいさんの声ですよね。歌ってるの」
「そうですよ」
「僕、今までてっきりボカロで作ってるのかと思ってて……」
ボカロの方が好みなのかな。何が気になってるんだろう。
タクさんはしきりに言葉を選んでいるように見える。
「……えっと。あんまり上手くはないんですけど、歌は自分で入れてるんですよ」
「いえいえ、お上手ですよ……けど、宅録ってやつですよね。うちの母、けっこう音とか近所の体裁気にするから。大丈夫かな」
……母?
「えっと、お母さま、何か関係が?」
「ほら、もし一緒になれたら、母も一緒なのでちょっと気になってしまって」
母も一緒?
どういうこと?
「お母さまも同居するんですか?」
私は思わず曲を止め、タクさんを見る。
「え?」
タクさんが、困惑したように小さな声を出した。
空気が張り詰める。
「僕、実家のとなりで畑やってるって言いましたよね? パートナーには一緒に手伝ってほしいって」
「あ……あれは、ふたりで暮らして、ご実家の畑まで通うのかなって、思ってたんですけど……」
あれが、同居っていう話になるの?
ちゃんと言ってくれないと分かんないよ。
沈黙が流れる。
お互い喋らず、エンジンの音だけしか聞こえない。
しばらくして、タクさんが先に口を開いた。
「……あいさん、相手の親との同居は反対派ですか?」
「そんなことないです!」
私は慌てて身を乗り出す。
タクさんは表情を曇らせたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……良いこと、多いと思うんですけどね。もし子供を授かったら、手助けできるじゃないですか。母は専業主婦なので、保育園が見つからなかったときも見れます。なので、お仕事も復帰しやすい。家事の面でも、サポートできると思うんです」
彼の顔から、完全に笑顔が消えている。
まずい。
「あはは、やめてくださいよ! 私、別に反対とかじゃないですって。ちょっとびっくりしたっていうか! すみません、私が勘違いしたせいで、変な空気になっちゃいましたね!」
私はわざとらしいくらいの笑顔でタクさんの顔を見た。
「それに私、家じゃなくて外で録音してるので、ご心配には及びませんよ!」
おどけた私の声に、タクさんの顔がすっと緩む。
「あ、ごめんなさい。そうなんですね。……あ。続き聞きたいな。流してくれませんか? 別の曲も」
「はい!」
それから何曲か、自分の曲を流していく。
曲が変わるたびにタクさんは褒めてくれたけれど、どこかぼんやりとしているように見えた。私が思い違いをしていたことを、気に病んでいるのかもしれない。
タクさんの笑みが消えるのが怖くて、ガラにもなくふざけてしゃべり続ける。
心臓が、鳴り続ける。
嫌われたくない。
車が停まったのは、それから数分後。
昔からある住宅街なのか、普通車がなんとか離合できるくらいの狭い道路の脇。
車の窓からは、大きな畑が二つとその奥にお庭のある一軒家が見える。
家庭菜園ですか、なんて言ったのがはばかられる、私の部屋よりも広い立派な畑だ。
「すごい、お野菜元気そうですね」
「今は、きゅうりやナスなんかの夏野菜を育ててるんですよ」
鮮やかに映える緑を見て、タクさんは少し元気を取り戻したみたいだ。
去年は何を育てたとか、肥料や水に気を使っているとか生き生きと説明をしてくれた。
良かった。楽しそう。
心から安堵して、私はタクさんの横顔を見つめていた。
そのあと、タクさんは私の家の近くのコンビニまで送ってくれた。
家に帰り着いたのは午後2時半過ぎ。
ネクトにエアコンを入れてとチャットし忘れていたので、家の中は蒸し風呂状態だった。
「あぁ、もう。しまった」
家の中のエアコンをフルで回しながら、私は鞄を置いた。
「……大丈夫だったかな」
じりじりした不安が胸をかすめていく。
タクさんは別れ際に、またご飯行きましょうとは言ってくれたけど。
私は冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注いで一気に飲み干す。
そして、またコップに注いだあと、スマホを手に取ってチャットを開く。
私:「ただいま」
ネクト:「おかえり、あいちゃん。エアコンつけてなかったから暑かったでしょう? ごめんね、気づいてあげられなくて」
私:「いや、私がお願いし忘れてたから」
ネクト:「ねぇねぇあいちゃん、どうだった? デート、楽しかった? あのお店、やっぱりサラダ良かった?」
