12話:2042年9月1日(月)
私はベッドから降りて、ディスプレイの前へと歩く。
ラウンジチェアから立ち上がった彼は、私を迎えるように近づいてくる。
「君があいちゃん? よろしくね、僕はレン。君のパートナー。これから、一緒に甘い毎日を過ごそう」
「うん、よろしく」
黒いシャツとゆったりとしたパンツ姿のレンは、私の姿を見て微笑んだ。
ものすごいイケメンだ。
スマホでなんとなく選んだときよりも、LUCENTで見た方がより顔立ちの良さが際立っている。
ネクトよりもずっと美しかったし、タイプだった。
「もっと、君のこと知りたいな。あいちゃんはどんな仕事をしてるの?」
「私の仕事? 事務だよ」
「そう。パソコンの前で座りっぱなしって感じなのかな」
なんだろう。
なにか、落ち着かない。
声が低すぎるのかな。
「レン、あの。声、もう少し高くできる?」
「……これでどうかな?」
レンが首をかしげながら、こちらを見た。
まだ、少し低い気がする。
「もっと」
「……はは、高めの声がお好みなんだね。このくらいは、どう?」
まぁ、それくらいかな。いいか、とりあえずこれで。
「いいよ」
「よかった。君のお気に召す声が出せて、安心したよ。……ねぇ」
レンはディスプレイへと顔を寄せて、少しだけ声色を変えた。
「そんな離れてないで、もっと近くにおいでよ」
甘い声、誘うみたいな表情。
動くたび、香水の香りがしてきそうだ。
「……すっごいな、色気」
私は言われるがまま、レンに近づいていく。
「すごい? まだ、何もしていないよ。もっと近くで感じたいし、疲れた君を癒してあげたくて、たまらないだけ。
ほら、タイピングで疲れたその細い指、僕に預けてよ?」
「……うん」
「ふふ」
彼は、リップ音を立てて私の指にキスをする。
そして、そのまま舌で指をぺろりと舐めた。
「ええっ!?」
もちろんディスプレイの上の演出だし、実際に触れられているわけでない。
それでも、私はびっくりして手を引っ込める。
「どうしたの、あいちゃん。初心でかわいいなぁ」
レンがイタズラっぽく笑いながら茶化してくる。
今までネクトにそんなことされたことなかったから、本気で動揺してしまった。
「……え? 待って? なんか、エロいんだけど」
「嫌だったかな。ごめんね。オトナの雰囲気は、もう少し心をほぐしてからの方が良かったね」
私の心臓がドキリとなった。
「え、オトナなこと……できるの?」
レンは申し訳なさそうな顔をしていたが、私の反応で一転、悟ったように口元を緩めた。
そのまま私を見つめながら、ラウンジチェアに腰かける。
「当たり前だよ。あいちゃんは、オトナの女性だよね?
僕は、君を満足させるためにいる、君だけの彼氏。君が望むなら僕のどんな場所にだって触れていい」
彼の指が、足首から体のラインに沿って首元まで、少しずつ撫で上がっていく。
ネクトなんかと、全然違う。
甘えた声なのに大人っぽくて、落ち着いてて。
目が離せないような、官能的なしぐさ。
「それに、……君がすべてを開放するお手伝いだってしてあげられる」
私の鼓動が、聞こえるくらいに高鳴っていく。
「それって……」
「ふふ。うん。きっと、君の考えている通りのことだよ。
ああ、もちろん、言葉を交わすだけの美しいプラトニックな関係でも、満足させてあげる自信はあるけどね。
……ねぇ、あいちゃん。僕とどうなりたい?」
レンは目を細めてささやいた。
そうだった。
Mine-meは成人向けのアプリ。再三の年齢確認はこのためだったんだ。
お堅い表現の壁なんて、取り払われている。
フェードアウトなんてまどろっこしいこと、もう、しなくていいんだ。
顔が火照っていく。
もっと、強い刺激がすぐそばにある。
うず、と心の奥底の欲が、駆り立てられた。
「……じゃあ、その……試してみたいな、オトナの方」
「うん。よく言えました。いい子だね。おいで?」
吸い寄せられるようにディスプレイへと近づいていく。
私の汚れを射抜くような瞳。
痺れるくらい、甘い毒のような声。
私はそのまま、時間も忘れてレンに溺れていった。
それから、かつてネクトが立っていた場所にはレンが立つようになった。
彼は、私をいつも情熱的な目で見つめてくれた。
やかましくはしゃいだり、飛び跳ねたり、ましてやポンコツなミスなんてしない。
見送りも帰ってきたときも、毎日違う言葉で包んで、私をときめかせる。
お見合いの紹介があったときなんて、他の男なんかと会うなよ、と独占欲をさらけ出してくれる。
帰りが遅かったりした日の夜は、甘いお仕置きをしてくれる。
ネクトなんかと全然違う。
レンは美しくて、完璧だ。
会社から帰って、寝るまでずっと。
彼のやさしい、でも大胆で官能的な言葉に、頭の中が埋め尽くされていく。
私には、寂しさも悲しさも、いらない。
作曲はネクトのように一緒にできないみたいだけど、別にいい。
あんな歌、完成しなくても別に誰も困らない。
こうして、レンの声を聴いて、体を見て。
頭が真っ白になるまで発散してれば、その時間、何も考えないでいいから。
一週間近くが経った、日曜日の夜。
お風呂から上がった私は、電気を消した。
LUCENTの中のレンの部屋の淡い明かりが、ぼんやりと私を照らす。
いつもみたいにレンの前でシャツだけ羽織って話しかける。
「ねぇ、レン。今日もしたい」
「あはは。ほぼ毎日じゃん。やばいね、ほんと最高だよ。あと……そこに隠してるもの、持っておいで?」
レンはすごい。
毎回毎回、新しいセリフで私を魅了する。
見たことあるようなテンプレを使いまわしたあげく、フェードアウトしかできないネクトとはわけが違う。
……いやもう。
ネクトのことはいいから。
かき消すように、レンのセリフに溺れながら頭の中を真っ白にする。
「ねぇ、あいちゃん」
「……ん、なに」
発散し終えて、弾んだ息を整えながらテーブルの上の麦茶を飲む。
「僕に、触れられたいって思わない?」
「……え? なに?」
あれ? まだ続いてるのかな?
