サロンに潜む毒蛇
社交界に出るのは生き返ってから初めてのこと——つまり、私は人生で初めて貴族の社交界というものに参加する。
揺れる馬車の中で、ソワソワと落ち着かず、何度も手を見つめたり、ドレスの裾を直したりしていた。
「落ち着かないのなら、私の手を握っているといい」
「もっと落ち着かなくなりますっ!」
間髪入れずに返すと、アレクシス様は楽しそうに笑った。
今日のために仕立てられたサファイアブルーのドレスは、装飾は最小限で、クラシカルなシルエットがすっきりとシンプルで落ち着いた印象を与える。
スクエアネックのデコルテには、大粒のサファイアをメレダイヤで囲ったネックレスが輝いている。それと同じデザインのイヤリング、そして髪飾り。
つまり、全身アレクシス様の色である。
こうなってしまったのには理由がある。
伯爵家からの招待に私を連れていくことを、アレクシス様も最初は乗り気ではなかったようだ。葬儀の最中に息を吹き返したのだから、気味悪がられるに決まっている。
優しいアレクシス様は「体調不良を理由に断ってもいい」と仰っていたけれど、公爵夫人である以上、いずれこういう場には行かなくてはならないはずだ。
それに、ホストである伯爵夫人はアレクシス様の伯母様で、今回の午餐会は親族を中心に、伯爵家と仲の良い家だけを招待しているらしい。身内の主催ならば、多少無礼があっても目を瞑ってもらえるかもしれない。初手から王族のパーティーに参加させられるより絶対にマシだと思い、今回、参加することにした。
そうと決まれば、「今の君の好みに合わせてドレスを仕立てよう!」とアレクシス様は嬉々として準備に掛かり、すぐに仕立て屋が屋敷へ来た。
以前のセレナは自分の瞳の色であるエメラルドを好んでいたようで、エメラルドのアクセサリーは衣装部屋に溢れているほど置いてあった。けれど、「新しいドレスに合わせるアクセサリーが難しくて……」と話しているところを、うっかりアレクシス様に聞かれてしまったのだ。
その結果が、今の私だ。
ドレスもアクセサリーも新調するなんて、いくらなんでも贅沢しすぎだ。
それを指摘しても、アレクシス様は眉尻を下げて、「私の色に染まる君が見たいんだ……」なんて言われてしまったら、もう何も言えなかった。
そんな熱意で押し負かしてきたアレクシス様は、本日、深いダークネイビーの礼服に、ドレスと同じ生地のシルクベストを合わせている。サファイアのブローチも私とお揃い。もう好きにしてくれ、と投げやりな私とは打って変わって、アレクシス様は満足そうに私の手を優しく握りしめた。
「緊張してる?」
「……はい。昔の私を知っている方にお会いすると思うと……」
「大丈夫。君はあの日以前の記憶が曖昧になっていると手紙には書いたから、何かあっても納得してもらえるだろう。伯父上も伯母上も厳しいけれど優しい方だ」
アレクシス様はそう言ってくれたが、私は「ボロが出たらどうしよう」と不安に思う気持ちは変わらない。
一時間半ほど馬車に乗って到着した伯爵邸は、落ち着いた木目調と洗練されたアンティーク家具が並ぶ重厚なお屋敷だった。用意してきた手土産を執事に預け、私たちは主座へと向かった。
出迎えてくれたのは、伯爵家の当主であるレイナルド伯爵、クラリス伯爵夫人、そして二人の娘であるマルグリット嬢の三人だった。
「お招きいただき感謝いたします、伯父上、伯母上、マルグリット嬢」
アレクシス様が軽く会釈したのを見て、私も慌てて礼をする。
「元気そうで何よりだ、アレクシス。セレナ嬢も」
「ありがとうございます。おかげさまで、本日こちらへお伺いできるほど回復いたしました。こうして皆様とお顔を合わせることができ、嬉しく思っております」
笑顔でそう答えると、伯爵とマルグリット嬢は驚いたように目を見開いて止まってしまった。お二人ともリアクションが同じだ。さすが親子。
というか、当たり障りないように答えたつもりだけど、失礼だったのかな……。
作法を間違っていたのかもしれない。
不安になって隣を見上げると、アレクシス様はニコニコと楽しそうに笑っている。
それは、どういう反応なの……。
伯爵も朗らかに笑っている。
「そうだ、アレクシス。事業について意見が聞きたいのだが、少し良いだろうか?」
「はい」
そんな話をしていたらこちらを向き直ったアレクシス様が私の手を取る。
「少し離れるが、大丈夫だろうか?」
「勿論です」
「何かあれば、この屋敷を燃やしてでも逃げるんだよ」
「人様のお家は燃やしたらダメですよ」
手の甲に口付けて、「行ってくる」と言うと、伯爵と共にサロンを出ていかれた。
残されたサロンで、クラリス夫人はアレクシス様と同じサファイア色の瞳でこちらを見る。
「本当に変わりましたね。貴方も、アレクシスも」
「ええ。本当に! まるで別人のようですわ!」
突然、甲高い声が後ろから聞こえて振り返った。薔薇色の華やかなドレスを着た彼女は、取り巻きを引き連れて扇子で口元を隠しながら、こちらを敵視するように、勝気な目で見つめていた。
「本当に生きていらしたのね! お可哀想に」
猫のような、少し吊り上がった大きな目をスッと細めてこちらを睨む。可愛い声をしているのに、刺々しい言い方だ。
セレナは仮にも公爵夫人だ。今日、招待されている貴族の中で最も高い位置にいるだろう。その公爵夫人相手に名乗らないということは、よほど仲の良い相手か、あるいは近い親族か。
この態度で仲が良いってことはないから、きっとアレクシス様の親族なのだろう。
そうアタリをつけたものの、攻撃的な相手に優しくしてあげる義理もない。失礼な態度には、相応な態度で返そう。
「どちら様でしょうか?」
「なっ……!」
怒りを露わに扇子を握りしめる。それから、コホン、とわざとらしく咳払いをして、ニヤリと笑ってみせる。
「記憶がないという噂は本当でしたのね。以前のセレナ様なら、王都で一番高価で絢爛豪華なドレスしかお召しになりませんでしたのに。本日はどうなさいましたの? あまりにも地味なお召し物で、どこの侍女かと思いましたわ」
取り巻きの人たちも私を見てクスクス笑う。
すごい! 本当にこんな世界があるんだ!
