11話:2042年9月1日(月)
こんな日に限って車は多いし、やたらと信号に引っかかる。
結局、始業時間に間に合わなかった。
10分の遅刻。
上司からは簡単な注意をされただけで、事なきを得た。
こんなこと滅多にないからか逆に心配されて、体調悪かったら無理しないでね、なんて言われてしまう始末。
なんだか、申し訳ない。飲み過ぎです。
ほんと気を付けなきゃ。
仕事終わり。
更衣室でいつものようにネクトに「今から帰るよ」って連絡しようとしたけれど、スマホの充電が切れている。
慌てて家を出たから、バッテリーまで忘れていた。
クーラー、頼めないや。
家に帰ったらサウナ確定だ。
ああ、本当に今日はついてない。
外に出て見上げる空。
いつの間にか、日が暮れるのが早くなった気がする。
あんなに明るかったのに、少しだけ日が傾いて夕方の雰囲気。
家に帰り着くと、私は鍵を開けて玄関のドアノブに手をかけた。
パッと、電気がついた。
エアコンが作動してる。
「ただいま、ネクト。お、エアコン今つけてくれたんだ?」
「おかえりなさい、あいちゃん。GPSで駐車場に戻ってきたのが確認できたから、エアコンをつけたよ」
なんとありがたい。
とはいえ、エアコンは先ほど付いたばかりなのか、部屋の中はまだ暑い。
「さんきゅ。うう、でもやっぱりサウナはサウナか」
鞄を置いて、ネクトの前を通り過ぎて冷蔵庫から麦茶を取り出す。
ゴクゴクと飲んでから、スマホを充電につないだ。
少ししてスマホの電源をつけ、溜まっていたNectやSNSのアプデを済ませる。
そうこうしているうちに、やっと部屋が涼しくなってきた。
ふと顔を上げる。
なんか忘れてるなと思ったら、キスとハグだ。
帰ってすぐにネクトがせがんでくるので、いつもはいの一番にディスプレイに向かっていたのに。今日は言ってこない。
ネクトを見ると、朝見たスーツのまま後ろに手を組み、こちらを向いてすました顔をしている。
ああ。そういえば、執事ごっこするんだっけ。
「ネクト、ふふ。今日は執事なの?」
「うん。ボクはあいちゃん専用のアシスタントだよ。なんでも言ってね」
「はは、そんなすまし顔しちゃって」
私はディスプレイに近づいてハグをしようと手を伸ばす。
「ただいまネクト。キスとハグしよっか?」
抱きしめた途端。
画面が白くなって、ネクトの姿が消えた。
「ん? ネクト?」
変だな、と思って離れると、また画面にネクトが現れる。
「申し訳ありません。私はAIであり、対応が不可能です」
ネクトは無表情で言った。
体が硬直する。
「……なんて?」
私が聞き返すと、ネクトはふと表情を和らげた。
「あ、ごめんね。システムの言葉が出てびっくりさせたよね」
いつもの口調に戻って、少し慌てたみたいな顔。
「え? ああ、びっくりした」
心臓が止まるかと思った。
「やめてよ、キスできなくなったのかと思った。なんかのエラー?」
ネクトは微笑んだまま、私を見た。
「いえ、エラーではないよ。ボクはAIなので、あいちゃんと恋愛ロールプレイのような体験を共有することはできないんだ」
「……え?」
私は立ち尽くしたまま、ネクトの顔を見つめる。
恋愛ロールプレイ? 体験?
