表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退職届を出したら異世界の村役場に配属されました 〜書類とハンコでヤンデレ村長と勇者を雇用しています〜  作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/14

EP 14

満月の朝と、書類祭壇と、計算機のフリをした人間

 満月の翌朝。

 ポポロ村は、静かだった。

 昨夜の、嵐が、嘘のように。

 空は、澄み渡っていた。

 鶏の、鳴き声。

 月見大根の畑を、揺らす、風。

 煙突から、のぼる、朝の、煙。

 玲は、村役場の前に立って、その光景を、見ていた。

 深呼吸する。

 異世界の朝の空気は、市役所時代の、どんな朝とも、違った。

 あの頃の朝は、義務だった。

 出勤しなければならない。

 窓口に立たなければならない。

 書類を処理しなければならない。

 でも、今──。

「玲さぁん、おはようございますぅ」

 リリスが、ジャージ姿で、ぱたぱたと、走ってきた。

 手には、みたらし団子の串が、すでに、握られている。

「朝ですよぉ、朝ごはん、食べましたかぁ?」

「まだです」

「じゃあ、一緒に、ルナキン行きましょうよぉ」

「そうですね」

 玲は、頷いた。

 義務でも、ない。

 ただ、一人のポンコツ見習い女神が、笑顔で、誘ってくれる、朝。

 それだけで、十分だった。

「玲さぁん」

「はい」

「昨夜、すごかったですぅ」

「そうですか」

「書類で、A級冒険者を、封じましたよぉ。私、見てましたぅ」

「……見ていたんですか」

「はい! 村役場の、窓から、ちゃんと、見てましたぅ!」

「……逃げていてください、と言ったはずですが」

「だって、玲さんが、心配で」

「……」

「でも、大丈夫でした。玲さんが、守ってくれましたから」

 リリスは、にっこりと、笑った。

「ありがとうございますぅ、玲さん」

「……いえ」

「でも、玲さん、ちゃんと、自分も、大事に、してくださいよぉ」

「……善処します」

「約束してくださいよぉ」

「……はい、約束します」

「えへへぇ」

 リリスは、団子を、一口、齧った。

 玲は、その横に、並んで、歩き出した。

 ルナキンに向かって。

 ポポロ村の、朝が、始まっていた。

 ルナキンの、朝定食を、食べ終えた後。

 玲が、村役場に、戻ると。

 村役場の、前に、ネギオが、立っていた。

「フン、貴様」

「ネギオさん、おはようございます」

「話がある」

「はい」

 ネギオは、玲を、手招きした。

 二人は、村役場の、裏手へと、回った。

 そこには──。

 小さな、倉庫が、あった。

 ポポロ村の、備品を、保管する、倉庫。

「あの倉庫の、鍵を、持っているか」

「ええ、私が、管理しています」

「開けてみろ」

「……はい」

 玲は、鍵を、取り出した。

 倉庫の、扉を、開ける。

 その瞬間──。

 玲は、固まった。

 倉庫の、中。

 そこには、書類が、飾られていた。

 飾られている、という表現が、正確だった。

 業務書類が、額縁に、入れられて、壁に、掛けられていた。

 玲が、書いた、月見大根の、流通改革書類。

 ゴルド商会との、契約書。

 ユートとクレアの、仮認可勇者事業者登録書。

 スアイとの、業務提携書。

 そして──。

 玲が、村役場に、来た、最初の夜に、処理した書類の束。

 三千二百四十一件の、書類の中から、抜き出された、数枚。

 それらが、最も、目立つ場所に、飾られていた。

 さらに──。

 玲が使ったコーヒーカップが、棚の上に、置かれていた。

 玲のサインが入った決裁書が、ガラスケースに、入っていた。

 玲が捨てたボールペンのキャップが、小さな箱に、入っていた。

 そして──。

 棚の、隅に、人参柄のハンカチが、一枚、置かれていた。

 人参柄のハンカチは、キャルルの、トレードマーク。

