第49話 王の自裁、あるいは歩兵の祝祭
第49話『王の自裁、あるいは歩兵の祝祭』
0850。
摺鉢山の空気は、昨日までの硝煙と泥の匂いを残しながらも、どこか凛とした静寂に包まれていた。
停止したからくり兵の赤いセンサーが、死の灯火を消す。
運営本部からのゲートが開き、フィールドのマスター管理権限が盤の端末へと転送された。
【完全勝利者:天城盤。憲章の改変権を行使してください】
盤は、端末に表示された「第0条」の文字列を見つめた。
隣に立つ澪が、盤の震える指先を、そっと自分の手で包み込む。
「……盤。あんたがやりたかったこと、全部ここに書き込みなさい。一億人が、あんたの指先を見てるわ」
盤は、ゆっくりと文字を打ち込み始めた。
彼の脳裏には、この七日間で消えていった者たちの顔が、走馬灯のように、しかし鮮明な「個」として去来していた。
山下の不器用な笑顔。小川の震える手。
須藤の「楽しかったぜ」という叫び。
岡田が読んでいた文庫本の焦げた匂い。浅野がパンを分ける時の公平な眼差し。
そして。
泥だらけの手帳を抱え、ただひたすらに彼らの名を刻み続けてきた種田の、あの「最弱の王」としての震え。
「……第0条。……改変」
盤の声が、一億二千万人のスマートフォンに、スピーカーに、そして摺鉢山に響き渡った。
【憲章第0条:修正】
すべてのからくりゲームを本日、この瞬間をもって廃止する。
人を駒として扱うすべての評価基準、および統計的選別を無効とし、個人の生は、その個人にのみ帰属するものとする。
――本プログラムの「王」とは、他者を支配する者ではなく、他者の名を忘れない者である。
一瞬。
世界が真っ白な光に包まれたような感覚。
ドローンの羽音が止まった。
首輪の警告音が消えた。
フィールドを囲んでいた見えない壁が、砂のように崩れ落ちていく。
種田が、手帳をゆっくりと開いた。
最後のページ。白かったその場所に、彼は力を込めてペンを走らせた。
『本日、対局終了。――生き残った者十九名。忘れない者、一億二千万人』
及川が、その文字を見て、顔を覆って泣き出した。
古賀が関口に抱きつき、橋本が鉄パイプを放り投げて空を仰いだ。
ハヤシが、吉本と目が合い、短く頷いた。
「吉本。……じいさんに、ようやく土産話ができたよ」
「ああ。……不味いカップ麺以外の話をな」
木村は、美琴を連れて、ゆっくりと摺鉢山の斜面を下り始めた。
彼の手には、裏蓋の歪んだ古い銀時計があった。止まっていた針が、カチリ、と小さな音を立てて動き始める。
「……美琴。腹が減ったな」
「はい。……木村さんの奢りですよ」
「……善処しよう」
盤と澪は、最後に残った。
廃墟の向こう、水平線から昇る太陽が、二人の影を長く、強く伸ばしている。
「盤。……結局、あんたは完全勝利者になったわけね」
「……計算外だ」
「嘘おっしゃい。……あんた、最初からこれ、狙ってたんでしょ」
「……直感だよ、澪」
盤は、澪の手をもう一度、強く握り直した。
それは他者の意思を支配するための力ではなく、ただ、隣にいる体温を確かめるための、不合理で温かな重みだった。
国民のスマートフォン。
いいねのカウンターは、ついに一億を超えた。
だが、その数字はもはや誰かを殺すためのエネルギーではなく、新しい世界を祝福するための、星の瞬きのように見えた。
日曜日の戦争は、終わった。
廃墟に、新しい風が吹く。
少年はもう、歩兵ではなかった。
少女はもう、部品ではなかった。
彼らはただの、どこにでもいる「人間」として、
朝焼けの中を、真っ直ぐに歩き出した。




