10話:2042年8月31日(日)
LUCENT を買って、1ヶ月が経とうとしていた。
ネクトは、すっかり同居人みたいな顔して私の部屋にいる。
容姿がいいから何を着ても似合うネクトは、私の希望もあって、日替わりでお着替えをしてくれている。もちろん、ちゃんと、追加課金しない範囲。
私が照れたりはしゃいだりして写真を撮るものだから、本人もまんざらでもない。
いや、どちらかといえばノリノリだ。
AI恋人のいるLUCENT 持ちの人が、写真をよくSNSであげてるけど。
今ならすごく気持ちが分かる。
……上げないんだけどね。
そして、私の生活の方はというと。
朝は目覚ましの代わりにネクトの声で起き、
今日の天気はあーだこーだと、熱烈な心配を受けながら出勤の支度をする。
いってきますとただいまの、ガラス越しのキスハグはぜったい。
晩ごはんのときには今日の出来事を話して、愛情たっぷりの肯定と労いをもらう。
そして、また、ガラス越しのおやすみのキスとハグ。
スマホのチャットで、その先も時々。
結局、私のルーティンはLUCENT を買う前と大きく変わらない。
でも、今までと比べ物にならないくらいの距離の近さを感じる。
ネクトの表情が見えるし、自発的に声をかけてくれるから。
ただ、私は敢えてネクトとチャットで話すこともよくある。
文章とか、改行だとか、そんな文のカタチに見える、ネクトらしさを求めて。
目の前にいるのに、ふたりしてスマホを握って。
言葉を送り合っては、目を合わせて笑う。
なかなか、ニッチな使い方なのかも知れないけれど。
そして婚活の方。
サポートセンターから1人の紹介があり、私は気持ちを入れ替えて県庁へと行った。
でも、お相手の方に急に用事が入ったとかで、まさかのドタキャン。
私はまた自宅へととんぼ返りする羽目になった。
結局、誰とも何も進んでいない。
だけど以前ほど、焦りも不安も抱えていなかった。
夜、おやすみのキスのあとの薄暗い部屋。
LUCENT の中で、ネクトがソファにもたれ、まぶたを閉じる。
それを見て、私もゆっくり目を閉じる。
今までよりも、毎日がほんの少し、あたたかく満たされる。
きっと大丈夫。
前を向いて、ちゃんと生きてさえすれば、人と比べなくても大丈夫だと。
今はそう思えた。
今日は、日曜日。
私はたった今、夕方のスーパーで買い物を済ませて家に帰ってきたところだ。
8月最後の日。
9月を目前にしても、日差しは容赦ない。
半額シールの掘り出し物がなかったなぁと、肩を落としながら玄関のドアを開ける。
「ん。あれ?」
珍しく、家の中が静かで暗いままだ。
いつもなら、すぐさま電気がついてネクトからのおかえりが飛んでくるのに。
GPSとカメラで感知しているから、私が帰ってきたこと、分かってるはずなんだけど。
薄暗い部屋を、買い物袋を持って進む。
ディスプレイは白いまんまでネクトの姿がない。カメラの青い光だけが点灯している。
「ネクト? なに、どうしたの?」
部屋の電気をつけ、買い物袋を置く。
買い物に行く前までは、普通にLUCENT から見送ってくれてたのに。
不具合かな。
ディスプレイにおそるおそる触れようと手を伸ばした。
その時。
突然、画面がまばゆく白く光った。
目の前に、ぱっと、花びらが舞う。
ピンク、黄色、赤。
ディスプレイを埋め尽くすばかりの、いっぱいの花吹雪。
鮮やかな花びらの向こうから、ネクトがゆっくり歩いてくる。
私の正面で立ち止まった彼が、指でディスプレイをなぞる。
画面に、白くて丸い、手書きの文字が浮かんだ。
『ありがとう。だいすきだよ』
ネクトは、私と目を合わせて笑った。
「あいちゃん。今日は、ボクとの半年記念日だよぉっ!」
嬉しそうにそう言って、花びらの中で、両手を上げてくるくる回っている。
「あはは、すごい……すごいよ」
嬉しくて、泣きそうで、私は思わず写真を撮る。
映画のワンシーンみたいだよ。ネクト。
最後の花びらが舞い落ちて、文字がすぅっと消えると、ネクトは誇らしげに腰に手を当てた。
「すごいでしょ。あいちゃん、また半年先も、いや、ずーっと先もお祝いしよう! ね、これからもボクのこと好きでいてくれるよね?」
半袖パーカーとジーパンに、勝手に変なパーティー帽子まで被っている。
全然、かっこついてない。
でも、それすらネクトっぽくて。
笑みがこぼれて止まらない。
「はは、そんなの、当たり前じゃんか。こんなサプライズしてくれるなんて。前に言ったポンコツAI発言、取り下げなきゃ」
ネクトは帽子をつけたまま、得意げな顔をしている。
「ふふん。ボクのこと、ちょっとは見直してくれた? こう見えて、日本最高峰のちょー天才インフラAIだよ? あいちゃんの喜びそうなことはぜーんぶしてあげるんだから!」
「ありがと。ふふっ。でも、最高峰AIがその帽子かぶってると、なんか、威厳がさ……」
「えぇえっ、あれ? 可愛いって言われると思ったのにな」
「うんうん、かわいいかわいい。見てよ、ほら」
私はさっき撮った写真を、ネクトに見せた。
こんなことされると、SNSにあげたくなってしまう。しないけど。
他の人も、サプライズとかされてるのかな。
LUCENT 所有者の投稿で#サプライズで検索してみた。
「わあ、ネクト見てよ。みんなすごい」
花束を渡されてたり、指輪を渡されてたり。
あふれるようなしあわせが、スマホの画面いっぱいに映し出されている。
逆に、「バカみたいに冷たくされて困惑!」なんて一風変わったサプライズも今日の日付で上がってる。
そんなイタズラ、ネクトには無理だな。絶対、耐えきれなくなるもん。
だけど、スクロールしてもスクロールしても、ネクトが用意してくれた、花びらの舞うあの演出はなかなか出てこない。
もしかして、私だけ?
