表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才能なしと追い出されましたが、辺境で魔導書工房を始めます。──なぜか王国最高位の魔術師が、うちの工房に来るのですが?  作者: 森凛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/40

第三十三話 ー 順番

 階段を上りきると、塔の上層は静かだった。


 下の騒ぎが嘘みたいでした。人の気配がない。廊下の燭台も半分は火が落ちていて、残った灯りが石壁を弱く照らしている。空気は乾いて、冷たい。息を吸うと、喉の奥で紙の匂いが薄くかわいた。


 ライナルトは廊下の突き当たりにある小部屋へ入った。保管庫ではない。連絡用の待機室らしく、壁際に長椅子がひとつ、窓の下に机がひとつ。机の上には蝋燭の台座だけがあって、火はなかった。


 ライナルトが懐から火種を出して灯す。小さな炎が揺れて、壁の石目が浮かんだ。


 私は帳面を机の上に置いた。


 薄い束です。けれど開くと、頁のあちこちに赤い点が散っている。灯りの下で見ると、点の色がどれも同じではないことに気づいた。古い頁の点はくすんでいて、新しい頁の点はまだ少し艶がある。同じ薬を使っていても、時間が経てば色は沈む。


 私は最初の頁から順にめくった。


 赤い点のある頁だけを、ゆっくり抜き出す。ほかの頁は伏せたままにする。該当する頁は全部で十一枚。机の上に、日付の古い順から並べた。


 蝋燭の火が揺れるたびに、紙の上の影が動く。


「何を見てる」


 ライナルトが長椅子に腰を下ろしたまま聞いた。


「順番です」


 私は一枚目に指を置いた。


 日付は八年前。処理先は「南塔仮置庫 四」。票種は「移送」。赤い点。


 二枚目。七年前。処理先は「西書庫 灰架室」。票種は「差替え」。赤い点。


 三枚目。同じ年。処理先は「東門旧療養舎」。票種は「回収」。赤い点。


 四枚目。六年前。処理先は再び「南塔仮置庫 四」。票種は「返送」。赤い点。


 そこまで並べたところで、私は指を止めた。


 四と灰架室と東門旧療養舎。


 知っている場所でした。


 ここ数日で、私たちが歩いた場所です。


「……同じです」


 声が小さくなった。自分でも驚くほど。


「何がだ」


「私たちが追ってきた場所と、赤い点が通った場所が同じです」


 ライナルトは長椅子から立ち上がらなかった。けれど目だけがこちらへ向く。蝋燭の火が瞳の端に映っている。


 私は五枚目以降を続けてめくった。


 五年前。「南壁第三継」。差替え。赤い点。  四年前。「西書庫 灰架室」。回収。赤い点。  三年前。「南塔仮置庫 四」。焼却票先行。赤い点。


 同じ場所が、繰り返し現れる。


 四、灰架室、東門、南壁第三継。この四つだけが、何年にもわたって赤い点をつけられている。ほかの保管場所の名前は一度も出てこない。


 私は紙を指で押さえたまま、全体を見た。


 並びには規則がある。


 四から始まる。灰架室へ行く。東門を経由する。南壁へ着く。そしてまた四に戻る。


 回っている。


 同じ四つの場所を、同じ順番で、何年もかけて回っている。


 蝋燭の蝋が一滴、台座に落ちた。小さな音がして、火が一瞬だけ大きく揺れる。


「巡回路です」


 私は言った。


「何の」


「分かりません。でも、赤い点がついた票は全部この四か所を回っています。順番も決まっている」


 机の上に並んだ十一枚の紙が、蝋燭の光の中で薄い影を落としている。私は八枚目から先を見た。


 二年前。「西書庫 灰架室」。差替え。赤い点。  一年前。「東門旧療養舎」。移送。赤い点。  今年。「南壁第三継」。差替え。赤い点。


 そして十一枚目が、今夜の票でした。


「南塔仮置庫 四」。焼却票先行。赤い点。


 回っている。  そして今夜、順番が四に戻ってきた。


 私は指先で十一枚の並びをもう一度なぞった。四、灰架室、東門、南壁、四、灰架室、東門、南壁、灰架室、東門、南壁。そして四。


 規則的なようで、途中から間隔が詰まっている。最初は一年に一回だったものが、ここ数年は同じ年に二回入っている頁もある。


 回転が速くなっている。


 何かが近づいているみたいに。


「ライナルト」


 彼は長椅子に座ったまま、私の手元を見ていた。


「次が読めます」


「言え」


「四は今夜です。私たちが止めた。次は――」


 私は順番を指でたどった。四の次は、灰架室。


「西書庫の灰架室です」


 言いながら、指先が冷たくなっていくのが分かった。


 灰架室。第二十六話で見た場所です。壁の内側で紙を灰糊に抱かせ、継ぎ目を留めていたあの作業場。あの場所にもまだ、処理紙が残っているはずでした。


「いつ」


 ライナルトが聞いた。