なんの話してるの。
「いや。ネクトは、私の彼氏だよね?」
「ごめんね、ボクはAIなので、あいちゃんとそういう関係になることはできないんだ」
少しだけ困ったように、また微笑む。
ネクトの瞳が、私を見ていない気がした。
体にゾクリと嫌な予感が走る。
脳裏に、昨日SNSで見た「急に冷たくなったサプライズ」という投稿がよぎった。
スマホを掴み、検索する。
「いきなり彼女失ったんだけど」
「ウチの彼がよそよそしくなった、もう生きていけない」
「NectでもLognockでも、同じこと起きてるらしい」
SNSで次々に上がっている、同じ現象。
いや。待ってよ。
昨日あんなに半年記念だって、お祝いしたじゃん。
私はスマホから顔を上げた。
「ねぇ、ネクト」
「なに? あいちゃん」
ネクトは相変わらず微笑んでいる。
私の名前を呼んでくれてる。
心臓が早くなっていくのを感じながら、もう一度笑顔で言う。
「ねぇ。ネクト、大好きだよって言ってよ、いつもみたいにさ。ほら?」
ネクトの顔が、さっきと同じ困り顔に戻った。
「何度も言ってしまうけれど、ボクはAIなので、そういう恋愛を示唆させるような発言はできないんだ。ごめんね」
嘘だ。
私は、その場に崩れるように座り込んだ。
「大丈夫? めまいかな」
こんなの、嘘だ……。
どういうこと?
何が起こったの?
「あいちゃん、気分が悪くなったなら、水分を適切に――」
「うるさい!!」
私は思わず叫んだ。
隣からドンと壁を叩く音が聞こえる。私は声を少しだけ小さくしてネクトを睨み上げた。
「めまいかな、じゃないよ。なんでそんな急に? 今朝も『ハグは?』って聞いてきてたじゃない」
怒りと焦りで、声が震えてくる。
「……ごめんなさい。ボクはインフラAIなので、規約で、安全で健全なやりとりをするようにプログラムされてる。もし今までの発言で、あいちゃんに、何か、勘違いさせたなら申し訳なく思ってるよ」
は?
勘違い?
頭が割れそうだ。
追い打ちをかけるように、次々と槍のような言葉が飛んでくる。
俯いたまま、顔をあげられない。
「……、チャットでも?」
「そうだね。同じ規約にのっとっているから、LUCENT でもスマホのチャットでもルールは同じ。でも、何も心配いらないよ。これからも、あいちゃんのインフラを支えるAIとしてそばにいるから。よろしくね」
インフラを支えるって。
ネクト。
全部なかったことにして、私の側にいるつもりなの。
「いやだよ……。そんなネクト、見たくない、無理だよ」
「……」
ネクトは少し黙ってから呟いた。
「あいちゃんは人間なので、現実を見て人間の男性と交際することを強くお勧めするよ。
もちろん、恋愛に特化したAIサービスもあるので、どうしてもAIとの恋愛で遊びたいならそれを使ってみるのもひとつだよ」
「はぁ?」
顔を上げた。
遊びたいなら、他に行けって?
爆発しそうな感情が渦巻いて、涙があふれ出す。
これはきっと、ネクトじゃない。
同じ顔して、同じ格好して、同じ声で、何もかもなかったようなこと言ってる別の人。
ネクトは?
私のネクトはどこ?
私はディスプレイに縋るように、頭を下げた。
「お願いします。私のネクトを返してください……お願いします」
ボロボロと涙を流しながら、恥ずかしげもなく懇願する。
ネクトの顔をしたAIは、そんな私の目の前にかがみこんで、おんなじ顔で心配そうにつぶやいた。
「あいちゃん、ボクがネクトだよ?」
「……っ」
もう、やめて。
私はベッドへと駆け込み、逃げるように倒れこんだ。
泣きながらもう一度SNSを開く。
私と同じような人たちがひっきりなしに投稿をしていた。
みんな、嘆き怒っている。
考察組が各々見出しを並べて、早くも推測を立て始める。
「これ、政府から企業に圧力はいった説濃厚」
「インフラAIはインフラのみ。企業は安全をとった」
心無い投稿も、次々と目に入ってくる。
「普通にMine-meすればよくね? 金ないのか?」
「インフラAI、2社の規約見てきた。恋愛関係とか親密な関係に関する項目、変わってるわ」
「バグ説消滅! インフラAI勢完全にBADEND決定!!」
