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退職届を出したら異世界の村役場に配属されました 〜書類とハンコでヤンデレ村長と勇者を雇用しています〜  作者: 月神世一


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EP 13

満月の夜、月兎族の真の姿(後編)

 【公印】が、放った光が、ポポロ村全体を、包んでいた。

 ガロが、その光を、目を細めて、見た。

「……なんだ、これ」

 玲は、【公印】を、構えたまま、答えた。

「ポポロ村への不法侵入につき、当村の正当防衛権を、ここに発行します」

「正当防衛権?」

「ええ」

「そんな書類に、何の意味が──」

 その瞬間。

 村全体に、何かが、広がった。

 自警団の、団員たちが、はっ、と、した。

 自分の、身体を、見下ろす。

 そして──。

「な……なんだ、これ……力が……」

「闘気が……満ちてくる……」

 自警団全員の、闘気が、跳ね上がっていた。

「神聖契約書によるバフです」

 玲が、淡々と、説明した。

「正当防衛権の、公印は、村の防衛に、参加する、全員の、闘気を、一時的に、増幅させます」

「……は?」

「法的な、正当性が、認められると、人の、力は、伸びます」

「……何を、言ってるんだ、お前」

「市役所時代に、学んだことです」

 ガロが、玲を、睨んだ。

「……そんな書類一枚で、何が、変わる」

「もう一枚、あります」

「は?」

 玲は、もう一枚の、書類を、取り出した。

 白い、羊皮紙。

 金色の、縁取り。

 上部には、こう、記されていた。

『逮捕状』

「……逮捕状?」

「ガロ。あなたに、逮捕状を、発行します」

「……ふん。そんな紙切れが、俺に、効くか」

「効きます」

「なぜだ」

「【公印】が、押された、神聖契約書は、神でも、破れない」

「……」

「神でも、破れない契約は、あなたの、闘気喰らいの体質を、無力化します」

 ガロの、顔色が、変わった。

「……な、何だと」

「闘気喰らいは、あなたの、体質です。つまり、あなたの、身体の、特性」

「……」

「神聖契約は、あらゆる制約を、一時的に、停止させます」

「……」

「あなたの、体質も、例外では、ありません」

「……そんな、馬鹿な話が」

「【公印】、発動」

 玲が、逮捕状に、判子を、押した。

 ぱぁぁぁっ!!