 しかし、このハンカチには──。

 玲が、村に来た、最初の夜。

 徹夜で作業していた玲に、キャルルが、お茶を、運んできた時。

 玲が、誤って、お茶を、少しこぼして、そのハンカチで、机を、拭いた、ことが、あった。

 あの時の、ハンカチだった。

 玲が触れたハンカチが、祭壇の中心に、置かれていた。

 玲は、長い間、倉庫の中を、見渡した。

 頭の中で、【行政】スキルが、勝手に、起動した。

『現場分析

 これは、業務書類の、不適切な、保管場所です

 加えて、個人の、私物が、混入しています

 さらに、これは──

 ……分析を、停止します』

 珍しいことに、【行政】スキルが、分析を、途中で、止めた。

 あるいは、玲が、無意識に、止めたのか、もしれなかった。

「……なるほど」

 玲は、ぽつりと、つぶやいた。

「フン」

 ネギオが、腕を、組んだ。

「昨日、村長の、自宅の、私室を、片付けるよう、頼まれた。村長は、昨夜の、疲労で、動けなかったからな」

「……はい」

「片付けていたら、この倉庫の、鍵を、見つけた」

「……はい」

「開けてみたら、こうなっていた」

「……」

「何か、言うことは、あるか」

 玲は、しばらく、無言だった。

 それから──。

「……業務書類を、正規の、保管場所以外に、保存することは」

「うん」

「文書管理規定の、違反です」

「それだけか」

「……ボールペンのキャップは、廃棄物です」

「うん」

「廃棄物を、保管する、必要は、ありません」

「うん」

「コーヒーカップは、村役場の、備品です。返却してもらいます」

「うん」

「……以上です」

 ネギオは、しばらく、玲を、見つめた。

「本当に、それだけか」

「……」

「他に、言うことは、ないのか」

「……善処します」

「何を、善処する」

「……その、ハンカチは、キャルル村長の、私物ですから、そのままで、構いません」

「……貴様」

「はい」

「ちゃんと、理解した、上で、それを、言っているか」

「……」

「あの祭壇が、何を、意味するか」

「……文書管理規定の、違反を、意味します」

「貴様!」

「……善処します」

 ネギオは、深く、息を、吸った。

 それから──。

「フン」

「はい」

「計算機の、フリをした、人間め」

「……それは、今回、褒め言葉では、ないですよね」

「どちらとも、取れる」

「……分かりました」

「業務書類は、正規の、保管場所に、戻しておけ」

「はい」

「以上だ」

 ネギオは、立ち去ろうとした。

 しかし、ふと、振り返った。

「貴様、昨夜、村長のことを、守った」

「……村を、守りました」

「村長の、前に、立った」

「……」

「あれを、見て、村長が、どう、思うか、分かるか」

「……」

「月兎族の、本能は」

「……はい」

「守られると、より、強くなる」

「……」

「番と、認めた、相手に、守られると」

「……」

「もう、逃げられんぞ」

「……善処します」

「善処、では、間に合わないかもしれんな」

 ネギオは、今度こそ、立ち去った。

 玲は、一人、倉庫の前に、残った。

 もう一度、倉庫の中を、見た。

 業務書類の、数々。

 コーヒーカップ。

 ボールペンのキャップ。

 人参柄のハンカチ。

 全部が、玲に、関係する、ものだった。

(キャルル村長は、これを、宝物と、呼んでいた)

 第3話の朝、書類を抱きしめながら、彼女が言った言葉。

「あなたの書類……キレイ……♡」

「これ、わたくしの、宝物にしますね♡」

 あの言葉の、意味を、玲は、今、ようやく、全部、理解した、気がした。

「……」

 玲は、倉庫の扉を、静かに、閉めた。

 そして、業務書類だけを、抱えて、村役場に、戻った。

 コーヒーカップは、返却してもらうとして。

 ボールペンのキャップは、廃棄するとして。

 ハンカチは、キャルルの私物だから、放置するとして。

 祭壇の、構造自体は──。

(見なかったことにします)