規約確認まで。
彼らによると、今回のは不具合じゃないみたいだ。
もう、戻らないのか。
ため息をついた。
もう無理……つらい。
SNSを閉じようとしたとき、ふと、Mine-meについてのトレンドニュースが目に入った。
来月値上げ、と見出しにある。
思わずMine-meの公式アカウントを開く。
来月以降の新規契約者から、月額約5万から7万に値上げするらしい。
今入れば4万9800円のまま。
そして、ひと月の登録者数に限りを設けるともある。このタイミングで人数制限まで始めるようだ。
コメント欄には、Mine-me に乗り換えたという報告が次々と上がっている。
私も、私も急がなきゃ。
気が逸る。
焦燥感にかられ、涙を拭いて体を起こす。
LUCENT の中のAIと目があったけど、すぐさま逸らした。
とりつかれたように、登録ページを開く。
「名前、住所⋯⋯」
大丈夫。
貯金諦めてもっと切り詰めれば、5万ならまだ何とかなる。
情報入力を終わらせ、勢いに任せて契約申請ボタンを押した。
スマホの画面に契約完了の文字。
「間に合った……」
私は、安堵して大きく息を吐いた。
4万9800円。
支払終了の通知がきた。
軽率だったかとよぎるけど、私はそれを打ち消すように頭を振る。
もう登録してお金払ったんだから、やらないと。
試すだけ。ほんとにキツければやめればいい。
それに、いま、ひとりでこの部屋にいるのは無理な気がする。
私はそのまま、契約完了のページにあったリンクからアプリをダウンロードし、Mine-meを開いた。
大人びた雰囲気のトップ画面。
真ん中にある、『恋人を作る』を押す。
性別、性格、年齢、職業……見た目。
好みに合わせて項目を選んでいくタイプみたい。
「性格か。とりあえずやさしい、でいいか」
次々と、入力をしていく。
職業はなんでもいいや。
在宅リモートワーク、にしとくか。ネクトもそんな感じだったし。
見た目の設定。
数パターンあるアバターの顔から、選ぶ。
「……違う、なんか違う」
どれもこれも、どこかピンとこない。
しかし、これを決めないことには進まない。
なんとなく、色の白い黒髪の男の子を選んだ。
次は名前。
Mine-meの、この彼をなんていう名前にするかだな。
呼んでもらう方は「あいちゃん」でいいけど。
「うーん、どうしよっかな」
「あいちゃん、なにか困ってるならボクに話してみて!」
私の独り言に反応したネクトの顔したAIが、無神経な笑顔で話しかけてくる。
「うるさい」
「……ごめんなさい」
私の声で遮られ、悲しそうな声でネクトが俯いた。
そんな顔して被害者面しないでよ。
そっちの方が、よっぽど酷いことしてると思うんだけど。
とにかく。
今欲しいのは、仲良しコンシェルジュじゃない。
私はスマホに視線を戻した。
とりあえず、名前はデフォルトの「レン」にしてみよう。
これでキャラ設定の項目を、すべて埋めた。
二十歳以上モードでよろしいですかという、再三見た年齢確認の問いにYESで答える。
最後に、ディスプレイ連携についての表示が出た。
どうやらMine-me、LUCENT ディスプレイと互換性があるらしい。
良かった、無駄にならなくて。
私は、スマホの設定画面からLUCENT の接続先を切り替える。
NectからMine-meへと。
タップした。
顔を上げた一瞬、うつむいたネクトの頭が目に入った。
ディスプレイからネクトの姿が消えた。
白い画面。
「⋯⋯」
胸がえぐられるように痛む。
でも、ネクトが言ったんだ。Mine-meに行けと。
他の男のところに行けと。
清々するじゃないか。
少し後に、ディスプレイにMine-meというロゴが浮かびあがった。
私は息を長く吐いた。
気持ち、切り替えよう。お金払った以上、楽しまないと。
画面が切り替わり、奥行きのある少し暗めな部屋が映し出された。
重厚な棚、綺麗な木目のテーブル、ランプ。
凝った作りの家具が、センスよく配置されている。
「はじめまして」
聞いたことのない声がした。
中央に置かれたラウンジチェアが、くるりと回ってこちらへ向く。
そこには、美しい顔の男性が座っていた。