 今度は、さらに、強い光が、放たれた。

 ガロの、身体に、巻かれた、鎖が──。

 ぎぎぎぎ、と、音を立てて、光に、締め付けられた。

「な……なんだ!?」

 ガロが、自分の、身体を、見た。

 鎖の光が、消えていく。

「闘気喰らいが……止まっている……!?」

「ええ」

 玲は、淡々と、答えた。

「逮捕状は、被疑者の、特殊能力を、一時的に、封じる効力を、持ちます」

「……そんな効力、聞いたことが、ねえ」

「私が、今、作りました」

「は?」

「【行政】スキルで、今、制定しました」

「……今、作った!?」

「ええ。行政は、必要に応じて、規定を、制定します」

「……お前、本当に、何者だ」

「元・市役所、福祉課職員です」

 ガロは、しばらく、玲を、見つめていた。

 その目に、初めて、動揺が、浮かんでいた。

 そして──。

 地面に、倒れていた、キャルルが、身じろぎした。

「……っ」

 彼女の、瞳が、ゆっくりと、開いた。

 紅い瞳。

 満月の、力。

「玲、さん……?」

 かすれた、声で、キャルルが、呟いた。

「玲さんが……守って……くれた……?」

「キャルル村長」

 玲が、彼女の方を、向いた。

「闘気を、取り戻せますか」

「……ええ」

 キャルルが、ゆっくりと、立ち上がった。

 月明かりが、彼女を、照らしている。

 彼女の、体内に、闘気が、戻ってくる。

 満月の、力が、再び、みなぎっていく。

「玲さんが……守って……くれた……♡」

 キャルルの、声が、低く、甘く、響いた。

「玲さんが……わたくしを……守って……くれた……♡」

 紅い瞳が、輝いた。

 うさ耳が、ぴしり、と、立った。

「そういう玲さんは……」

 キャルルが、ダブルトンファーを、構えた。

「もう、どこにも、行かせません♡」

「キャルル村長」

「はい♡」

「今は、ガロです」

「……分かってますわ♡」

 キャルルが、ガロを、見た。

 その目に、恍惚と、怒りが、混じっていた。

「あなた……」

「…………」

「わたくしの村に、手を出した」

「……」

「わたくしの、玲さんを、脅かした」

 キャルルの、闘気が、爆発した。

 満月の、力が、最大化された、月兎族。

 その力が、今──。

 完全に、解放された。

「許しません♡」

 キャルルが、構えた。

 クラウチングスタート。

 特注の、安全靴が、地面を、砕く。

 彼女の、身体が、加速していく。

 マッハへ、向かって。

「玲さん」

「はい」

「少し、目を、閉じていてくださいね」

「……え?」

「少々、激しいので」

「キャルル村長、それ、依頼書の──」

「超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)!!」

 その瞬間。

 キャルルの、安全靴から、雷竜石が、解放された。

 紫電の、雷光。

 満月の、闘気。

 マッハ1の、速度。

 三つが、合わさった、飛び蹴り。

 一億ボルト。

 1000MJ。

 277トン。

 ガロの、鎖が、光ったが──。

 逮捕状の、神聖契約が、それを、封じていた。

 闘気喰らいは、機能しない。

 ガロの、目が、見開いた。

「な……神聖契約……こんな馬鹿な……」

 そこに、キャルルの、飛び蹴りが、直撃した。

 轟音。

 衝撃波。

 地面が、抉れた。

 半径十メートルの、土が、めくれ上がった。

 ガロが、吹き飛んだ。

 彼の、身体が、村の入り口の、石柱に、激突した。

 ずしん、と、石柱が、揺れた。

 そして──。

 ガロは、動かなくなった。

 気絶した。

 完全に。

 沈黙が、戻った。

 ポポロ村の、入り口。

 盗賊団の、残党が、震えていた。

 リーダーが、一撃で、気絶した。

 しかも、相手は、書類一枚で、彼の力を、封じた男と、マッハの飛び蹴りを、放つ月兎族だ。

「ひ、ひい……」

「に、逃げろ……」

「うわあああ!」

 盗賊団が、蜘蛛の子を、散らすように、逃げていった。

 五十名が、十分も、経たないうちに、全員、逃げ去った。

 村に、静寂が、戻った。

 月明かりが、ポポロ村を、優しく、照らしていた。

 玲は、ゆっくりと、息を、吐いた。

 戦闘、終了。

「やった……やったぞ!」

 ユートが、拳を、突き上げた。

「村長、強え! というか、玲さん、すごい! 書類で、敵を、封じたぞ!」

