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『クラス対抗デスゲームで最弱の歩兵だった俺、実は盤上最強でした』  作者: 水前寺鯉太郎


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第3話 生きてる、まだ

からくりデス・ゲーム憲章

第1条(強制参加)

選定された者は、いかなる理由があっても参加を拒否できない。

拒否した者は国家反逆罪とみなされ、即時排除される。

第3話「まだ、生きている」


 西側の死角まで、神楽坂澪みおは二十八秒で回り込んだ。

 

 天城盤あまぎ・ばんは瓦礫の隙間からその動線を凝視し、網膜に焼き付いた燐光の残像をなぞる。合格だ。彼女はまだ、己の計算という名の歯車に、一ミリの狂いもなく噛み合っている。

 

 作戦は、将棋における『挟み撃ち』。

 盤が正面から空撃ちの銃声を響かせ、敵の意識を一点に釘付けにする。その空白の一秒を突いて、死角から澪が「飛車」のごとき速さで突入する。懸念はただ一つ、彼女がその「飛車」に、人を殺めるための刃を装填できるかどうかだった。

 

(できなければ、俺が弾切れの銃で殴り込む。その場合、右腕を骨折する確率が四二パーセント――)

 

 計算が収束するより早く、夜の闇を影が裂いた。

 バレー部のエースとして培われた澪の跳躍力は、物理法則をあざ笑うかのように瓦礫の山を蹂躙した。着地と同時に振り下ろされた錆びた鉄パイプが、敵の『歩』の頭蓋を、冷酷なまでに最短距離で捉える。

 

 ――ぐしゃり、と。

 

 熟した果実が潰れるような、あるいは重い粘土が壁に叩きつけられたような、不快な湿り気を帯びた音が廃墟に吸い込まれた。

 崩れ落ちる肉体。澪は、自分が「壊したもの」を、触れてはいけない汚物のように見つめていたが、わずか一秒でその視線を強制的に断ち切った。

 

 盤はその隙に、もう一人の敵の懐へ滑り込み、銃床を顎へ叩き込んだ。意識の遮断を確認し、制圧が完了する。

 

「……見事な着手だ。君の脚力は、期待値を上回った」

 

 盤の声に、澪は血に汚れた鉄パイプを握りしめたまま振り返った。月明かりの下、彼女の顔は陶器のように蒼白で、噛み締めた唇だけが赤黒く浮き立っている。

 

「……褒めてるの? それとも、検品の結果を言ってるだけ?」

「両方だ。君が迷っていれば、今頃俺たちの首輪タイマーはゼロになっていた」

 

 澪の右手が、小刻みに、だが激しく震えている。盤はその震えに視線を落とすことなく、彼女の背に手を置き、より闇の深い階上へと促した。

 

「敵は引いた。深追いはしてこない。奴らは『より確実な包囲』――つまり、夜が明けるまでの兵糧攻めを選んだ。今夜はここが、この盤上で唯一の、死と妥協した安息地だ」

 

 廃墟の二階。月光すら届かない壁際で、盤は冷たいコンクリートに直接腰を下ろした。支給された『適性試験官用・携帯食』の封を切るが、その味は砂を噛むように無機質だった。

 

「明日も続くのね。この、狂ったチェスみたいな時間が」

 

 澪は膝を抱え、闇の中に視線を漂わせている。

 

「ねえ、盤。さっきの教室で、転がってた死体の数……覚えてる?」

「覚えていない。終わった盤面の駒を数えるのは、情報のノイズでしかない」

「ノイズじゃないわよ……! あいつ、私の前の席だったの。修学旅行の班決めで、私が行きたいって言った場所、全部メモしてくれてた。……それが、たった一発で、ただの重たい塊になっちゃったんだよ」

 

 澪の声が昂り、廃墟の静寂を鋭く切り裂く。盤は無言で立ち上がり、支給品の救急キットから消毒液を染み込ませたガーゼを取り出した。

 

「……顎を上げろ」

「え……?」

 

