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『クラス対抗デスゲームで最弱の歩兵だった俺、実は盤上最強でした』  作者: 水前寺鯉太郎


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第25話 それを何と、呼ぶか

国家戦将棋適性試験〈通称:プログラム〉

基本ルール①

参加者

ランダム選定された高校1クラス全員

強制参加(拒否=国家反逆罪→即時処分)

第25話「それを何と、呼ぶか」


 夜の底。摺鉢山すりばちやまの塹壕には、微かな「生」の気配だけが、朝露のように溜まっていた。

 種田たねだが手帳を胸に抱えたまま、魂を削り取られたように深い眠りに落ち、それに誘われるように古賀と関口も寄り添って意識を閉ざしている。交代で見張りに立つ橋本と沼田の、等間隔に砂利を踏む音だけが、ここが戦場であることをかろうじて繋ぎ止めていた。

 

 気づけば、二人だけが起きていた。

 廃材で作った風よけの陰。冷え切ったコンクリートの上に並んで座る、天城盤あまぎ・ばん神楽坂澪みお

 

「……盤」

 澪が、膝を抱えたまま囁いた。その声は、鋭い夜風にさらされて、かつての不敵なエースの面影を削ぎ落としていた。

「なんだ」

「眠れないのか。……あんたのその頭、まだ計算を止めてくれないの?」

「……見張る必要がある。あいつらは錆びているとはいえ、プロだ。正規軍が降下する際の風速、揚力、着地後の初動……。一億通りの敗北を潰しても、まだ一〇一通目の死が、瞼の裏に張り付いている」

「嘘をつけ。……怖くて、目が閉じられないんだろ」

 

 盤は、反論しようとして喉の奥に固まった言葉を、静かに飲み込んだ。

「……そうだ。怖い。……だが、それを計算だと言い聞かせなければ、俺の心臓はさっきから止まっている」

「正直ね。……でも、盤。一個だけ、聞いていい?」

「なんだ」

「最初、私のこと……ただの『動く部品』だと思ってたでしょ」

「……使える駒だと思った。効率よく敵の視界を奪い、俺の指し手を実現するための、最高のリソースだと。……代えのきく、機能だと思っていた」

「……今は?」

 

 盤は、言葉を探した。

 いつもなら最短距離で最適な語彙を選び出せるはずの脳が、今夜は、回路に砂が入ったように鈍い。

「……変わった。お前の見え方が。……お前はもう、盤面の一部じゃない」

「どんな風に見える?」

「……名前で、呼びたい人間だ」

 

 盤の瞳が、月光の下で微かに揺れた。

「澪、と呼ぶのに、最初は理由が必要だった。指揮系統の明確化、あるいは親密度の偽装。……だが、今は違う。理由がなくても、状況がそれを求めていなくても、ただ、その音を口にしたい。……不合理なバグだが、消去できないんだ」

 

 澪はしばらく黙っていた。風が、二人の間にある「死」という名の薄い膜を吹き飛ばしていく。

「盤って……本当に、バカがつくほど不器用ね」

「否定はしない」

「優しいのに、それを計算だと言い張り、震えているのに、それを防寒だと言う。……でも、それも含めて……放っておけなくなったんだよ、私は。あんたを一人で、機械になんかさせない」

 

 盤は、澪の横顔を見た。その頬が、暗闇の中でも確かな熱を帯びているのがわかった。

「守ると言ったのは、勝率のためだと思っていた。……だが、今はわからない。計算じゃない部分が、脳のどこかでエラーを出し続けている」

「それを世間では『好き』って言うんだよ。盤、あんたの完敗ね」

「……そうか。お前が言うなら、そうなんだろう。……投了だ。俺の負けだ、澪」

 

 澪は笑った。声を抑えた、祈りのような小さな笑い。

「最悪な告白。……でも、嬉しかったよ」

 

 盤は、ゆっくりと震える手を伸ばした。澪の手の甲に、そっと触れる。

「……なにしてんの」

「わからない。……だが、触れたかった」

 

 澪は自分の手を返し、盤の手を強く握りしめた。

 盤の手は氷のように冷たく、澪の手は驚くほど熱かった。その熱が、盤の指先の冷徹な感覚を奪い、代わりに、ドクドクと力強い「他者の鼓動」を彼に叩きつける。

「澪」

「黙れ。……明日、生きるんだよ。生きて、この不合理を続けなさいよ」

「……ああ。約束する」

 

 澪は、盤の肩にそっと頭を預けた。盤は動かなかった。その肩の重みこそが、自分が今、まだ「盤上の駒」ではなく「ここにいる誰か」であることの、唯一の証明であるかのように。

 胸ポケットの便箋が、微かに音を立てた。死を拒絶した二人。

 盤は、隣にいる少女の熱を感じながら思った。

(俺は、傷つけることも、傷つけられることも、死ぬほど怖い。……だが)

 その恐怖を抱えたまま、この手を離さずにいようと、彼は誓った。

 

 それを何と呼ぶのか。

 澪は既に知っていた。盤は、まだ言葉を探していた。それはおそらく、一生をかけて探すべき、あまりに美しい不条理であることを、彼は予感していた。

 

 〇八〇〇まで、あと九時間。

 夜明けの光が、彼らの繋いだ手を白く焼き尽くす前に。

 彼らは一晩だけの、あまりに脆く気高い「人間」という名の玉座に座り続けていた。

 

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