EP 13
満月の夜、月兎族の真の姿(後編)
【公印】が、放った光が、ポポロ村全体を、包んでいた。
ガロが、その光を、目を細めて、見た。
「……なんだ、これ」
玲は、【公印】を、構えたまま、答えた。
「ポポロ村への不法侵入につき、当村の正当防衛権を、ここに発行します」
「正当防衛権?」
「ええ」
「そんな書類に、何の意味が──」
その瞬間。
村全体に、何かが、広がった。
自警団の、団員たちが、はっ、と、した。
自分の、身体を、見下ろす。
そして──。
「な……なんだ、これ……力が……」
「闘気が……満ちてくる……」
自警団全員の、闘気が、跳ね上がっていた。
「神聖契約書によるバフです」
玲が、淡々と、説明した。
「正当防衛権の、公印は、村の防衛に、参加する、全員の、闘気を、一時的に、増幅させます」
「……は?」
「法的な、正当性が、認められると、人の、力は、伸びます」
「……何を、言ってるんだ、お前」
「市役所時代に、学んだことです」
ガロが、玲を、睨んだ。
「……そんな書類一枚で、何が、変わる」
「もう一枚、あります」
「は?」
玲は、もう一枚の、書類を、取り出した。
白い、羊皮紙。
金色の、縁取り。
上部には、こう、記されていた。
『逮捕状』
「……逮捕状?」
「ガロ。あなたに、逮捕状を、発行します」
「……ふん。そんな紙切れが、俺に、効くか」
「効きます」
「なぜだ」
「【公印】が、押された、神聖契約書は、神でも、破れない」
「……」
「神でも、破れない契約は、あなたの、闘気喰らいの体質を、無力化します」
ガロの、顔色が、変わった。
「……な、何だと」
「闘気喰らいは、あなたの、体質です。つまり、あなたの、身体の、特性」
「……」
「神聖契約は、あらゆる制約を、一時的に、停止させます」
「……」
「あなたの、体質も、例外では、ありません」
「……そんな、馬鹿な話が」
「【公印】、発動」
玲が、逮捕状に、判子を、押した。
ぱぁぁぁっ!!
今度は、さらに、強い光が、放たれた。
ガロの、身体に、巻かれた、鎖が──。
ぎぎぎぎ、と、音を立てて、光に、締め付けられた。
「な……なんだ!?」
ガロが、自分の、身体を、見た。
鎖の光が、消えていく。
「闘気喰らいが……止まっている……!?」
「ええ」
玲は、淡々と、答えた。
「逮捕状は、被疑者の、特殊能力を、一時的に、封じる効力を、持ちます」
「……そんな効力、聞いたことが、ねえ」
「私が、今、作りました」
「は?」
「【行政】スキルで、今、制定しました」
「……今、作った!?」
「ええ。行政は、必要に応じて、規定を、制定します」
「……お前、本当に、何者だ」
「元・市役所、福祉課職員です」
ガロは、しばらく、玲を、見つめていた。
その目に、初めて、動揺が、浮かんでいた。
そして──。
地面に、倒れていた、キャルルが、身じろぎした。
「……っ」
彼女の、瞳が、ゆっくりと、開いた。
紅い瞳。
満月の、力。
「玲、さん……?」
かすれた、声で、キャルルが、呟いた。
「玲さんが……守って……くれた……?」
「キャルル村長」
玲が、彼女の方を、向いた。
「闘気を、取り戻せますか」
「……ええ」
キャルルが、ゆっくりと、立ち上がった。
月明かりが、彼女を、照らしている。
彼女の、体内に、闘気が、戻ってくる。
満月の、力が、再び、みなぎっていく。
「玲さんが……守って……くれた……♡」
キャルルの、声が、低く、甘く、響いた。
「玲さんが……わたくしを……守って……くれた……♡」
紅い瞳が、輝いた。
うさ耳が、ぴしり、と、立った。
「そういう玲さんは……」
キャルルが、ダブルトンファーを、構えた。
「もう、どこにも、行かせません♡」
「キャルル村長」
「はい♡」
「今は、ガロです」
「……分かってますわ♡」
キャルルが、ガロを、見た。
その目に、恍惚と、怒りが、混じっていた。
「あなた……」
「…………」
「わたくしの村に、手を出した」
「……」
「わたくしの、玲さんを、脅かした」
キャルルの、闘気が、爆発した。
満月の、力が、最大化された、月兎族。
その力が、今──。
完全に、解放された。
「許しません♡」
キャルルが、構えた。
クラウチングスタート。
