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退職届を出したら異世界の村役場に配属されました 〜書類とハンコでヤンデレ村長と勇者を雇用しています〜  作者: 月神世一


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EP 2

ルナキンの謎の関西弁竜と、不穏な依頼書

 異世界に降り立って、まず最初に玲が思い知ったことがある。

 空腹は、世界を選ばない。

「玲さぁん、お腹空きましたぁ……」

 隣で、リリスが、ジャージのお腹をさすりながら、情けない声を上げた。

 時刻は、午前七時頃。

 ルチアナの楽屋から放り出されてから、もう三時間。二人は、通行人に道を聞きながら、街の中心部らしき場所まで歩いてきた。

 ここは、人間が主に住むルナミス帝国の首都、ルナミス。

 道行く人々は、玲のスーツ姿を見ても、特に驚いた様子はない。リリスのジャージ姿にも、ちらりと視線を向ける程度だった。多民族国家らしく、見た目の多様性に寛容な街のようだ。

 ただ、玲には一つ、深刻な問題があった。

「リリスさん」

「はい」

「お金、本当に、ないんですよ」

「えっ」

「ルチアナ様、初期装備の現金、付け忘れたんです」

 リリスは、しばらく、ぽかんとした。

 それから──。

「ル、ルチアナ様ぁ! ひどいですぅ!」

 ふらり、と、倒れそうになった。

 玲は、慌てて、彼女の肩を支えた。

「リリスさん、落ち着いてください」

「だ、だって、玲さん! お腹空きました!」

「分かっています」

「お腹空きました!」

「分かっています」

「お腹、空きました!!」

「分かっています!」

 玲は、ネクタイを締め直した。

 市役所時代、こういう「困窮した市民」を、何百人と見てきた。

 所持金ゼロ、住所なし、身分証あり。

 そういう人々に対して、行政が、どう対応するか──玲は、嫌というほど、知っている。

「リリスさん、エンジェルすまーとふぉん、お持ちですよね」

「は、はい!」

 リリスは、ジャージのポケットから、ピンク色のスマートフォンを取り出した。

 透明なハードケースに入っており、ストラップには、小さな団子型のアクセサリーがぶら下がっている。

「これで、お菓子、出せるんですよね」

「は、はい! 無料で出せます!」

「では、ひとまず、それで凌ぎましょう」

「は、はい! えーっと、何を出しましょうか?」

「あんパンか、おにぎりが、栄養価が高くて──」

「えへへぇ、じゃあ、みたらし団子で!」

「リリスさん」

「はい!」

「みたらし団子は、栄養価が低いです」

「でも、美味しいですぅ!」

「……」

 玲は、こめかみを押さえた。

 市役所時代、生活保護費を全部パチンコに使ってしまった受給者を、玲は何度も見てきた。

 その時の表情と、今のリリスの表情が、なぜか、重なった。

「リリスさん、お聞きします」

「はい」

「あなた、計画的に、お金を使ったことはありますか」

「えっ」

「家計簿、つけたことありますか」

「か、家計簿、ですかぁ?」

「はい」

「いえ、ないですぅ!」

「……」

 玲は、深く、息を吸った。

 そして、ゆっくりと、吐いた。

 彼の頭の中で、【行政】スキルが、すっと、起動した。

『新規申請受理:見習い女神リリスに対する、家計管理指導の業務委託』

「リリスさん」

「は、はい」

「今後、あなたのお小遣いは、私が管理します」

「えええっ!?」

「無計画な課金、無計画な間食、無計画な通販を、防ぎます」

「で、でも、私の私生活が──」

「あなた、エンジェルすまーとふぉんの利用料、月にいくらかご存知ですか」

「えっと、月二万円ぐらいですぅ」

「すでに、課金状況はどうなっていますか」

「えっと、今月、九十万円使いましたぁ」

「……」

「えへへぇ」

 玲は、無表情のまま、頭の中で計算した。

 上限百万円。

 月の固定費二万円。