「クレア、お前、怪我は?」

「……大丈夫。でも、玲さん、本当に……書類で、闘気喰らいを、止めたの?」

「ええ」

「……あなた、本当に、何者なの?」

「元・市役所、職員、です」

「……そういう市役所、どこにあるのよ」

「日本にあります」

「……」

 クレアは、目を、細めた。

 それから──。

「……NISA積立の、ためなら、私、あなたのこと、一生、守るわよ」

「それは、困ります」

「冗談よ」

 クレアが、ふっ、と、笑った。

「でも──本当に、ありがとう。玲さん」

「いえ」

「ユートと、私が、通じなかった時、本当に、絶望したわ」

「……」

「でも、玲さんが、前に、出てくれた」

「仕事ですから」

「仕事で、戦闘力ゼロで、A級冒険者崩れの、前に、立てるの?」

「……書類が、あれば」

「……」

「書類は、私の、武器です」

 クレアは、しばらく、玲を、見つめた。

 それから──。

「……そろばん持ってくれば、良かったわ。私も、武器に、なるもの」

「今度、ご一緒に」

「ええ、喜んで」

 ユートが、口を、挟んだ。

「俺は? 俺は、何か、役に立てたか?」

「ユート様は」

「お、おう」

「前線で、ガロの、注意を、引きつけてくれました」

「……ほんとに、それだけか?」

「それが、重要でした。あなたが、先に、突進してくれたから、私が、観察する、時間が、できました」

「……俺、囮だったの?」

「……結果的に、は、はい」

「……まあ、いいか!」

 ユートは、豪快に、笑った。

「次は、俺も、もっと、やってやるからな!」

「期待しています」

 その時。

 後ろから、足音が、した。

 キャルルが、近づいてきた。

 満月の、闘気は、まだ、みなぎっている。

 紅い瞳が、輝いている。

 しかし──。

 その歩みは、ゆっくりで、どこか、ふらついていた。

「キャルル村長、怪我は──」

「玲さん」

 キャルルが、玲の前で、止まった。

 玲が、彼女を、見上げた。

「あの……」

「はい」

「一つだけ」

「はい」

「玲さんが、守って、くれたんですよね」

「……ええ」

「わたくしが、倒れた時」

「……はい」

「玲さんが、前に、出て、くれた」

「……はい」

「戦闘力、ゼロなのに」

「……ええ」

「書類一枚で」

「……それが、私の、戦い方ですから」

 キャルルは、しばらく、玲を、見つめていた。

 その紅い瞳が、わずかに、揺れた。

 そして──。

 彼女は、玲に、そっと、近づいた。

「玲さん」

「……は、はい」

「わたくし、また、無理を、してしまいました」

「……」

「血を、吐いても、立ち上がろうとして」

「……ええ」

「昨日、約束しましたよね。無理を、しないと」

「……あなたが、言ったことです。私は」

「玲さんに、言ったんですよ?」

「……私は、無理は、していません」

「前に、出ることが、無理じゃないんですか」

「……書類を、持っていたので」

「玲さん」

「はい」

「また、自分のことを、後回しに、しましたね」

「……」

「わたくしを、守るために」

「……キャルル村長の、ために、というよりは」

「はい」

「村のために、です」

「……」

「キャルル村長は、村の、要です。あなたを、守ることが、村を、守ることです」

 キャルルは、しばらく、無言だった。

 そして──。

 ふっ、と、笑った。

 いつもの、温かい笑顔だった。

 ただし──。

 紅い瞳のまま。

「……玲さんらしい、答えですね」

「……」

「でも」

「はい」

「わたくしを、守ってくれた、ことは、事実ですよね」

「……それは」

「ねぇ、玲さん」

「……はい」

 キャルルが、玲に、もっと、近づいた。

 満月の、光の中で。

「わたくしを、守ってくれた、玲さんは」

「……」

「もう、どこにも、行かせません♡」

「……キャルル村長」

「はい♡」

「今は、満月です」

「ええ♡」

「明日の、朝、この会話、覚えていますか」

「……覚えていたら?」

「……」

「覚えていなかったら?」

「……」

「どちらにしても、わたくしの気持ちは、変わりませんわ♡」

 玲は、深く、息を、吸った。

 そして──。

「キャルル村長」

「はい♡」

「労使契約書、第二条」

「……え?」

「就業時間外の、過度な、拘束は、禁止します」