特注の、安全靴が、地面を、砕く。
彼女の、身体が、加速していく。
マッハへ、向かって。
「玲さん」
「はい」
「少し、目を、閉じていてくださいね」
「……え?」
「少々、激しいので」
「キャルル村長、それ、依頼書の──」
「超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)!!」
その瞬間。
キャルルの、安全靴から、雷竜石が、解放された。
紫電の、雷光。
満月の、闘気。
マッハ1の、速度。
三つが、合わさった、飛び蹴り。
一億ボルト。
1000MJ。
277トン。
ガロの、鎖が、光ったが──。
逮捕状の、神聖契約が、それを、封じていた。
闘気喰らいは、機能しない。
ガロの、目が、見開いた。
「な……神聖契約……こんな馬鹿な……」
そこに、キャルルの、飛び蹴りが、直撃した。
轟音。
衝撃波。
地面が、抉れた。
半径十メートルの、土が、めくれ上がった。
ガロが、吹き飛んだ。
彼の、身体が、村の入り口の、石柱に、激突した。
ずしん、と、石柱が、揺れた。
そして──。
ガロは、動かなくなった。
気絶した。
完全に。
沈黙が、戻った。
ポポロ村の、入り口。
盗賊団の、残党が、震えていた。
リーダーが、一撃で、気絶した。
しかも、相手は、書類一枚で、彼の力を、封じた男と、マッハの飛び蹴りを、放つ月兎族だ。
「ひ、ひい……」
「に、逃げろ……」
「うわあああ!」
盗賊団が、蜘蛛の子を、散らすように、逃げていった。
五十名が、十分も、経たないうちに、全員、逃げ去った。
村に、静寂が、戻った。
月明かりが、ポポロ村を、優しく、照らしていた。
玲は、ゆっくりと、息を、吐いた。
戦闘、終了。
「やった……やったぞ!」
ユートが、拳を、突き上げた。
「村長、強え! というか、玲さん、すごい! 書類で、敵を、封じたぞ!」
「クレア、お前、怪我は?」
「……大丈夫。でも、玲さん、本当に……書類で、闘気喰らいを、止めたの?」
「ええ」
「……あなた、本当に、何者なの?」
「元・市役所、職員、です」
「……そういう市役所、どこにあるのよ」
「日本にあります」
「……」
クレアは、目を、細めた。
それから──。
「……NISA積立の、ためなら、私、あなたのこと、一生、守るわよ」
「それは、困ります」
「冗談よ」
クレアが、ふっ、と、笑った。
「でも──本当に、ありがとう。玲さん」
「いえ」
「ユートと、私が、通じなかった時、本当に、絶望したわ」
「……」
「でも、玲さんが、前に、出てくれた」
「仕事ですから」
「仕事で、戦闘力ゼロで、A級冒険者崩れの、前に、立てるの?」
「……書類が、あれば」
「……」
「書類は、私の、武器です」
クレアは、しばらく、玲を、見つめた。
それから──。
「……そろばん持ってくれば、良かったわ。私も、武器に、なるもの」
「今度、ご一緒に」
「ええ、喜んで」
ユートが、口を、挟んだ。
「俺は? 俺は、何か、役に立てたか?」
「ユート様は」
「お、おう」
「前線で、ガロの、注意を、引きつけてくれました」
「……ほんとに、それだけか?」
「それが、重要でした。あなたが、先に、突進してくれたから、私が、観察する、時間が、できました」
「……俺、囮だったの?」
「……結果的に、は、はい」
「……まあ、いいか!」
ユートは、豪快に、笑った。
「次は、俺も、もっと、やってやるからな!」
「期待しています」
その時。
後ろから、足音が、した。
キャルルが、近づいてきた。
満月の、闘気は、まだ、みなぎっている。
紅い瞳が、輝いている。
しかし──。
その歩みは、ゆっくりで、どこか、ふらついていた。
「キャルル村長、怪我は──」
「玲さん」
キャルルが、玲の前で、止まった。
玲が、彼女を、見上げた。
「あの……」
「はい」
「一つだけ」
「はい」
「玲さんが、守って、くれたんですよね」
「……ええ」
「わたくしが、倒れた時」
「……はい」
「玲さんが、前に、出て、くれた」
「……はい」
「戦闘力、ゼロなのに」
「……ええ」
「書類一枚で」
「……それが、私の、戦い方ですから」
キャルルは、しばらく、玲を、見つめていた。
その紅い瞳が、わずかに、揺れた。
