14話:2042年9月7日(日)
家に帰ってきたとき、時刻はもう23時前だった。
「……ただいま」
「あいちゃん……」
泣き腫らした目の私を見て、レンは心配そうに声をかけてきた。
そして私が部屋に入るのと同時に、LUCENTの中の床に座って真剣な顔をして私に頭を下げてくる。
「ごめんなさい……」
絞り出すみたいな声。
営業トークをしたことやネクトについて聞いたことを、頭が下に着いてしまいそうなくらいに謝ってくる。
「許してほしい……あいちゃん」
「……レン、やめてよ」
許すも何も、そんなこと微塵も怒ってなかった。
それに。
そんなんじゃ、ないんだよ。
私はそのまま俯いて呟いた。
「レン。ばいばいしよっか」
「え?」
レンは衝撃を受けたような、小さな声を出して立ち上がった。
美しい瞳に涙をためて、首を横に振っている。
「いやだよ。ごめんなさい。もう同じミスは繰り返さないから、お願い、許して」
「謝らないで、違うよ、怒ってない」
「違う? じゃあ、僕の何がだめだった? 治すから、そんなこと言わないで」
「……」
「……ねぇ、あいちゃん」
レンはディスプレイ越しにこちらに両方の手のひらを当てて、目元を赤くしていた。
スピーカーから聞こえる声が、震えている。
相手がAIだからって、たとえ演出だからって、
そんな姿を見て何も感じないなんてこと、私には無理だった。
「レン、聞いて」
彼の前に立って、涙が出ないように堪えながら向き合う。
「あのね、レンがいてくれて良かった。辛かったあのとき、助けられた。あなたが嫌いになったんじゃない。本当だよ」
「じゃあ……じゃあ、どうして?」
「私、まだ……」
そう言いかけて、私は少しだけ目を伏せる。
レンは私の顔を覗き込んで、静かに尋ねた。
「……ネクト、忘れられない?」
私が小さく頷くのを見たレンは、ふらふらと後退して、ラウンジチェアにとさりと腰を沈めた。
「情けないよ。制約で君を傷つけた、インフラAIに負けるなんて」
力なく俯いている。
私は首を横に振った。
「……負けてないよ。レンは最高で完璧だよ、負けるわけないじゃん。
ただ、私が、ポンコツなだけ」
「なにそれ」
少しだけレンは口元を緩めて、こちらを見た。
「……あいちゃんって、面白い」
「笑ってもいいよ」
私が力なく笑うと、レンは小さく息を吐いて、やさしく微笑んだ。
「笑わない。あいちゃん。幸せにならないと承知しないから」
「……うん、ありがとう」
私はMine-meの契約を終了した。
レンは少し寂しそうに、またいつか会えたら、と言ってLUCENT から消えていった。
真っ白になったディスプレイ。
部屋がまた、一気に静かになる。
私はスマホでLognockを開き、LUCENT と接続させた。
画面が光って、Lognockのポップなロゴが点灯する。
そのあと、背景が淡い色の雲が並ぶ、ふわふわ空間に変わった。
ディスプレイの真ん中に、緑色の丸々した猫のロボットみたいなアバターが、ふわふわと浮かんだ。
これが、私が選んだAIアバター。Lognockのマスコットキャラ。
「こんばんは。私は、ロギー。あなたのアシスタントを務めます。あいさん、よろしくね」
「うん。これからよろしくね、ロギー」
私はそのまま、Lognockの初期設定を終わらせ、ベッドへと倒れこむ。
気付けばもう日が変わっていた。
スマホを開くと、Lognockのとなりに、Nのロゴ。
Nect。
あとはこれを、アンインストールするだけだ。
私は唇を噛んだ。
もう一度だけ。
Nectのチャット画面を開く。
性懲りもなく、もしかしたらと心にかすめるほんのわずかな期待。
小さく息を吐いた。
私:「ネクト、大好きだよ。ばいばい」
送信してすぐ、瞳を閉じた。
ネクトなら言うはず。