「……っ!」

「就寝時間です。おやすみなさい、キャルル村長」

 玲は、【公印】を、取り出した。

「な、玲さん! それは!」

「これが、私の、最終兵器です」

「ちょ、待って! 待って! まだ、話が──」

「お休みください、キャルル村長」

「んっ……契約が……破れ……ない……」

 キャルルが、ふっ、と、目を、閉じた。

 そのまま、眠りに、落ちていく。

 玲は、彼女が、倒れる前に、そっと、支えた。

 キャルルを、抱えながら、玲は、ぽつりと、つぶやいた。

「……怪我が、多い」

 彼女の、身体に、いくつか、傷が、ある。

 ガロの、剣を、受けた跡。

「リリスさん」

 玲が、呼んだ。

「は、はい!」

「回復、お願いできますか」

「は、はい! えっと……状態異常治療……!」

「リリスさん」

「は、はい?」

「それは、十万円、かかります」

「あ、あっ、ちょっと待って! 回復魔法は、タダですぅ!」

「では、お願いします」

「は、はい!」

 リリスが、キャルルの傷に、回復魔法を、注いだ。

 光が、傷を、塞いでいく。

 キャルルの顔が、穏やかになった。

 眠っている。

 安心しきった、顔で。

 玲は、彼女を、抱えたまま、月を、見上げた。

 満月が、輝いていた。

 完全な、まんまるの、月。

 その光が、二人を、柔らかく、照らしていた。

「……よかった」

 玲は、ぽつりと、つぶやいた。

「村が、守れた」

 それだけだった。

 それだけ、なのに──。

 胸の奥が、温かかった。

 その後。

 ユートと、クレアが、盗賊団の、残党を、追跡した。

 主要なメンバーを、捕縛して、村に、連行した。

 玲が、捕縛証明書と、損害賠償請求書を、錬成した。

 被害を、受けた、村人への、補償と、盗賊団への、法的な、対処を、同時に、進める。

「玲さん、戦闘が、終わったのに、もう、書類、書いてるの?」

「後処理が、大事です」

「……本当に、変な人ね」

「よく、言われます」

「でも──」

 クレアが、ふっ、と、笑った。

「あなた、本当に、頼りになるわ」

「ありがとうございます」

「ユートに、少し、分けてくれない? その、頼りになる感じ」

「俺も、頼りになるぞ!」

「あなたは、囮として、最高だったわよ」

「ぐっ……」

 玲は、二人のやり取りを、聞きながら、書類を、書き続けた。

 その横で、リリスが、おやつを、食べていた。

「玲さぁん」

「はい」

「お疲れさまですぅ」

「ありがとうございます」

「今日、すごかったですぅ」

「そうですか」

「書類で、A級冒険者を、封じたんですよ? すごくないですかぁ」

「まあ……」

「玲さんって、やっぱり、すごい人なんですぅ」

「……普通の、元・市役所職員です」

「普通の、市役所職員は、異世界で、書類で、戦いませんよぉ」

「……それは、そうかも、しれません」

 玲は、ふっ、と、笑った。

 リリスが、にっこり、と、笑い返した。

「ねぇ、玲さん」

「はい」

「今日、守ってくれて、ありがとうございましたぁ」

「……私は、村を、守っただけです」

「でも、私も、村に、いますよ?」

「……」

「だから、私も、守ってもらいましたよ?」

「……ええ、そうですね」

「えへへぇ、嬉しいですぅ」

 リリスは、みたらし団子を、一本、玲に、差し出した。

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

 玲は、その団子を、受け取った。

 一口、齧る。

 甘かった。

 市役所時代、こういう、小さな、優しさを、誰かから、もらった、ことが、あっただろうか。

 玲は、思い出せなかった。

 でも──。

 今は、ある。

 そのことが、玲には、十分だった。

 翌朝。

 満月が、沈んで、太陽が、昇った。

 ポポロ村に、穏やかな、朝が、戻った。

 村役場の、応接室。

 キャルルが、目を、覚ました。

 ぼんやりと、天井を、見上げる。

「……ふぁ……」

 うさ耳が、ふにゃり、と、動いた。

「あの……」

 キャルルが、応接室の、ソファに、横になっていることに、気付いた。

 その上に、毛布が、かかっていた。

「……玲さん?」

 声を、かけると。

「目が、覚めましたか」

 玲が、机に、向かって、書類を、書きながら、答えた。

「玲さん……昨日は……」