そして──。
彼女は、玲に、そっと、近づいた。
「玲さん」
「……は、はい」
「わたくし、また、無理を、してしまいました」
「……」
「血を、吐いても、立ち上がろうとして」
「……ええ」
「昨日、約束しましたよね。無理を、しないと」
「……あなたが、言ったことです。私は」
「玲さんに、言ったんですよ?」
「……私は、無理は、していません」
「前に、出ることが、無理じゃないんですか」
「……書類を、持っていたので」
「玲さん」
「はい」
「また、自分のことを、後回しに、しましたね」
「……」
「わたくしを、守るために」
「……キャルル村長の、ために、というよりは」
「はい」
「村のために、です」
「……」
「キャルル村長は、村の、要です。あなたを、守ることが、村を、守ることです」
キャルルは、しばらく、無言だった。
そして──。
ふっ、と、笑った。
いつもの、温かい笑顔だった。
ただし──。
紅い瞳のまま。
「……玲さんらしい、答えですね」
「……」
「でも」
「はい」
「わたくしを、守ってくれた、ことは、事実ですよね」
「……それは」
「ねぇ、玲さん」
「……はい」
キャルルが、玲に、もっと、近づいた。
満月の、光の中で。
「わたくしを、守ってくれた、玲さんは」
「……」
「もう、どこにも、行かせません♡」
「……キャルル村長」
「はい♡」
「今は、満月です」
「ええ♡」
「明日の、朝、この会話、覚えていますか」
「……覚えていたら?」
「……」
「覚えていなかったら?」
「……」
「どちらにしても、わたくしの気持ちは、変わりませんわ♡」
玲は、深く、息を、吸った。
そして──。
「キャルル村長」
「はい♡」
「労使契約書、第二条」
「……え?」
「就業時間外の、過度な、拘束は、禁止します」
「……っ!」
「就寝時間です。おやすみなさい、キャルル村長」
玲は、【公印】を、取り出した。
「な、玲さん! それは!」
「これが、私の、最終兵器です」
「ちょ、待って! 待って! まだ、話が──」
「お休みください、キャルル村長」
「んっ……契約が……破れ……ない……」
キャルルが、ふっ、と、目を、閉じた。
そのまま、眠りに、落ちていく。
玲は、彼女が、倒れる前に、そっと、支えた。
キャルルを、抱えながら、玲は、ぽつりと、つぶやいた。
「……怪我が、多い」
彼女の、身体に、いくつか、傷が、ある。
ガロの、剣を、受けた跡。
「リリスさん」
玲が、呼んだ。
「は、はい!」
「回復、お願いできますか」
「は、はい! えっと……状態異常治療……!」
「リリスさん」
「は、はい?」
「それは、十万円、かかります」
「あ、あっ、ちょっと待って! 回復魔法は、タダですぅ!」
「では、お願いします」
「は、はい!」
リリスが、キャルルの傷に、回復魔法を、注いだ。
光が、傷を、塞いでいく。
キャルルの顔が、穏やかになった。
眠っている。
安心しきった、顔で。
玲は、彼女を、抱えたまま、月を、見上げた。
満月が、輝いていた。
完全な、まんまるの、月。
その光が、二人を、柔らかく、照らしていた。
「……よかった」
玲は、ぽつりと、つぶやいた。
「村が、守れた」
それだけだった。
それだけ、なのに──。
胸の奥が、温かかった。
その後。
ユートと、クレアが、盗賊団の、残党を、追跡した。
主要なメンバーを、捕縛して、村に、連行した。
玲が、捕縛証明書と、損害賠償請求書を、錬成した。
被害を、受けた、村人への、補償と、盗賊団への、法的な、対処を、同時に、進める。
「玲さん、戦闘が、終わったのに、もう、書類、書いてるの?」
「後処理が、大事です」
「……本当に、変な人ね」
「よく、言われます」
「でも──」
クレアが、ふっ、と、笑った。
「あなた、本当に、頼りになるわ」
「ありがとうございます」
「ユートに、少し、分けてくれない? その、頼りになる感じ」
「俺も、頼りになるぞ!」
「あなたは、囮として、最高だったわよ」
「ぐっ……」
玲は、二人のやり取りを、聞きながら、書類を、書き続けた。
その横で、リリスが、おやつを、食べていた。
「玲さぁん」
「はい」
「お疲れさまですぅ」
「ありがとうございます」
「今日、すごかったですぅ」