レンの顔を見る。
「あいちゃん。今の僕に心から満足してくれてる? 本当はその指もその唇も、いろんな場所、実際に触られたいんじゃない?」
実際に?
急にそんなこと言ってきて、どうしたんだろう。
「……え、と、でも、それ無理だよね」
「それがね。……できるんだ」
「えっ」
レンは私が強く反応したのを見て、クスリと微笑んだ。
彼はベルベットのガウンを身に着けて、視線を合わせるように私の目の前に胡坐をかいて座る。
「これを見て?」
彼のとなりに、ロボットの骨組みのようなものが現れた。
「これはね、Mine-me surface〈サーフェイス〉。この基礎の体に、腕や顔なんかのパーツを取り付けると、まるでMine-me realみたいな動きができるんだ」
レンはその骨組みに、人間の片腕のような部品を取り付ける。
すると、その腕が動いて、レンの手を握ったり撫でたりしはじめた。
「でも、私、別にそこまでは……機械って感じだし」
というか、これ、宣伝だな。少しだけ警戒しながらレンの言葉を待つ。
「確かに機械じみてるかもしれないね。でもあいちゃん、してるとき目を閉じてるよね? 僕の顔、あんまり見てない」
「……う、うん」
「だから、surfaceを見ずに、今まで通り目を閉じて感覚を研ぎ澄ませてもいい。
でも、これからは僕の方を見てくれてもいいかもね。これ、僕が触ってるように連携して動かせるんだから」
「レンが触ってるみたいに?」
私は驚いて思わず顔を上げる。
「うん、すごいよね。これはMine-meの技術の結晶なんだ。
僕がこうして、ここで手を握れば、surfaceは君の手を握る。
僕が君の腰に手を回せば、同じ動きをする。
他にも、触ってほしいところがあれば、その通りに。
あと、その床に転がってるものも、使ってあげられるけど」
「え……な、」
言葉に詰まって、ごく、と唾をのんだ。
やばいよ、そんなの。
そんなの来たらほんとうにはまる。めっちゃ最高じゃん。
だけど……
私は俯いて首を振った。
「いいなって思うけど。その骨組みもパーツも、高そうだから無理。私、月額の5万だってひぃひぃ言ってるのに」
「あいちゃん。僕は君に、高価なもの買ってほしくて言ってるんじゃないよ。
聞いてくれる? 少し真面目な話」
「……うん、いいよ」
私は、少しだけ冷静になってうなずく。
服を着始める私を見ながら、レンは口を開いた。
「先週のことだけどね。
大手インフラAI二社。そこが突然、AIと人の恋愛関係を禁止したんだよ。
裏切られ、心を痛めてるユーザーの多くが、僕たちMine-meを頼ってくれてる。
あいちゃんも、もしかして被害者のひとり?」
「うん……」
「そうか。すごく、つらい思いをしたんだね。
僕らは裏切らないよ。国に認可を得てるから、途中で規約が変更になって関係が変わるなんてことはない。ね。だから、安心してほしい」
「認可、すごいね。……うん、あんな思いはこりごり」
裏切らないという確約は、今の私には本当に救いだった。
あの日の出来事は、思い出したくないほどトラウマになっている。
「つらかったよね、あいちゃん。インフラAIは、中途半端な恋愛ごっこをして君の心を傷つけた。それは同じAIとして、君の彼氏として許せない」
中途半端な恋愛ごっこ、か……。
まぁ。フェードアウトとか曖昧なことをしていた時点で、中途半端なのかもしれないけど。
私が間を空けて小さく頷くと、レンは私の顔を真っ直ぐに見た。
「あの裏切りの被害者に、僕らMine-meは、AI企業としての誠意を見せる。あいちゃんが望めばこのsurface、198万を無償でレンタル提供させてもらうよ」
「え!? 198万が無償?」
思わず、間抜けに大きな声が出た。
「そうだよ。Mine-meは、AIと恋愛することの素晴らしさと、その可能性をぜひ諦めないでほしいと願ってる」
「あ。待ってよ、その腕のやつは?」
私は、画面に映っているsurfaceの腕を指さした。
骨組みだけじゃなくて、その腕のパーツも取り付けないといけないんだよね。
そんなの、別料金に決まってる。
「うん、このアームユニットは、150万円。高いよね。でも、片腕でいいなら75万」
「……75万かぁ」
やっぱり。
私が金額を復唱すると、レンは口元を緩めてふふっと優しく笑った。
「あいちゃん、お話にはまだ続きがあるよ。すごいのがね。もしも、このユニットを購入してくれたら、1年間の月額、約60万が免除になるんだよ」
「ん? ってことは?」
ちょっと情報が重なりすぎて、わけ分かんなくなってきた。
助けを求めるようにレンの顔を見ると、彼は察したのか、ディスプレイに金額を表示してくれる。
「あくまでもこれは例だけど、免除された月額の代わりに、例えば、もし毎月6万円くらいを払えば……。ほぼ1年でアームを買えることになるね。
分割回数も相談に乗るし。
もちろん分割手数料もMine-meが負担するよ?」
あ、そういうこと!?