 諦める、というのも、公務員の、技術だ。

 その日の、昼頃。

 キャルルが、村役場に、やってきた。

 いつものように、人参柄のハンカチを、手にしている。

 頭の上の、うさ耳が、ぴょこんと、立っていた。

 ただ──。

 表情が、どこか、固かった。

「玲さん」

「キャルル村長」

「あの、倉庫の、書類を、取りに、来ました」

「……既に、正規の、保管場所に、移しました」

「えっ」

「文書管理規定の、違反でしたので」

「あ……」

 キャルルの、顔が、みるみる、赤くなった。

「そ、その、玲さん、見たんですか」

「はい」

「全部、ですか」

「はい」

「……コーヒーカップも」

「はい。村役場の、備品でしたので、返却していただけますか」

「……ボールペンのキャップも」

「廃棄物でしたので、処分しました」

「……」

「ハンカチは、キャルル村長の、私物でしたので、そのままにしました」

「……」

「あと、書類は、文書管理規定の、違反でした。今後は、正規の、保管場所を、使用してください」

「……玲、さん」

「はい」

「もう少し、その、リアクション、ありませんか」

「リアクション、ですか」

「驚くとか、困るとか、その」

「……文書管理規定の、違反以外の、感想は、ありません」

「本当に、ないんですか」

「……」

「玲さん」

「……」

「ないんですか」

「……善処します」

「善処、って、何を!?」

「書類の、適切な、保管方法を、再度、徹底します」

「そういう話じゃないんですぅ!」

 キャルルが、両手で、顔を、覆った。

 頭の上の、うさ耳が、ぺたん、と、下を向いた。

「恥ずかしい……恥ずかしいですぅ……」

「……」

「最初の、夜の、書類から、ずっと、こっそり、保管してて……ネギオさんに、見つかったと、思ったら……玲さんにも……」

「……」

「恥ずかしいですぅ……消えたいですぅ……」

「キャルル村長」

「……」

「一つ、聞いてもいいですか」

「……何ですか」

「あの、最初の夜の、書類を」

「……はい」

「今でも、宝物だと、思っていますか」

 キャルルは、顔を、手で、覆ったまま、しばらく、無言だった。

 それから──。

 ぽつりと、言った。

「……思っています」

「……」

「恥ずかしいですが」

「……」

「でも、思っています」

「……そうですか」

「玲さんに、笑われたら」

「笑いません」

「……え?」

 玲は、淡々と、言った。

「業務書類を、宝物と、感じていただける方が、いるということは」

「……」

「私の、仕事が、誰かに、届いているということです」

「……玲さん」

「嬉しいとは、言いませんが」

「……」

「悪い気も、しません」

「……」

「ただ、業務書類は、適切に、保管してください」

「……はい」

「それだけです」

 キャルルは、ゆっくりと、手を、下ろした。

 顔が、まだ、赤い。

 うさ耳が、ぴょこり、と、戻った。

「……玲さんって、本当に、変な人ですね」

「よく、言われます」

「普通、引くか、喜ぶか、どちらかじゃないですか」

「……行政的には、規定違反を、指摘するのが、優先です」

「それが、先に、来るんですね」

「職業柄、です」

「……ふふ」

 キャルルが、笑った。

 いつもの、温かい笑顔だった。

「玲さん」

「はい」

「ありがとうございます」

「……規定違反の、指摘に、感謝されるのは、初めてです」

「笑わないで、くれて、ありがとうございます」

「……」

「恥ずかしいのに、受け止めて、くれて」

「……いえ」

「玲さんに、見てもらえて、良かったです」

 玲は、無言で、キャルルを、見た。

「昨夜も、玲さんが、守ってくれて」

「……」

「今日も、玲さんが、笑わないで、いてくれて」

「……」

「わたくし、やっぱり、玲さんのことが、好きですわ♡」

「……」

「大事に、します♡」

「……キャルル村長」

「はい♡」

「業務書類の、保管は、正規の場所に、お願いします」

「分かっていますぅ!」

 二人の間に、笑いが、零れた。

 玲は、公務員スマイルで。

 キャルルは、うさ耳を、ぴょこぴょこ、揺らしながら。

 この村の、朝は、こういうものだった。

 その日の、午後。

 村役場に、ユートと、クレアが、やってきた。

「玲さん、昨夜の件の、報告、いいですか」

「どうぞ」

 クレアが、報告書を、差し出した。

「盗賊団の、残党、全員、捕縛しました。現在、地域の、冒険者ギルドに、引き渡し済みです」

「ありがとうございます。損害賠償請求の、手続きも、進めておきます」

「それと、村の被害状況ですが」

「はい」

「建物の、損壊は、村の入り口の、石柱が、一本、ひびが入っただけです」

「……あれは、キャルル村長の、蹴りが、当たったせいですね」

「ええ。あと、村人への、怪我は、なし」

「それは、よかった」

「自警団の、数名が、軽傷ですが、リリスさんが、回復魔法を、かけました」

「リリスさんに、感謝を、伝えてください」

「もう伝えました。みたらし団子を、要求されましたが」

「……それは、家計改善指導計画書の、範囲内ですか」

「範囲内です。三本まで」

「では、構いません」

 クレアは、報告書の、最後のページを、めくった。

「それから、玲さん」

「はい」

「一つ、お願いがあります」

「何でしょう」

「ユートの、ブレイブスキルの、評価を、確認して、もらえますか」

「……昨夜の、戦闘後、ですか」

「ええ」

 玲は、ユートに、【査定眼】を、向けた。

 頭の中で、申請書のフォーマットが、展開する。

『対象:ユート・ディスパーダ

 ブレイブスキル

 民衆評価:★3(昨夜の戦闘前:★2)

 隠しパラメータ:打算なき勇気、検出回数2回目

 潜在的最大出力:神域(変化なし)