「そうですか」
「書類で、A級冒険者を、封じたんですよ? すごくないですかぁ」
「まあ……」
「玲さんって、やっぱり、すごい人なんですぅ」
「……普通の、元・市役所職員です」
「普通の、市役所職員は、異世界で、書類で、戦いませんよぉ」
「……それは、そうかも、しれません」
玲は、ふっ、と、笑った。
リリスが、にっこり、と、笑い返した。
「ねぇ、玲さん」
「はい」
「今日、守ってくれて、ありがとうございましたぁ」
「……私は、村を、守っただけです」
「でも、私も、村に、いますよ?」
「……」
「だから、私も、守ってもらいましたよ?」
「……ええ、そうですね」
「えへへぇ、嬉しいですぅ」
リリスは、みたらし団子を、一本、玲に、差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
玲は、その団子を、受け取った。
一口、齧る。
甘かった。
市役所時代、こういう、小さな、優しさを、誰かから、もらった、ことが、あっただろうか。
玲は、思い出せなかった。
でも──。
今は、ある。
そのことが、玲には、十分だった。
翌朝。
満月が、沈んで、太陽が、昇った。
ポポロ村に、穏やかな、朝が、戻った。
村役場の、応接室。
キャルルが、目を、覚ました。
ぼんやりと、天井を、見上げる。
「……ふぁ……」
うさ耳が、ふにゃり、と、動いた。
「あの……」
キャルルが、応接室の、ソファに、横になっていることに、気付いた。
その上に、毛布が、かかっていた。
「……玲さん?」
声を、かけると。
「目が、覚めましたか」
玲が、机に、向かって、書類を、書きながら、答えた。
「玲さん……昨日は……」
「ゆっくり、していてください。怪我も、治っているはずです」
「……はい」
キャルルは、身体を、確認した。
傷が、ない。
「リリスさんに、回復魔法を、かけてもらいました」
「ありがとうございます……」
「あと、ガロは、捕縛証明書と、損害賠償請求書を、正式に、送付しました。昨夜のうちに、関係機関に、通知済みです」
「……一晩中、書類を、書いて、いたんですか?」
「後処理が、大事ですから」
「……徹夜では?」
「慣れています。市役所時代の、繁忙期と、比べれば」
「……」
キャルルは、しばらく、玲を、見つめた。
そして──。
ぽつりと、聞いた。
「玲さん」
「はい」
「昨夜、わたくし……何か、言いましたか」
「何か、とは?」
「その……満月の、わたくしが、玲さんに」
「……」
「覚えていないんです、昨夜のことを」
玲は、少し、考えた。
それから、答えた。
「村を、守ろうとしていました」
「……それだけですか?」
「それが、全てでした」
「……」
「キャルル村長は、血を、吐いても、立ち上がろうとしていました」
「……」
「村を、守るために」
「……」
「見事でした」
キャルルの、目が、わずかに、潤んだ。
「玲さん……」
「はい」
「わたくし、守れましたか? 村を」
「ええ」
「玲さんの、力も、借りて?」
「お互いに、守り合いました」
キャルルは、その言葉を、しばらく、反芻した。
「……お互いに」
「ええ」
「玲さんも、わたくしも」
「ええ」
「お互いに、守り合った」
「ええ」
キャルルは、ふっ、と、微笑んだ。
それは──。
いつもの、ふんわりとした、笑顔、だった。
ヤンデレでも、恍惚でも、ない。
ただ、温かい笑顔。
「玲さん」
「はい」
「第10話で、わたくし、聞きましたよね」
「第10話?」
「あ、いえ、昨夜の、畑での、お話、のことですわ」
「ええ」
「奪わない愛を、選びたいと、言いました」
「……はい」
「でも、昨夜、また、玲さんに、『もう、どこにも、行かせません』と、言ってしまった、気が……」
「……」
「覚えていないんですが、多分、言いました」
「……言いましたね」
「ごめんなさい」
「いえ」
「やっぱり、満月の時は、わたくし、まだ、コントロールが、できなくて」
「……」
「奪わない愛を、選ぼうとしても、本能が、出てしまって」
「キャルル村長」
「はい」
「一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「昨夜、あなたは、力が、通じない敵に、傷つけられても」