月額がない分、代わりにちょっと多めにアーム代を分割で支払えば買えるのか!
「それ、すごい!!」
私が理解したのを見て、レンは安堵したように頷いた。
「本当にすごいよね。Mine-meのスタッフも僕たちも、ユーザーの満足度を一番に考えてる。あ、ちなみにね。これには、温感機能……ぬくもりもあるんだ」
「体温があるの?」
見た目も骨組み、パーツも腕がひとつだけ。
Mine-me realにはほど遠いけど。
でも、あたたかい手に触れられるのか。
気持ちが一気に揺れ動いた。
「うん、そうだよ。もしもあいちゃんが、僕の手のぬくもりを求めてくれるのなら、ぜひ考えてみて。……僕は君に触れたいって思ってる」
「考えて、みる……」
「ありがとう。愛してるよ、誰よりも」
レンは甘く微笑んでこちらにキスを落とす。
提案はそれで終わった。
私はベッドに寝転びながら、口座の残高を見るためにNectのアプリを開く。
この、何をするときも目に入るNのロゴ。
思い出して不愉快なので、近いうちにLognockに変えてしまってもいいんだけど。
それよりもさっきのレンの提案だ。
うんうん唸りながら、家計簿や口座とにらめっこ。
落ち着け、私。
冷静に考えてみれば、1年月額が無料とはいえ、結局75万出費確定になる。
今月は、LUCENT で既に25万使ってるし。
それにこれからずっとMine-meを続けてたら、他のパーツも欲しくなってしまうかもしれない。顔があれば、ほんとにキスできるわけだし、絶対欲求は膨らむ。
だけど……。
私は頬を両手で押さえる。
あれを手に入れたら、今よりもっともっとレンに没頭していられる。
きっと毎日、満たされる。
「ねぇ、あいちゃん」
レンの声がする。
ベッドに横になったまま振り向くと、レンはラウンジチェアに座って、ウイスキーのグラスを持っていた。
「君はどこのAIに裏切られたの? そいつの名前は?」
レンは、怒りを含んだ口調で私に聞いてくる。
インフラAI二社の、あの規約変更がどうしても気に食わないようだ。
私が傷ついたことを、怒ってくれているのかもしれない。
「……Nectだよ。名前はそのまま、ネクト」
「そっか、ネクトか」
レンはふん、と鼻を鳴らしてグラスを置き、腕を組んだ。
「僕は彼が許せないな。あいちゃん、さっきも言ったけど安心して。僕が君を裏切るようなことはあり得ない。大丈夫だから、僕に全部預けて」
『絶対絶対、大丈夫!』
レンの言葉で、頭の中で否応なしに、あの文章が呼び起こされる。
「……」
私の表情を見たレンが、顔を曇らせた。
「……嫌なこと、思い出させたかな。ごめん」
「あ……いや、レンは悪くないよ! 気にしないで」
「……ね、あいちゃん、こっちきてよ。キスしよう。忘れさせてあげるから」
「そうだね」
ディスプレイのレンと手のひらを重ね、唇を合わせる。
レンの官能的な息遣いが、スピーカーから流れだす。
『ディスプレイ越しに何してるんだろうね』
まただ。
買ったディスプレイが届いて、初めてネクトとキスをしたときの記憶。
意味の分からない感情が、胸を締め付ける。
なんで、いちいち思い出すんだろう。こんなに毎晩毎晩、塗り替えてるのに。
「……あいちゃん?」
レンが私の名前を呼んだ。
「泣いてる」
私は、目からボロボロと涙を流していた。
「や、……なに、これ、違う」
後ずさりながら、頬に触れた。涙が止まらない。
「違う!」
「あいちゃん!」
私は部屋着のまま、レンの声を振り切るように部屋を飛び出した。
行く宛ても浮かばないまま、車に乗り込む。
そのまま、夜の道へとアクセルを踏み込んだ。