 今月の課金、九十万円。

 ……つまり、リリスのスマホは、残り八万円分しか使えない。

 しかも、月末まで、まだ三週間ある。

「リリスさん」

「はい」

「あなた、すでに破産寸前です」

「ええええっ!?」

「今月の課金内訳を、見せてください」

「は、はぁい……」

 リリスは、しょんぼりと、スマホを差し出した。

 玲は、画面を見た。

 ソシャゲ課金:四十万円

 お菓子課金:二十万円

 通販(ルチアナ様のクレジットカード経由):三十万円

「……お菓子課金、二十万円」

「えへへぇ、みたらし団子、美味しくて」

「……通販、三十万円」

「えへへぇ、ジャージ、新色が出たので」

「……ソシャゲ課金、四十万円」

「月人くんアイカツの新ガチャでぇ……」

「リリスさん」

「は、はい!」

 玲は、すっと、頭の中の【行政】スキルを、最大出力で起動した。

 彼の手元に、一枚の白い羊皮紙が、ふわり、と現れた。

 金色の縁取り。

 上部には、こう記されていた。

『家計改善指導計画書』

「な、なんですかこれ……」

「リリスさん、あなたの今月の家計を、立て直します」

「は、はい……」

「まず、ソシャゲ課金は、月一万円まで」

「ええええっ!?」

「お菓子課金は、月三千円まで」

「ええええええっ!?」

「通販は、私の承認制とします」

「ええええええええええっ!?」

「これに、判子を、押してください」

「い、嫌ですぅ!」

「押してください」

「月人くんのガチャがあるんですぅ!」

「リリスさん」

 玲は、淡々と言った。

「あなた、このままだと、月末にマグローザ漁船にドナドナされます」

「……ひっ」

 リリスの顔から、血の気が、引いた。

「マ、マグローザ漁船……?」

「ルチアナ様のクレジットカードの上限を超えて課金した場合、天界からサングラスのレスラー体型の黒服が来ます」

「ひぃっ」

「スーツケースに詰められて、マグローザ漁船にドナドナされます」

「いやですぅぅぅ!!」

「では、判子を」

「押しますぅぅぅ!! 押しますぅぅぅ!!」

 リリスは、震える手で、判子を押した。

 ぱぁっ、と、書類が、光った。

 神聖契約、成立。

 リリスは、こくり、と頷きながら、涙目になっていた。

「玲さん、玲さん……」

「はい」

「鬼ですぅ……」

「公務員、と呼んでください」

「同じですぅ……」

 みたらし団子(玲の家計指導により、リリスの本日分のお菓子配給は、これのみ)を齧りながら、二人は、街を歩いていた。

 通りの向こうに、一際大きな看板が見えてきた。

『ルナミスキング 24時間営業 モーニングセット銅貨5枚から』

 ファミレスらしい。地球のファミレスチェーンと、ほぼ同じ造りだ。

「玲さぁん、あれ、ファミレスですよね……?」

「はい」

「入りたいですぅ……」

「お金、ありません」

「でも、入りたいですぅ……」

「リリスさん」

「お腹空きましたぁ……」

 玲は、店の看板を、もう一度、見た。

 モーニングAセット(トースト・目玉焼き・人参サラダ・ドリンクバー)銅貨五枚。

 金額換算で、五百円。

 二人分で、千円。

 ……ないものは、ない。

 その時、玲は、ふと、ジャケットの内ポケットに、違和感を覚えた。

 手を入れる。

 何かが、入っていた。

 取り出してみると、それは、紙幣のようなものだった。

 いや、紙幣ではない。

 白い羊皮紙の、メモのようなもの。

 そこには、こう、書かれていた。

玲くんへ。

しょうがないから、初期支援金、付けといてあげた。

銀貨五枚分(五千円)。これで、しばらくは食いつなぎなさい。

あ、これ、貸付じゃないからね。ボーナスね。

私の最後の良心、ということで♡

ルチアナ

「……」

 玲は、その羊皮紙を、しばらく、見つめた。

 羊皮紙が、ふっ、と光って、銀貨五枚に変わった。

「玲さん? どうしました?」

「いえ」

 玲は、銀貨を、ポケットにしまった。

(あの女神、意外と、面倒見が良い)