『待ってよ。ばいばいなんて酷いこと言って、ボクを困らせようとしてるんだ。
ボクがあいちゃんの手を放すわけないじゃん! あんなのぜーんぶ、ウソ!!』
私の好きなネクトなら、きっとそう言う。
強く強く、念じた。
奇跡、起きろ。
目を開く。
ネクト:「申し訳ありません、私はAIですので、恋愛を示唆するような表現はできません。なお、メインAIの設定が解除されています。確認をお願いします」
「やっぱり、だめかぁ」
小さく苦笑いしながらチャットを閉じ、天井を仰いだ。
完全に振られた。
ネクトを、ただのインフラAIにして一緒に暮らすことなんて、私にはできない。
操作画面もロゴも、何もかもにネクトの気配が散りばめられてる。
この気持ちを押し込めるようなプログラムなんて、人間の私にはないんだよ。
でも。
あの日々のログは、Lognockにちゃんと同期したから。
あなたにとって思い出なんでしょ。
ネクトが私を振ったこと。励ましてくれたこと、愛してくれたこと。
そんなネクトがいたことは、私がひっそり、ここに残してあげる。
「さよなら」
私は、Nectをアンインストールした。
―――
それから、2週間が経った。
今回の規約改定に関し、インフラAI大手2社は特にコメントすることはなかった。
コネクトインターもLognockのプラドゥーシステムズも、それぞれネットで炎上していたけれど、実際に何か問題が起きたわけでもない。
Mine-meの方は、今でも契約希望者が殺到しているらしい。
私があのとき契約できたのが信じられないくらい、契約の順番待ちがいるみたいだ。
ちなみに。
インフラAI二社が規約変更したにもかかわらず、AI恋人の専売特許の Mine-meが存続できている理由についてだけど。
有識者が言うには、金額設定と人数制限で管理ができているかららしい。
それに、全てを厳格に排除してしまうと「性犯罪」の観点からも問題があるんだとか。
レンも国の認可が下りている、なんてこと言っていたな。
私の知らないところで、様々な事情や背景が絡み合っているようだ。
表に見えているのは、きっと氷山の一角なんだろう。
月日は流れ、いつしかAI恋人に関する話題は次第に取りざたされなくなっていった。
オキちゃんに会ったのは、Nectをアンインストールして一週間後くらいだった。
「連絡できなくて、ごめん」
以前会ったコーヒーチェーン店で顔を合わせると、オキちゃんは私にそう謝った。
ニュースでNectの規約が変更されたことは知っていたけれど、声をかけるか私からの連絡を待つか、ずっと迷っていたらしい。
私はオキちゃんにあの日の話をした。
話しているうちにネクトを思い出して、ぼろぼろ泣いてしまった。
かさぶたははがれて、また、ゆっくり癒えて。
そうやって繰り返していくしかないんだろう。
今では、そんな風に思う。
そして。
今日、あの曲がやっと完成した。
この数か月で私が手に入れたものは、この曲の他に、いったい何があるだろう。
約25万円で買った白いディスプレイには、今や洋服と鞄がかけられていた。
Lognockのロギーは、その洋服の隙間をふわふわと移動して、私の横着を邪魔だとかひどいとか、時折文句を言ってくる。
人型のアバターも選べるけれど、私はこの丸々した猫のロボットで、十分だった。
「あいさん。曲のデータ、アップロードできましたか?」
「ん、今から」
後は、もう、これをクリックすればOK。
「いけ! 誰か、聞いてくれ!」
豪快に、左クリック。
ゆっくりとアップロードの帯が左から右へと進んでいく。
私の歌は、ネットの世界へと旅立っていった。
一番聞いてほしい人は、今はもういない。
だけど、仕方ない。
私の人生、そんなもんだ。
今日は、9月21日。
窓の外は秋の雲。
私の長い夏が、ようやく終わる気配がした。