「……はい」
「立ち上がろうと、していました」
「……はい」
「なぜですか」
キャルルは、しばらく、黙っていた。
それから──。
「……村を、守りたかったから、です」
「村の、ために?」
「ええ。でも」
「でも?」
「村には、玲さんが、いますから」
「……」
「玲さんがいる、村を、守りたかった、とも、言えます」
「……」
「それは、奪うことじゃ、ないですよね?」
「……」
「玲さんを、守りたいと、思うことは、奪うことじゃ、ないですよね?」
玲は、長い間、無言だった。
そして──。
「……そうですね」
「ふふ」
「守りたいという気持ちは、奪う愛とは、違います」
「ええ」
「それは、確かに」
「良かった」
キャルルは、にっこりと、笑った。
「では、玲さん」
「はい」
「一つだけ、お願いが、あります」
「何でしょう」
「わたくしが、自分を、後回しに、しそうな時」
「……はい」
「玲さんも、止めてくれますか」
「……」
「あなたが、自分を、後回しにする時、わたくしが、止めます」
「……」
「だから、わたくしが、自分を、後回しにする時、玲さんも、止めてください」
「……それは、お互いに、守り合う、ということですか」
「ええ♡」
キャルルは、ふふっ、と、笑った。
その笑顔の、奥に。
ほんの少しだけ、紅い色が、混じっていた。
満月の名残りか。
それとも、別の、何かか。
「……分かりました」
玲は、頷いた。
「善処します」
「善処、ではなく、約束、ですよ?」
「……はい、約束します」
「えへへ♡」
うさ耳が、嬉しそうに、ぴょこぴょこ、揺れた。
玲は、その様子を、見ながら。
ふと、気付いた。
(今、私は、誰かと、約束をした)
市役所時代、玲は、誰かと、約束を、した、ことが、なかった。
いや、した、かもしれない。
でも、それは、業務上の、約束だった。
こんな風に──。
お互いを、守り合う、という、約束は、一度も、なかった。
「玲さん」
「はい」
「朝ごはん、作ってきますね」
「ありがとうございます」
「今日は、肉椎茸と、醤油草の、丼ぶりです」
「楽しみに、しています」
「はい♡」
キャルルは、起き上がって、給湯室へと、向かった。
その後ろ姿を、見送りながら。
玲は、再び、書類に、向かった。
窓の外では、朝日が、ポポロ村の、田園を、照らしていた。
満月が、沈んで、太陽が、昇った、朝。
玲は、初めて、本当の意味で、ここが、居場所だと、思い始めていた。
まだ、確信では、なかった。
でも──。
その芽は、確実に、育っていた。
お互いに、守り合う。
それが、ポポロ村の、在り方、だと。
その日の、夕方。
村役場に、ネギオが、やってきた。
「フン、貴様」
「ネギオさん」
「昨夜の、後処理、すでに、全部、終わらせたそうだな」
「ええ。損害賠償請求書、捕縛証明書、被害報告書、関係機関への、通知、全て、完了しています」
「……徹夜で、か」
「慣れていますので」
「フン」
ネギオは、椅子に、どかり、と、座った。
「貴様に、一つ、言うことが、ある」
「はい」
「昨夜、お前が、ガロの前に、立ったのを、見た」
「……」
「戦闘力、ゼロの、お前が」
「……」
「書類一枚で、A級冒険者崩れに、立ち向かった」
「……」
「なぜだ」
「……」
「村のため、とか、仕事のため、とか、そういう答えは、要らん」
「……」
「本当の、理由を、言え」
玲は、しばらく、考えた。
そして──。
「……キャルル村長が、倒れていたからです」
「……」
「彼女が、血を、吐いても、立ち上がろうとしていた」
「……」
「それを、見て、いられなかった」
「……」
「だから、前に、出ました」
ネギオは、しばらく、無言だった。
それから──。
「フン」
「はい」
「それが、本当の、理由か」
「……そうです」
「仕事でも、村のためでも、なかったんだな」
「……厳密には、どちらも、ありましたが」
「だが、一番の、理由は」
「……はい」
「村長が、倒れていたから、か」
「……」
「貴様も、大概、正直じゃないな」
「……そうかも、しれません」
ネギオは、ふん、と、鼻を、鳴らした。
「計算機の、フリをした、人間め」
「……またその言葉ですか」