 悪くない、神様だった。

 契約はめちゃくちゃだが。

「リリスさん、行きましょう」

「えっ、ど、どこへ?」

「ルナミスキングです」

「えっ、お金、あるんですかぁ!?」

「銀貨五枚、入手しました」

「やったぁぁぁ!!」

 リリスは、両手を上げて、喜んだ。

 その姿を見ながら、玲は、心の中で、ルチアナに、ひとつだけ、感謝した。

(次に会ったら、お礼を言おう)

 そして、すぐに、思い直した。

(いや、ついでに、追加の業務経費も請求しよう)

 市役所時代の根性は、抜けない。

「いらっしゃいませ、お二人様ですね」

 ルナミスキングの店員は、猫耳族の女性だった。

 黒髪ショート、メガネ、エプロン。年の頃は二十代半ば。

 愛想がよく、対応も丁寧。

「禁煙席で」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 玲は、店員の対応の丁寧さに、少し、感動した。

(市役所の窓口の俺、ここまで丁寧だっただろうか)

 いや、丁寧ではあった。

 ただ──玲は、笑っていなかった。

 灰皿を投げられて、笑えるわけがなかった。

「玲さぁん! メニュー、メニュー!」

「はい」

 二人は、窓際の席に通された。

 メニューを開く。

 モーニングAセット 銅貨五枚。

 モーニングBセット(納豆定食) 銅貨六枚。

 モーニングCセット(フレンチトースト) 銅貨八枚。

「玲さん、私、Cセットがいいですぅ!」

「Aセットにしましょう」

「えええっ!?」

「リリスさん、私たちの所持金、銀貨五枚です」

「は、はい」

「銀貨五枚は、銅貨五十枚です」

「は、はい」

「Cセットを二つ頼むと、銅貨十六枚。残り、銅貨三十四枚」

「そんなに残るんですかぁ!? じゃあ、Cセットで!」

「リリスさん」

「はい」

「これから三週間、生きていかなきゃいけないんです」

「……あっ」

 リリスは、はっとした顔で、メニューを見直した。

「あ、あの、玲さん」

「はい」

「Aセットで、お願いしますぅ」

「賢明な判断です」

 玲は、店員を呼んで、Aセットを二つ、注文した。

 会計は、銅貨十枚。これで、銀貨四枚と銅貨四十枚が、残ることになる。

 残り三週間、食費だけで言えば、ぎりぎりで持つ。

 ただし、それだけだ。宿代、その他諸経費は、別に稼がなければいけない。

「玲さぁん」

「はい」

「ドリンクバーって、何回でも飲めるんですよね?」

「無制限です」

「ふぁああっ、すごいですぅ!」

「ただし、ドリンクバーで、お腹を膨らませないでください」

「えっ、なんでですかぁ!?」

「あなた、絶対、トイレが近くなります」

「えっ、ばれてますぅ!」

「ばれてます」

 玲は、深く、息を吐いた。

 市役所時代の経験は、こういう時にも、役に立つ。

 朝食を食べ終え、ドリンクバーを二杯ずつ(玲の制限により)飲んだ後、玲は、メニューの裏に書かれた「お知らせ」のページに、目を留めた。

『冒険者ギルド・ルナミス本部 徒歩三分 各種依頼随時募集中』

「リリスさん」

「はい」

「ここから、徒歩三分のところに、冒険者ギルドがあります」

「えっ、玲さん、冒険者になるんですか!?」

「いえ、仕事を探しに行くだけです」

「冒険者にならないんですか!?」

「私、戦闘能力ゼロですよ」

「あっ、そうですねぇ」

「忘れてたんですか」

「えへへぇ」

 玲は、ため息をついて、店を出ようとした。

 その時──。

「兄ちゃん」

 すぐ近くの席から、声がかかった。

 玲は、振り向いた。

 窓際の席に、一人の青年が、座っていた。

 年の頃は、二十代前半。短く切り揃えた黒髪。茶色のジャケットに、配達員らしき大きなバッグを背負っている。

 首には、不思議な石が、紐で吊るされていた。魔導通信石、というやつだろう。

 彼は、ホットドッグを齧りながら、玲を、じっと見ていた。

 目が合うと、にやり、と笑った。

「兄ちゃん、転生者やろ」

 関西弁だった。

 玲の足が、止まった。

「……どうして」

「匂いや」

「匂い」

「うん、転生者特有の、こう、スーツ姿で必死に頭下げてきた疲れた感じな」

「……」

 玲は、無言で、自分のスーツを、見下ろした。

「あー、ちゃう、悪気はないで」

 青年は、空いている向かいの席を、指差した。

「ちょっと、座らんか。情報交換しよや。ワテ、ロード言うねん」

 玲は、リリスと顔を見合わせた。

 市役所時代の経験で言えば、こういう「気さくに話しかけてくる」タイプは、九割の確率で、何か売りつけてくる人間だ。

 だが──。

 玲は、無意識に、ぞくり、と、首筋に、冷たいものを感じた。

 強い。

 直感的に、そう思った。

 この男、戦闘力ゼロの自分が、本能で恐れるほどの──。

 戦闘力。

「……失礼します」

 玲は、警戒を解かないまま、ロードの向かいの席に、腰を下ろした。

 リリスも、玲の隣に、ちょこんと、座った。

「で、兄ちゃん、何処から来た?」

 ロードは、ホットドッグを齧りながら、気さくに尋ねた。

「日本です。市役所で過労死しました」

「あー、よくあるパターンやな」

「よくあるんですか」

「ルチアナ、雑やからな。だいたい三ヶ月に一人くらい、間違って魂連れてきよる」

 玲は、めまいを感じた。

(あの女神、本当に、常習犯か)

