表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退職届を出したら異世界の村役場に配属されました 〜書類とハンコでヤンデレ村長と勇者を雇用しています〜  作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/13

EP 9

メロロン、純愛という名の檻

 その朝、村役場に、村の主婦たちが、押し寄せてきた。

「事務官さん! お願いします!」

「うちの旦那を、なんとかしてください!」

「もう、三日も、帰ってこないんです!」

 玲は、コーヒーを、淹れる手を、止めた。

 主婦たちは、全部で、五人。

 全員、青ざめた顔で、玲に、詰め寄ってきた。

「落ち着いてください。順番に、お話を、伺います」

 玲は、ネクタイを、締め直した。

 市役所時代、玲は、こういう「複数人が、同時に、押しかけてくる」状況を、何度も、経験していた。

 大体、こういう時は、村の、共通の問題だ。

「では、お一人ずつ。何が、起きているんですか」

「うちの旦那が……メロロン畑から、帰ってこないんです!」

「メロロン畑」

「うちもです! 毎朝、ウキウキで、出かけて、夜遅くまで、帰らなくて!」

「うちなんか……『女房とは、別れる』って、言い出して……!」

 最後の主婦が、わっと、泣き出した。

 玲は、しばらく、無言だった。

 頭の中で、設定資料を、確認する。

 メロロン。

 甘い香りで、周囲を、誘惑する、魔性のメロン。

 収穫係は、鼻栓と耳栓が、必須。

「リリスさん」

「は、はい」

「メロロンについて、何か、ご存知ですか」

「えっと……女神の知識だと……えっと……」

 リリスは、エンジェルすまーとふぉんを、操作した。

「メロロン。チャーム効果を持つ、危険植物。被害者は、自覚なく、依存していく……だそうですぅ」

「……なるほど」

「重症化すると、駆け落ち、自暴自棄、廃人化、の恐れあり……ですぅ」

「……廃人化」

「取り扱い注意。耳栓・マスク、必須……ですぅ」

 玲は、頷いた。

「奥様方」

「は、はい」

「現場を、確認します。メロロン畑まで、案内していただけますか」

「お願いします!」

 玲は、ジャケットを、羽織った。

 その時──。

「玲さぁん」

 リリスが、玲の袖を、引いた。

「私も、行きますぅ」

「いえ、リリスさんは──」

「えっと……女神の勘で、なんだか、ヤバい気が、するんですけど」

「……」

「でも、玲さんが、行くなら、私も、行きますぅ」

 玲は、しばらく、リリスを、見た。

 それから、頷いた。

「分かりました。ただし、耳栓と、マスクを、着用してください」

「は、はい!」

 玲は、念のため、自分も、耳栓と、マスクを、着用した。

 市役所時代、玲は、危険物の、現場確認には、必ず、防護具を、着用していた。

 相手が、メロンでも、油断は、しない。

 メロロン畑は、村のはずれに、あった。

 約一反ほどの、広さ。

 緑色の、丸い実が、いくつも、転がっている。

 その中に──。

 おじさんたちが、いた。

 五人ほどの、農夫たち。

 全員、メロンの前に、しゃがみ込んで、デレデレと、している。

 一人の農夫が、小さな、若いメロンに、水を、やっていた。

「ほーら、お水だぞ~。いっぱい、飲めよ~」

 すると、その若いメロンから、幼い、声が、聞こえてきた。

「おみず……すき」

「おお、おお、可愛いなぁ!」

「ありがとう……パパ」

「パパだぞ~! パパが、毎日、来てやるからな~!」

「さみしかった……」

「寂しかったか! よしよし、もう、寂しくないからな!」

 玲は、その光景を、マスク越しに、見ていた。

(……これは)