逆に楽しくなってきた。
私は微笑むと、まっすぐに謎の令嬢を見つめ返す。
「ご助言ありがとうございます。ですが、私はこのドレスを気に入っております。シンプルだからこそ、生地の良さ、仕立ての良さが引き立ちます。本物の美とは、過度に着飾らなくても美しいことに気づいたのです」
「……! 本当に……立ち振る舞いも、顔つきも変わって……まるで別人ですわ! 本当に、本物のセレナ様なのかしら!?」
そう叫ぶと、周りにいた貴婦人も息を呑み、サロン内はシンと静まった。
面と向かってだって言われることがあるのだ。皆、内心では思っていたのだろう。
セレナ・ヴァルハイトが、死から甦り、別人になったと。
勿論、この世界でも死者の蘇生なんて魔法のようなものはない。
それでも疑いたくなるほど、私は怪しい存在だ。
本物か、偽物か。
そんなもの、私が一番知りたい。
一瞬、そんな思考に陥って、返答に詰まっていると、凛とした声がサロンに響いた。
「人は変わるものです。貴方も成長と共にドレスの趣味が変わりましたでしょう? セレナ様も生死を彷徨うご経験から、趣味嗜好が変わっただけのこと。そう騒ぎ立てることではありません」
助け舟を出してくれたのはクラリス夫人だった。夫人は令嬢に言い聞かせるように話した。
「さぁ、お食事の準備は整っております。本日は極東から取り寄せた珍しいお茶に合わせた料理となっておりますので、ぜひお召し上がりください」
クラリス夫人がサロンにいる貴婦人たちへ促すと、彼女たちは夫人の後を追ってダイニングへ向かった。
目の前の赤毛の令嬢は悔しそうに唇を噛み、フンッ!と鼻を鳴らして歩き出す。それを追うように、周りの取り巻きも慌てて歩き出した。
「…………で、結局、誰だったの……」
小さく呟いた声は、後ろにいたマルグリット嬢の耳に届いたようで、近づいてきた。
「あれは私の従姉妹のエレノア。父の弟、ヴァルザック子爵の娘です」
「アレクシス様のお母様がクラリス夫人とご姉妹でしたよね? 遠縁なんですね」
「はい……ですが、昔からアレクシス様に執心していて……」
あれだけのイケメンが親戚にいて、歳も近くて爵位も高いとなれば、狙いたくなる気持ちもわかる。
だからと言って、私に敵意を向けられても困るけど。
ダイニングルームへ移動する波に飲まれると、周りではまだヒソヒソ話が続いていることに気づく。
「セレナ様も不気味だけど、エレノア様も恐ろしいわ」
「あのご様子では、病に伏せるセレナ様に『あなたが死んだら、次は私が公爵夫人になる』と直接言ったというお噂も、本当だったのかしら」
「まぁ……本当にそんなことを?」
「ええ。以前からアレクシス様の妻の座を狙っていたという話ですもの」
「まぁ、怖いわ」
思わず振り返りそうになってしまった。
病死寸前のセレナにそんなこと言うなんて、思ったよりも趣味が悪い。
前のセレナのことは正直あまり良く思っていないけど、それでも病を患いながらエレノア嬢に「貴方が死んだら私がアレクシス様の妻になる」なんて言われていたなら、さすがに可哀想だ。
なんだかモヤモヤと複雑な感情を抱えながらダイニングへ到着すると、アレクシス様とレイナルド伯爵は先に戻られていたようで、既に席に着いていた。
私もアレクシス様の隣へ座る。
「大丈夫かい? セレナ。嫌な思いはしなかったか?」
「えぇ、大丈夫です」
「そうか」
アレクシス様は柔らかく笑い、私の右手を取ると、また手の甲へ口付けを落とした。
「君のことは、命に代えても守る」
「代えないでくださいっ。一度きりでは困ります」
「……確かにそうだな。では、生涯、君を守り続ける」