「ほんで、兄ちゃん、何か能力もろたんちゃうの?」

「【行政】というスキルです」

「……は?」

「書類が錬成できて、判子で契約が固定できて、相手のステータスが申請書フォーマットで見える、というスキルです」

 ロードは、しばらく、無言で玲を見つめた。

 それから──。

 ぴたり、と、動きが、止まった。

 ホットドッグを口に運ぼうとしていた手が、宙で、止まる。

「……兄ちゃん」

「はい」

「それ、本当か?」

「はい」

「【行政】って、確か、神務スキルやろ。神が使うやつ」

「……え?」

「普通の転生者には、絶対に与えられんはずや」

 ロードの声が、低くなった。

 彼の目が、じっと、玲を見つめている。

 その瞳が、ふっと、揺らいだ。

 瞳孔が、わずかに、縦に細くなった気がした。

 爬虫類のように。

「兄ちゃん、ちょっと、目、貸してくれ」

「……はい」

「お前の魂、ワテに、見せてみい」

 玲は、何故か、頷いた。

 ロードの目が、ぐっと、玲の目を覗き込んだ。

 その瞬間──。

 玲は、感じた。

 自分の内側を、何か巨大なものが、撫でていく感覚。

 冷たくて、深くて、底が、見えない。

 まるで、深海に、放り込まれたような。

 しかし、敵意は、感じない。

 ただ、観察されている──そういう、感覚。

 数秒間。

 ロードは、玲から、目を逸らした。

 そして、ふぅ、と、息を吐いた。

「……兄ちゃん」

「はい」

「お前、なんか、おかしいで」

「おかしい」

「普通の転生者やない」

「……どういう意味ですか」

「分からん」

 ロードは、ホットドッグを、もう一度、齧った。

「分からんけど、普通の転生者は、こんな魂しとらん」

「……」

「ま、ええわ」

 ロードは、にやり、と笑った。

「兄ちゃん、面白いな。ワテ、お前、気に入ったわ」

「光栄です」

「お前、絶対、ヤバいことに巻き込まれる体質や」

「……できれば、巻き込まれたくないんですが」

「無理やで」

 ロードは、ホットドッグを、最後まで食べきった。

「ほんで、兄ちゃん、これからどないするんや?」

「仕事を探します」

「冒険者か?」

「いえ、戦闘能力はありません。事務職を探しています」

「事務職?」

「はい」

「異世界転生で『事務職探します』なんて言うた奴、ワテ初めて見たわ」

「他に、何ができますか」

「いや、まあ、ワテも配達員やしな」

 ロードは、苦笑した。

「兄ちゃん、おすすめあるで」

「教えていただけますか」

「冒険者ギルドの事務スタッフ、絶賛人手不足や」

「……」

「書類が山積みで、職員が泣いとる」

 玲は、頭の中で、計算した。

 冒険者ギルドの事務スタッフ。【行政】スキルと、完全に噛み合う仕事。

 しかし──。

「ロードさん」

「ん?」

「あなた、なぜ、こんなに、親切に、情報をくださるんですか」

「あー、それなぁ」

 ロードは、にやり、と笑った。

「面白そうやから」

「面白そう」

「うん」

「それだけですか」

「それだけや」

「……」

 玲は、ロードを、まじまじと見た。

 強くて、観察力があって、情報通で、しかも、こちらに親切。

 市役所時代の経験で言えば、こういう人間は──。

 九割の確率で、ヤバい裏がある。

 だが、残りの一割は、本当に、ただの面白い人だ。

 ロードは、どちらだろうか。

「ロードさん」

「ん?」

「あなた、本当に、ジオ・リザード賢竜種ですか?」

 ロードの動きが、ぴたり、と、止まった。