 備考:昨夜の戦闘において、闘気を奪われた状態で、村人を守るために再び戦場に立った。打算なき勇気の、発動条件に、近づいている』

「ユート様」

「お、おう、玲さん。何か、分かったか?」

「ブレイブスキルの、民衆評価が、★3に、上がりました」

「ほんとか! やった!」

「あと、打算なき勇気の、発動に、近づいています」

「……打算なき勇気?」

「昨夜、闘気を、奪われた後、なぜ、再び、前に、出たんですか」

「……え?」

「怖くなかったですか」

「……」

 ユートは、しばらく、考えた。

「怖かったよ、そりゃ」

「では、なぜ」

「……村人が、怖がってたから」

「……」

「俺、闘気、奪われて、力が、出なかった。でも、村人たちの顔を、見たら」

「……」

「逃げられなかった」

「……」

「報酬とか、一億円とか、そういうのは、関係なかった。ただ、逃げられなかった」

 クレアが、ユートを、じっと、見ていた。

 その目に、何か、柔らかいものが、あった。

「ユート様」

「おう」

「それが、打算なき勇気です」

「……打算なき、勇気?」

「見返りを、求めない。報酬も、評価も、関係ない。ただ、守りたいと、思った時に、出る、力です」

「……そんな、大げさな」

「いえ」

 玲は、首を、横に、振った。

「昨夜の、あなたの、行動が、その証拠です」

「……」

「闘気を、奪われた状態で、再び、立った」

「……」

「理論上、それが、積み重なれば」

「……」

「あなたの、ブレイブスキルは、神域まで、届きます」

「……神域?」

「神に、匹敵する、力です」

「……」

「あなたには、その、素質が、あります」

 ユートは、しばらく、固まっていた。

 それから、ぶはっ、と、笑い出した。

「俺が、神域! わはははは! ルチアナのせいで、鉄の鎧で、スタートした俺が!」

「笑うことですか」

「だって、笑えるだろ! 鎧詐欺から、スタートして、借金まみれで、神域とか!」

「ユート、笑ってる場合じゃないわよ」

 クレアが、ため息を、ついた。

「玲さんが、あなたを、評価してるのよ。真剣に、受け止めなさい」

「……うん、でも」

「でも?」

「なんか、信じられなくてさ」

「……」

「俺、ずっと、馬鹿だと思ってたから。勇者なんて、名前だけの、借金まみれの、馬鹿だって」

「……」

「でも、玲さんが、そう言ってくれると」

 ユートが、玲を、まっすぐに、見た。

「……なんか、本物に、なれる気がする」

「……」

「俺、もっと、頑張れる気がする」

 玲は、無言で、ユートを、見た。

 市役所時代、玲は、こういう言葉を、言ったことが、なかった。

 誰かを、評価する言葉。

 誰かを、信じる言葉。

 市役所では、そういうことを、言う、余裕が、なかった。

 でも──。

 ポポロ村では、言える。

「ユート様」

「おう」

「私は、あなたを、信じています」

「……」

「馬鹿だと、思いません」

「……」

「あなたは、本物の、勇者に、なれます」

「……玲さん」

「それだけです」

「……うっ」

「ユート、泣かないで」

「な、泣いてないぞ! 目から、汗が!」

「また、それ!」

「本当だって!」

 クレアが、ため息を、つきながら、ユートの背中を、さすった。

 その手つきが、優しかった。

「ありがとう、玲さん」

 クレアが、玲に、頭を、下げた。

「この馬鹿を、信じてくれて」

「いえ、信じるのは、当然です。昨夜の、行動を、見ましたから」

「……それでも、ありがとう」

「クレアさん」

「はい」

「あなたも、昨夜、立派でした」

「……私は、吹き飛ばされただけよ」

「シールドで、ガロの、一撃を、受け止めた。それが、私が、書類を、準備する、時間を、作りました」

「……」

「あなたの、シールドが、なければ、私の、書類は、間に合いませんでした」

「……」

「あなたも、村を、守りました」

 クレアは、しばらく、無言だった。

 それから、くるり、と、背を、向けた。

「……NISA積立のためよ」

「はい」