 盤は強引に、澪の顎を指先で持ち上げた。

 彼女の頬には、先ほどの戦闘で浴びた返り血が、乾きかけた刺青のように張り付いている。盤はガーゼを押し当て、ゆっくりと、祈るような丁寧さでその汚れを拭い去った。

 

「血の臭いは、飢えた獣の野生を刺激する。この閉鎖空間で『獲物』の匂いをさせるな。それは戦術的な自害だ。……君の美学ではなく、生存戦略として拭っている」

 

 事務的な言葉とは裏腹に、ガーゼを動かす指先は、まるで壊れやすい硝子細工を扱うように繊細だった。澪は毒気を抜かれたように、盤の至近距離にある瞳をじっと見つめ返す。その瞳には、恐怖も、高揚も、憎悪すらも映っていない。ただ、深い夜の海のような、何もかもを飲み込んで沈殿させる静謐さだけがあった。

 

「……あんたの手、冷たいね」

 

 消え入るような呟きに、盤は答えず、汚れたガーゼを迷いなく闇へと捨てた。

 

 夜が深まるにつれ、廃墟の気温は劇的に下がり始める。遠くで時折響く、誰かの最期を告げるような銃声は、まるで自分たちの命を削り取る秒針の音のように聞こえた。

 

「盤」

 

 不意に、名前を呼ばれた。盤は動かずに、意識だけを隣の熱源へと向ける。

 

「怖くないって言ったのは、嘘でしょ。本当は……あんたのその頭の中、悲鳴でいっぱいなんじゃないの?」

「……嘘ではない。恐怖は思考を鈍らせる最大のバグだ。だから俺は、盤面全体を把握し、一億通りの敗北パターンを潰し続けることに意識を全振りしている。そうしていれば、『死』という事象に怯えるメモリが物理的に足りなくなる」

 

 それは、棋士としての強がりであり、同時に、そうでもしなければ発狂してしまう少年の、最後の防衛本能だった。

 澪は少しだけ、盤の方へと体を寄せた。肩が触れ合い、互いの体温が微かに通い合う。

 

「私ね……さっき人を殴ったとき。最低なのに、『生きてる』って思っちゃった」

「……」

「鉄パイプを通して、相手の頭蓋が砕ける感触が腕に伝わって。その瞬間、心臓がバクバクいって、世界が急に鮮やかになったの。友達を殺された悲しみよりも、自分が生き残った快感が勝っちゃった。……それが、たまらなく怖いのよ」

 

 澪は自分の腕を抱きしめるように丸まった。その肩の震えを、盤は止める術を知らない。

 盤は黙って自分の上着を脱ぐと、彼女の肩に無造作に掛けた。

 

「……盤?」

「体温が下がれば、明日の朝、筋肉の反応速度が三パーセント落ちる。それは俺の計算にとって致命的な欠陥だ。……黙って着ていろ。俺の『駒』を、こんな場所で不調にするわけにはいかない」

 

 自分に言い聞かせるような、刺々しいまでの合理主義。それに澪は、今度は悲鳴ではなく、本当に小さな、消えそうな笑い声を漏らした。

 

「……あんた、本当に嘘が下手ね。そんなんだから、将棋以外は『詰んでる』って言われるのよ」

 

 夜の廃墟。

 二人は冷たいコンクリートの上で、互いの体温だけを頼りに夜明けを待つ。

 まだ、生きている。その残酷で、しかし奇跡のように愛おしい事実だけを、重い空気の中に刻みつけながら。

 

 盤は、瞼の裏に浮かぶ終わりのないグリッドを見つめ、静かに誓う。

 この狂った遊戯を、俺が「投了」させてやる。

 そのためには、たとえこの心が完全に、血の通わぬ鉄の駒へと成り果てようとも。

 

 その時、盤の首輪が、不吉な赤色に明滅した。

 

【警告:午前零時。役職交代チェンジ・オーバーの時間です】

 

 盤の網膜に浮かんだ新たな文字は、彼が想定していた最悪の展開を、さらに塗り替えるものだった。

 

【天城盤 役職:――王将】

【神楽坂澪 役職:――暗殺者アサシン

 

 夜の静寂が、今までとは違う、殺意の孕んだ色に染まっていく。

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