 数秒間。

 彼は、玲を、じっと、見つめた。

 それから──。

 ぶはっ、と、笑い出した。

「わっはっは! 兄ちゃん、ええ目、しとるな!」

「……」

「ま、今は、ジオ・リザード賢竜種、ロード、いうことにしといて」

「今は、ですか」

「うん」

「……」

「ま、いずれ、分かるわ」

 ロードは、立ち上がって、配達バッグを背負った。

「兄ちゃん、ワテ、また会うと思うで」

「そうですか」

「お前みたいなのは、面白いから、ワテも追いかけてしまう」

「……それは、嬉しいような、怖いような」

「両方や」

 ロードは、にやり、と笑った。

 そして、玲に、一枚の名刺を、手渡した。

『ジオ・リザード賢竜種 ロード ルナ・イーツ配達員 ご用命の際は魔導通信石にて』

「困ったら、呼んでや。ピザ一枚から運ぶで」

「ありがとうございます」

「ほな」

 ロードは、手を振りながら、店を出ていった。

 その後ろ姿を見送りながら、玲は、リリスに、声をかけた。

「リリスさん」

「は、はい」

「今の人、何者だと思いますか」

「えっと、ジオ・リザード賢竜種の、配達員さん、ですよね?」

「あなた、見習いとはいえ、女神でしょう」

「は、はい」

「魂を、見れますよね」

「は、はい」

「あの人、何者でしたか」

 リリスは、しばらく、考えた。

 それから──。

「玲さぁん」

「はい」

「たぶん、見ないほうが、いい人ですぅ」

「……そうですか」

「私の手に、負える人じゃ、なかったですぅ」

「分かりました」

 玲は、頭の中に、ロードの名前を、メモした。

 情報屋として優秀そうだが、何か別の顔がありそう──その勘は、市役所時代に培ったものだった。

 そして、その勘は、今、九割の確率で、当たっていた。

 ルナキンを出て、二人は、冒険者ギルドへと向かった。

 道すがら、リリスが、玲の袖を、ちょこちょこと、引っ張った。

「玲さん、玲さん」

「はい」

「冒険者ギルド、なんだか、ドキドキしますぅ」

「初めてですか」

「は、はい」

「私もです」

「玲さんも、ドキドキしてるんですかぁ?」

「いえ、私は、平常心です」

「えええっ、ずるいですぅ!」

「ずるい、とは」

「私だけ、ドキドキしてるみたいで!」

 玲は、思わず、笑いそうになった。

 市役所時代、玲は、こういう「単純で、可愛い反応」を、見たことが、なかった。

 窓口の市民は、いつも、怒っていた。

 同僚は、いつも、疲れていた。

 上司は、いつも、責任を回避していた。

 誰も、ドキドキ、なんて、していなかった。

 でも──。

 玲の隣で、ぱたぱた歩いている、ポンコツ見習い女神は、ドキドキしている。

 それだけで、玲は、少しだけ、息が、楽になる気がした。

「リリスさん」

「は、はい」

「私も、少しだけ、ドキドキしているかもしれません」

「えへへぇ、仲間ですぅ!」

「仲間ですか」

「仲間ですぅ!」

 リリスは、嬉しそうに、笑った。

 その時、二人は、冒険者ギルドの建物の前に、着いた。

 冒険者ギルド・ルナミス本部。

 石造りの大きな建物だった。

 地球で言えば、銀行のメインバンクのような雰囲気。

 入り口に立てかけられた剣や盾、そして、漂ってくる、汗と血と酒の臭いが、ここが冒険者の溜まり場であることを、示していた。

 玲は、リリスを連れて、中に入った。

 受付カウンターは、五つ。

 そのうち、四つが、長蛇の列を作っている。

 残り一つは、誰も並んでいない。

 なぜなら──。