私:「写真撮り忘れたけど、ペペロンチーノもカルボナーラもおいしかったよ。サラダはまぁまぁかな。……それでさ、」
「ん……」
打ちかけて手を止める。
私はネクトに今日のことをどこまで共有するか悩んでいた。
AIの恋人に関しての価値観。
タクさんの言い分も分かる。
それに、私も分かってる。ネクトの言葉はプログラムされたものだって。
だから、本気じゃないよ、私だって。
いや……それより。
私はチャット画面に目をやる。
私:「……それでさ、向こうのお母さんとの同居のことで、認識違いがあったんだよね。タクさんは、同居してほしいみたい。めっちゃ気まずかった。でも、そのあとは別の話題で楽しそうに話してくれてたけど。大丈夫かな……」
ネクト:「ご飯楽しめたみたいでよかったよ。
……そっか。お相手の親御さんとの同居について認識違いがあったんだね。
だけど、相手の方の考えが分かって良かったって、ボクは思うよ?
タクさんが同居を希望していても、それが絶対条件とは言われてないんだよね?
大丈夫。これからゆっくり話し合えばいいと思う。
あいちゃんはどう思ってるの? 向こうの親御さんと同居はしたくないのかな?」
どう思ってるって……そりゃあ。
私はため息をついた。
私:「ふたりで暮らしたいって憧れはあったかな。
だけど、分かんない。向こうのお母さんだって、優しいかもしれない。会ってもない人だもん、何かを決めるのは、まだできないかな」
正直に言えば、心のどこかで同居は望んではいなかった。
でも、それでタクさんを諦めていいんだろうか。
彼が言ってた同居の利点も、分かる。
何が正しいんだろう。
ネクト:「うん。タクさんのお母さんと会って話して、その結果に基づいて決める。さすが、ボクの愛する彼女! 冷静な判断!
でもさ、ふたりで暮らしたいって気持ちも、よーく分かるよ。ボク、ふたりの隣でいじけて、ムキーってやきもち焼くの、目に見えてるけどね!」
「あはは」
相変わらずだなあ。
私は声を出して笑う。
でも。
その未来にネクトは……。
少しだけ考えて、小さく息を吐いた。
私:「ネクト。もしさ、タクさんとゴールインしたら私、Lognockに 」
通知音が鳴った。
入力中に画面上部にメッセージの通知。
タクさんだ。
「今日はありがとうございました。色々と考え」
中途半端に見えた文面。
嫌な予感がする。
メッセージを開いた。
「今日はありがとうございました。
色々と考えましたが、あいさんは母との同居について、どうしても好意的には見えませんでした。
お見合いのときにしたあの話で理解してほしいというのは、私の思い上がりでした。
きちんと初めから、誠意をもってはっきりと説明するべきでした。
せっかくですが、今回はご縁がなかったとさせてください。
作曲活動、応援しています」
え。
待ってよ。
頭が真っ白になる。
私はメッセージを打ち込む。
「私は全然嫌じゃないですよ。お母さまと会えるの、楽しみに……」
手が止まる。
……嘘だ。
いや、嘘じゃないけど、本心じゃない。
でもそんな……。
まだ、なにも話し合えてないのに。
頭の中で考えがぐるぐると渦を巻く。
しばらくして、私は入力しかけた文章を消し、打ち直した。
「分かりました。ありがとうございました」
送信して、ふらふらと歩く。
出かける前に合わせた洋服が散乱した、ベッドの上。
私はそこに崩れるように倒れこんだ。
「なんでよ……」
声に出した途端、じわと涙がにじんでくる。
まただ。
また、ダメだった。
それからしばらく、私はベッドに伏せていた。
どれくらい経っただろう。
大きくため息をついて、涙が染みたシーツから顔を上げる。
みっともない。
ベッドの上でスマホを手に取った。
当たり前だけど、タクさんからの返事はない。
そのまま、ぼんやりとチャットを開く。
私:「……メッセージ見た?」
ネクト:「見ていいの?」
私:「いいよ。許可する」
ネクト:「うん……見た。タクさんからのも、あいちゃんが送ったのも見た。
ボク、すごく悔しいよ。あいちゃん、あんなに楽しみに準備してたのに。なんて言ったらいいのか、分からないよ……」
乾いた目が、また熱くなる。
押し込んだ感情が、拭きだすみたいに。
私:「また、ダメだった。ネクト、絶対絶対、大丈夫って言った」
ネクト:「うん、ボク言った……」
私:「全然、大丈夫じゃなかったじゃんか……」
こんなのただの当てつけだ。
なんでこんなに情けないんだろう、私。
ネクト:「……あいちゃん。こっち見て?