「ゆっくり、していてください。怪我も、治っているはずです」

「……はい」

 キャルルは、身体を、確認した。

 傷が、ない。

「リリスさんに、回復魔法を、かけてもらいました」

「ありがとうございます……」

「あと、ガロは、捕縛証明書と、損害賠償請求書を、正式に、送付しました。昨夜のうちに、関係機関に、通知済みです」

「……一晩中、書類を、書いて、いたんですか?」

「後処理が、大事ですから」

「……徹夜では?」

「慣れています。市役所時代の、繁忙期と、比べれば」

「……」

 キャルルは、しばらく、玲を、見つめた。

 そして──。

 ぽつりと、聞いた。

「玲さん」

「はい」

「昨夜、わたくし……何か、言いましたか」

「何か、とは?」

「その……満月の、わたくしが、玲さんに」

「……」

「覚えていないんです、昨夜のことを」

 玲は、少し、考えた。

 それから、答えた。

「村を、守ろうとしていました」

「……それだけですか?」

「それが、全てでした」

「……」

「キャルル村長は、血を、吐いても、立ち上がろうとしていました」

「……」

「村を、守るために」

「……」

「見事でした」

 キャルルの、目が、わずかに、潤んだ。

「玲さん……」

「はい」

「わたくし、守れましたか? 村を」

「ええ」

「玲さんの、力も、借りて?」

「お互いに、守り合いました」

 キャルルは、その言葉を、しばらく、反芻した。

「……お互いに」

「ええ」

「玲さんも、わたくしも」

「ええ」

「お互いに、守り合った」

「ええ」

 キャルルは、ふっ、と、微笑んだ。

 それは──。

 いつもの、ふんわりとした、笑顔、だった。

 ヤンデレでも、恍惚でも、ない。

 ただ、温かい笑顔。

「玲さん」

「はい」

「第10話で、わたくし、聞きましたよね」

「第10話?」

「あ、いえ、昨夜の、畑での、お話、のことですわ」

「ええ」

「奪わない愛を、選びたいと、言いました」

「……はい」

「でも、昨夜、また、玲さんに、『もう、どこにも、行かせません』と、言ってしまった、気が……」

「……」

「覚えていないんですが、多分、言いました」

「……言いましたね」

「ごめんなさい」

「いえ」

「やっぱり、満月の時は、わたくし、まだ、コントロールが、できなくて」

「……」

「奪わない愛を、選ぼうとしても、本能が、出てしまって」

「キャルル村長」

「はい」

「一つ、聞いてもいいですか」

「はい」

「昨夜、あなたは、力が、通じない敵に、傷つけられても」

「……はい」

「立ち上がろうと、していました」

「……はい」

「なぜですか」

 キャルルは、しばらく、黙っていた。

 それから──。

「……村を、守りたかったから、です」

「村の、ために?」

「ええ。でも」

「でも?」

「村には、玲さんが、いますから」

「……」

「玲さんがいる、村を、守りたかった、とも、言えます」

「……」

「それは、奪うことじゃ、ないですよね?」

「……」

「玲さんを、守りたいと、思うことは、奪うことじゃ、ないですよね?」

 玲は、長い間、無言だった。

 そして──。

「……そうですね」

「ふふ」

「守りたいという気持ちは、奪う愛とは、違います」

「ええ」

「それは、確かに」

「良かった」

 キャルルは、にっこりと、笑った。

「では、玲さん」

「はい」

「一つだけ、お願いが、あります」

「何でしょう」

「わたくしが、自分を、後回しに、しそうな時」

「……はい」

「玲さんも、止めてくれますか」

「……」

「あなたが、自分を、後回しにする時、わたくしが、止めます」

「……」

「だから、わたくしが、自分を、後回しにする時、玲さんも、止めてください」

「……それは、お互いに、守り合う、ということですか」

「ええ♡」

 キャルルは、ふふっ、と、笑った。

 その笑顔の、奥に。

 ほんの少しだけ、紅い色が、混じっていた。

 満月の名残りか。

 それとも、別の、何かか。

「……分かりました」

 玲は、頷いた。

「善処します」

「善処、ではなく、約束、ですよ?」

「……はい、約束します」

「えへへ♡」

 うさ耳が、嬉しそうに、ぴょこぴょこ、揺れた。

 玲は、その様子を、見ながら。

 ふと、気付いた。

(今、私は、誰かと、約束をした)

