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才能なしと追い出されましたが、辺境で魔導書工房を始めます。──なぜか王国最高位の魔術師が、うちの工房に来るのですが?  作者: 森凛


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第九話 ー 北庫・第二列

 南観測所を出てから、私たちは峠を下り続けた。

 

 昼に近づくにつれて道は広くなり、石畳の脇に荷車の轍が増えた。村の道が人の暮らしへ戻るための道なら、こちらは物を先へ流すための道だった。木箱、樽、乾燥薬草、羊毛、紙束。積まれて運ばれるものの匂いが、風の中に薄く混じっていた。


 エルザ商会の北庫は、町の北端にあった。

 川に近く、日が長く当たりすぎない場所だ。紙や羊皮紙を置くには都合がいいのだろうと、門の前に立っただけでわかった。壁は厚く、窓は高い。通気のための細い格子が並び、扉の金具には錆より先に手の油が残っていた。


「ここは紙の倉庫ですか」


「紙と、記録物だ」


 ライナルトが短く答える。


「湿気と火を嫌うものを置く」


 だから北庫。

 陽と熱を避け、出し入れする人間も限る。商会の倉庫というより、小さな書庫に近かった。


 表の扉を叩くと、しばらくして中から男が出てきた。

 四十代半ばくらいだろうか。袖をまくったまま、こちらを見る目だけが妙に醒めている。


「もう荷受けは終わってる」


 言いかけたその人が、ライナルトの顔を見て少し黙った。


「……あんた、前に羊皮紙を持っていった客か」


「北庫を見たい」


「ここは見世物じゃないぞ」


 もっともな返しだった。

 けれどライナルトは懐から真鍮の札を出して見せた。南観測所で見つけた、北庫・第二列の札だった。


 男の目が変わる。


「それ、どこで手に入れた」


「中で話す」


 男は私と札とを見比べ、それから短く息をついた。


「俺は北庫の番頭をしてる、クラウスだ。用事が終わったら、さっさと帰ってくれ」


 中へ通された庫内は、外よりひんやりしていた。

 棚は高く、列ごとに荷札の色が違う。北側の列には、紙束、箱入りの帳面、巻かれた羊皮紙、封をした書類箱がきちんと並んでいる。


 クラウスが奥の卓に帳面を置いた。


「第二列の古い出入りなら、台帳に残ってるかもしれん。だが、妙なことはもう一つある」


「何ですか」


「昨日、同じ列を聞きに来た奴がいた」


 私はライナルトを見た。

 昨夜の広場、継場の襲撃、観測所の粉。線が離れずに続いている。


「どんな人でしたか」


「背高い男性で、灰色の外套を羽織ってた。言葉遣いは丁寧だったが、逆に不気味だったぜ」


 敵はもうここまで来ている。

 そう思うと、庫内の静けさまで油断できないものに見えた。


 クラウスが台帳を開いて、見せてくれた。

 年ごとに糸色が違う、分厚い商会帳だ。記録は整っているのに、一箇所だけ開き癖が不自然だった。長く使った頁の開き方ではない。後から何度かそこだけ確かめた開き方だ。


「この年だな」


 クラウスが指を止めた。

 私は隣へ寄って、記録を見た。


 北庫 第二列

 保管品 見本帳 一冊

 入庫 三日

 差配許可 特別扱い


 それだけなら、商会の記録としてはおかしくない。

 けれど私は、品名の欄に目を止めた。インクの下に、別の筆圧が沈んでいる。上から書き換えた跡だ。


「ここ、最初は違う言葉でした」


 クラウスが眉を上げる。


「読めるのか」


「少しなら」


 私は帳面を斜めに傾けた。横から光を当てると、紙に残った圧痕が浮く。文字は完全ではないが、頭の二文字だけは読めた。


 白紙――


 そこで線が潰されている。

 でも、それで十分だった。


「見本帳じゃありません」


 私は言った。


「最初は、白紙本と書かれていたはずです」


 クラウスが黙り、ライナルトの目だけが細くなる。


「その下は」


「消されています。でも、帳の厚みが少し変です」


 私は台帳の背を押さえた。

 綴じの中心に近い一折だけ、紙の腰が違う。もとの帳より新しい紙が混じっている。頁を抜いて足したときの硬さだった。


「開けます」


 クラウスが一瞬ためらったが、ライナルトが短く言った。


「確認してくれ」


 私は台帳を壊さないように見返しの折り返しへ骨べらを入れた。

 革の裏打ち紙は、元の糊より新しいものだけが少し浮きやすい。そこを慎重にはがすと、背の内側に細い紙が一枚、貼り込まれていた。


 帳票ではない。受領控えだ。


 私はそれを取り出し、広げた。


 保管名目 見本帳

 実記 白紙本

 仮置き 北庫第二列

 転送先 王都西書庫 灰架室(はいかしつ)