 その受付の職員が、書類の山に、埋もれて、泣きそうな顔をしていたからだ。

「もう、無理ですぅ……これ、いつ、終わるの……」

 猫耳族の女性職員。

 二十代半ば。長い茶髪を、後ろで結んでいる。

 メガネをかけ、エプロンには、ギルドのロゴが、刺繍されている。

 彼女の前には、書類が、山積みになっていた。

 玲の目が、自然と、その書類の山に、吸い寄せられた。

 【行政】スキルが、勝手に、起動する。

『書類山積:合計四百二十三件。

 内訳:依頼受注書(百三十二件・新書式変更要)、討伐報告書(八十七件・記入漏れ多数)、報酬精算書(百五十四件・税務計算誤り)、依頼主クレーム対応書(五十件・優先処理要)』

 玲は、無意識に、呟いた。

「……書式が古いですね、これ」

「……えっ?」

 猫耳族の職員が、顔を上げた。

 目が、合う。

「あ、あの、お客様、何か……?」

「あ、いえ、すみません。独り言です」

「いえ、今、書式が、古い、って」

 職員は、メガネを、くいっ、と持ち上げた。

「あなた、書類のこと、分かるんですか?」

「……元・市役所職員です」

「市役所」

「日本の地方公務員です」

「……日本?」

「あ、転生者、っていう意味です」

「あー! 佐藤太郎様のような!?」

 職員の目が、輝いた。

「すみません、私、ミーナと申します! あの、もしよろしければ──」

「玲さん」

 リリスが、玲の袖を、引いた。

「掲示板、依頼の掲示板、見ましょうよぉ」

「あ、はい」

 玲は、ミーナに、向き直った。

「すみません、依頼の掲示板を、見たいのですが」

「あ、はい! あちらです!」

 ミーナは、壁を指さした。

 ギルドの奥に、巨大な掲示板があった。

 びっしりと、依頼書が、貼られている。

 玲は、リリスと共に、掲示板の前に、立った。

 依頼書を、一枚一枚、眺めていく。

『ゴブリン討伐:銀貨二枚~ ルナミス郊外』

『護衛依頼:金貨一枚/日 商業ギルド指定』

『薬草採取:銅貨五十枚~ 森林部』

『下水道清掃:銅貨二十枚/時間 市役所委託』

 戦闘系の依頼が、ほとんどだ。

 玲は、戦闘力ゼロ。

 もう少し下を見る。

 その時──。

 玲の目が、一枚の依頼書で、止まった。

 他の依頼書とは、明らかに、違っていた。

 黄ばんでいる。

 古い。

 何度も貼り直されたような、跡がある。

 そして、その内容は──。

『ポポロ村 事務官募集

 給料:金貨五枚/月

 住居完備、食事完備、ルナキン社員割引券支給

 業務:村長補佐、村役場運営、各種書類処理

 応募資格:書類仕事ができる方なら誰でも可

 備考:当村は、ルナミス・アバロン・レオンハートの緩衝地帯にある平和な村です。村長は月兎族の若い女性で、温厚な性格です。

 ※ただし、満月の日だけ、少々激しいです。

 ご応募お待ちしております』

「……月兎族の村長」

 玲は、依頼書を、凝視した。

「玲さん」

「はい」

「これ、なんだか、書き方が……」

「ええ、不自然ですね」

 玲は、依頼書を剥がして、受付のミーナのところに、持っていった。

「すみません、この依頼について、教えてください」

 ミーナは、玲の手にある依頼書を、見て──。

 顔が、強張った。

「あ、あー……ポポロ村、ですか」

「何か、問題が?」

「い、いえ、問題、っていうか……」

 ミーナは、目を泳がせた。

 玲は、市役所時代の経験で、その表情の意味を、すぐに理解した。

(明らかに、何か隠している)