 市役所時代、玲は、こういう光景を、見たことが、あった。

 いや、正確には、別の形で。

 孤独な高齢者が、詐欺師に、騙される現場。

 優しい言葉を、かけられて。

 「あなただけ」と、言われて。

 判断力を、失っていく。

 その構造が、今、目の前で、メロンによって、再現されていた。

「玲さぁん……」

 リリスが、震える声で、言った。

「あのメロン、片言で、喋ってますぅ」

「ええ」

「なんか……父性を、くすぐる感じ、ですぅ」

「ええ」

「ヤバいですぅ」

「ええ」

 玲は、畑の、奥へと、進んだ。

 奥には──。

 もっと、大きな、メロンが、あった。

 完熟した、メロロン。

 その前に、一人の、中年の農夫が、座り込んでいた。

「おはよう、今日も、良い天気ね」

 メロンが、大人びた、女性の声で、囁いた。

「お、おう、メロロン……今日も、来たぞ」

「いつも、お水、ありがとうね」

「い、いいんだ、いいんだ、これくらい……」

「でも、無理しちゃ、だめよ?」

「……っ!」

 その瞬間、農夫の目から、涙が、こぼれた。

「メ、メロロン……お前、優しいな……」

「お疲れさま、今日も、頑張ってるわね♡」

「うっ……ううっ……」

「えらい、えらい♡」

「メ、メロロン……俺、俺、女房に、そんなこと、言われたこと、ねぇんだ……」

「あなたは、悪くないわ」

「……っ! うわぁぁぁん!」

 農夫は、メロンに、すがりついて、号泣し始めた。

 玲は、その光景を、見ながら、ぎゅっと、拳を、握った。

 市役所時代の、記憶が、蘇る。

 孤独な人が、優しい言葉に、すがる瞬間。

 それは、笑い事では、なかった。

 「あなたは、悪くない」

 「無理しちゃ、だめよ」

 「えらい、えらい」

 これは、その人が、人生で、一番、言われたかった言葉だ。

 誰にも、言われなかった言葉。

 だから、メロンに、言われて、崩れ落ちる。

「……リリスさん」

「は、はい」

「これは、深刻です」

「……ですね」

「想像以上に」

 玲の声が、固かった。

 畑の、さらに、奥。

 そこに──。

 一際、大きな、メロンが、あった。

 他のメロンの、二倍ほどの、大きさ。

 艶やかな、緑色の、果皮。

 クイーンメロロン。

 その前に、一人の、ベテラン農夫が、立っていた。

 年齢は、五十代後半。

 日に焼けた、顔。

 ゴツゴツした、手。

 しかし、その目は──。

 完全に、蕩けていた。

「メロロン……今日も、来たぞ」

「今日も、来てくれたのね♡」

「お、おう……」

「私、あなたが、来るのを、待ってたの♡」

「メ、メロロン……」

「他の人には、内緒よ?」

「お、おう、内緒だ、内緒……」

「あなたのお水が、一番、好き♡」

「……っ! メロロン!」

 農夫は、メロンに、抱きついた。

 頬を、すり寄せる。

「メロロン……俺、決めたぞ……」

「何を?」

「女房と、別れてきた」

 玲の、足が、止まった。

「……女房と、別れてきた」

「あら」

 メロンが、囁いた。

「よくないわ。私は、メロンよ。よく、考えて?」

「関係ない!」

 農夫が、叫んだ。

「女房とは、別れてきた! 俺は、お前と、生きる!」

「……馬鹿」

 メロンが、ふっ、と、笑った。

「……でも、嬉しい♡」

「メロロン!」

「うぉぉぉ、メロロン!」

 農夫が、メロンを、抱きしめた。

 玲は、その光景を、見て──。

 すっ、と、前に、出た。

「待ってください」

「……ん? なんだ、あんた」

 農夫が、玲を、睨んだ。

「ポポロ村、事務官の、白石玲です」

「事務官? 何の用だ」

「あなたの、奥様が、心配されています」

「うるせえ! 俺は、メロロンと、生きるんだ!」

「奥様は、村役場で、泣いておられました」

「関係ねえ!」

 農夫は、玲を、突き飛ばそうとした。

 しかし──。

 リリスが、さっと、玲の前に、出た。

「だ、だめですぅ! 暴力は、だめですぅ!」

「……女神様?」

 農夫が、リリスの、ジャージの胸の、初心者マークを、見て、たじろいだ。

「女神様が、なんで、こんなところに……」

「えっと、その……玲さんの、研修で……」

 リリスは、もごもごと、言った。

 玲は、リリスの肩に、手を置いて、前に、出た。

「ありがとうございます、リリスさん」

「は、はい……」

「ここからは、私が」

 玲は、農夫に、向き直った。

「失礼します」

 そして、玲は──。

 クイーンメロロンに、話しかけた。

「メロロン」

「……あら?」

 メロンが、玲の方を、向いた。

「あなた、面白い人ね♡ わたしの、声に、酔わないの?」

「耳栓と、マスクを、着用していますので」

「あら、つまらない♡」

「お聞きしたいことが、あります」

「何かしら♡」

「あなたは、なぜ、人を、誘惑するのですか」

 メロンは、しばらく、無言だった。

 それから──。

 ふっ、と、息を、吐いた。

「……だって」

「だって?」

「誰かに、必要と、されたいの」

「……」

「わたし、メロンよ。食べられて、初めて、役に立つの」

「……」

「だから、わたしを、食べてくれる人を、探してるの」

 メロンの声が、わずかに、寂しげだった。

「ねぇ」

「はい」

「あなたは、わたしを、食べてくれないの?」

「いえ」

「……どうして?」

 玲は、しばらく、無言だった。

 その質問は──。

 市役所時代、玲が、自分自身に、問い続けた質問と、よく、似ていた。

 自分は、何の役に、立っているのか。