 受領代行 V. Werner


 その最後の一行で、手が止まった。


 ヴェルナー。


 紙の上にあるのは、私の姓と同じ綴りだった。


「……どうした」


 ライナルトの声が、少しだけ低くなる。


 私はすぐには答えられなかった。

 答えようとしたら、胸の奥のどこかが先に固まった。


「私の姓と、同じです」


 言うと、声が思ったより静かだった。


 クラウスが顔を上げる。


「偶然じゃないのか」


「わかりません」


 本当に、まだそれしか言えなかった。

 ただ同じ姓だというだけなのに、紙を持つ指先だけが急に冷えた。


 ライナルトが受領控えを受け取る。


灰架室(はいかしつ)……」


「知ってるんですか」


「王都西書庫の古い保管室。今は閉じられて、使われてないはずだ」


 閉じているはずの場所。

 消えた移送先。

 南観測所で交替し、北庫に仮置きされ、そこからさらに閉じた書庫へ運ばれた白紙本。


 今までの手がかりがようやく一本の線になりはじめていた。


「この受領控え、誰が隠したんでしょう」


 私が言うと、クラウスが低く答えた。


「残したかった奴だろうな。消すだけなら、台帳ごと抜けばいい」


 その言葉に、私は少しだけ救われる思いがした。

 どこかで誰かが、完全に消す側ではなかった。見つかる形を残した人がいる。


 そのとき、庫の裏手で鈍い音がした。


 次に聞こえたのは、木箱が擦れる音だった。

 風ではない。人の手が触れた音だ。


 ライナルトが視線だけで私に下がるよう示す。

 クラウスはとっさに卓の下から短い鉄棒を引き抜いた。


「裏口は閉めたはずだ」


「昨日の客かもしれません」


 私が小さく言うと、ライナルトがうなずく。


「帳を持て」


 言われるまま、私は台帳と受領控えを抱えた。

 庫の静けさが、一瞬で別のものになる。紙の匂いばかりだった空気の中に、今ははっきりと、人の気配が混じっていた。


 裏手でもう一度、音がする。


 近い。


 ライナルトが一歩前へ出たら、ひんやりしていた庫内の空気が、裏手の物音へ一斉に向いたように張りつめた。


「出てこい」


 返事はない。

 その代わり、棚のあいだから白い紙片が一枚、ふわりと落ちた。


 私は息を止めた。

 あれは脅しではない。合図だ。こちらが何を見つけたか、向こうも知っているという合図だった。


 紙片には、短く一行だけ書かれていた。


 灰架室は、もう空だ。


 その文字を見たら、背筋が冷えた。

 私たちより一歩先にいる。しかも、こちらが次にどこへ向かうかまで読まれている。


 ライナルトがその紙片を拾い上げる。

 そして、ほとんど表情を変えないまま言った。


「なら、奴を追う」


 短い言葉だった。

 でも、それで足りた。


 白紙本の線は、ここで途切れたのではなかった。

 北庫まで来て、ようやく見えたのは、誰かが本を運び、誰かが隠し、誰かがわざと痕跡を残し、そして今も先回りして動いているということだった。


 私は抱えた台帳の重さを確かめるように、腕に少し力を入れた。

 自分の苗字と同じ署名が見つかった以上、ただの偶然では済まされない気がしていた。


 庫の外では、夕方前の風が川の匂いを運んでくる。


 次の目的地は王都西書庫だ。灰架室が空でも、白紙本を動かした人間まで消えたわけではない。


 ライナルトが振り返る。


「行くぞ」


「はい」


 北庫の扉を出たら、町の空はまだ明るいのに、次の行き先だけが先に影を持っていた。

 

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