「感動とか、そういうのじゃ、ないからね」

「はい」

「ただ、一億円のためよ」

「はい」

「……ありがとう、玲さん」

 クレアの声が、震えていた。

 玲は、微笑んだ。

「ユート様、クレア様」

「おう」

「はい」

「仮認可勇者の、試用期間、あと、一ヶ月で、終わります」

「……正式認可、してもらえる、かな」

「昨夜の、行動を、見る限りは」

「……うん」

「問題ありません」

「やったあああ!」

「ユート、はしゃぎすぎ」

「だって!」

「……ありがとう、玲さん」

「いえ、仕事ですから」

 その日の、夕方。

 玲は、一人、村役場の、屋上に、いた。

 ポポロ村の、全景が、見える。

 月見大根の、畑。

 太陽芋の、畑。

 村人たちの、家々。

 タローソン、ルナキン、タローマン。

 スアイのスキー場が見える、ポポロ山。

 その全てを、玲は、見渡した。

「玲さん」

 背後から、声がした。

 振り返ると、ネギオだった。

「こんなところに、いたか」

「ええ。少し、整理したくて」

「整理?」

「頭の中を」

「……昨夜から、今日にかけて、色々あったからな」

「ええ」

 ネギオが、玲の隣に、立った。

 二人で、ポポロ村の、全景を、眺めた。

「ネギオさん」

「なんだ」

「一つ、聞いてもいいですか」

「言ってみろ」

「私は、この村で、何を、しているんでしょうか」

「……どういう意味だ」

「事務官として、書類を、処理する。問題を、解決する。そこまでは、分かります」

「……」

「でも、それだけでは、ない、気がして」

「……」

「ユート様に、信じると、言った。クレア様に、立派だったと、言った。キャルル村長の、祭壇を、見ても、笑わなかった」

「……」

「それは、事務官の仕事では、ないですよね」

「そうだな」

「では、それは、何なんでしょう」

 ネギオは、しばらく、無言だった。

 夕日が、ポポロ村を、染めていく。

 やがて──。

「貴様に、一つ、問題を、出してやる」

「はい」

「この村の、価値は、いくらか」

「……」

「計算してみろ」

 玲は、頭の中で、【行政】スキルを、起動した。

 月見大根の、流通収益。

 太陽芋の、農業収益。

 スアイのスキー場との、業務提携による、観光収益。

 ゴルド商会との、独占契約。

 仮認可勇者制度の、防衛価値。

 計算が、走る。

「……年間収益、金貨三千二百枚。防衛能力、概算で、B級以上。地理的価値──」

「それが、全部か」

「……いえ」

「続けろ」

「……村人の、笑顔」

「……」

「キャルル村長の、覚悟」

「……」

「ユート様の、打算なき勇気」

「……」

「クレア様の、隠れた、優しさ」

「……」

「リリスさんの、屈託のない、笑顔」

「……」

「そして」

「……」

「誰かが、見ていてくれること」

「……」

「これらは、帳簿に、載らない」

「そうだな」

「数字に、できない」

「そうだな」

「でも、確かに、ある」

「そうだな」

 ネギオが、ふっ、と、笑った。

「第9話を、覚えているか」

「第9話?」

「いや、第九話、ではなく、俺が、以前、貴様に、言ったことを、覚えているか」

「……計算機のフリをした、人間、ですか」

「ああ」

「はい、覚えています」

「貴様に、もう一つ、言ってやろう」

「はい」

「計算機のフリをした人間が、いると、村は、壊れない」

「……」

「数字で、動かせるものを、動かす」

「……」

「数字で、動かせないものを、守る」

「……」

「それを、同時に、できる者は、滅多に、おらん」

「……」

「貴様は、その、両方を、している」

「……」

「それが、貴様が、この村で、している、ことだ」

 玲は、長い間、無言だった。

 夕日が、沈んでいく。

 空が、茜色から、藍色へと、変わっていく。

「ネギオさん」

「なんだ」

「……ありがとうございます」

「礼を、言うな。気持ち悪い」

「……」

「ただ、一つ、言っておく」

「はい」

