第26話 山猫、起こす
国家戦将棋適性試験〈通称:プログラム〉における役割付与について
参加者一人ひとりに駒の役割がランダムで与えられる(弱い順):
歩兵・弓兵
槍兵
騎兵
鉄砲兵
騎鉄兵
王将(最上位)
第26話「山猫、起こす」
マリーンコープス極東派遣基地。
広島県安芸郡海田町、かつて自衛隊が守護の要としていたその敷地は、いまや深夜の霧に包まれ、巨大な墓所のような静謐を保っていた。
二一〇〇。
司令室のモニターが、無慈悲な赤色で明滅する。
【プログラム第十一回 正規軍投入要請――承認】
吉本誠二がその部屋に足を踏み入れたのは、通達からわずか十分後のことだった。五十二歳。白髪が混じり始めた短髪と、使い込まれた革靴のような皺が刻まれた顔。かつては「極東の山猫」と恐れられたその男も、この二十年間、手にした剣を一度も本物の血で汚してはいない。
「……また、あのクソみたいな遊戯の掃除番か」
吉本は、モニターに映し出された生存者二十名のリストを一瞥した。四日間で五十四名の脱落。数字だけを見れば地獄だが、二十年もこのぬるま湯に浸かれば、それは書類上の「変数」にしか見えなくなる。吉本はそれを自分に言い聞かせ続け、牙を隠してきた。
「第一部隊から十名選抜する。……全員、〇四〇〇までに錆を落としておけと伝えろ。……空砲は置いていけ」
北棟の兵舎。吉本は副長、松田曹長の部屋のドアを、三回、正確なリズムで叩いた。
「……入れ。吉本三佐。また子供たちの鬼ごっこに、本物の銃を持ち込むお仕事ですか。……国民様の要望は残酷だ」
松田は眼鏡を拭きながら、冷ややかな笑みを浮かべた。山猫部隊――かつてゲリラ戦のスペシャリストとして名を馳せた第一部隊も、今や主な任務は災害時の瓦礫撤去と、デモ隊への威嚇射撃代わりの空砲。研がれることのない刃。それが、今の彼らの正体だ。
「松田。……今回の『獲物』は、少々質が違うぞ」
吉本は端末を起動し、一つの映像を再生した。廃墟の柱の陰、狙撃の火線が走る直前。一人の少年が、物理法則を無視したかのような「静止」を見せていた。
「天城盤。……こいつは、撃たれてから避けているんじゃない。射線の根元を……死の予感を、あらかじめ演算している。……二十年前の『あの戦場』にいた連中の目だ」
松田の眼鏡を拭く手が、ぴたりと止まる。
「……訓練は?」
「皆無だ。……だが、見てみろ、この瞳。……こいつは、とっくに自分の一部を切り捨てている。そうでなければ、これほどまでに透明な静止はできない。……俺の知っている山猫より、こいつの方がよほど山猫らしい」
吉本の口角が、不自然なほど僅かに吊り上がった。それは、獲物を見つけた山猫の歓喜か、あるいは、自分と同じ「壊れた魂」を見出したことへの共鳴か。
「久々に……仕事のし甲斐がありそうだ。松田、橘と村田を入れろ。……手加減の仕方は忘れたと、奴らに言っておけ。……本物を教えに行くぞ」
廊下に出ると、海田の冷たい夜風が吉本の頬を撫でた。遠く、安芸の山々を背にした住宅街の灯りが、平和という名の鈍い光を放っている。二十年間、吉本はこの平和を護るために、自分の牙を抜いてきた。
だが今、廃墟の中にいる一人の少年の瞳が、彼の胸の奥で眠っていた山猫の喉を、激しく噛みちぎろうとしていた。
「……天城盤。お前が何者でも構わん。……俺を、元の場所に戻してみせろ」
吉本は、闇の中で自分の指の震えを確かめた。それは恐怖ではない。
使われることのなかった剣が、再び熱を帯び、産声を上げようとしている音だった。
〇四〇〇まで、あと七時間。
山猫が、錆びた爪を研ぎ澄ませ、静かに眠りから目覚めようとしていた。