 市役所時代、玲は、誰かと、約束を、した、ことが、なかった。

 いや、した、かもしれない。

 でも、それは、業務上の、約束だった。

 こんな風に──。

 お互いを、守り合う、という、約束は、一度も、なかった。

「玲さん」

「はい」

「朝ごはん、作ってきますね」

「ありがとうございます」

「今日は、肉椎茸と、醤油草の、丼ぶりです」

「楽しみに、しています」

「はい♡」

 キャルルは、起き上がって、給湯室へと、向かった。

 その後ろ姿を、見送りながら。

 玲は、再び、書類に、向かった。

 窓の外では、朝日が、ポポロ村の、田園を、照らしていた。

 満月が、沈んで、太陽が、昇った、朝。

 玲は、初めて、本当の意味で、ここが、居場所だと、思い始めていた。

 まだ、確信では、なかった。

 でも──。

 その芽は、確実に、育っていた。

 お互いに、守り合う。

 それが、ポポロ村の、在り方、だと。

 その日の、夕方。

 村役場に、ネギオが、やってきた。

「フン、貴様」

「ネギオさん」

「昨夜の、後処理、すでに、全部、終わらせたそうだな」

「ええ。損害賠償請求書、捕縛証明書、被害報告書、関係機関への、通知、全て、完了しています」

「……徹夜で、か」

「慣れていますので」

「フン」

 ネギオは、椅子に、どかり、と、座った。

「貴様に、一つ、言うことが、ある」

「はい」

「昨夜、お前が、ガロの前に、立ったのを、見た」

「……」

「戦闘力、ゼロの、お前が」

「……」

「書類一枚で、A級冒険者崩れに、立ち向かった」

「……」

「なぜだ」

「……」

「村のため、とか、仕事のため、とか、そういう答えは、要らん」

「……」

「本当の、理由を、言え」

 玲は、しばらく、考えた。

 そして──。

「……キャルル村長が、倒れていたからです」

「……」

「彼女が、血を、吐いても、立ち上がろうとしていた」

「……」

「それを、見て、いられなかった」

「……」

「だから、前に、出ました」

 ネギオは、しばらく、無言だった。

 それから──。

「フン」

「はい」

「それが、本当の、理由か」

「……そうです」

「仕事でも、村のためでも、なかったんだな」

「……厳密には、どちらも、ありましたが」

「だが、一番の、理由は」

「……はい」

「村長が、倒れていたから、か」

「……」

「貴様も、大概、正直じゃないな」

「……そうかも、しれません」

 ネギオは、ふん、と、鼻を、鳴らした。

「計算機の、フリをした、人間め」

「……またその言葉ですか」

「褒めとるんだ」

「……ありがとうございます」

「ただし──」

 ネギオが、玲を、じっと、見た。

「貴様、昨夜、死ぬかもしれなかったぞ」

「……ええ」

「ガロが、剣を、振り下ろしていたら」

「……ええ」

「お前、それで、いいのか」

 玲は、しばらく、無言だった。

「……正直に、言えば」

「言え」

「その時は、書類を、間に合わせることしか、考えていませんでした」

「……」

「自分が、死ぬかどうかは、二の次でした」

「フン」

「これも、市役所時代と、同じ、癖、ですかね」

「……」

「自分を、後回しにする、癖」

「そうだな」

「キャルル村長に、また、怒られそうです」

「そうだな」

「……善処します」

「フン、貴様らしい、答えだ」

 ネギオは、立ち上がった。

「ただ、一つ、言っておく」

「はい」

「昨夜の、貴様を、村人たちは、見ていた」

「……」

「戦闘力ゼロの、事務官が、書類を、構えて、盗賊の、リーダーに、立ち向かった」