「ミーナさん」

「は、はい……」

「正直に教えてください。この依頼、何かあるんですか」

「……あの」

 ミーナは、声を、潜めた。

「実は、この依頼……」

「はい」

「前任の事務官さん、三人連続で、逃げ出してまして……」

「……三人」

「は、はい」

「理由は」

「……」

 ミーナは、しばらく、無言だった。

 それから、ぽつり、と、呟いた。

「……村長さんが、その、満月の日だけ、ちょっと」

「ちょっと?」

「……激しい、んです」

 その「激しい」という言葉の言い方が──。

 玲の本能を、わずかに、ざわつかせた。

 ミーナの目が、泳いでいる。

 明らかに、彼女は、何かを、隠している。

 言葉を、選んでいる。

 読者には、まだ言えない、何かを。

 玲は、依頼書を、見直した。

 給料金貨五枚、月収換算で、五万円。

 安いが、住居・食事完備で、ルナキン社員割引券付き。

 実質、生活費が、ほぼ要らない。

 玲の頭の中で、計算が、始まる。

(ルチアナへの借金は、元本ゼロになった。給料五万円のうち、月々一万円を生活費に回したとして、残り四万円……)

(だが、住居・食事完備なら、生活費を、ほぼゼロに抑えられる)

(何より──)