「貴様が、来る前、この村は、壊れかけていた」

「……」

「書類が、山積みで、村人への、支払いが、滞って、誰も、助けに、来なかった」

「……」

「村長は、一人で、抱え込んで、限界だった」

「……」

「だが、貴様が、来てから」

「……」

「村が、動き出した」

「……」

「だから、貴様が、ここにいる、理由は、明白だ」

「……それは、何ですか」

「必要とされているから、だ」

 玲は、その言葉を、胸の中で、噛み締めた。

 必要とされている。

 市役所時代、誰も、玲が、そこにいることを、必要として、いなかった。

 書類が、処理されていれば、誰でも、よかった。

 でも、ここでは──。

「白石玲が、いなければ、この村は、動かない」

「……」

「それが、貴様の、居場所だ」

 玲は、ゆっくりと、頷いた。

「……ありがとうございます」

「礼を、言うな、と、言った」

「……でも、言いたいんです」

「フン、勝手にしろ」

 ネギオは、屋上から、降りていった。

 玲は、一人、残された。

 夜空に、星が、瞬き始めていた。

 満月は、沈んでいた。

 代わりに、無数の、星が、輝いていた。

「……必要とされている」

 玲は、ぽつりと、つぶやいた。

 その言葉が、温かかった。

 市役所時代、一度も、感じたことのなかった、温かさが、今、確かに、あった。

 玲は、空を、見上げた。

 ポポロ村の、夜空は、広かった。

 どこまでも、広かった。

 その夜。

 玲が、屋上から、降りようとした時。

 階段の、入り口で、キャルルが、待っていた。

 手には、コーヒーを、二つ、持っていた。

「玲さん」

「キャルル村長」

「夜のコーヒーは、眠れなくなりますよ。でも、少しだけ、いいですか」

「……いただきます」

 二人は、屋上に、並んで、座った。

 コーヒーを、飲みながら、星空を、見上げた。

「ネギオさんと、何を、話していたんですか」

「村の、価値について、です」

「価値?」

「数字で、測れないもの、についても、話しました」

「……ふふ」

「何か、おかしいですか」

「いえ。玲さんらしい、と、思って」

「……そうですか」

「玲さんって、いつも、数字で、考えているようで」

「……」

「でも、本当は、数字に、できないものを、一番、大切に、しているんですよね」

「……そんなことは」

「ありますよ」

 キャルルが、にっこりと、笑った。

「わたくしの、祭壇を、笑わなかった」

「……それは」

「ユート様を、信じると、言った」

「……それは、評価として」

「クレア様を、立派だったと、言った」

「……事実ですから」

「どれも、数字じゃないです」

「……」

「玲さんは、数字で、測れないものを、大切にする、人です」

「……」

「だから、わたくし──」

 キャルルの声が、わずかに、震えた。

「だから、わたくし、玲さんのことが、好きです」

「……」

「計算の話でも、行政の話でも、ないですよ」

「……」

「ただ、玲さんのことが、好きです」

 玲は、長い間、無言だった。

 コーヒーを、一口、飲む。

 空を、見上げる。

 そして──。

「キャルル村長」

「はい」

「私は、感情表現が、不得手です」

「……知っています」

「市役所時代から、そうでした」

「……」

「誰かに、好意を、示す方法が、よく、分かりません」

「……」

「ただ」

「……」

「あなたのことを、考えると、仕事が、手につかなくなる、ことが、あります」

「……え?」

「昨夜、あなたが、血を、吐いた時、それ以外のことが、頭から、消えました」

「……」

「書類を、構える前に、何を、考えたかというと」

「……」

「キャルル村長を、守らなければ、と、それだけでした」

「……玲さん」

「これが、何を、意味するのか、私には、まだ、よく、分かりません」

「……」

「行政的に、整理しようとしても、できません」

「……」

「ただ」

「はい」

「あなたが、このポポロ村に、いてくれることが」

「……はい」

