手放した宝石と、小さな決意
屋敷の二階にあるバルコニーから見下ろす領下町は、赤レンガの屋根が連なり、一見すると平和で豊かなように見えた。
あの葬儀の日、自分の状況に混乱しながらも、馬車の中から見た景色を思い出す。ボロボロの服を着た子供達が道端に座っていた姿。見えただけだけど、少しビックリしたのを覚えている。
あれだけ立派な葬式をして、参列者の身なりもしっかりしていた。だから、この領地全体が貧しいわけではない。
なのに、この街には破れた服を着続けなければいけないような人たちもいる。
せめて子供達だけでも救えないのだろうか。
この屋敷で贅沢に過ごせば過ごすほど、その想いが頭にチラついた。
……まずは、自分自身の持ち物を把握しよう。
セレナが自由に動かせる財産があれば、一時的な避難所くらいは作れるかもしれない。
何か手掛かりはないか、私は自室のデスクに向かい、前のセレナが残した個人的な手紙や書類を取り出した。
その束の中から、一枚の古い新聞と文書が出てくる。
『慈愛に満ちた公爵夫人』
そう書かれたタイトルを読み進めると、聖ルチア孤児院を公爵夫人となったセレナ・ヴァルハイトが設立したという記事だった。「身寄りのない子供たちのために、素晴らしい施設を作った」と彼女を称賛する言葉が並んでいる。
噂では性格の悪そうなセレナが、こんな慈善事業をしていたなんて。
新聞を捲ると、次に出てきたのは箔押しされた上質な羊皮紙で『メディナ大商会・定期送金契約書』と書かれていた。送金先は「聖ルチア孤児院」。設立当初、前のセレナが毎月の運営費を商会経由で届けるために結んだ契約書の控えだった。そこには綺麗な字で、こう書き残されていた。
『解約済。維持費は全額停止。アレクシスには順調と報告すること。孤児院からの連絡はすべて止めること』
「……嘘でしょ……」
思わず溜息が漏れた。
前のセレナは、子供たちを集めて施設を作り、途中で運営を放り投げたのだ。そればかりか、アレクシス様には見栄を張り、孤児院は上手くいっていると虚偽の報告をし続けて隠蔽していた。
葬儀の日に見た、継ぎはぎだらけの服を着た子供たち。
もしかして、あの子たちも、「私」が見捨てた子供たちだったのかもしれない。
集めるだけ集めておいて、自分はドレスや宝石に囲まれて贅沢三昧だなんて……!
無責任な行動に腹が立つとともに、何故だか胸を締め付けられるような罪悪感が湧き上がってくる。
アレクシス様に本当のことを話せば、理由も問わずに公爵家の資産から孤児院を救ってくれる可能性は高い。
でも、いくら過去のセレナがやったことだとしても、セレナは今は私なのだ。セレナのついた嘘と身勝手な過ちをアレクシス様に押し付けて解決してもらうなんて、あまりにも虫が良すぎる。
セレナが始めた物語なら、セレナが解決しなくては。何かお金になるようなもの……やはり、私の衣装部屋に眠っているドレスや宝石をあるのが一番手っ取り早いだろうか。私の衣装部屋に置いてあるならば、他人の持ち物だとは考えにくいし。
正直、この中のどれがアレクシス様から贈られたものなのか、結婚前から持っていたものなのかわからないけれど……。でも、私には他にお金になりそうな物がないし。これを売って運営費にしよう!