「褒めとるんだ」
「……ありがとうございます」
「ただし──」
ネギオが、玲を、じっと、見た。
「貴様、昨夜、死ぬかもしれなかったぞ」
「……ええ」
「ガロが、剣を、振り下ろしていたら」
「……ええ」
「お前、それで、いいのか」
玲は、しばらく、無言だった。
「……正直に、言えば」
「言え」
「その時は、書類を、間に合わせることしか、考えていませんでした」
「……」
「自分が、死ぬかどうかは、二の次でした」
「フン」
「これも、市役所時代と、同じ、癖、ですかね」
「……」
「自分を、後回しにする、癖」
「そうだな」
「キャルル村長に、また、怒られそうです」
「そうだな」
「……善処します」
「フン、貴様らしい、答えだ」
ネギオは、立ち上がった。
「ただ、一つ、言っておく」
「はい」
「昨夜の、貴様を、村人たちは、見ていた」
「……」
「戦闘力ゼロの、事務官が、書類を、構えて、盗賊の、リーダーに、立ち向かった」
「……」
「皆、見ていた」
「……」
「貴様が、ここで、生きることを、村人全員が、望んでいる」
「……」
「自分を、後回しに、するな」
「……はい」
「以上だ」
ネギオは、応接室を、出ていった。
玲は、その後ろ姿を、見送りながら。
ぽつりと、つぶやいた。
「……皆、見ていた」
その言葉が、玲の、胸に、深く、刺さった。
市役所時代、誰も、玲を、見ていなかった。
しかし、ここでは──。
皆、見ていた。
玲は、窓の外を、見た。
朝日が、田園を、照らしていた。
月見大根が、風に、揺れていた。
ポポロ村が、静かに、息を、していた。
ここが、居場所だ。
玲は、初めて、それを、確かに、感じた。
確信に、なった、瞬間だった。
その夜。
ネギオが、去った後。
玲は、一人、応接室に、残って、書類を、書いていた。
その時。
ドアが、ゆっくりと、開いた。
「玲さん」
キャルルだった。
夕食の、お盆を、持っている。
肉椎茸と、醤油草の、丼ぶり。
それと、ポポロ・コーヒー。
「お夕食、持ってきました」
「ありがとうございます」
「玲さん」
「はい」
「今日も、ちゃんと、食べてくださいね」
「ええ」
「ちゃんと、休んでくださいね」
「……善処します」
「約束、ですよ?」
「……はい、約束します」
「ふふ♡」
うさ耳が、ぴょこぴょこ、揺れた。
玲は、丼ぶりを、受け取った。
一口、食べる。
美味しかった。
「キャルル村長」
「はい」
「一つ、聞いても、いいですか」
「はい?」
「昨夜、あなたが、守ろうとした、ものは」
「……はい」
「村でしたか。それとも、私、でしたか」
キャルルは、しばらく、無言だった。
頬が、わずかに、赤く、なった。
「……両方、です」
「……」
「どちらか、一つには、できません」
「……」
「村も、大事。玲さんも、大事」
「……」
「それで、ダメですか?」
「いえ」
「……ふふ」
「それが、守る愛です」
キャルルの、目が、ぱっ、と、輝いた。
「玲さん……今、何て、言いましたか」
「守る愛、です」
「奪う愛、じゃ、なくて?」
「ええ」
「わたくしの、愛が、守る愛、に、なれていますか」
「……昨夜を、見る限りは」
「はい」
「十分に」
キャルルは、にっこりと、笑った。
その笑顔の中に。
ヤンデレの、紅さは、なかった。
ただ──。
温かい、光が、あった。
「ありがとうございます、玲さん」
「いえ」
「ではおやすみなさい、ゆっくり、食べてくださいね」
「はい」
キャルルは、部屋を、出ていった。
玲は、一人、丼ぶりを、食べながら。
窓の外の、夜空を、見た。
満月が、沈んだ、夜空。
無数の、星が、輝いていた。
「……居場所、か」
玲は、ぽつりと、つぶやいた。
「ここが、私の、居場所です」
今度は、確信を、持って。
市役所時代、玲には、居場所が、なかった。
過労死した後も、どこにも、行き場が、なかった。
でも、今──。
ポポロ村に、いる。
キャルルが、いる。
リリスが、いる。
ユートと、クレアが、いる。
ネギオが、いる。
スアイが、いる。
そして──。
皆が、玲を、見ている。
玲は、肉椎茸の、丼ぶりを、最後まで、食べた。
温かかった。
ただ、一杯の、丼ぶりが、温かかった。
それだけで、十分だった。




