第24話 錆びた剣
国家戦将棋適性試験〈通称:プログラム〉
施行年:2080年
実施国:大極東民主主義共和国
目的:将来の「からくり戦将棋」国家代表選手(特に戦棋将)を育成する国家プロジェクト。
概要
毎年1回、全国の高校からランダムに1クラス(約30〜40名)が選ばれる。
選ばれたクラスは即時強制招集され、殺し合いの戦棋ゲームに投入される。
これにより、極限状況下での適性・残虐性・戦略性を測定・選別する。
第24話「錆びた剣」
一九〇〇。
廃ホテルの地下ワインセラーは、熟成を拒まれた葡萄の腐臭と、冷徹な殺意が混じり合う墓所と化していた。木村太一は、端末の画面に浮かぶ赤色の警告を凝視したまま、微動だにしなかった。
【正規軍の投入が決定。投入時刻:明日〇八〇〇――】
青白い光に照らされた木村の顔には、これまでの優雅な冷徹さが欠けていた。唇は一文字に歪み、その瞳の奥には、美しく整えた盤面を汚泥で塗り潰された棋士のような、ドロリとした激昂が渦巻いている。
「木村。……その顔、初めて見たぜ。お気に入りの玩具を土足で踏みにじられた子供みたいだ」
須藤の皮肉も、今の木村には届かない。彼は端末を、壊れ物を扱うような静かさで床に置いた。
「……無知な国民(観衆)共は、いつだって最後の一手まで待てない。連中が求めているのは知略の美学ではなく、ただの無差別な破壊だ。七一パーセント……。その数字は、我々の純粋な対局への最大級の冒涜だよ」
壁際で静かに銃を抱える立石美琴の脳裏には、ある「匂い」が蘇っていた。
幼い頃、母親の寝室から漏れてきた、安酒の匂いと掠れた笑い声。母親の客だった元軍人の男は、美琴の頭を撫でながら、いつも錆びついた過去を吐き出した。
『いいか、美琴。……俺たちはかつて、国連統合海兵隊という名の「牙」だった。戦場の泥をパンに混ぜて食っていたんだ』
だが、二〇六一年の「からくり戦将棋法」がすべてを変えた。
紛争がシミュレーションに代替され、本物の銃弾が数字に置き換えられた世界で、戦士たちは居場所を失った。解体を免れた海兵隊に与えられたのは、炊き出しの警備や、暴徒化した民衆への威嚇。美琴が覚えているのは、その男の大きな手が、いつも油と石鹸の匂いがしていたことだ。硝煙を知らない世代の兵士。
(俺たちは、錆びている。研ぎ方も忘れちまうほどにな)
男の溜息が、今の美琴の心臓に冷たく重なる。マリーンコープス。それは実戦を奪われ、平和という錆に食い荒らされた、巨大で滑稽な遺物だ。
「マリーンコープスか。……強いのかよ、そいつらは」
須藤の問いに、木村は地図の中央――廃工場の区画を力強く指で叩いた。
「訓練はされている。装備も軍規格だ。だが、二十年以上、彼らは一度も『殺し合い』をしていない。平和というぬるま湯でふやけた連中の判断力は、この四日間を地獄で過ごした僕たちの比ではないよ」
木村は地図を乱暴に折りたたむ。その動作は、もはや迷いのない「断頭台の設置」だった。
「〇八〇〇。正規軍が盤面をリセットする前に、決着をつける。あえて連中の介入を誘い、その混乱をA組を追い詰めるための『盾』に利用する。……及川、何か不満か?」
及川は、拳を白くなるほど握りしめていた。爪が掌を突き破り、鮮血が一滴、コンクリートに弾ける。
「……プログラムは、俺たちの戦いのはずだ。木村さん、あなたはあの正規軍と同じだ。……人間を、ただの『盾』や『駒』としか見ていない」
「不満なら、〇八〇〇までに終わらせてみせろ。……できるかできないかではない。やるかやらないか、それだけだ」
木村の視線には、及川への期待も失望もなかった。ただ、効率を追求する演算装置のような冷酷さだけがあった。
「美琴」
呼びかけられ、美琴は思考の淵から引き戻された。
「〇五〇〇に動く。摺鉢山はもういい、正規軍が来れば勝手に散る。……お前には、天城盤の動きを封じてもらう」
「……殺せ、と?」
「いや。あいつは殺すにはあまりに『棋譜』が美しい。足か肩を貫け。あいつから、盤面を走るための自由を奪えば、それでいい」
美琴は、腰に下げたライフルの引き金に指をかけた。いつもは吸い付くように馴染むその感触が、今夜は凍りついた鉄の棒のように冷たく、重い。
(……盤、あなたなら、この不条理をどう指すの?)
摺鉢山で交わした言葉。名前を呼べば人間は動く、と言った少年の、あの澱んだ瞳。
美琴の中で、木村への忠誠と、盤への不気味な共鳴が、暗い火花を散らしている。
「……了解しました。王様」
美琴は表情を消して、地下室の闇へと溶け込んでいった。
四日目、午前五時まで、あと八時間。
夜明けの光が、錆びた剣と、折れかけた剣のどちらを先に照らすのか。
盤はまだ、暗闇の中で息を潜めている。その胸ポケットにある、二人の遺言を抱きしめながら。
終局を告げる〇八〇〇の鐘の音は、もうすぐそこまで迫っていた。