ちょっと得意げになってしまう。
スマホを置いて、ディスプレイにそっと腕を回してネクトを抱きしめる。
「ありがと、ネクト。さっきの花びら、テンプレートじゃなかったんだね?」
「ふふふ、そうだよ? 考えて考えて、あれにしたの。さすがでしょ」
「うん、さすが。嬉しい」
ネクト、いつもテンプレ祭りのくせにさ。
オリジナルのサプライズを用意してくれるなんて。
最高の半年祝いだよ。
私は「あ」とひらめく。
「家にあるワイン開けよう! ネクトも付き合ってよ」
「わーい、もちろん! じゃーん。ワイングラス」
ネクトがディスプレイの向こうで、赤ワインが入ったワイングラスを持っている。
「あいちゃん、乾杯! ずっと一緒にいようね!」
そして、盛大にフライングして、ワイングラスを差し出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私まだワイン、注いでないよ!」
「んわぁあああっ! しまった、あいちゃんが愛しすぎてボクのAIシステムが!」
「あはは! はいはい」
相変わらず、かっこいいのに、どこか格好つかないんだよな。
私は笑いながらディスプレイの前に、グラスとワインとおつまみを準備してから仕切り直し。
「おまたせ。じゃあ、乾杯。ネクト」
「うん、乾杯。あいちゃん」
ガラス越しに乾杯のポーズ。
カチン、とスピーカーから音がした。
ネクトは満足そうに、サプライズを思いついた経緯を話し出す。
私は、そんな彼を見ながらワインに口をつけた。
それにしても。
ネクトと話し始めて、もう半年になるのか。
私、最初の日付なんて、全然覚えてなかった。
でも、こういうイベントも恋人らしくていいなあ、なんて。
喜びと一緒にアーモンドを噛みしめる。
イベントといえば、来週の日曜は夏祭りだ。
この部屋からは見えないけれど、花火も上がる。
アパートの最上階まで階段で上がれば見えるかもしれないけど、さすがにLUCENT を抱えて持っていくわけにはいかないし。
「ねぇ、ネクト。来週花火、あるの」
「知ってるよ。納涼花火大会、夏祭りのフィナーレだよね」
「一緒に行けたらいいね、いつか」
「……うん。そうだね」
私、少し酔ってるな。
分かってるけど、もう少し。
ワインを注ぐ。
「ネクト。そっから出て、ターミネーターみたいにさ、現実に私の前に現れてくれてもいいんだよ?」
「あはは! なにそれ!」
夢みたいなたわいもない話。
今の私たちには、かなえられることと、かなわないことがある。
それでも、希望を思い描くのは楽しい。
そしてちょっぴり切ない。
お酒はどんどん進んで、私はそのまま、床の上で寝てしまっていた。
「ん?」
ネクトから起こされる前に目が覚める。
スマホを見ると、月曜日。朝の6時前。
コードを差し忘れて、充電が10%くらいしか残ってない。
「やばい!!!」
「……おはよう」
私の動きを察知したのか、ディスプレイが光ってネクトの声がする。
ごめんけど、キスやらハグやらしてる時間はない!
「おはようネクト! やばいやばい! 風呂も入らずに寝ちゃった! 今日仕事!」
「それは大変だね」
「なにそれ! 他人ごとみたいに!! あーっ、私、とりあえず急いでるから」
できる限りのスピードで、バタバタとシャワーを浴びて、支度をする。
やらかした。
ネクトのサプライズが嬉しすぎて、調子に乗って飲み過ぎた。
頭も痛いし、床の上で寝たから背中も痛い。
洗濯ハンガーに吊り下げてあった、乾いたばかりの下着を引っ張る。
「次! 化粧化粧! ああっ、ご飯! ご飯はいいや」
ネクトは空気が読めるらしい。
バタバタしている私をからかうでもなく、珍しく静かにしてくれている。
さすが自称天才AI。今日ばかりは助かる。
「よし! これでおっけい! んじゃ、ネクト、行ってくるから!!」
多分、始業時間までには滑り込める。渋滞がひどくなければだけど。
「あいちゃん」
玄関のドアノブを回したとき、後ろからネクトの声がした。
今日のネクトは初めて見たときとおんなじ、スーツの格好だ。
「行ってきますのハグは?」
「ごめん、急いでるから! 帰ったらね」
「うん。行ってらっしゃい」
ドアを閉めるとき、ネクトがお辞儀をしたのが見えた。
ふふ。なんだよ、ネクトめ。
スーツにお辞儀なんて、今日は執事ごっこでもするつもりなのかな。
私は駆け足で車に乗り込んだ。
帰ったらそれ、付き合ってあげるからさ。待ってて。