「アレクシス様には、絶対に知られないように動かなきゃ……」
アレクシス様に宝石を売りたい、なんて相談をしたら一発でアウトだ。自分で売りに行かなきゃ意味がない。街に行けば質屋くらいどこかにあるでしょう。そう思って、手放す宝石の選定を始めた。
その日の夜。
ブドワールにアレクシス様が見えて、寝る前に少しお話をした。
「明日は朝早くから港の視察へ行き、帰りが遅くなる。何かあればスチュワードに言ってくれ。寂しい思いをさせてしまうが……大丈夫だろうか?」
アレクシス様は私の顔色を伺いながら話している。
以前のセレナは、お仕事で家にいないということに癇癪でも起こしていたのだろうか。
申し訳なさそうにサファイア色の瞳を揺らす彼を見て、私は思わず苦笑いになる。
「大丈夫ですよ、アレクシス様。お仕事なのですから、どうかお気になさらず。頑張ってくださいね」
安心してもらえるようになるべく穏やかに微笑むと、アレクシス様は目を見開いて、何度か瞬きをした。
「……本当に、怒らないのだね? 以前の君なら私を置いてどこへ行くのかと、私の部屋の鍵を壊そうとするほど激しく取り乱していたのに……」
彼は深いため息を吐き出すと、上着のポケットから銀の鍵を取り出した。
「私の部屋の鍵だ。残りの部屋の鍵は全てスチュワードが持っている。君が望むなら、私の留守中、この屋敷のどこへ入っても構わない。君を縛り付けるつもりはない。自由にしてくれ。……ただ、怪我だけはしないでくれ」
差し出された鍵を手にすると、彼の指先が、すがるように……それとも私の脈でも確かめるように、私の手首に触れた。
「……はい。ご心配なさらないでください」
私が頷くと、アレクシス様は安心したように眉を下げ、私の手首にそっと唇を寄せた。
「ありがとう、セレナ」
彼が部屋を出た後、私は窓の外へ視線を向けた。
アレクシス様がいないのなら、質屋へ行くのに絶好の機会だ。お屋敷から街までそう距離はないし、道も一本しかないから迷わないだろう。あとはどうやって見つからずに門の外まで行くか……。
そんなことを考えながら静かな夜の庭園を見ていると、月明かりに照らされた樹木の影の中に黒い人影が動いたように見えた。
よく見ると、ヴァルハイト家の護衛騎士の服を着た男が、庭から屋敷の様子を窺うように立っている。
「……何かあったのかな?」
声をかけるほどの距離ではない。
私が窓辺へ近づくと、男は身を翻し木々の陰へ姿を消した。
不思議には思ったものの、夜勤で見回りをしてるとか、私は知らない仕事があるのかもしれないと納得して、重いカーテンを閉めた。
さて、アレクシス様には本当に申し訳ないけど……明日、彼がいない時間こそが出かけるチャンスだ。
翌朝、アレクシス様を見送ってから、侍女には「今日は部屋か庭園で一人でゆっくりしてもいいかしら、用事がある時は呼ぶから」と伝えておいた。動きやすいシンプルな綿のブラウスと暗い色のスカートを着込み、頭から深くフード付きの黒いマントをかぶる。クローゼットの奥から、買い込まれたものの使われていなかった小ぶりの宝石やドレスを頑丈な袋に詰め込み、こっそりと裏口から抜け出した。
向かったのは、大通りから看板が見えた古い質屋だ。重い木製のドアを叩くと、中から出てきた小太りの店主が、私の顔を見て、短く悲鳴を上げた。
「公爵夫人……!? なぜこのような場所に……!」
「これを、買い取ってほしいのです」
私が袋から取り出したエメラルドのイヤリングや金糸のドレスを見て、店主は目を丸くした。
「売る、ですと……? うちで? 一体、何のために……」
「理由はお話しできません……ですが、正当な価格で買い取ってください」
店主は怪しんでいるのか訝しげな表情のまま、顎に手を当てて考え込んでいる。しばらく唸り声を上げてから、奥へ引っ込むと、ずっしりと重い金貨の袋を手に戻ってきた。
「全てを買い取るには、今のうちの金では足りません。金貨五十枚分、こちらのドレスと宝石を買い取りますので、残りはお戻しを」
「そうですか……ありがとうございます」
金貨の詰まった袋を受け取ると、ずっしりと手に重さが掛かった。扉を開ける前にもう一度深く礼をしてから店を出た。
この金貨で、子供達に温かいご飯と服を届けられるはず。
まずは孤児院の現状確認が必要だ。
外套の下に金貨の詰まった袋を隠しながら、足早に孤児院へと向かった。