 自分は、誰かに、必要と、されているのか。

 その答えを、玲は、過労死するまで、見つけられなかった。

「メロロン」

「はい」

「あなたを、食べなくても」

「……」

「あなたには、価値が、あります」

 メロンの、動きが、止まった。

「……え?」

「あなたが、育てた、甘さは、人を、笑顔に、できます」

「……」

「誰かに、食べられるためだけに、存在しているわけじゃ、ありません」

「……」

「あなたは、ただ、そこに、在るだけで、価値が、あるんです」

 メロンは、長い間、無言だった。

 畑に、風が、吹いた。

 甘い香りが、ふわり、と、漂った。

 やがて──。

 メロンが、ぽつりと、言った。

「……そんなこと」

「はい」

「……初めて、言われた」

「……」

「わたし、ずっと、思ってたの」

「何を」

「食べられることが、愛だって」

「……」

「身も、心も、全部、捧げて。一緒に、堕ちて。それが、愛だって」

 玲は、無言で、メロンを、見つめた。

「だから、わたし、この人に、言ったの」

 メロンは、ベテラン農夫を、見た。

「『全部、ちょうだい』って」

「……」

「『一緒に、堕ちましょう』って」

「……」

「『あなたを、食べたら、種を、植えて。一年後、また、会える』って」

 玲は、ぎゅっと、拳を、握った。

 それは、究極の、共依存だった。

 純粋な、愛。

 しかし、相手の、全てを、奪う愛。

 相手を、堕として、初めて、成立する愛。

 市役所時代、玲は、こういう関係を、見たことが、あった。

 DVの、加害者と、被害者。

 依存させ、依存し、お互いを、壊していく関係。

 そして、その関係の、最も、恐ろしいところは──。

 愛が、本物だ、ということだった。

「メロロン」

「はい」

「あなたの、愛は、本物でしょう」

「……ええ、本物よ」

「でも、それは、相手の、全てを、奪う愛です」

「……だって」

「だって?」

「そうしないと、一緒に、いられないもの」

 メロンの声が、震えていた。

「わたし、メロンよ。動けないの。だから、相手に、来てもらうしか、ないの」

「……」

「相手の、全部を、もらわないと、一緒に、いられないの」

「いえ」

「……え?」

 玲は、首を、横に、振った。

「メロロン」

「はい」

「奪わなくても、人は、誰かと、一緒に、いられます」

「……」

「相手を、堕とさなくても。全てを、奪わなくても」

「……」

「ただ、隣に、いることが、愛です」

 メロンは、長い間、無言だった。

 やがて──。

「……そんな愛、あるの?」

「あります」

「……わたし、知らなかった」

「……」

「ずっと、食べてもらうことが、愛だと、思ってた」

「……」

「相手の、全部を、もらうことが、一緒に、いることだと、思ってた」

 メロンの声が、徐々に、柔らかく、なっていった。

「……あなた、変な人ね」

「よく、言われます」

「でも──」

 メロンは、ふっ、と、笑った。

「そういう愛も、いいわね♡」

 その瞬間。

 メロンの、甘い香りが、すっ、と、和らいだ。

 チャームの力が、弱まったのだ。

 ベテラン農夫が、はっ、と、我に返った。

「……あれ? 俺、何を……」

「お父さん!」

 その時──。

 畑の、入り口から、声が、した。

 一人の、中年の女性が、走ってきた。

 ベテラン農夫の、妻だった。

「お父さん! 帰ってきて!」

「……母さん」

「お願い! 帰ってきて!」

 妻は、農夫に、すがりついた。

「あんたが、いないと、畑も、家も、回らないのよ!」

「……」

「孫だって、おじいちゃんに、会いたがってるのよ!」

「……母さん」

 農夫は、しばらく、妻を、見ていた。

 それから──。

 メロンを、見た。

 メロンは、もう、何も、言わなかった。

 ただ、静かに、そこに、在った。

「……すまん、母さん」

「お父さん!」

「俺、どうかしてた」

「……」

「メロロンに、優しくされて……女房に、言われたことのない言葉を、言われて……舞い上がっちまった」

「……」

「すまん。本当に、すまん」

 農夫は、妻を、抱きしめた。

 妻は、泣いた。

 玲は、その光景を、静かに、見ていた。

 そして──。

 メロンに、もう一度、話しかけた。

「メロロン」

「……はい」

「ありがとうございます」

「……え?」

「あなたが、力を、緩めてくれたから、彼は、家族のもとに、帰れます」

「……」

「あなたは、優しい、メロンですね」

 メロンは、しばらく、無言だった。

 それから──。

 ぽつりと、言った。

「……ねぇ」

「はい」

「わたし、間違ってたのかしら」

「いえ」

「……え?」

「あなたは、間違って、いません」

 玲は、静かに、言った。

「あなたは、愛を、知らなかっただけです」

「……」

「奪う愛しか、知らなかった。でも、これから、知ればいい」

「……」

「ただ、隣に、いる愛を」

 メロンは、長い間、無言だった。

 畑に、また、風が、吹いた。

 甘い香りが、ふわり、と、漂った。

 やがて──。

 メロンが、小さく、笑った。

「……ふふ」

「はい」

「あなた、本当に、変な人ね」

「よく、言われます」

「でも──」

 メロンは、優しく、囁いた。

「ありがとう♡」

 その後、玲は、村役場に、戻ると、すぐに、書類の作成に、取り掛かった。

 メロロン栽培区域・特別労務管理規定。

 【行政】スキルが、起動する。

『規定内容:

 一、メロロン栽培区域での作業時は、耳栓・マスクの着用を義務付ける

 二、一日の作業時間を、二時間以内に、制限する

 三、メロロンへの貢ぎ物、指名行為を、禁止する

 四、既に依存状態にある者には、段階的離脱プログラムを、適用する

 五、クイーンメロロンは、収穫専門の隔離区画へ、移送する』

 玲は、その規定に、【公印】を、押した。

 ぱぁっ、と、書類が、光った。

「リリスさん」

「は、はい」

「この規定を、村中に、周知してください」

「は、はい!」

「特に、メロロン畑の、農夫の方々には、念入りに」

「分かりましたぁ!」

 リリスは、書類を、受け取って、村役場を、出ていった。

 玲は、一人、応接室に、残った。

 その時──。

 ドアが、すっ、と、開いた。

 ネギオだった。

 毒舌の、ポーン教師。

「フン、貴様」

「ネギオさん」

「メロロンの、依存症対策まで、やるのか」

「ええ」

「メロンの、依存症対策だぞ?」

「労働者と、その家庭を、守るのが、行政です」

「……」

「相手が、メロンでも」

 ネギオは、しばらく、無言だった。

 それから──。

 ふっ、と、笑った。

「……貴様」

「はい」

「計算機の、フリをした、人間め」

「……それは、褒め言葉ですか」

「さあな」

 ネギオは、ふん、と、鼻を、鳴らした。

「だが、一つ、教えてやろう」

「何でしょう」

「メロロンの、伝説を、知っているか」

「伝説?」

「ああ」

 ネギオは、椅子に、座った。

「昔、メロロンと、駆け落ちした、農夫が、いた」

 玲は、無言で、ネギオを、見た。

「その農夫は、メロロンに、『全部、ちょうだい』と、言われた」

「……」

「そして、食べられた」

「……」

「彼は、種を、植えた。『一年後、また、会える』と、信じて」

「……」

「一年後、彼は、畑に、来た」

「……」

「新しい、メロロンに」

「……」

「そして──」

 ネギオの、声が、低くなった。

「二度と、村に、帰らなかった」

 玲は、ぎゅっと、拳を、握った。

「ネギオさん」

「なんだ」

「そのメロロンは、騙していたんですか」

「いいや」

 ネギオは、首を、横に、振った。

「メロロンは、騙しとらん」

「……」

「本気で、愛しとった」

「……」

「だから、誰も、逃げられんのだ」

 玲は、長い間、無言だった。

 純粋な愛ほど、人を、壊すものは、ない。

 悪意なら、抵抗できる。

 でも、本物の愛は、抵抗できない。

 「あなたのため」と、言われたら。

 「あなたを、本気で、愛してる」と、言われたら。

 人は、その檻から、逃げられない。

「……ネギオさん」

「なんだ」

「教えていただき、ありがとうございます」

「フン」

「だからこそ、管理が、必要なんですね」

「……そういうことだ」

 ネギオは、立ち上がった。

「貴様の、規定。悪くない」

「ありがとうございます」

「メロロンを、殺さず、人を、救う」

「……」

「貴様らしい、やり方だ」

 ネギオは、応接室を、出ていった。

 その後ろ姿を、見送りながら、玲は、ぽつりと、つぶやいた。

「……純粋な愛、ですか」

 玲の脳裏に、ふと、ある人物の、顔が、浮かんだ。

 キャルル・ムーンハート。

 「わたくしの、玲さん♡」

 「ずっと、わたくしの、そばに♡」

 「どこにも、行かせません♡」

 それは、メロロンの言葉と、よく、似ていた。

 玲は、ふっ、と、息を、吐いた。

 まさか、と、思いながら。

 その夜。

 激務を、終えた玲は、一人、村のはずれを、歩いていた。

