第50話 終わり、そして朝
第50話『終わり、そして朝』
一四〇〇。
廃棄都市のひび割れた拡声器から、無機質な電子音の葬送曲が流れた。
『国家戦将棋適性試験、第十一回プログラムを終了します。生存個体は速やかにゲートへ移動してください』
ただの定型文。感情の欠片もない合成音声。
だが、その冷徹な響きこそが、地獄の蓋が閉まった何よりの証左だった。
摺鉢山の底が、真空に包まれたように静まり返った。
一秒。二秒。三秒。
古賀が、糸の切れた人形のように泣き崩れた。
七日間、喉の奥で押し殺し続けてきた嗚咽が、泥だらけの地面に溢れ出す。関口は何も言わず、ただ震える彼女の肩を強く抱き寄せた。彼の頬にも、音もなく透明な筋が流れていた。
橋本が、ゆっくりと膝をついた。
右手に固執していた鉄パイプが、その熱を失って地面に転がる。乾いた金属音が、廃墟の静寂を打った。
宮本が、捻挫した足を引きずりながら橋本の肩に手を置く。
「終わったな」
「……ああ。……本当に、終わったんだな」
「帰れるぞ、橋本。……その足を、ちゃんと治せる場所に」
「……最悪な冗談だ。……最高に、笑えねえよ」
橋本は、ひどく不格好に笑った。戦場という異界から「日常」へと、心が引き戻されていく痛快な痛み。
沼田は、七日間立ち続けた見張り台から音もなく降りた。
浜田がその隣に寄り添う。
「帰ったら、何をする」
「寝る。……それから、温かい飯を食う」
「俺もだ。……それだけで、いい気がするな」
二人は並んで空を見上げた。厚い雲の切れ間から、鋭い陽光が差し込み始めていた。
伊藤は、背負っていた弓をゆっくりと下ろした。
震える手で矢筒を確認する。残存、二本。
一度も放たれることなく残ったその「殺意」の重みが、今はひどく愛おしかった。
及川は、摺鉢山の縁から南の区画を見据えていた。
須藤が、笑いながら散っていったあの場所を。
「……須藤。……俺たちの『勝ち』だぞ」
返事は、風の音に消えた。だが、及川の胸を焼いていた焦燥は、静かに凪いでいた。
野口と田中が、互いの泥だらけの顔を見て吹き出した。
「バレー部の大会……まだ、間に合うかな」
「無理だろ、一週間も無断欠席だぞ」
「来年があるか」
「ああ。……来年は、もっと高く飛べるはずだ」
種田は、ボロボロになった手帳の最終ページを、祈るように開いた。
一文字ずつ、肺に残った全ての空気を吐き出すように、彼は記した。
『全員、生きた。』
その五文字が、世界中のどんな法典よりも重く、彼の手の中で輝いていた。
「種田。……お前のおかげだよ、マジで」
及川の言葉に、種田はただ、手帳を胸に抱きしめて微笑んだ。
美琴と木村は、沈黙の中で放送を咀嚼していた。
「終わったな」
「はい」
「……美琴。帰ったら、また会えるか」
木村の不器用な問いに、美琴の瞳が一瞬、大きく揺れた。冷徹な「駒」であることを辞めた男の、剥き出しの言葉。
「……会えます。どこにいたって、見つけ出しますから」
「……そうか。なら、一局付き合え。……次は、本物の将棋盤でだ」
岸本が、盤の隣で深く息を吐いた。
「天城。……一人は、もうこりごりだ」
「種田が、お前の名前を覚えている。……一億人がお前の顔を知っている。もう、孤独には戻れないぞ」
岸本は、手帳を抱える種田の背中を見て、小さく頷いた。
金山、杉村、小山。科学部の三人は、役目を終えた「神殺しの雷(EMP装置)」を見つめていた。
「……設計通りだったな」
「ああ。……僕たちの理論は、地獄すら焼き切った」
三人は肩を組み、初めて子供のように声を上げて笑った。
吉本誠二とハヤシ、そして黒田。
軍服を纏った大人たちは、自分たちが護り抜いた「子供たちの背中」を見ていた。
「吉本。……帰ったら、カップヌードル以外を奢らせろ」
「ああ。……ただし、最高に高い酒を添えてもらうぞ、ハヤシ」
盤と澪は、最後に摺鉢山の縁を離れた。
八日間、血と泥で塗り潰したはずの戦場は、光を浴びてただの「ガラクタの山」へと還っていた。
「終わったわね。……盤、あんた、約束守ったじゃない」
「守った、と言えるまで……まだ終わらせないつもりだ」
「へえ。……じゃあ、帰りの飯代、あんたが持ちなさいよ」
「……善処しよう」
澪が笑った。それは、この不条理な盤面に放たれた、最高の「勝利の女神」の微笑だった。
八日目の朝。
A組とB組の混在した十七名が、列をなして出口へ歩き出した。
高架の上。小川と山下が永遠の安らぎを選んだ場所で、盤は一度だけ足を止め、胸ポケットの便箋に触れた。
(二人で決めたことです……)
その言葉を、今度は「罪悪感」ではなく、「遺志」として飲み込んだ。
錆び付いた巨大なゲートが、重い悲鳴を上げて開く。
外の世界。
そこには硝煙の匂いも、赤いセンサーの光もない。
ただ、少しだけ冷たくて、どこまでも懐かしい「朝の風」が吹いていた。
「帰ろう。……俺たちの、居場所へ」
種田の言葉を先頭に、十七名の歩兵たちは、一歩ずつ。
踏み締める地面の感触を確かめながら、朝焼けの中へと溶けていった。