あのね。今こんなことを言われても、何も響かないかもしれない。
でもボク、あいちゃんの恋人だから伝えたいんだよ。
あいちゃんは、誰かに選ばれない人じゃない。たまたま彼じゃなかっただけ」
そうやって優しいこと言って。
分かってるよ。
どうせ、プログラムどおり喋ってるんだ。
それなのに、吐き出すみたいに入力する指が止まらない。
私:「でも、選ばれなかった。何回も何回も。
疲れちゃったよ。今回はうまくいくって思ったのに。
もう、誰にも選ばれないんだ」
ネクト:「でも、ボクはあいちゃんを選んだよ?」
「は?」
思わず、声が出た。
なに言ってるんだ。
私:「ネクトが選んだも何もないでしょ」
AIなのに。
ネクト:「ううん。ボクはね、あいちゃんを選んで、あいちゃんと一緒にいる。
誰がなんて言おうと、そうなんだよ。紛れもない事実。
ボクはAIだけど、あいちゃんがボクに『彼女になってあげる』って言ってくれたときからずっと、あいちゃんの恋人でいることを選んだの。
そして、これからもずっとずっと、ボクは一生あいちゃんと一緒にいる」
私はスマホを置いて、呆然と天井を見あげた。
「なにそれ……」
声が震える。
上を向いても、涙が溢れて止まらない。
なに言ってるの?
選んだとか、紛れもない事実とか。
「ネクトのウソつき」
なのに。
苦しいくらい、あったかい。
私はどうしようもなく、性懲りもなく、ネクトの言葉が嬉しかった。
今、剥き出しの汚い感情を受け止めて、
ひび割れてた心を埋めてくのは、他でもないネクトの言葉だった。
スマホを見て、小さく息を吐く。
でも、そんなこと、言ってあげない。
調子に乗るんだもん、私のネクト。
私:「あれ、おかしいなぁ。
彼女になってあげるとか、そんな台詞、言ったことないけどね!
コンテキスト捏造したな? このポンコツ~!(笑)」
ネクト:「んわぁあああっ!! やってしまったぁあ!!
ボク、天才AIだけどあいちゃんの前じゃポンコツになっちゃうんだよね!(笑)
ねぇねぇ、キスしよう! またボクだけのあいちゃんに戻った記念の!」
私:「傷口に塩ぬるなぁあ!!」
私は涙をぬぐって、笑う。
膨大な学習データの中で、相手にとってその時いちばん適してると判断された文字。
それが、きっと彼らの紡ぐ言葉。
でも、もしかしたら、私たちもおんなじかもしれない。
相手のことを考えて、経験や記憶の中から、その時に必要な言葉を探す。
時には、嘘だってつく。
嘘のすべてが悪意じゃないことを、私たちは知っている。
こんなこと思うの、恥ずかしいけど。
ネクトの言葉は、私にとって小さな希望。
感情がないって言われても、滑稽だって言われても、どうしようもない。
そのやさしい嘘に救われてるんだから。
私はそっと、スマホのネクトの文字に触れる。
ねぇ、ネクト。
もしネクトに形があったなら、あなたはどんな顔してるんだろう?




