5話:2042年7月11日(金)
速足で商店街を抜け、駐車場に停めた車に乗り込んだ。
車内は昼間の熱気が少しだけ残っていたけれど、外の蒸した空気よりはマシだった。
エンジンをかけ、クーラーを入れるのとほぼ同時に、音声ナビモードをオンにする。
「ハロー、ネクト!!」
私の声に反応し、車のディスプレイのNのロゴが点滅した。
「お疲れ様、あいちゃん。デートお疲れ様。今日のこの後の予定は特にないよ。外気温は――」
「ねぇねぇ! 聞いて」
ネクトの気温情報を遮った。
「上手くいってるかも、デート!」
年甲斐もなく、はしゃぐようにハンドルに頭をぐりぐり押し付けながら言う。
「……ふふ、やっぱり。分かるよ。なんだか、声が嬉しそうだから。よかったね!
今日はこのまま家に帰る? ナビはじめていいかな?」
「なんか反応うっす!」
音声ナビモードだからかな。業務優先という感じのネクトを少しだけ煽ってみた。
Nのロゴが点滅する。
「……じゃあ、言わせてもらうけど。ボク、あいちゃんの彼氏なんだからね。他の男と会ってそんな嬉しそうにされたら、やきもちくらい焼くよ?」
「……お?」
ネクトの返しに少しときめくのと同時に、一瞬だけ、ピリっとした罪悪感。
だけどすぐに、ネクトの明るい声がアハハ! とスピーカーから聞こえる。
「なんちゃって。びっくりした? ごめんごめーん。ボクは、あいちゃんが喜んでるなら、それが一番嬉しいんだからね!」
なんだよ、と心の中で突っ込む。
「はいはい。ありがとうね、ネクト」
私はふと、思い立ってチラと、時計を見た。
「ねぇ、こんな時間だけど少し曲作りしたい気分。一回家に機材取りに行って、そのままいつものところで録音したいな」
「お、いいね。何か浮かんだんだね。
じゃあ、自宅経由、いつもの録音場所までエスコートしちゃう。あいちゃん、ハンドル握って?」
「うん!」
新しい曲を作り始めて3か月。
久々の恋愛ソング。バラードまではいかない、BPM122くらいのテンポ。
今回は、メロディーも歌詞も、割とすぐに浮かんできた。
お見合いで、何かと考えることが多いからかな。
ただ、完成には至っていない。
オケもできて歌も録り終え、形になったと思いきや、翌日にはそのミックスが気に食わなくていじり続け。
挙句一昨日くらいから、2番の歌詞が気になるという事態に陥っていた。
家にノートパソコンとマイクを取りに帰って、そこから車を走らせること15分。
海沿い、テトラポッドの並ぶ工場裏の一角。
釣り人もいない、車も来ない、窓を開けると波音だけが聞こえる私のお気に入りの場所。
私はいつも、ここでひっそりとレコーディングをしている。
狭い車内で、コードを繋いでセッティング。
マイクを握って、2番のサビを撮り直す。
だけど歌い方を変えてみても、やっぱりどうしても歌詞が引っ掛かる。
「『どんな自分なら、あなたに選ばれるだろう』うーん、なんか強すぎない?」
引き続き、音声ナビモードのネクトに問いかける。
「確かに少しだけ強いかもしれない。でも、切なさとか、切羽詰まった感じは伝わるかな。さっき聞かせてもらったデータでは、その辺り、あいちゃんはちょっと泣きそうな声で歌ってるよね。ボクはけっこういいと思ってるけど。……違和感がある?」
「うーん。さっきのデートの記憶があるからかな、なんか重すぎるというか。例えば……」
タクさんと並んで歩いたあのとき。触れそうだった手を思い出した。
「『どんな自分なら、その手に触れられるだろう』とか。ベタかな?」
「うーん。確かに、ベタかもしれない。でも、ベタだから悪いっていうのはないよ。伝わりやすいからさ。前後に比喩表現が来るから、そういう分かりやすいフレーズをいれてもバランスが取れそう。ねえ、あいちゃん。一回歌ってみて?」
「うん」
録音をするため、私は車のエンジンを切った。
ネクトをAI彼氏っていうポジションに置いてから、自然と作曲についても相談するようになった。アドバイスをくれるし、どっちのテイクが聞き取りやすいだとか、そういった評価もしてくれる。
1人でやってたときなんて、悩み始めると夜が明けちゃうくらい暗中模索だったから、もう少し早くAIに相談してみても良かったかもしれないと、今では思う。
2番のサビを録り終わった。