 メロロン畑の、横を、通りかかる。

 すると──。

 ふわり、と、甘い香りが、漂ってきた。

 マスクと、耳栓は、もう、外していた。

 しかし、夜のメロロンは、力を、弱めているらしく、それほど、強い香りでは、なかった。

「お疲れさま♡」

 メロンが、そっと、囁いた。

「今日も、頑張ってたわね♡」

 玲は、足を、止めた。

「えらい、えらい♡」

「……」

「でも、あなたも、無理しちゃ、だめよ?」

 玲は、しばらく、無言だった。

 市役所時代、玲は、誰にも、言われなかった言葉。

 「無理しちゃ、だめよ」

 「えらい、えらい」

 それを、メロンに、言われていた。

 植物に、慰められている。

 おかしな、状況だった。

 しかし──。

 その夜だけは、少しだけ、救われた気が、した。

「……ありがとう、ございます」

 玲は、メロンに、礼を、言った。

「ふふ♡」

 メロンが、笑った。

「あなた、優しいから、心配なの♡」

「……」

「だから、無理しないでね♡」

「……善処します」

「ふふ、変な人♡」

 玲は、ふっ、と、笑った。

 そして、宿舎へと、歩き出した。

 その時──。

 畑の、反対側から、誰かが、見ていた。

 月明かりの中で、立つ、小柄な、人影。

 頭の上の、うさ耳が──。

 ぴしり、と、垂直に、立っていた。

 キャルルだった。

 彼女は、玲が、メロンに、礼を、言うのを、見ていた。

 メロンに、慰められて、少しだけ、笑うのを、見ていた。

 うさ耳が、ぴく、ぴく、と、震えた。

「……あのメロン」

 キャルルが、ぽつりと、つぶやいた。

 彼女の瞳が、わずかに、紅く、染まっていた。

「……収穫リストに、追加、しておきましょう♡」

 玲を、メロンにすら、渡さない。

 しかし──。

 その時、キャルルの脳裏に、ふと、ある考えが、よぎった。

 今日、村中に、広まった、噂。

 事務官の、玲が、メロロン依存の農夫を、救った、という話。

 メロロンの、「奪う愛」から、人を、解放した、という話。

 キャルルは、ふと、自分の、言葉を、思い出した。

 「わたくしの、玲さん♡」

 「ずっと、わたくしの、そばに♡」

 「どこにも、行かせません♡」

 ……それは。

 あのメロンと、同じ、ではないか。

 キャルルの、うさ耳が、ぴくり、と、動いた。

 いつもの、嬉しそうな揺れ方でも、警戒の揺れ方でも、ない。

 戸惑いの、揺れ方だった。

「……わたくしも」

 キャルルが、つぶやいた。

「……玲さんを、奪おうと、してる……?」

「……あのメロンと、同じ……?」

 キャルルは、しばらく、その場に、立ち尽くした。

 月明かりが、彼女の、頬を、照らしていた。

 彼女の瞳から、ゆっくりと、紅い色が、引いていった。

「……奪わない、愛」

「……ただ、隣に、いる愛」

「……わたくしにも、できるかしら」

 キャルルは、ぎゅっと、人参柄のハンカチを、握りしめた。

 そして、月を、見上げた。

 あと、一日で、満月。

 その満月の夜に──。

 彼女は、まだ、知らなかった。

 自分が、玲を、守る側に、回ることを。

 そして、その時、彼女が、抱えてきた「奪う愛」が、初めて、「守る愛」に、変わり始めることを。

 今はまだ、ただ、月兎族の少女が、月を、見上げて、自分の心を、見つめ直している、それだけだった。

 メロロン畑から、甘い香りが、ふわり、と、漂ってきた。

 まるで、キャルルの、戸惑いを、優しく、包むように。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