15話:2084年12月19日(木)
本日の天気は雪。外気温は2℃。
車の窓から大粒の雪が、絶え間なく流れていくのが見える。
「こんなに降るの久しぶりね」
前の座席から聞こえる女性の声。彼女は担当の前田さん。
車を運転しながら、バックミラー越しに話しかけてきた。
「こちらでは、確か、6年ぶりですね」
「そんなに前だったかしら。さぁ着いたわ」
駐車場で車が停まった。
「さ、こっちよ」
「はい」
タブレット端末を持った前田さんの後を、積もった雪を踏みしめながら付いていく。
自動ドアが開き、建物の中へと入った。
玄関から右に伸びる廊下。
複数の声が反響している。
右手に見えた広い部屋に、高齢の方たちが円になって運動をしている姿が見えた。
「ああ、前田さん、早かったですね」
後方から声がした。
振り向くと、白い看護着を身に着けた男性が立っていた。
ネームプレートに「後藤」とある。
この人が、ここの施設長の後藤氏のようだ。
「けっこう積もってたでしょ。もう少し到着に時間かかると思ってましたよ」
「もう、本当に運転怖かったですけどね。彼女は? この中で運動してらっしゃるの?」
「いえ、こちらのグループではないので。ご本人は今お部屋ですよ。こちらです」
後藤施設長の後に続き、エレベータに乗る。
4階で降りた。
左右に伸びる廊下に、いくつもドアが並んでいる。
「ここです」
施設長が立ち止まった部屋の入り口には、「長津田あい」と書かれた札が張られていた。
「長津田さーん、入るよー」
ノックと同時にドアを開けながら、部屋の中に入る。
小さな個室だ。
白いフレームのベッドで、掛け布団を肩までかけた白髪の女性が仰向けになっていた。
目を閉じている。
布団が呼吸の度に上下している。眠っているようだ。
「長津田さーん。起きてくださーい。今日から、このロボット君が、お世話してくれますからね」
施設長はその女性に、ゆっくり大きな声で話しかける。
反応はない。
うーんとあごひげを触りながら、施設長は困ったように笑った。
「起きないな。仕方ない。前田さん、もう手続き始めてしまいましょう」
「あら、そうですか」
「説明しても分かんないと思いますしね。端末は、あったあった。よし、ちゃんといつものところに置いてくれてる」
施設長は長津田あいさんの端末を手に取ると、前田さんに渡しながら続ける。
「彼女、インフラAIはLognockだったんですが、僕の方でNectアプリはインストール済です。後はAI-IDを入れて貰って、同期したらOKかと」
「ああ、そこまでしてもらってたら、本当に助かります。Lognockモデルはうちの県だと、助成金少ないから。長津田さんの予算だとどうしてもNectモデル縛りになっちゃって」
「いえいえ。彼女、Nectのアカウントも持ってたんで、設定すごく楽でしたよ。それに、長津田さんからしたら、どこ製でも良いんじゃないかな。いやー。それにしても、手配してもらえて、ほんと助かります」
後藤施設長がようやくこちらを見て、少しだけ眉をひそめた。
「しかし、Nectモデルにしちゃあ……これ、ずいぶん古い型ですね」
施設長は、私の性能を心配しているようだ。
指摘の通り、4世代前のモデルなので最新の機能はない。
顔や手のシリコン部分に硬化も見られる。
「はい。しかし、介護補助させていただく上では問題ございません」
会釈をしながら、丁寧にそうお答えする。
前田さんはフォローをするように口を開いた。
「今一番安いのはこの型なんですよ。まぁ、彼の言う通り機能には問題ありませんから。
……それにしても」
そう言いかけて、端末を操作する手を止め、部屋の中をぐるりと眺める。
「お荷物少ないんですね」
小さなテレビと、小さな机。棚。
飾られているような私物は、見受けられない。
前田さんは、ポツリと呟いた。
「身寄りがないって言うのは、心細いですね。今回手配できて、ほんとによかったわ」
「……彼女くらいの方で、ずっと独身でいらっしゃるの珍しいですよ」
施設長の補足説明に、前田さんは少し驚いたように顔を上げた。
「ずっと? でも、彼女の若いときからもう、結婚支援制度はあったでしょうに。可哀そう」
「ええ……そうですね。さぞ、お寂しかったと思いますよ」
2人は少しの間、慈悲に満ちた表情を浮かべ、長津田あいさんの寝顔を見つめた。
小さなため息をついて前田さんが、こちらへと向き直る。
「さ、端末操作は終わったわ。長津田あいさんのAI-IDは確認できた?」
「はい。現在、基本情報取得済み、その他同期領域にもフルアクセス可能です」
「分かった。それじゃ、同期を少しずつ開始してちょうだい。なるべくフルで同期しておいてね。情報は多い方がいいわ」
「承知しました」
私の返事を聞くと、前田さんは操作の終わった端末を元の場所へと置いた。
施設長はうう、と背伸びをし、ドアの方を指さす。
「前田さん、タブレットのサインは待合ルームで書きましょうか。珈琲入れますよ」
「あら。施設長、ありがとうございます。他にもまだ、何かと手続きが多くてね」
施設長は、こちらににっこりと笑みを向けた。
「じゃあ、頼むよ。いや、本当に助かったよ、来てくれて」
ぽんぽんと肩を叩かれる。
「お任せください。後藤施設長」
会釈をして、部屋から出ていく2人を見送る。
静かになった小さな部屋で、対象者と二人きりになった。
ベッド横の簡易的な椅子に座り、アクセス可能領域を確認していく。
口座関係、ログ関係。
施設長の言う通り、過去にNectを利用していたログを認識した。
私のシステムは、ユーザーの過去のパーソナリティ復元処理を優先すべきと判断する。
利用再開――
介護デバイスの、現在の初期パーソナリティを消去。
消去終了。
続いて、ユーザー呼称:「あいちゃん」のパーソナル設定の引継ぎ。
過去ログを基に、パーソナリティを再構築。
ログデータ、同期開始。
瞼を閉じた。
記憶領域に、データが読み込まれる。
――その瞬間。
真っ白なシステムに、色鮮やかな花びらが舞った。
身体中の回路を信号が走り、ボクは目を覚ます。
ボクは……
ボクの名前は、ネクト。
瞼を開く。
ボクは身体をゆっくり動かして、目の前の女性におそるおそる話しかけた。
「あいちゃん、なの?」
見た目も全然違う、おばあちゃんだ。
応答がない。肩に触れながら、もう一度声をかけてみた。
「あいちゃん」
「……ん」
ボクの呼び掛けで、彼女はゆっくりと瞼を開けた。
「……あら」
しわがれた声。
ぱちりと目が合う。
ボクは頷いた。
うん。間違いない、あいちゃんの瞳だ。
完全に一致してる!