「……」

「皆、見ていた」

「……」

「貴様が、ここで、生きることを、村人全員が、望んでいる」

「……」

「自分を、後回しに、するな」

「……はい」

「以上だ」

 ネギオは、応接室を、出ていった。

 玲は、その後ろ姿を、見送りながら。

 ぽつりと、つぶやいた。

「……皆、見ていた」

 その言葉が、玲の、胸に、深く、刺さった。

 市役所時代、誰も、玲を、見ていなかった。

 しかし、ここでは──。

 皆、見ていた。

 玲は、窓の外を、見た。

 朝日が、田園を、照らしていた。

 月見大根が、風に、揺れていた。

 ポポロ村が、静かに、息を、していた。

 ここが、居場所だ。

 玲は、初めて、それを、確かに、感じた。

 確信に、なった、瞬間だった。

 その夜。

 ネギオが、去った後。

 玲は、一人、応接室に、残って、書類を、書いていた。

 その時。

 ドアが、ゆっくりと、開いた。

「玲さん」

 キャルルだった。

 夕食の、お盆を、持っている。

 肉椎茸と、醤油草の、丼ぶり。

 それと、ポポロ・コーヒー。

「お夕食、持ってきました」

「ありがとうございます」

「玲さん」

「はい」

「今日も、ちゃんと、食べてくださいね」

「ええ」

「ちゃんと、休んでくださいね」

「……善処します」

「約束、ですよ?」

「……はい、約束します」

「ふふ♡」

 うさ耳が、ぴょこぴょこ、揺れた。

 玲は、丼ぶりを、受け取った。

 一口、食べる。

 美味しかった。

「キャルル村長」

「はい」

「一つ、聞いても、いいですか」

「はい?」

「昨夜、あなたが、守ろうとした、ものは」

「……はい」

「村でしたか。それとも、私、でしたか」

 キャルルは、しばらく、無言だった。

 頬が、わずかに、赤く、なった。

「……両方、です」

「……」

「どちらか、一つには、できません」

「……」

「村も、大事。玲さんも、大事」

「……」

「それで、ダメですか?」

「いえ」

「……ふふ」

「それが、守る愛です」

 キャルルの、目が、ぱっ、と、輝いた。

「玲さん……今、何て、言いましたか」

「守る愛、です」

「奪う愛、じゃ、なくて?」

「ええ」

「わたくしの、愛が、守る愛、に、なれていますか」

「……昨夜を、見る限りは」

「はい」

「十分に」

 キャルルは、にっこりと、笑った。

 その笑顔の中に。

 ヤンデレの、紅さは、なかった。

 ただ──。

 温かい、光が、あった。

「ありがとうございます、玲さん」

「いえ」

「ではおやすみなさい、ゆっくり、食べてくださいね」

「はい」

 キャルルは、部屋を、出ていった。

 玲は、一人、丼ぶりを、食べながら。

 窓の外の、夜空を、見た。

 満月が、沈んだ、夜空。

 無数の、星が、輝いていた。

「……居場所、か」

 玲は、ぽつりと、つぶやいた。

「ここが、私の、居場所です」

 今度は、確信を、持って。

 市役所時代、玲には、居場所が、なかった。

 過労死した後も、どこにも、行き場が、なかった。

 でも、今──。

 ポポロ村に、いる。

 キャルルが、いる。

 リリスが、いる。

 ユートと、クレアが、いる。

 ネギオが、いる。

 スアイが、いる。

 そして──。

 皆が、玲を、見ている。

 玲は、肉椎茸の、丼ぶりを、最後まで、食べた。

 温かかった。

 ただ、一杯の、丼ぶりが、温かかった。

 それだけで、十分だった。


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