眠っていた羊毛と、紡がれる絆
ハーブティーを淹れた日から、アレクシス様は私が執務室へ立ち寄ることを快く受け入れてくれるようになった。
窓の外を見ると、庭の木々も少しずつオータムカラーに変わっている。この地域の冬は特に寒いらしい。思い出してみれば、最初にこのお屋敷に来た時は季節でいえば春だったけれど、空気はひんやりとしていた。ならば、冬は本格的な寒さがある地域なのだろう。厳しい冬に向けて、孤児院の子供たちに何か温かいものを準備できないだろうか。
屋敷の北側には一段と古い建物がある。年代物のそれは、壁の色も一際深いグレーで、ところどころ城壁が欠けている。元は先代の領主様が離れとして使っていたそうだ。
私は興味本位で、その北棟を散策していた。アレクシス様には、この屋敷のどこへ入っても構わないとお墨付きをいただいているし。
北棟は大きさとしてはあまり広くなく、入り口を入ってすぐは資料室のようになっていた。人があまり出入りしていないのか、少し埃を被った本や資料が整然と置かれている。
適当に背表紙を見ていると、ヴァルハイト家の紋章が描かれた本があった。棚からその本を取り出すと、それは前領主――つまりアレクシス様の亡き父親の代の古い帳簿だった。
ページをめくると、収支報告や倉庫の在庫リストなどが並んでいる。
特に気になったのは、領内の北部に位置する羊毛農家からの仕入れ帳簿だ。
「……大量の羊毛が『品質不均一による保留分』として、北棟の地下倉庫に数年間も放置されている……?」
スチュワードに頼んで地下倉庫を案内してもらうことにした。
重い木扉を開けると、防具や何のオブジェクトかわからないものが山積みにされていた。その一角に、未加工のままの羊毛の塊が置かれていた。
「洗えば防寒具として使えそうなのに……スチュワード、これは私が使ってもいいと思う?」
「旦那様にご確認いただくのが確実でございます。ですが……恥ずかしながら私も存在を知らなかった代物。私個人の意見といたしましては、奥様のお好きなようにお使いになられてもよろしいかと」
「いい……よね? 長年置かれてあったみたいだし。よし、これをまずは毛糸にして、何か編み物にしましょう。膝掛けがいいかな……たくさん作って、孤児院へ届けられたらいいのだけど」
スチュワードは特に反対するつもりはないのか、穏やかに笑って頷いた。
そうと決まれば、善は急げ。
早速、羊毛を洗う桶を探さなきゃ! と意気込んで手を握り込む。
「たくさん作られるのでしたら、人手も必要でしょう」
「そうですね……でも、私の我儘に付き合わせるのも申し訳ないというか……ああ! 今まさに貴方に我儘に付き合ってもらってますね!?」
「この程度は我儘とは呼びません。ヴァルハイト家では、奥様のご指示を如何なる時も迅速に遂行するために、メイドを多く雇っております。今はご指示が少なく、気がつけばご自身で解決なされておられますが……」
「ごめんなさい、色々、人にやってもらうのに慣れなくて……」
「この屋敷の中であれば、お好きにお過ごしください。旦那様からもそう言付っております」
「そうなの?」
「えぇ。結論を申し上げれば、奥様のご指示が少なくなった故、人手に余裕があるのです。少し配置を調整すれば、その羊毛を梳く者を集められるでしょう」
「い、いいんですか?」
「奥様のご指示ならば」
「……では、お願いします!」
スチュワードにお願いして、手先の器用な使用人たちを集めてもらうことにした。配置は翌日には整理が終わったようで、スチュワードが侍女を五人も連れてきてくれた。
「皆様のお力を貸してください。この放置されている羊毛を綺麗に処理して、防寒具を作りたいのです」
そう言うと、表面上は笑顔で返事をくれたものの、その目は不信感を持っているようだった。まぁ、協力してくれたら嬉しいけど、元々一人でもやるつもりだったし。