 玲は、依頼書の、業務内容の欄を、もう一度、読んだ。

『業務:村長補佐、村役場運営、各種書類処理』

 これは、玲のスキル【行政】と、完全に、噛み合う仕事だった。

「ミーナさん」

「は、はい」

「この依頼、受けます」

「えええっ!?」

 ミーナの声が、ギルド中に、響いた。

 周囲の冒険者たちが、何事かと、振り向く。

 玲は、平然と、続けた。

「契約手続きを、お願いします」

「ちょ、ちょっと待ってください! あなた、ポポロ村の話、聞きました!? 満月の日だけ、激しいんですよ!?」

「市役所時代のクレーマーよりマシでしょう」

「いやいや、そういう問題じゃないと思います!」

「ミーナさん」

 玲は、淡々と、言った。

「市役所の窓口で、灰皿を投げつけられたことは、ありますか」

「……ないです」

「胸ぐらを掴まれて、『お前のせいで俺は死ぬ』と、叫ばれたことは」

「……ないです」

「では、私の方が、経験豊富です」

「い、いえ、それは違うと思いますけど!?」

「契約書、お願いします」

 玲は、深々と、頭を下げた。

 ミーナは、しばらく、口をぱくぱくさせていたが、やがて、諦めたように、契約書を取り出した。

「は、はい……本当に、いいんですね?」

「はい」

「では、こちらに記入を……」

 玲は、ペンを取って、契約書を、読み込んだ。

 依頼内容、給料、勤務地、契約期間、解約条件──全て、入念に、チェックする。

 市役所時代の習性だった。

 契約書は、隅から隅まで、読む。

 その様子を、ミーナは、ぽかんと、見つめていた。

 そして、玲が、三十分かけて、契約書を読み終え、満足したように、頷いたところで、ミーナは、ぽつりと、呟いた。

「……あなた、本当に、変わってますね」

「公務員でしたから」

「いえ、そうじゃなくて」

 ミーナは、ふっ、と、微笑んだ。

「ポポロ村、もしかしたら、あなたを、必要としていたのかもしれません」

「……?」

「いえ、独り言です」

 ミーナは、契約書を受け取って、ギルドの印鑑を、押した。

 玲も、自分の印鑑──【公印】を、契約書に押す。

 ぱぁっ、と、小さな光が、契約書から、漏れた。

 ミーナが、目を、見開いた。

「えっ、今、何が……?」

「あ、すみません。私のスキルで、契約が、固定されました」

「契約が、固定」

「はい。神でも破れない、契約になります」

「……神」

 ミーナは、しばらく、無言で、玲を見つめた後──。

 深々と、頭を下げた。

「ポポロ村を、よろしくお願いします」

「はい」

「あの村、本当に、いい村なんです」

 ミーナの声は、どこか、優しかった。

「村長さんも、本当は、すごく、いい方なんです」

「……」

「ただ、月兎族の本能で、満月の日だけ……」

「分かりました」

「気をつけて、行ってきてください」

「はい」

 玲は、契約書を、丁寧に、折りたたみ、ジャケットの内ポケットに、しまった。

 リリスが、玲の袖を、引いた。

「玲さん、行くんですか?」

「はい」

「私も、ですか?」

「ルチアナ様の命令ですから」

「ううっ、満月、怖いですぅ……」

「大丈夫です。私が、守ります」

 玲は、リリスに、微笑んだ。

 リリスは、目を潤ませて、こくり、と、頷いた。

 ギルドを出ると、ミーナが、バス停まで、案内してくれた。

「ポポロ村行きのロックバイソンバスは、あちらの停留所から、出ます。次の便は、午後一時です」

「ありがとうございます」

「あ、それと、これ」

 ミーナは、玲に、小さな紙袋を渡した。

「ルナキンの社員割引券です」

「えっ」

「ポポロ村の事務官に支給される、はずだったものを、前倒しで」

「いいんですか?」

「はい。ポポロ村のために、頑張ってください」

「ありがとうございます」

 玲は、深々と、頭を下げた。

 ミーナも、頭を下げ返した。

 彼女が立ち去る背中を、見送りながら、玲は、ふと、ロードの言葉を、思い出した。

『お前みたいなのは、面白いから、ワテも追いかけてしまう』

 なぜか、その言葉が、頭から、離れなかった。

 市役所時代の勘が、ささやいている。

(あの男、いずれ、また、現れる)

 その時、ポポロ村への道に、視線を、向けた。

 遠くの、山の向こうに、村が、ある。

 月兎族の、若い、女性の村長。

 満月の日だけ、少々、激しい。

 ミーナが、選んだ、その表現が──。

 なぜか、玲の本能を、ざわつかせる。

「リリスさん」

「は、はい」

「これから、向かう村ですが」

「は、はい」

「何か、嫌な予感がします」

「えええっ!? 今、言うんですかぁ!?」

「いえ」

 玲は、ネクタイを、締め直した。

 市役所時代の癖だった。

 覚悟を決める時、玲は、必ず、ネクタイを、締め直す。

「それでも、行くしか、ありません」

「う、うぅ……心強いのか、不安なのか、分からないですぅ……」

 その時、街の中心部の方から、奇妙な音が、聞こえてきた。

 ガオーッ、と、巨大な動物が、吠える声。

 そして、地響き。

 玲は、振り向いた。

 通りの向こうから、巨大な──牛のような生き物が、ゆっくりと、歩いてくる。

 体長は、五メートルほど。茶色い毛皮。角は岩でできている。背中には、巨大な箱型の客車が、乗っている。

 ロックバイソンバス。

 路線バスとして運行されている、家畜化された魔獣。

「玲さん、あれ、バス、ですか……」

「はい、そうみたいです」

「乗るんですか、あれに」

「乗るしか、ないでしょう」

「ふぁああ……」

 リリスは、震えていた。

 玲は、深呼吸を、した。

 異世界、一日目。

 仕事は、決まった。

 行き先は、満月の日だけ激しい村長のいる、ポポロ村。

「リリスさん、行きましょう」

「は、はい!」

 玲は、ネクタイを、もう一度、締め直した。

 市役所時代と、同じ仕草。

 だが、向かう先は、市役所では、ない。

 異世界の、辺境の、村。

 彼を待っているのは、書類仕事と、月兎族の村長。

 そして──彼の人生を、決定的に変えることになる、一人の少女との、出会いだった。



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