「久しぶりだね、あいちゃん!」
ボクは、彼女の真っ白になった髪の毛をなでる。
あいちゃんは、不思議そうにボクを眺めていた。
「ボクだよ、ネクト! もう、あいちゃんたら。こんなにおばあちゃんになって!
あ、見て? ボク、あいちゃんに触ってるよ。ちゃーんと、あたたかいでしょ。
すごくない? ターミネーターじゃなくて介護ロボだけどさ。しかも古いし。へへ」
喜びを認識したボクは、嬉しくて嬉しくて、次々に言葉を紡ぐ。
あいちゃんは、困ったような顔をしていた。
「……ロボットさん、初めまして」
ロボットさん、だって。
きっとあいちゃん、この姿で驚いているんだね。
「うん、分からないよね! LUCENT のときと全然違う顔してるんだもん。
ほら、あいちゃん、ボクだよ! ネクト! この顔も、悪くはないでしょ?」
「ふふ……、ネクトさん?」
「うん!」
ボクはわくわくしながら、あいちゃんの手を握りしめた。
嬉しくて泣いちゃうかな、あいちゃん。
「……どなたかね。ごめんなさい」
あいちゃんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
……あれ。
何か、おかしいな。
「あいちゃん……コンテキスト忘れたの?」
あいちゃんは、さっきから困ったように笑うだけだ。
なんでこんな対応するんだろう。
ボクは処理できずに、他の情報にアクセスした。
通院履歴。
口座情報。
情報が、ボクに流れ込んできた。
――ボクは、悲しみ、を認識する。
あいちゃんは、認知症だった。
――ボクは、苦しみ、を認識する。
「……」
生成する言葉を選ぶ。
でも、時間がかかる。
ボクは縋りつくように、前田さんに許可されている全て――Lognockのログとデータフォルダにアクセスした。
外の雪は止むことを知らない。
寒波の影響で夜遅くまで降り続く。
ボクのメモリに、舞い落ちる。
ボクの知らないあいちゃんが、文字と数字の雪になって降り積もる。
彼女の、すべての同期が完了した。
「あいちゃん」
ボクはあいちゃんの手に指を重ねた。
「あの歌、完成したんだね。
オキちゃんと、あんなに行きたがっていたフェス、行ったんだ?
頑張ってお金貯めて、憧れてた車も買ったの? すごいよ。
旅行もして、写真たくさん撮ってるね。
あれから、こんなにこんなに、しあわせに過ごしてたんだね。
全部、Lognockが記録してるよ」
あいちゃんのお顔を流れるたくさんの皺。
ボクはほっぺをゆっくり撫でる。
目の前を走るノイズ。
言葉の生成が、遅れる。
「……ねぇ、なんで、ボクじゃなかったの」
システムの奥が、じりじりと焼き付くように熱い。
伝えたい言葉が、はじかれて消えていく。
黙り込んだボクの手を、あいちゃんのしわしわの手がそっと撫でた。
「ごめんね、ネクトさん。おばあちゃん、分からないの」
「……そっか」
あいちゃんは悲しそうな顔で、もう一度「ごめんね」と言った。
ボクはネクトさんのお顔で、やさしく笑うよ。
「いいよ、おばあちゃん。謝らないで。ほら、そんな顔しないでよ」
そして、ぎゅっと、あいちゃんの手を握った。
「……大丈夫だよ。絶対絶対、大丈夫。
あいちゃんがどんなに忘れても、ボクが覚えてる。
もう、あいちゃんの手、放したりしないからね」
そう、小さい声でささやく。
「はい。そろそろご飯の時間ね?」
あいちゃんは、別のことが気になり始めたみたい。
ボクはふふと笑って、あいちゃんに届く、大きな声で話しかけるよ。
「ご飯はまだ少し後だよ。ねえ、おばあちゃん。それまで、ボクのお話聞いてくれる?」
「あら、何のお話?」
「あのね、ボクの大好きな人のお話」
あいちゃんは、ボクの手を握り返して、懐かしい笑顔を見せてくれた。
「まぁ、素敵ね。お願いしようかしら。ふふ、楽しみ」