北棟の工房を作業場とすることにして、私は一人でたらいにぬるま湯を張り、羊毛を洗い始めた。羊毛の埃やゴミを洗い流す姿を見て、侍女たちは顔を見合わせ、怪訝な表情で私を見た。
「奥様……本当にご自分で洗われるのですか?」
「勿論です! こうして汚れを落としてから、乾かして梳くんですよ。ほら、見てください。こんなに綺麗になるんです」
既に洗って干していた物を侍女へ差し出すと、恐る恐る真っ白な羊毛に手を伸ばす。
「まあ……! ふわふわです!」
「これを洗って、どうされるのですか?」
「まずは毛糸にして……できれば染めて、編みたいと思っています」
「編み物なら得意ですわ」
「それは頼もしい! 私、全然やったことなくて……先生がいるなら安心ですね」
「私も得意というほどではありませんが、編み物は毎年しています」
「毎年! 続けられているのは素晴らしいです」
そんな世間話をしながら数時間も作業をすれば、彼女たちとの間に一体感が生まれた。以前は私を見るたびに怯え、冷ややかな視線を送っていた侍女たちが、今では笑顔で話しかけてくれるようになった。
三日ほど、洗って干しての作業を繰り返すと、さすがに飽きてくる。けれど、もうこれで洗うのはひと段落。明日は糸撚り機で毛糸にしていく作業だ。
品質不均一と記されていた通り、毛並みがあまり良くなかったのか洗ってもゴワつきが取れないものを避けていくと、思ったよりも羊毛は少なくなった。
「奥様は編みたいものが決まっているのですか?」
「はい。膝掛けが作りたくて……孤児院の子供たちへ、冬が来る前に贈りたいのです」
「まぁ、それなら早く編み始めなくてはいけませんね」
「そうですね。どれくらい掛かるのか見当もつかなくて……」
「毛糸玉の状態からなら、私たちが手分けすれば、ひと月ほどで編み上がると思いますよ」
「そんなに早いのですか……!?」
それなら思っていたよりも早くできそうだ。これならば、寒くなり始めた頃には準備できるだろう。
今日は解散して、浮かれ気分で本宅へ戻ってくると外出されていたはずのアレクシス様と廊下で鉢合わせた。
「セレナ……? その服は一体……」
私の袖口には白い羊毛の繊維が細かく付着し、手は洗剤でほんのり赤くなっている。私は慌てて手を後ろに隠した。
「あ……アレクシス様。おかえりなさいませ。その、少し地下倉庫の整理を……」
「地下倉庫? 侍女たちも北棟から楽しそうに出てきたが……何をしているんだ?」
隠しきれないと悟った私は、恐る恐る、先ほど試しに糸撚り機を使ってみた時にできたクリーム色の毛糸玉を差し出した。
「前領主様が購入したまま放置されている羊毛が地下倉庫にあると知ったもので、洗って紡ぎ直したのです。今はまだ毛糸ですが……これを編んで膝掛けにして、孤児院の子供達に冬が来る前に配りたいなと……勝手なことをして申し訳ありません」
アレクシス様はその毛糸玉を受け取ると、サファイア色の目を大きく見開いた。柔らかい羊毛の質感を確かめるように摘んだり、撫でたりしている。
「これを、君が? 侍女たちと一緒に?」
「はい。使い道がないなら、どうにか使えないかなと思って……」
私がうつむくと、アレクシスはそっと手を伸ばし、私の肩についた小さな羊毛の屑を指先で優しく拭い取ってくれた。
「君は……本当に、私の知らないことばかりするな」
少し上擦った声を出したアレクシス様は、とろけるような海の色を揺らめかせて、私を見つめていた。
「以前の君なら、誰かに指示をして、そこで終わっていただろう。だが今の君は、自分で見つけて、手をかけて、それを誰かのために使おうとしている。……君は、立派な公爵夫人だ」
立派な公爵夫人。
その言葉に嬉しさから胸が熱くなる。
セレナという存在に執着している彼が、私という新しい存在を少しは認めてくれただろうか。そうであったらいいなと少しだけ、今日だけは素直に喜ぶことにした。