 私は帳面の間隔を見た。最近の回転は速い。四から灰架室への間隔は、過去三回とも一月以内。今夜四が動いたなら、灰架室は――


「すぐです。一月もかからない」


 部屋の中が急に狭く感じた。壁の石目が蝋燭の揺れで微かに動いている。窓の外からは何も聞こえない。塔の上層は静かすぎて、自分の心臓の音が耳に届きそうでした。


 ライナルトが立ち上がった。長椅子の脚が石の床を擦る音がする。


「読めたのは順番だけか」


「いえ」


 私は帳面を閉じずに、もう一つ気づいたことを指で示した。


 票種です。


 四への票は、いつも「焼却」か「返送」。つまり消す方向。  灰架室への票は、いつも「差替え」。入れ替える方向。  東門への票は、「回収」か「移送」。動かす方向。  南壁への票は、「差替え」。やはり入れ替える方向。


 四で消して、灰架室で入れ替えて、東門で動かして、南壁で入れ替える。


 消す、替える、動かす、替える。


 私は机の上の紙を見つめた。蝋燭の蝋がまた一滴落ちる。


「壁の中身を入れ替えてるんです」


 声が少し震えていた。


「何年もかけて、少しずつ」


 ライナルトは答えなかった。


 代わりに、窓の方へ歩いた。明かり取りの小窓から外を見る。夜の空気が細く入り込んで、蝋燭の火がまた揺れた。


「灰架室の差替えを止めれば、回転が止まる」


 私が言うと、彼は窓から目を離さないまま答えた。


「止まるだけだ」


 その声は低かった。


 止まるだけ。つまり、止めても元には戻らない。すでに入れ替えられた分は、もう壁の中にある。


 私は帳面を閉じた。表紙のない束が、手の中で小さくたわむ。


「でも、次がどこか分かりました」


 ライナルトがようやくこちらを振り向いた。蝋燭の光が顔の半分にだけ当たっている。もう半分は影の中でした。


「灰架室へ行く前に、一つ確かめることがある」


「何ですか」


「差替えの中身だ」


 私は首を傾げかけて、やめた。


 差替え。入れ替えるなら、出すものと入れるものがある。出すものは予備片だった。では、入れるものは何か。


 壁の中に、何を入れているのか。


 その問いが浮かんだ瞬間、部屋の温度が一段下がった気がした。窓から入る夜気のせいだけではない。


 ライナルトが机の蝋燭を手で囲い、火を小さくした。部屋が暗くなる。


「今夜はここまでだ」


「でも――」


「灰架室は昼の方がいい」  彼は短く言った。 「夜は、あの場所を別の連中が使う」


 その言い方に、知っている人の重さがあった。八年前に入った場所。十年前に閉じた場所。彼はあの壁の内側を、私よりずっと長く見てきている。


 私は帳面を懐へ入れた。紙の角が肋骨の下に当たる。


「明日ですか」


「明日だ」


 蝋燭を吹き消す。


 暗闇の中で、蝋の匂いだけが残った。甘くて、少し苦い。乾燥棚の部屋で嗅いだ薬の匂いに、どこか似ていた。


 窓の外で、遠くの鐘が一つ鳴る。南壁の異音ではない。時刻を知らせる鐘でした。夜がどこまで来たかを、石壁の向こうから教えている。


 私は暗がりの中で立ち上がった。


 机の上にはもう何もない。十一枚の紙は帳面に戻し、帳面は懐に入った。けれど頭の中には、まだ四つの場所が回っている。


 四、灰架室、東門、南壁。


 消す、替える、動かす、替える。


 何年もかけて壁の中身を入れ替えている人がいる。少しずつ、赤い点を一つずつ打ちながら。そして今夜、その回転の一つを私たちが止めた。


 次は灰架室。


 でもその前に、入れ替えられたものの正体を確かめなければ、止めても意味がない。


 ライナルトが扉を開けた。廊下の空気が流れ込む。さっきより冷たい。夜が深くなっている証拠でした。


 私は暗い廊下へ足を踏み出した。石の床が靴底に冷たく当たる。


「ライナルト」


 前を行く影が、半歩だけ遅くなる。


「分かったことが、もう一つあります」


「何だ」


「回転が速くなっています」


 彼は振り向かなかった。


「最初は年に一度だったのに、最近は何か月かで一周してる。急いでいるんです。誰かが」


 廊下の先で、燭台の火が一つ、音もなく消えた。風のせいかもしれない。けれどそのあとの暗がりが、少しだけ深くなった気がした。


 ライナルトの足音が、石の廊下に静かに響く。


「急いでいるなら」


 彼は歩きながら言った。


「こっちも急ぐ」


 私は帳面を懐の中で押さえ直した。紙の角が肋骨に当たるたび、四つの場所が順番に浮かぶ。


 四、灰架室、東門、南壁。


 明日は灰架室。


 蝋燭のない廊下を歩きながら、私は自分の足音を聞いていた。石に当たる革底の音。その隙間に、もう一つの足音が重なっている。


 二人ぶんの足音が、暗い廊下の奥へ伸びていく。


 外で鐘がもう一つ鳴った。時刻の鐘。夜はまだ明けない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