「私には、とても、重要な、ことです」

「……」

「それだけ、言えます」

 キャルルは、しばらく、無言だった。

 それから──。

 じわり、と、目に、涙が、溢れてきた。

「……玲さん」

「……泣かせてしまいましたか」

「違います」

「……?」

「嬉しくて、泣けてきました」

「……」

「玲さんが、そういうことを、言ってくれるとは、思っていなかったので」

「……不器用ですみません」

「不器用で、いいです」

「……」

「不器用なくらいが、玲さんらしくて」

「……」

「好きです♡」

 キャルルが、目を、細めた。

 月明かりの中で。

 うさ耳が、ぴょこぴょこ、揺れていた。

 その瞳に、紅い色は、なかった。

 ただ、純粋な、温かさが、あった。

「キャルル村長」

「はい」

「一つ、約束してください」

「はい」

「自分を、後回しに、しないと」

「……それは、昨日も、お互いに、約束しました」

「もう一度、します」

「……はい。約束します」

「では、私も、約束します」

「……何を」

「自分を、後回しに、しません」

「……本当ですか」

「……善処します」

「約束でしょう!?」

「……はい、約束します」

「ふふ」

「笑わないでください」

「だって、可愛いんですもの♡」

「……」

「ふふ、ふふふ♡」

 キャルルが、笑った。

 玲は、かすかに、頬が、熱くなるのを、感じた。

(可愛い、という評価を、受けたのは、生まれて初めてかもしれない)

 市役所時代、窓口で、そんなことを、言われたことは、一度も、なかった。

「玲さん」

「はい」

「今日、ありがとうございました」

「何が、ですか」

「全部、です」

「……」

「祭壇を、笑わないで、くれて」

「……」

「逃げないで、いてくれて」

「……」

「ここに、いてくれて」

「……」

「それだけで、十分です♡」

 二人は、コーヒーを、飲み終えた。

 空には、満天の、星が、輝いていた。

 満月は、沈んだ。

 でも──。

 星明かりで、十分、明るかった。

「では、おやすみなさい、玲さん」

「おやすみなさい、キャルル村長」

「明日も、よろしくお願いします♡」

「こちらこそ」

 キャルルが、屋上から、降りていった。

 玲は、一人、星空を、見上げていた。

 風が、吹いた。

 月見大根の、甘い香りが、漂ってきた。

「……居場所」

 玲は、もう一度、その言葉を、つぶやいた。

 今度は、確信を、持って。

 ここが、私の、居場所です。

 市役所時代、玲は、誰にも、見られずに、死んでいった。

 でも、ここでは──。

 キャルルが、見ている。

 リリスが、見ている。

 ユートと、クレアが、見ている。

 ネギオが、見ている。

 スアイが、見ている。

 村人たちが、見ている。

 皆が、白石玲を、見ている。

 玲は、ゆっくりと、目を、閉じた。

 そして、階段へと、向かった。

 明日も、仕事が、ある。

 書類が、ある。

 ハンコが、ある。

 そして、守るべき、村が、ある。

 それで、十分だった。

第13話・了

【次回予告】

満月の夜の後、ポポロ村は、静かな日常を、取り戻し始めていた。

ユートとクレアは、認可勇者への道を、歩んでいた。

スアイは、スキー場の運営を、着々と、進めていた。

しかし──。

村の、はずれで、ネギオが、玲を、呼んだ。

「貴様、来い」

「何ですか」

「見せたいものが、ある」

そこには、虫の、死骸が、あった。

金属質の、甲殻。

壊れた、機械のような、内部構造。

「これは、自然の、魔物では、ない」

「……」

「作られたものだ」

ポポロ村の、はずれで、見つかった、不自然な、死骸。

それは──。

死蟲機の、偵察隊の、残骸だった。

そして、玲は、歴史書で、読んだ、名前を、思い出す。

「サルバロス……ですか」

書類とハンコで、異世界を変えていく物語。

第二の山、本格始動。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