第33話 休戦の夜
第33話「休戦の夜」
1800時。
廃墟の街に、電子音の葬送曲が、宣告のように響き渡った。
『本日の戦闘時間を終了します。全個体、明朝まで停止してください』
その放送を合図に、街を支配していた熱狂的な火線がぷっつりと途絶えた。耳の奥に残るキーンという耳鳴りと、冷え始めたアスファルトの重油の匂いだけが、戦場を「異界」として繋ぎ止めていた。
南区画。グリフィンとワイルドセブンの境界線。
誠一は、弾痕の刻まれた廃ホテルの壁に身体を預けた。防弾ベストの重みが、今はひどく疎ましい。
「負傷者は」
「陳の右腕に一発。ウィルスが捻挫。……軽微です」
黒田が淡々と告げる。「敵、ワイルドセブンは須藤が脱落寸前の負傷。木村は無傷です。……逃しましたね。……あの子、戦場を『死を飾る場所』だと勘違いしています」
「ああ。……だからこそ、計算が狂う」
誠一は、血の混じった土をブーツで踏み締めた。撤収だ。……今夜は、化け物の思考をなぞり、その喉元に手をかける準備をする必要がある。
摺鉢山。
「……引いたか。化け物どもが」
宮本は双眼鏡越しに、撤退していくワイルドキャットの背中を眺めていた。橋本の指先はまだ小刻みに震えている。
「吉本三佐、あのおっさんはわざと引いたんだ。俺たちが隠し持っている『毒針』――金山の装置を、無理に引き抜こうとしなかった。……懐を開けて、俺たちがどう動くか試してやがる」
宮本は、まだ見ぬ敵将の深慮に、背筋を凍らせた。
「盤」
背後から、澪の声がした。盤は縁に立ち、父・誠一が消えていった暗い街を見下ろしていた。
「……全員無事だ。今日は、誰も死ななかった」
「ああ」
「勝てると思う?」
盤はすぐには答えなかった。脳裏には、整然と撤退していく正規軍の、錆びることのない軍紀が焼き付いている。「今日と同じやり方なら、明日の午前中には全滅する。……条件を変える。フィールドそのもののルールをな」
「一人で背負い込むのは、もうやめろよ。……あんたの頭脳はみんなの共有財産だ。……でしょ?」
澪がその隣に並び、肩をぶつける。盤は一瞬、きょとんとした顔を見せた後、微かに口角を上げた。
「……一度しか言わないぞ。……助かる、澪」
フィールド外縁、河川敷の臨時キャンプ。
吉本は、プラスチックのカップに入った三分後の麺をすすっていた。化学調味料の香りが、戦場という異界から「日常」へと意識を引き戻す。
「隊長、向こうは『何か』を持っています。それを使わせるための餌が必要です」
「わかっている。……だが、その餌が私の部下であってはならん。松田、明日は空域を使うぞ。……しかし、カップ麺がこんなに旨いとはな。平和な時には気づかなかった不条理だ」
グリフィンのキャンプ。誠一はモニターを凝視していた。赤外線カメラが捉えた摺鉢山。そこには、仲間と肩を並べ、一瞬だけ白い歯を見せて笑う息子の姿があった。
「……笑っていますよ。隊長とは大違いだ」
誠一は答えない。モニターの中の盤は、自分がかつて捨てた「人間性」という脆い武器を、必死に守り抜こうとしているように見えた。
(……それがお前の弱点になるか。あるいは、俺を凌駕する牙になるか。……試してやる、盤)
誠一は画面を消し、冷めきった戦闘糧食を口に運んだ。砂を噛むような味がした。
国民のスマートフォンには、今夜も残酷な速報が流れる。
【死者0名。天城盤、生存】
『盤くん、明日も生きて!』『正規軍、飯食ってる暇あったら仕事しろよww』
コメント欄の奔流。それは、フィールド内で命を削る者たちとは無縁の、あまりに軽薄で暴力的な「平和」のノイズだ。
摺鉢山の夜は深まり、懐中電灯の小さな光が、明日の戦場を描き出す。
0800時まで、あと十四時間。
誰もが、自分が生き残る理由を探しながら、冷たい闇に身を沈めていった。