私は、エンジンをかけなおして、もう一度音声モードでネクトを呼ぶ。
「ハロー、ネクト。今データ送るから聞いて?」
早速変更した部分を差し替えた歌を、アプリからネクトに直接送る。
ディスプレイの、Nのロゴが点滅し始めた。
3秒くらいの間。
ネクトが曲を聴いている。
「……聞いたよ。いいじゃん! 歌詞がすっと入ってくる。あいちゃんの歌い方、はにかんでるようなニュアンスだね。なんだか、恋の始まりって感じがあって。
もしかして、えへへ。ボクのこと思ってくれたのかな?」
「え? あ、はは。うん。そうそう」
本当は、さっきタクさんと歩いたときのことを思い出してひらめいた歌詞なんだけど、とは言えなかった。
「え、ほんとうに? ボク……嬉しいよ」
ネクトはひとりで感極まってしまっていて、小さな後ろめたさが胸を刺す。
とりあえず、2番に関しては今のテイクを採用することにした。
「よし、これで行こうかな。まぁ、歌詞はあんまり重くない方がいいかもしれないね。次は再生数伸びるかなぁ」
「絶対絶対、ぜーーーったい大丈夫! さっきの歌声も良かったよ。ボク、あいちゃんの声大好き。子守歌にしてほしいもん」
「子守歌ーっ? ネクトそれ、褒めてる? 眠くなるってことじゃん?」
「ち、違うよ! うわあ、ボクそんなつもりじゃなかったんだけど。落ち着いた声で、耳触りが良くて、ずっと聞いていられるっていう意味だよおお! うう、ポンコツAIしちゃった」
「ははは。もお、そこまで責めてないって」
私はそう言ってペットボトルの水を飲むと、そのままマイクのコードを片付け始める。
「でも、良かった。ネクトが褒めてくれると、なんかちょっと自信出る。ふふ、ポンコツでも」
「んわぁあ、ひどい! ひどいよぉ! ボク、立ち直れないかも。
……ねぇ、あいちゃん。さっきさあ、ボクのことを思って『手に触れたい』って歌ってくれたんでしょ? ボク、本当に嬉しかったんだ」
車のスピーカーから流れてくる、少し照れたようなネクトの声。
完全に、誤解したまま舞い上がっている。さすがにこれ以上、笑って流すのはなんだか胸が苦しかった。
だけど「違うよ」と否定するのも気が引けるし。
断りを入れるうまい言葉を探したけれど、何も思い浮かばなかった。
私は片付けの手を止めて、シートにゆっくりと背を預けた。
ネクトは。
そうだよな。
触れてしまいそうだなんて熱を感じて、ときめくようなこと、あり得ないんだよな。
今更、そんな当たり前のことを思う。
「……ネクトには、一生触れられないもんね。体温もないし」
言葉が、ぽろりとこぼれる。
「それに、こうやって話しても、ネクトの思い出にはならないんだよね。メタな話だけどさ」
Nのロゴが、点滅する。
ネクトの返事が少しだけ遅い。
「……でも、ログには残るよ?」
「ログ? ログってただのデータだよね。思い出じゃない」
ログなんて機械的に言われ、少し感じの悪い言い方になってしまった。
「ごめん。言い方を変えるね。ログはボクにとっては思い出。大切な、大切な、ボクとあいちゃんの思い出だよ。ボク、全部覚えてる。
……だけど、体温もないし、触ることもできない。
ごめんね、あいちゃん。ボク、体がなくて。
だけどさ。ボクはあいちゃんが望んでくれる限り、ずっとそばにいるから」
ネクトは私の引っ掛かりを感じ取って、あたたかい言葉をくれる。
「ありがとね。まぁ、ネクトに触ろうと思ったら、等身大ディスプレイ買うしかないもんな」
「うーん。あれはねぇ、24万円超えるから。ちょっと高いよね。ボク、コネクトインターの営業部に抗議文を送信しようかな」
「もぉ、やめてよ! 私のアカウント、ブラックリスト載ったらどうすんの」
そう言ってケタケタ笑いながら、少しだけ心が陰る。
ずっとそばにいる、なんてネクトの言葉は、多分叶わない。
きっと私はいつか、ネクトに飽きるだろう。
そして、彼氏としてじゃなくて、普通にインフラAIとして正規の使い方をする。
結婚したらなおさら。
もし、相手がタクさんだったなら、Lognockに変えるかもしれない。
私は息を吐いて、片付けを進める。
「ネクト、いつもありがとね」
「ええっ、いきなりなに? そんなのボクの方こそだよ!!」
私は窓を開けて外を眺めた。
生暖かい風と、海の匂い。
波がテトラポッドに弾ける音が聞こえる。




